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エリクシアオブライフ ~不死の災いと悪魔の写本~  作者: ゆきわ
第二章『巨悪鳴動』編

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9 近くの過去から、遠い現在まで




 ザッと土を蹴る音で、訓練場の乾いた空気が弾けた。

 ヴェイルが動く。

 大きく木剣を振りかぶり、こちらの肩を狙って振り下ろしてきた。


「…………」


 懐かしい。

 そんな思いがクロの胸中に湧いた。

 いつだってそうだった。

 ヴェイルとの決闘や模擬戦は、このヴェイルの攻撃から始まっていた。

 あの頃はそれが命中し、肩を痛めながら闘うというのが常だった。


「…………」


 うまく合わせて受け止める。

 勢いを殺しすぎず、勢いに飲まれすぎず、動から静へ。

 ピタリとヴェイルの動きが止まる。


「……くッ!」


 ヴェイルが木剣を一度引き、再び振りかぶっての攻撃。

 隙だらけだったが、あえて待ってまたそれを受け止める。

 今度は横から、次は頭を狙った攻撃の連打。

 その全てを難なく受ける。


「…………くそッ!!」


 改めてこうして見ると、なぜ毎回毎回ヴェイルの初撃を受けきれなかったのかがよく分かる。

 この袈裟斬りは、エーテルを使った攻撃だ。

 戦技とまではいかないが、エーテルを武器に纏い、攻撃力を増す種類のもの。

 初歩中の初歩の技だが、基本であり奥義である。

 ヴォゼのようにエーテル技が無効になるようなはあるが、戦闘技術の基本であり絶対必須のエーテル技と言える。


 ヴェイルの袈裟斬りは、これを無意識にやっている。

 しかし、本来ヴェイルはエーテルを扱えないはずだ。

 前に、この訓練場でシャルラッハとアヴリルに闘気エーテルのことを教えてもらうまで存在を知らなかったぐらいだ。

 その証拠に、ヴェイルのエーテル技はこれのみだ。

 他の攻撃はごく普通のもので、エーテルを纏っていない。

 そのため、通常攻撃の威力は袈裟斬りほどじゃない。

 逆に言うとヴェイルの袈裟斬り、その唯一点だけはグレアロスの正規兵に劣らないものになっている。


 アヴリル達も気づいていたはずだが、あの時、ヴェイルの才に対して何も言わなかったのは、門外漢の人が余計なことを言うと才が潰れてしまうことがあるという理由からだった。彼女達は強いが、人を育てる素養は無い。天才には凡人の悩みは分からないからだ。


