10 旅支度
グレアロス砦の大通りは、今日も人でごった返していた。
いくつもの店が並び、呼び込みの声があちこちで聞こえてくる。
まるで川の水のように、買い物客が道の流れを作っている。
楽しげな子供の声。
値下げ交渉をする人の声。
どの店が安いか情報交換をしている人達。
ひとつの商品を求め、活気の良い競りまで行われている。
「……す、すごい人ですね」
凄まじい喧騒の中、エリクシアが呟いた。
これまで人を避けて生きてきた彼女だ。
こんな人混みを経験したことはなかったので、圧倒されている様子だ。
「この辺りは食べ物市場だから、どうしても人が多いですわね」
シャルラッハは物怖じしない様子で、すれ違う人々を自然に避けている。
「腹が減ったぞエルドアールヴ。わらわ、油ものが食いたいのじゃが」
「我慢してくれエーデル。今日は旅支度が先だ」
「いやじゃ。お主の肩に乗らず、わらわは自分の足で歩いておるのじゃぞ? そのぐらいのワガママは許すべきじゃ」
エーデルは3歩歩けば文句ばかりだった。
見た目そのまま幼児のように頬を膨らませている。
しかし間違えてはいけない。
彼女の実年齢はエリクシア達と同年代である。
王の特権として、いつもはクロの肩に乗っており、自分で歩くことはない。
よくよく考えてみればおかしな話だが、彼女が子供の頃からそれが自然だったので、クロも慣れてしまっていて当たり前になっている。
「まぁまぁ落ち着いてくださいエーデルヴァイン殿。もう少し歩けば騎士団御用達のよろず屋ですので」
アヴリルがエーデルを諭している。
いつもならヴィオレッタがその役目をするはずだが、彼女は今、姉のマーガレッタと共にいるため不在だった。
「エリー見て! リードシクティスですわ、めずらしい」
「わぁ! あんな大きな魚はじめて見ました!」
ワガママ放題のエーデルと衝突するかと思われたシャルラッハは、それどころではなかった。
どうやら相当にエリクシアのことを気に入ったらしく、彼女との会話を楽しむことに夢中だった。
「あの魚、シャルちゃんは食べたことがあるんですか?」
エリクシアも楽しそうで、いつの間にか、ふたりだけの呼び名で呼び合っている。
「ええ。味付け次第ですけれど、おいしかったですわ。そうだ、良いお店を知っていますから、お昼に食べに行きましょうか」
たわいもない会話をしながら大通りを抜ける。
しばらくして。
アヴリルが言っていた騎士団御用達のよろず屋に辿り着く。
大きな店だが、店内は静かな雰囲気だった。
休暇中の兵士や、冒険者達が真剣な表情で品物を見繕っている。
この店は武具職人からも直接品物を仕入れているため、鎧や盾、そして剣など様々な種類の武器や防具も売っている。
「懐かしいな……」
グレアロス砦に来てからはこれが口癖になってしまっている。
ずっとずっと前に、この店で片手斧を買ったことを今も覚えている。
ヴェイルに買い物を手伝ってもらったのも、ここだ。
「何を買うんですか?」
エリクシアが興味深そうに聞いてくる。
「まずは旅には必須の靴かな。街の道とは違って、山道とかは整備されていないから、石ころとかでよく壊れるから、できるだけ丈夫な物を何足か買おう」
「わ、わかりました。丈夫な物……」
「さすがに見ただけじゃ分からないだろうから、シャルラッハが見繕ってくれないか?」
「あら、わたくしでいいんですの?」
「女性物は分からないんだ。シャルラッハなら、靴は大事に選んでそうだから適任かなって」
彼女の『雷光』は究極的に言うと、移動の戦技だ。
その軸となる靴は、相当に厳選しているはず。
特に自分の闘いに関する重要な装備。彼女ならまず間違いはないだろう。
「そういうことなら、分かりましたわ」
「お金のことは心配しないでいいから、良い物を選んであげてほしい」
「了解ですわ」
ニヤリ、とシャルラッハが悪そうな笑みをしたのは気のせいだと思いたい。
「あとは……外套だな。雨風を凌ぐのは大事だから、それも頼んでいいかな」
エリクシアの外套は随分と古くなっている。
ここらで一新しておいた方がいいだろう。
「クロ、本当にいいんですか? 色々買ってもらって……」
「気にしないでいいよ。これから長旅になるから、準備だけは怠らないようにした方がいい」
「ついでにわたくし達のも選びましょう、アヴリル」
「はい。あ、そうだ。下着も新調しておきましょうか。長旅になるのなら、必要ですよね」
「…………」
「…………」
しーん、となった。
「アヴリル……そういう話は男性がいないところでやってほしいですわ」
「え? 私はクロイツァー殿に選んでもらうつもりだったんですが。ほら、どうせなら男性の意見とか聞きたいじゃないですか。シャルラッハさまは違うんですか?」
アヴリルはケロッとした顔でとんでもない爆弾を放つ。
