12 グリモア詩編の返却
馬車がガラガラガラと音を立てて土を踏んでいく。
パカラッパカラッ、と馬の蹄が土を蹴る。
グレアロス砦から王都までの道は、3つの大きな街を通ることになる。
その街と街の間には小さな村がいくつもある。
馬車がここを通りだして約千年、幾千幾万もの馬車が行き交い、道は随分と平されている。
馬車の中にいてもたいした揺れはなく、腰にガツンとくる衝撃もほとんど無い。
快適な旅路だった。
馬車を引く馬もスピードが乗って、その馬力を遺憾なく発揮している。
風を切って走るのが好きな馬なようで、どこか楽しげな様子。
たてがみが優雅に靡き、馬車の重さなど無いかのように軽やかな走りだ。
「うん。やっぱり、いい馬だ」
手綱を持つクロが言った。
でも、あまり飛ばしすぎるのもマズいので、馬が疲れる前に一度休憩させた方がいいだろう。
出来れば水も飲める川があればいい。
「それで、王都に何か用があるんですの?」
シャルラッハが横に来て、前を見ながら言った。
「とりあえず、いつまでも他国の人間が勝手にウロウロするわけにはいかないからね。挨拶ぐらいはしておきたい」
「へぇ……誰に?」
「国王……は今は無理として、王女にかな。エーデルもいるし」
グラデア国王は歳を召されている。
最近は、体の調子があまり良くないらしい。
そう簡単に謁見することはできないだろう。
「たしか、なぜか仲が良かったのですわね。なぜかは本当に理解できないですけれど……」
シャルラッハが眉根を寄せる。
「わらわとグラデア王女は親友じゃからな!」
そこでエーデルが会話に口を挟む。
「そこが不思議なの。まさか、あなた……王女を脅したの?」
「なんでじゃ!」
「いや、だって……あなたと仲が良くなるなんて、実際にその光景を見ていても信じられないんですもの」
シャルラッハはかなり辛辣だった。
しかし図に乗ったエーデルにはまったく効かない。
「ふふん! あやつとは昔からの馴染みじゃからな。むしろ向こうから是非にと言われたんじゃぞ」
「すごい……エーデルさん、本当に王女さまと友人なんですね!」
エリクシアもまた会話に入る。
最初の方は遠慮をしていたが、今は随分と打ち解けたようだ。
「むふっふふ! そう、もっとわらわを褒め立てるのじゃ!」
ちなみにアヴリルは後ろの方で眠っている。
すやすやと寝息を立てて、おそらく夜のために英気を養っているのだろう。
旅は夜の方が危険なのは周知の事実だ。
彼女は本能でそれを理解している。
そもそもが人狼で、夜行性だから昼は眠いという可能性も無きにしも非ずだが。
そうして。
しばらく会話の花が咲き、話題も尽きてきた頃だった。
「クロ、前の方に誰かいます」
エリクシアが言った。
道端で、男性がクワを持って作業している。
兎のような長い耳があり、ピクピク動かしてこちらを見ている。
獣人の『人兎』だ。
ずっと前からこちらに気がついていたようだ。
「あの人、周りに馬も馬車もないですけど大丈夫でしょうか? もしかして困ってたり……」
ここはグレアロス砦からかなり距離がある道中だ。
そんな場所で徒歩である。
エリクシアが心配することも分かるが、あれは違う。
「いや、あの人は強いから大丈夫だよ。それに、多分この辺りに何日か野宿してるはず」
「え?」
「エリー、この鐘を鳴らしてみて。2回ね」
シャルラッハが御者席の上に備えられている小さな鐘を指差した。
エリクシアは不思議そうな顔で、言われたとおり鳴らした。
カランカラン、と響く鐘の音。
すると、人兎の男性が嬉しそうに片手をあげた。
「欲しいみたいだね。少しスピードを緩める」
「了解」
「え? ど、どういう意味ですか?」
「エリー、今度はこの水袋を投げてあげて」