 無意識のエーテル技。

 これはヴェイルが特別なわけではなく、よくあることだ。

 エーテルは誰にでも存在しており、生命力や精神力と言われるもの。

 誰にでも得手不得手というものがあるが、得意なことは無意識にエーテルを扱っている場合が非常に多い。

 ヴェイルの場合は、それが袈裟斬りというわけだ。

 つまりは、持って生まれた才。

 誰にでもひとつは存在する、神に与えられた才能というやつだ。


――もっとも、クロ・クロイツァーにはそんな才能といえるものは『死力』以外は存在しなかったわけだが。


「ヴェイル」


 ヴェイルの連撃を一通り確認してから、その止まった瞬間に声をかけた。

 ずっと昔、彼と決闘していたあの頃を思い出す。

 猛攻を仕掛けていたヴェイルが息をつき、体力の底がついた後。それからが唯一の勝機だった。

 山育ちで体力だけは自信があった。あの頃はそれしか無かったから。


「いくぞ」


「――――ッ!」


 ヴェイルが木剣を前に構えた。

 こちらの攻撃の意思に気づき、反射的に防御の姿勢を取った。


「――――はッ!!」


 本気の攻撃。

 今、自分が出来る力の全てを注ぎ込んで、ヴェイルに叩きつける。

 逆袈裟で、下から打ち上げる。

 木剣と木剣がカチ合い、衝突に耐えきれなくなって砕け散る。

 ヴェイルはその衝撃で、大きく後方に吹っ飛んでいく。


「うぐッ……ッ!?」


 ヴェイルはそのまま背後の壁まで飛ばされて、壁に背を打ち付けて地に腰をついた。

 その隙を見逃さず、砕けて折れた木剣をヴェイルの首元に寄せた。


「く……ッ、ゲホッ……」


「ケガはないか、ヴェイル」


「……お前、本気でやってねェな……?」


 痛むらしいがケガはないようだ。

 ホッと安心する。


「本気でやったよ。これが今の俺の本気だ」


 嘘はついていない。

 本気でやった。

 木剣とはいえヴェイルを殺していたかもしれないぐらいに。


 ただ戦闘前、両方の木剣に小さいヒビが入っているのを見ていた。

 そこにうまく合わせて攻撃すれば木剣が砕け、衝撃が分散されると思ったのだ。

 ヒビはおそらくグレアロスの兵がよく訓練で使っていたからだろう。この木剣は貸し出しで誰でも使うことが出来る。団員の不断の努力に感謝しなくてはならない。


「キュクロプスを倒した時はこんなモンじゃなかったぞ」


 欠けた木剣をヴェイルの首から離す。

 そのままヴェイルの前に腰を下ろした。


「あの頃……」


「……?」


「ヴェイルと一緒に、この訓練場で決闘していた時の条件で、本気を出した」


「どういうこった?」


「あの頃、俺はエーテルを使えなかったから。今回もエーテルを一切使わないまま、今出来る限りの本気を出した」


 腕力、技量、全身の筋力といった、ただの身体能力を使った剣術だ。


「…………」


「ヴェイル相手に……友達に本気を出しても、殺すつもりの全力は出したくない」


「…………」


 エーテルを使った攻撃でを出したら、このグレアロス砦ごと、大変なことになってしまう。

 それはさすがに不本意だ。

 それにヴェイルは殺したくない。

 今まで自分がヴェイルを騙していたという事実も無い。

 本気と全力の違い。

 言葉の揚げ足を取る形になってしまったが、それでも、誠意を込めてヴェイルに自分の気持ちを叩き込んだ。

 もしこれでもダメなら、仕方がない、としか言いようがない。


「……なぁ、クロイツァー」


「ん?」


「英雄って、どんな気分になるものなんだ?」


 ヴェイルが聞く。

 真っ直ぐ、真剣に。


「ずっとなりたかったんだろ。エルドアールヴのようになりたいって、言ってた。今お前はそれを叶えたんだ。まぁ、どうやってこの短期間に強くなったんだとか色々疑問はあるんだけどよ……」