「お断りします」
厄介なことにならない前に意思を示しておく。
「え? 何でですか? クロイツァー殿はどんな下着が好きなのか知りたいのですが」
「わらわも、それは気になるのぉ?」
エーデルが調子に乗って乗っかってきた。
悪巧みが服を着て歩いているような性格だ。ここぞという時に執拗に攻撃してくるのは毎回のことだった。
「シャルラッハ、君らのも俺が出すから、後は頼んでいいかな。食料とか、他の細々したものは俺が買っておくから……」
これはマズい前兆だと察したクロは、シャルラッハに全て丸投げする。
「お金はエルフ商会のツケにしてくれれば大丈夫だから」
「はいはい。任せなさいな」
ひらひらと手を振りながら、了解してくれた。
理解の深い人がいると本当にありがたいと痛感する。
「いらっしゃい、エリー。可愛いのを選んであげる」
「よ、よろしくお願いします」
早速、買い物をはじめるふたり。
その様子を尻目に、アヴリルとエーデルに捕まる前に、そそくさとその場を立ち去るクロだった。
◇ ◇ ◇
夕方。
ひと通りの買い物をしてきたクロは、マーガレッタが用意してくれていた客室に帰った。
まだエリクシア達は帰って来ていない。
女性の買い物は長くなるとは分かっていたが、これは夜までかかるだろうと踏み、砦の様子を見ておこうと要壁の上を歩いていた。
「あ……」
すると、壁の一部が崩れている。
兵士達が修復工事をしている様子が見てとれた。
「……せめて修繕費は出しておかないと」
この大破壊は自分でやったものだ。
物なら直すことができるからと、戦闘中は一切気にしなかったが、あらためて見ると、とんでもない事をしてしまったようだ。
「……足りるかな、お金」
「いや、そういうワケにはいかないぞ。同志クロイツァー」
こんな壁の上に人がいるとは思わなかったが、同じように砦全体を見渡していた人がいた。
「マーガレッタさん」
「砦を救うために闘ってくれた貴公に修繕費まで出させたとなると、騎士団の沽券に関わるからな」
騎士団には騎士団の面子がある。
たしかに、自分が金まで出したら彼らの面目が立たない。
ここは言葉に甘えた方が良さそうだ。
「エルドアールヴ、買い物は終わったんですか?」
ヴィオレッタも一緒だった。
4年もの間、離れ離れだったふたりは、その年月を埋めるかのように、ひと時も離れることがなかった。
「うん。俺の方は……ね」
「王さまがワガママを言ってないか心配だったのですが、もしかして……」
「いや、エーデルはアヴリルさんが制してくれているよ。多分シャルラッハで慣れてるんだろう、扱いが異常に上手かった」
「ということは……」
「多分、買い物を楽しんでるんだと思う。時間を忘れるぐらいに」
「なるほど。それなら、まぁ……安心ですね」
ヴィオレッタが一拍置いて、口を開いた。
「エルドアールヴ」
「ん?」
「本当に、いいんでしょうか?」
「…………」
何が、とは言わなかった。
申し訳なさそうにする彼女の表情を見て、何を言おうとしているのかは理解できた。
「私は、あなたの力になりたかった。4年前、私を助けてくれたあなたの手助けをしたかった。それなのに……」
「やっとマーガレッタさんと再会できたんだ。きっと、その方がいい」
「で、でも……」
うつむくヴィオレッタ。
「……私は、エルドアールヴと一緒に旅がしたいです。でも……姉さんとも離れたくない……」
自分達はグリモア詩編を探すため、レリティアを旅しなくてはならない。
しかし、マーガレッタはグレアロス騎士団の副団長だ。
今は団長がいるとはいえ、この砦の責任者は彼女である。
シャルラッハ達のように、砦から離れることはできない。
「自分がどうしたらいいか、分からないんです……」
揺れ動くヴィオレッタの想い。
その背中をそっと押してあげるべきだと思った。
彼女を助けた責任として。
自分の事情のせいで、姉と離れ離れにさせてしまった責任を取らなければならない。
「ヴィオレッタ、君は俺の従者になりたいってずっと言ってたね」
「はい」
4年前、彼女を魔人樹から助けた後、エルフの里に連れて帰った。
そして、エルドアールヴとしての事情を話し、4年間マーガレッタの元に帰れないことを納得してもらった。
その間、ヴィオレッタには不自由のない生活をしてもらいたかったが、助けてもらった恩を感じてしまったのか、エルドアールヴの力になりたいと言ってきた。
当時の彼女は普通の人間だった。
何の力も持たない彼女を、あえて危険に晒すことは出来ず、その願いは丁重に断っていた。
しかし、相当な頑固者だったらしく、凄まじい努力の結果、諜報者としての資質を知らぬ間に開花させていた。
ヴィオレッタの想いと努力。
それを見たエーデルが、自身の従者にすることで、エルドアールヴの力になりたいという彼女の願いを叶えたのだ。