くすくす、とシャルラッハが笑い。
「あの人に当てちゃダメよ?」
と念を押した。
「水を渡してあげるってことですか?」
「そういうこと」
水の入った革製の袋を、エリクシアは「えいっ」と投げた。
うまく道端に転がったようで、無事に渡せた。
「ありがとうごぜぇますだ~ッ!」
馬車で通り過ぎる瞬間、人兎の男性がお礼を言ってきた。
彼はこちらが見えなくなるまで手を振っていた。
「今のは……何だったんですか?」
「鐘2回は何が欲しいか聞いたの。片手をあげるのは水が欲しいって合図。ちなみに両手をあげたら食料と水ですわ。この道を使う以上、あの人には感謝しなきゃ、ですから」
「……あの人は何をされてたんですか?」
エリクシアは興味津々だった。
「道の掃除だよ。あの人は掃除師っていう職業だ」
「掃除師……はじめて聞きました」
「馬車は長距離を旅するから馬が走りながらよくフンを落とすんだ。この道は牛車も通ってるみたいだからそっちのもか。それを掃除するのがあの人の仕事」
「へぇぇ」
「フンをそのままにしておくと、馬車が滑ったりして大変なことになる。それに、他の動物が匂いにつられてやって来て事故が起こったり、その動物を狙って魔物が現れることもあったり……まぁ、とんでもなく危険なんだ」
馬車はほんのちょっとの石などで傾くこともある。
フンは晴れが続いて乾燥すれば石のように硬くなることがあるし、雨が降れば柔らかくなって踏んでしまえば滑ってしまう。
それらを掃除する仕事、それが掃除師である。
動物のフンは重い。
それが大量にあるとすれば、相当な重労働になる。
「大変なお仕事なんですね」
エリクシアは素直にそう言った。
「頭の足りない貴族とか、わきまえない連中は、彼らのことを汚らしい仕事だとか卑しい者だとか……まぁ色々と揶揄しますけれど、王国から重要指定されるぐらい、誇りあるお仕事ですわ」
シャルラッハは事実をそのまま言う。
「それに、実力が無いとなれないしね。道にいる以上、魔物と闘わないといけないこともある」
「命掛けなんですね……」
「まぁその代わり、実入りはすごく良い。王国から、他の国ならその国から掃除師としての報酬も出るし、フンの始末でも、肥料として売って儲かるからね」
「そんな職業があるなんて知らなかったです。わたし、知らないことがいっぱいです……」
「これから覚えていけばいいよ。旅は長いから、分からない事があったらその度に聞いてくれれば答えるから」
「はい! ふふふ」
「なんですの、急に笑って」
「いえ。わたし、旅ってツラいものだとばかり思ってたので……」
エリクシアが言う。
本当に、幸せそうに。
「みなさんと旅が出来て、本当によかったです!」
「お……おバカですわね。旅はまだ始まったばかりですの。そういうセリフは旅の最後に言うべきですわ!」
あのシャルラッハが照れていた。
めずらしいこともあるものだ、とクロは思った。
◇ ◇ ◇
「ここら辺で野宿の準備にするか」
少し日が傾いてきた頃、馬車を止めながらクロが言った。
夕刻にはまだ早く、昼とはもう言えない時間帯。
「え? もう少し走れば村につくはずですけれど、わざわざ野宿を?」
シャルラッハが嫌そうな顔で言った。
彼女も戦士とはいえ年頃の女の子。
馬車の硬い寝床よりも、宿屋の柔らかいベッドで寝たいだろう。
「今日だけは、ちょっと用事があるんだ」
「……へぇ?」
「この辺りは綺麗な川がある。飲み水の補給も出来るし、簡単な料理ぐらいは出来る。良さそうな草もいっぱい生えてるから、馬もゆっくり食べて休める。後は何より、ここは中途半端な距離の場所だから、人が見当たらない」
「なぁに? やましいことでもするのかしら」