 ヴェイルの声色は、憤激の色が消えて、かつて在った頃のものになっていた。


「……夢を叶えたってのは、どんな気分なんだ?」


「…………」


 少し時間を置いて、自分の胸中を確かめる。

 エルドアールヴとなった。

 英雄と呼ばれるものになった。

 いつか憧れたものに、たしかに成った。


「……俺は」


 言葉が詰まる。

 言いたいことがまとまらない。

 自分の感じているこの感情を、言葉にするのは中々難しいものだ。


「…………」


 ヴェイルはじっと待ってくれている。


「――俺は、英雄じゃない」


 言う。

 自分の想いをさらけ出す。


「俺は自分が英雄だとは思えない」


「……なんでだ? みんなお前が英雄だって認めてる。実力だって英雄だ。今日、団長とだって闘ってただろ。あれを見て、お前がエルドアールヴじゃないなんて思わねェだろ」


「……きっと違うんだ」


「……何が?」


「俺が思う英雄像は、こんなのじゃない」


 自分の手を見ながら言う。

 この手で様々な闘いをしてきた。

 この手で色々なものを救ってきた。

 そして、

 この手で、大切なものを、取りこぼしてきた。


「……どういうこったよ。面倒くせェやつだな、お前」


 ヴェイルがハァとため息をつく。


「じゃあなんだ、お前はいつになったら自分が英雄だって言うんだよ」


 自分が英雄になったと胸を張って言える時。

 決まっている。

 ずっと昔から、決めている。


「どうしても助けたいコが……いるんだ」


 自分の手を見つめる。


「誰からも存在を否定されて、人として当たり前の人生の、始まりすら奪われてしまったコがいる」


 人ならざる者、悪魔。


「人として生を受けて、人生を始める。善人にも悪人にも、等しくある人生の始まりを奪われてしまったコがいるんだ」


 この手で悪人を殺したことはある。

 この手の中で、善人が死んでしまったことがある。

 様々な死を見てきた。

 その中で、どうしようもなく、理不尽だと思った死がいくつかあった。


 その中のひとつが、赤子の死だった。


 この世に生まれたばかりで、人生の始まりの最中に失われた命。

 病気か、事故か、あるいは吐き気を催す悪によって殺されたか。

 あまりにも理不尽だと、憤りを覚えた。


 それは人でも動物でも関係なく。

 子の死で嘆く親を見るのは胸が張り裂けそうだった。

 どうして助けてくれなかったんだと、言われたこともあった。

 その度に、自分の無力さを呪った。

 いくつも、いくつもの命を取りこぼしてしまった。

 そんな自分が、英雄だなんて口が裂けても言えやしない。


「俺は、英雄じゃない。を助けることなんて出来なかった」


 1500年前。

 第二悪魔をこの手で殺した。

 当時、レリティアの人口の3割を殺戮した彼女はどうしようもなく、堕ちてしまっていたから。

 渇きに狂った魂喰らいを止めるには、息の根を止めるしか方法はなかった。

 彼女を殺して、一度心が折れそうになっていた。その後に、あの青年に出会って戦技『止水』を会得した。


「俺が出来ることは、何もなかった」


 1000年前。

 第三悪魔もこの手で殺してしまった。

 そうすることでしか、彼女を救えなかった。

 凍てつく悲哀を止めるには、彼女を殺すしか方法はなかった。

 彼女を殺してしまってから、あまりの怒りに魔境アトラリアに攻め込んだ。そして思わぬ大敵エストヴァイエッタと闘い、ずっと共にあった半月斧バルディッシュを失った。


「助けようと手を差し伸べても、この手は届かなかった」


 500年前。

 第四悪魔に至っては、何をすることもできなかった。

 デオレッサが実の父に殺されてしまった時、水竜ヴォルトガノフが絶叫を上げて啼いた時。

 その場にいたのにも関わらず、歴史改変を防ぐエルフの枷で、動けなくなっていた情けない自分。

 無垢で無力な少女すら、助けられなかったのだ。


「だからせめて、たったひとつ。一番初めに助けたいと思ったそのコを、意地でも助けたい」


 そして――エリクシア・ローゼンハート。

 自分が不死になった原因のコ。

 他の悪魔とは違い、物心がつく前から、『最初』から悪魔だった彼女。

 それはもはや、理不尽の悪意に晒される赤子と何が違うのか。

 人として当たり前にある人生すら始まっていない彼女を、どうしても助けてやりたい。




「きっと、それを成し遂げた時に、いつか憧れた英雄に届くんだと思う」




 人として当たり前にあったはずの彼女の本当の人生を、

 真っ当に歩ませてあげたい。




「…………」


 手を握りしめる。

 この手で、必ず、と。


「やっぱりお前、面倒くせェやつだな」


 せっかく心の奥底にあったものを露わにしたというのに、ヴェイルの第一声はそんな言いぐさだった。


「でも、まぁ……」


 ボリボリと赤髪の頭を掻いて、ヴェイルが続けた。


「お前らしいぜ」


「……え?」


「バカみてぇにひたむきで、買い物もろくに出来なくて、訓練で自分が勝つまで立ち上がって向かって来る、アホみてェな負けず嫌いで、一度こうだと思ったら絶対曲げないクソ頑固者だ。エルドアールヴだなんて言われてるけど、お前はやっぱりお前なんだなって」