「これは、俺の最初で最後のお願いだ」
「…………」
「家族との時間を、大切にしてくれ」
せっかく姉と再会できたのだ。
この姉妹をまた離れ離れにさせることはできない。
「エルドアールヴ……」
ポロポロと涙を流す。
そんなヴィオレッタの頭に手をやったのは、マーガレッタだった。
「心配するな、ヴィオレッタ」
「姉さん……?」
「同志クロイツァー。貴公はレリティアでグリモア詩編を探す。その後は、行くのだろう? 魔境アトラリアに」
マーガレッタの言うとおり、最終目的は魔境アトラリアの『最奥』だ。
そして、もうひとつアトラリアに行かなくてはならない理由がある。
「その時こそが、人類の命運をかけた決戦になるはずだ。それこそ、先の戦いとは比べものにならない大決戦だ」
『禁域』にいるマザーが持っている詩編。
それを取り返さなくてはならない。
間違いなく、魔物との決戦になる。
「先に言っておくが、私はその決戦に参加するぞ」
「え?」
ヴィオレッタが驚く。
マーガレッタは続ける。
「魔境アトラリアに行くにはいくつかルートがあるが、このグレアロス砦はそのひとつだ。行く時はここに来い。私はその時こそ貴公についていく」
「マーガレッタさん……」
たしかに、魔境に攻め込むということは人類にとっても大切なことだ。
魔物の数は年々増えており、レリティアを脅かしている。
このまま手をこまねいていればジリ貧なのは確実だ。
絶滅か、決戦か。
そう判断せざるを得なくなる日が必ず来る。
人類が一丸となって戦いに臨む。
マーガレッタは、エルドアールヴが魔境に行くその日こそが、決戦だと言っているのだ。
「今はまだ頼りないかもしれんが、何、その時には私も今よりもずっと強くなっておこう」
「姉さん……」
「お前もだ、ヴィオレッタ。彼の力になりたいのだろう? 同志クロイツァーがここに帰ってくるまで、私と一緒に強くなってくれ」
「は、はい!」
クロは思った。
この人には敵わない。
先の先まで見通して、そのための準備をすでにしているのだ。
これほど心強いことはない。
「エルドアールヴ」
ヴィオレッタが言う。
今度は揺れ動くような瞳じゃなく、まなじりを決して真っ直ぐに。
「待っています。必ず、私達を連れていってくださいね」
日が傾き、紅く染まった約束の言葉は、
クロ・クロイツァーの胸に、深く染み込んでいった。
◇ ◇ ◇
夜。
買い物から帰ってきたエリクシア達は楽しそうに試着をしていた。
シャルラッハから聞かされた総額には目が飛び出そうになったが、何とか平静を保てたと思う。
彼女らが買ってきたものを確認したところ、良い物を見繕ったようで、その辺りには文句はない。
エルドアールヴとして長年貯めてきたお金なので、金銭的な打撃というほどでもないし、シャルラッハに任せて正解だった。
「ん……?」
お土産としてもらった魚の串焼きを頬張りながら、自分の部屋に戻っている途中だった。
見慣れたドワーフの背中が、バルコニーにあった。
「ガラハドさん、部屋を抜け出してひとりで酒盛りですか?」
「おっ? クロイツァーか、ちょうど良い。こっち来い。へへっ、酒の肴も持ってるじゃねェか」
「どうぞ。でもたしか、軍医から酒は止められてるはずじゃ……」
「お前まで硬ェこと言うな。エリクシアも見舞いに来る度うるせェんだから、今日ぐらいはいいだろ」
どうやらエリクシアはよく見舞いに来るらしい。
父娘の語らいを楽しんでいるようで、ガラハドも文句を言いながらも満更でもないらしい。
「聞いたぜ。明日、旅立つんだろ?」
「はい。やることは済ませたので、そろそろ出ないと名残惜しくなりそうで」
「……そうか」
ガラハドは酒の入ったとっくりから、とくとくとく、とコップに注いでいく。
「…………」
ごくり、と一気に飲み干した。
「プハァ……うめェ!」
満足気に言うガラハド。
コップを置いて、失くした左手を気遣うように、左肩を撫でた。
「痛みますか?」
「まぁな」
ガラハドはしかし、嬉しそうに笑っている。
「これはよ、ワシにとっちゃ勲章みてェなモンだ」
「エリクシアを助けた時に……って聞きました」
「これぐらいはしてやれて良かったぜ。あいつには、父親らしいことを何もしてやれなかったからな」
「…………」
「…………」
夜風が吹く。
星空が瞬いている。
「なぁ、クロイツァー」
「はい」
とくとくとく、とガラハドが酒をつぐ。
そして、コップをこちらに寄こした。
「エリクシアを、頼んだぜ」
そのコップを取り、酒を飲み干す。
苦い酒が口に広がる。
重い味だった。
「はい」
強く、答えた。
明日からは旅のはじまりだ。
長く、厳しい旅になる。
決意を新たに、クロ・クロイツァーは夜空を見上げた。