くすくす、とイタズラな笑みを見せるシャルラッハ。
「まぁね」
きっと昔のクロなら照れていただろうが、さすがにこんな程度では心は揺さぶられない。
「……反応がつまらないですわ」
「俺も随分長く生きたからね。そういうのは慣れてる」
二千年だ。
その間に、こういう風にからかってくる人はたくさん居た。
そんな人達との会話で、少しはクロも成長したのだ。
「アハハ! 何を言っておるか、エルドアールヴ」
エーデルが笑いながら言う。
「エルフィンロードの先祖達から代々聞いておるぞ。お主、二千年もの時を生きながら、浮いた話ひとつ無かったらしいではないか」
「な、なんですと!?」
そんな話をしていたら、タイミング悪くアヴリルが聞いていた。
「誰ともお付き合いもないんですか? 二千年も生きて!? クロイツァー殿なら引く手数多だったんじゃないんです?」
「…………」
クロが頭を抱えた。
まさかこういうしっぺ返しが来るとは思わなかった。
「こやつは生きた年月ゆえの慣れた大人の雰囲気があるだけで、本当は戦闘以外では中身がガキのままじゃからのう?」
くくく、とエーデルが笑う。
「⋯⋯俺のことはどうでもいいじゃないか」
こういうことでからかわれたりするのは慣れたものだから特になにも感じないが、さすがに女の子だらけのこの場で恋愛事情やらを聞かれたり話したりするのは勘弁してもらいたい、とクロは思った。
それに元来がお喋りなワケではないので、できれば話題は選びたかった。
「ねぇ、クロ。好きな人もいなかったんですか?」
エリクシアが言った。
目をまん丸にして、首を傾げる。純粋に気になった、という感じだ。
「…………」
まさかの伏兵になす術がなく、クロは押し黙るしかなかった。
「クロ?」
「エリー、人の恋路を無理に聞くのははしたないですわよ」
有り難い事に、シャルラッハがまさかの助け船を出してくれた。
「あ、すみません⋯⋯たしかにそうですね。つい、気になって⋯⋯」
「まぁ、いつか必要になったら教えてくれるでしょう。ねぇ?」
シャルラッハがニヤリと悪い顔をしてこっちを見る。
が、やはりクロは黙ったままでスルーした。
とりあえずは、変な追求もなくなってひと安心。
視線で「ありがとう」とシャルラッハに送ると「ひとつ貸しですわ」と目配せで言われた。
「それにしても……ねぇ?」
「……何かな」
「だってエルドアールヴといえば大英雄よ? アヴリルの言うとおり、今までに言い寄ってくる人も沢山いて選り取り見取りだったでしょうに」
「……」
はしたないとか言いながら、シャルラッハ自身も追撃してきた。わざとなのだろう。困っているクロを見て、少し楽しんでいる様子だった。
こういう時には余計な反論をする方が劣勢になる。これまでの二千年の経験上わかっている。なのでクロは再びだんまりを決め込んだ。
「うふふ。まぁいいですわ。今回は引いてあげましょう。今回だけは、ね?」
シャルラッハは上機嫌だった。
本当に女の子というのは恋愛話が好きなようだ。たとえ何千年経っても、時代が変わっても、それはずっと変わらないものなのだろう。クロはそう思った。
「…………」
英雄なら選り取り見取り。
英雄と言われるような立場なら、女性から言い寄られる事もたしかに多かった。
しかし自分は不死で、二千年も生きなければならない使命があった。
ひとりは辛かった。
幾度か欲のままに流されそうになった事もある。
恋というものに落ちかけたことも、たしかにある。
でも、無理だった。
心が拒絶した。
仮に誰かとそういう仲になったとして、年月が経ったら相手を看取らなければならない。
子供が出来ていたら、その子の死も見なければならない。
その子に子がいたら?
さらにその孫がいたら?