「ヒドい……」


「褒めてるんだ」


「そうは聞こえないけど……」


「まぁ、そんなお前が力を隠して俺を騙して嗤ってただなんて、あり得ねェって分かったよ」


「……ヴェイル」


「すまねェ」


「いいよ、謝るようなことじゃない」


「いや……」


 ヴェイルが下を向く。

 少し言いづらそうにして、しかし口を開く。


「お前が森に向かった時、俺はお前を追いかけられなかった。お前が死ぬかもしれないって時に、俺は怖くて足が動かなかった……」


 それは、エリクシアがハイオークのガルガに追われていた時のことだ。

 エリクシアの悲鳴が聞こえて、クロが森の中に入った。

 ヴェイルは他の兵士が来るまで動けなかった。


「すまねェ……俺はお前を、見殺しにするところだった……」


「ヴェイル……」


「…………」


「…………」


 しん、と訓練場が静まりかえる。

 外から聞こえる虫の音が、微かに耳を打つ。


「でも、もう違う。俺はもう、あの時の俺じゃねェ」


 そう言うヴェイルの顔は、戦士の顔をしていた。


「兵士を辞めて、実家の果物屋を継ごうかとも思った。でも……お前が今も闘っているのに、俺だけ逃げるわけにはいかねェ」


 ヴェイルがこちらを見る。


「待ってろよクロイツァー。

 俺は必ず、お前の隣で闘えるようになってやる」


 それはヴェイルの覚悟である。

 レリティア十三英雄の隣で闘うということ。

 普通なら無謀と嗤うだろう。

 無茶だと罵るだろう。

 分不相応だと嘲るだろう。


「うん。その時を、楽しみにしてる」


 でも他の誰でもない、クロ・クロイツァーだけはそれを嗤うようなことはしない。

 自分が、そうだったのだから。




 ◇ ◇ ◇




 クロ・クロイツァーが訓練場を後にした。

 ヴェイルはまだこの場に残っている。


「…………」


 クロがそうしていたように、自分の手を見つめていた。

 今、自分が何を出来るのか。

 これから、自分は何をすればいいのか。

 静かな訓練場で、ひたすら見つめていた。


「くくく、いい啖呵たんかを切ったじゃねェか、小僧」


「!?」


 いきなり聞こえたのは、野太い男の声だった。

 聞こえてきた方向、ヴェイルが入口に目をやると、そこにはまさかの人物がいた。


「だ、団長……?」


「おう! 悪ィな、外を歩いてたら偶然聞こえちまった」


 ベルドレッド・グレアロス。

 この騎士団の頭である団長。

 そして、エルドアールヴと同じ、英雄だ。


「エルドアールヴの隣に立つだって? そりゃお前、自分が英雄になるってことだって分かって言ってんのか?」


「う……」


 ずかずかずか、とヴェイルの元まで大股で歩いてきたベルドレッド。

 その雄々しい図体は相手を威圧するには十分で、ヴェイルは小さく縮こまるように座っていた。

 そこに大きい手が、ぬっと伸びてくる。


「…………ッ」


 思わず体がビクつくヴェイルだったが、


「気に入ったぜ、小僧」


 ポンと頭に置かれ、ぐわしぐわしと強烈に撫でつけられる。


「い、痛ェ!」


「お前、アレクサンダーの娘の班員なんだって?」


「え? は、はい」


「マーガレッタから聞いたぜ。アレクサンダーの娘を筆頭に、あの凶獣に、エルドアールヴ、それにマーガレッタすらどうにもならなかった脱獄兵か。くくく、とんでもねェメンツだな」


 シャルラッハ、アヴリル、クロ、そしてジズだ。

 改めて言われると相当に途轍もないメンバーである。


「お前、オレのとこに来い。オレの近衛に加えてやる」


「え!?」


「オレがお前を一人前の戦士にしてやるって言ってんだ」


「な……」


 それはヴェイルにとって寝耳に水の言葉だった。

 団長直属の近衛兵。

 正規兵はおろか、兵をまとめる長クラスの人物ですらその位置につくことは難しい。

 現在、彼の近衛の数は少なく、まさに少数精鋭で編成されている。

 その部隊に、正規兵ですらない予備兵のヴェイルを誘っているのだ。

 英雄ベルドレッドが破天荒な人間なのは有名だが、まさかここまでとは思わなかったヴェイルは言葉も出なかった。


「ついさっきアレクサンダーの娘から直談判されてな。あいつらにとってはまだ、闘いは終わってねェんだとさ」


「え……?」


 あいつら、とはシャルラッハとアヴリルのことだ。


「今回の戦で、あのふたりは遊撃だった。自分の判断で動く隊だ。悪魔を狙ってきた魔物、そしてグリモア詩編の能力者との闘いはまだ終わってねェんだとよ」


「グリモア……?」


 当然、ベルドレッドはマーガレッタからグリモア詩編の話を聞いている。

 しかし、何も聞かされていないヴェイルには彼が何を話しているのか分からない。

 そんなことはお構いなしにベルドレッドが続ける。


「今回の戦いは砦だけじゃなく、このグラデア王国……ひいては人境レリティアに甚大な被害を出す可能性があった。そして、他にも詩編の能力者は存在している。なら後手に回るのは悪手で、むしろこっちから積極的に先手を取らねェと、今度こそとんでもない被害が出るってよ」


 ベルドレッドが「くくく」と笑う。


「――ってのは建前で、やられたら徹底的にやり返さなねェと気が済まねェんだと。そんで、その芽を根本的にブッ潰す目的を持っているエルドアールヴと行動を共にしたいって言ってきやがった」


「そ、それを許したんですか!?」


「ああ」


「な……っ」


 ヴェイルは信じられないといった様子。

 なぜならベルドレッドにとってはシャルラッハとアヴリルは自分の騎士団の大事な団員である。

 さらに、シャルラッハに至っては英雄アレクサンダーの実子である。同格の英雄に信頼されて、娘を預かっているのが実状だ。

 そのシャルラッハを、他国の英雄エルドアールヴに預けるというあり得ないことを許したのだ。


「実力がありゃ、よほどの事じゃなきゃ許してやる。それがオレの騎士団の不文律だ。だろ? じゃなきゃオレが好き勝手できねェからな」


「なん……」


 なんてムダに説得力があるんだ、と言いかけてヴェイルはギリギリで押し込んだ。

 自分がやりたいようにしたいから、部下のワガママにも目を瞑る。

 筋が通っているようでズレている。もうメチャクチャである。


「特級の魔物が出てきた以上、オレはしばらくここから動かねェ。この砦を守らなきゃならねェからな。本当ならオレがエルドアールヴと行きてェところだが、マーガレッタに止められちまったから仕方ねェ」


 シャルラッハもシャルラッハなら、ベルドレッドもベルドレッドだ。

 普通の感性では理解できない部分が似通っていて、自分とはまったく違う種類の人間だということを痛感するヴェイルだった。


「つまりお前が所属してた班はもう無くなったも同然だ。まさかエルドアールヴをそのままオレの騎士団に入れておくわけにゃいかねェし、脱獄兵のやつは論外だ」


「あ……そうか……」


 ヴェイルがひとり納得する。

 大きな流れに取り残された感じがした。

 同じ班員だった彼らは、もう先に進んでいるのだ。

 ジズは何がしたいのかも意味不明だが、アレは例外にしておこうとヴェイルは思った。


「ぶっちゃけるとヒマなんだよ、オレは。だからお前を鍛えてやる」


「そんな理由!?」


「まぁ、さっきエルドアールヴに言ったお前の言葉が、雰囲気に流された出任せの口八丁だとしたら、無理にとは言わねェぞ? なぁ、小僧」


 歴戦の跡が残るキズだらけの顔で、ニヤリと笑う。


「まぁ無理だろうな、テメェは口だけ野郎っぽいからなぁ。ああ、やっぱ忘れてくれ、腑抜けのカス野郎にはちと難しい話だったな」


 まるで挑発しているかのように。

 あるいは、試しているかのように。


「ふ、ふざけんなッ!!」


 ヴェイルが立ち上がる。


「ナメんじゃねェぞ、クソジジイッ!!」


 そのまま、ベルドレッドの胸倉を掴み上げる。


「お?」


「俺が口だけのカスだと!? ふざけんじゃねェ……ッ!!」


 ヴェイルは思い出す。

 その通りだった、あの頃の自分を。

 クロ・クロイツァーを追いかけられず、ミジメに雨に打たれ続けたあの瞬間を。

 死んだと知らされて、狂おしいほどの後悔をした。

 あんな思いは、もう二度と味わうわけにはいかない。


「なら、やるんだな? オレの訓練は死ぬほど厳しいぞ?」


「ジジイの訓練なんざ鼻で笑いながらこなしてやるよッ!」


「言ったな?」


 ベルドレッドが不敵に笑う。


「俺が口だけじゃねェことを証明してやるよッ!」


「よぉし、決まりだ!」


 言うと、胸倉を掴んだままのヴェイルを片手で持ち上げて、


「うおッ!?」


 思いっ切り、壁に叩きつけた。


「――カッ、ハ……ッ!?」


「ワリィがオレは手加減はしねェぞ。言質も取ったからな、逃がさねェぞ。お前はオレのヒマ潰しになってもらうぜ」


「あ……ぐぅ……」


 そして、痛みに悶絶しながらヴェイルが気づく。


「テ、テメェ……ハメやがったな!?」


「くくく、オレが直々に鍛えるのはマーガレッタ以来だ。心配すんな、オレはヒマ潰しでもマジでやるぜ? 遊びこそ本気でやらねェとツマンねェからな」


「……俺が、アイツの隣で闘えるぐらいに、強く……なれるのか?」


「お前次第だな」


「……才能なんてないのに、か?」


「知らねェよ。テメェの可能性なんざ関係ねェ。オレが強くするって言ったなら、何が何でも強くなるんだよ。分かったか、クソガキ?」


「……クソジジイ」


 悪態をつきながら、しかしヴェイルの顔は晴れやかなものだった。