その全ての死を見続けなければならない。
そんなものはそれこそ地獄だ。
不死は絶対に、恋をしてはいけない。
これは最初に決めていたことだ。
だからそれを貫き通した。
この話をすれば彼女達も納得して黙るだろう。
そういう人達だ。
そして今後、二度とこういう話はしなくなるだろう。
しかし、それは本意じゃない。
不死の苦しみなど、自分の苦しみなど、知らない方がいいに決まっている。
楽しいままで旅を続けたいから。
だから今はとりあえず、このままで。
◇ ◇ ◇
「エリクシア、準備はいい?」
「はい!」
夜。
焚き火の灯りの中で、エリクシアの背後に『悪魔の写本』が浮いている。
「人の気配はありませんよ~」
アヴリルが馬車の上に乗って、周囲を警戒している。
彼女の索敵は鼻で行われる。
その効果は広範囲に及ぶ。
「グリモア詩編の返却……たしかに、砦や村の中じゃ出来ませんわね」
シャルラッハが真剣な顔をして言った。
彼女は馬を守るようにして仁王立ちしている。
「何があるか分からぬからの……さすがに初めての事じゃから、念には念を入れて誰もおらぬところでやった方がよい」
エーデルがその隣で言った。
めずらしくマジメな顔をして、何があっても良いように、何時でも魔法を発動出来るよう、魔力をその体に溜めている。
「グリモア詩編・第十災厄、悔恨の業『変革』」
懐から詩編を出す。
黒い霧のようなエーテルに包まれるそれは、時空の穴を開く禁忌。
決して使ってはならない、人類を滅ぼすほどの災い。
「エリクシア、随分と待たせた」
詩編をエリクシアに渡す。
たった一枚の紙、これが人類を滅ぼす力を持つ。
「ありがとうございます、クロ」
これを取り戻すのにどれほどの苦労があったか。
エリクシアはそれを知っている。
「たしかに、受け取りました」
エリクシアは厳かに、まるで儀式のように。
詩編を頭上に掲げた。
「グリモア」
グリモアの周囲に渦巻く黒霧が、動きを激しくする。
それは、求めていた自身の欠片を取り戻した喜びなのだろうか。
「返却します」
パラパラパラ、とグリモアの本が自動的にめくられていく。
そして、とある箇所でピタリと止まった。
そこには破れてしまったページの後がある。
「…………」
クロが身構える。
何があっても、エリクシアや後ろの仲間を守るため。
しかし、そんなクロの不安は杞憂に終わる。
エリクシアの手から離れた詩編がふわりと浮いて、グリモアのページに挟まっていく。
破れた部分がくっついて、何も無かったかのように綺麗に直った。
そして、直ったページに黒霧が溢れ出していく。
他のページと同じように。
「……ふぅ、これで終わりです」
「…………」
パタン、とエリクシアがグリモアを閉じた。
グリモアはおとなしく、彼女の背後に浮いている。
いつものように。
「……ちょっとだけ、拍子抜けですわね」
「……ですね。グリモアのページが勝手にめくられた時は怖かったですけど」
「ほへぇ……緊張したのじゃ」
後ろで3人が言った。
「……よかった、何事も無くて」
「ですね……」
これで分かった。
次からはグリモア詩編を手に入れたら、その場ですぐエリクシアに返却すればいい。
「詩編は残り11枚です。頑張って集めましょう」
エリクシアが言った。
しかしクロは、
「いや、残り9枚だ」
「え?」
「これまで俺がエルドアールヴとして集めた詩編が2枚ある」
そんなことを言った。
「ええ!?」
驚いたのはエリクシア。
「まぁ、二千年もかけてたった2枚だから、誇れるような事じゃないけど」
「ちなみに、エルフィンロードの奥地にあるのじゃ。我らエルフの封印魔法で守っておるから安心してよいぞ」
エーデルが付け足して説明した。
「そ、そうだったんですか……」
「だから他の詩編を探す前に、その2枚を一刻も早くエリクシアに返しておきたい」
「つまり、次の目的地は……」
シャルラッハが言った。
「エルフの里」
「おお! 私、一度は行ってみたいと思ってましたよ!」
アヴリルは楽しげだ。
「名所がけっこうあるから、観光にもいいよ」
その楽しそうな雰囲気に乗っかっていく。
やっぱり、この旅はそういうところを大事にしていきたい。
クロはそう思った。
「まずは王都に行って、そこからエルフの里に行く」
「いいですわね、旅って感じになってきましたわ」
「くぅぅ! 遠吠えをしたいぐらいワクワクします!」
「王都の後の道中でゴルドアに寄って買い物をしてもいいのう。ちょうど着く頃には年1回の大商祭をしておるじゃろ?」
「わぁ! お買い物、わたし好きです!」
「とりあえず今日はもう遅いから、明日に備えてゆっくりしよう」
そんな楽しみな会話をしながら、旅の初日は終わった。
詩編は残り9枚だ。
その内のいくつかは在処が分かっている。
激戦が続くであろうことは間違いない。
だから今だけは、ゆっくりと。
この安寧に身を委ねることにした。