 投げられた痛みはもう感じない。

 自分の目の前に、もう暗闇はない。

 道は開かれた。

 目の前には、


「んじゃ、さっそくやるか。おいお前、とりあえずブッ倒れるまでココ走れ」


「今から!? そこは明日からとかじゃねェの!?」


「あ? 英雄になるんだろ? モタモタしてるヒマなんてねェだろうが。走るのがイヤならオレと決闘でもいいぜ」


「え!?」


「言っとくがオレは手加減なんざしねェぞ。真剣勝負だ。得物も大剣でやる」


「そんなんでやられたら一発で死ぬわ!」


「言ったじゃねェか、俺の訓練は厳しいぞ」


 鬼がいた。


「死ぬのがイヤなら死ぬほど走れ!」


「く、クソ……ッ」


「途中で歩いたら大剣ブン投げるから覚悟しろよ」


「クソジジイがッ! テメェ、俺が強くなったら覚えてやがれッ!」


「くくく、そん時が楽しみだ」


 こうして、フランク・ヴェイルもまた、茨の道を歩み出す。

 いつか友と、くつわを並べて共に闘えるその日が来るまで。




 ◇ ◇ ◇




 クロは砦の道を歩く。

 郷愁の想いを抱きながら、風の向くままにひとりで歩く。


「……ん」


 やがて砦の西側、露店が並ぶ通りに辿り着いた。

 今はもう営業時間外らしく、どの店もやっていない。


「そうか、旅の準備もしておかないとな」


 長い旅になるはずだ。

 グリモア詩編を求めてレリティア中を回ることになる。


「……あれは、果物屋か」


 ふと目にした露店。

 品物は引き上げているが、甘いフルーツの香りがここからしている。

 その香りが、クロの記憶の引き出しを開く。


 それは、あの夢の続き。

 1200年もの昔の事だ。




 ◇ ◇ ◇




「うぅ……うう……」


 果物屋の前で、女性が泣いている。

 フリッツ・バールの遺品を抱きしめて、涙をポロポロと零していた。


「すまない……」


 グリュンレイグとの闘いの後、死んだ仲間達の故郷を回っていた。

 グラデア王国からの報奨金と、そして彼らの遺品を遺族に渡すためだ。

 それが、自分が守ることが出来なかった彼らへの償いだった。


「おかあさん……」


 女性の裾を握ったまま、フリッツの娘が目に涙を浮かべていた。

 5歳になったばかりだと言っていた。


「うぅ……ごめんね、私がしっかりしなきゃ……なのに」


 止まることのない涙を流している女性はフリッツの伴侶だ。

 彼は自分が死んでも泣かない気丈な女だと言っていたが、そんなことはなかった。

 フリッツの死を伝えた瞬間、彼女は泣き崩れた。

 どれほど彼女がフリッツのことを想っているのか、痛いほどに伝わった。


「すみません、取り乱してしまって……」


「いえ……こちらこそ、突然押しかけてしまって、すみません」


 今、クロは仮面は外している。

 もうエルドアールヴの仮面姿はレリティア中に広まっていて、身を潜ませて静かに遺族に会うことが不可能だったからだ。


「あなたは、夫と……フリッツとどのようなご関係で?」


「……フリッツとは友達です。共に闘って……」


「あなたもお辛いでしょうに、わざわざ、ありがとうございます」


「いえ……」


 彼女の傍にいる、フリッツの娘と目が合う。

 涙は流れているが、声を出すのを必死に我慢している。


「…………」


 心が痛い。

 胸が苦しい。

 こんな子供が、必死に哀しみと闘っているのだ。


「あの……もし、何かあればこの町にいるエルフの商会に言ってください」


「え?」


 この小さい町は商人が多く、その商人達をエルフの商会が仕切っている。

 そのエルフの商会は、クロが所属しているエルフィンロードのエルフである。


「何があっても、エルフィンロードがあなた達を必ず、助けます」


「…………」


 フリッツの嫁は、少し間を開けて言った。


「どうして、そこまで……してくださるのですか?」


「……フリッツに頼まれたんです。あなた達が心配で心配で堪らないと。そして、彼と約束したんです。あなた達が安心して暮らせるように、尽力するって」


 彼の最期の言葉を伝える。


「最期まで、フリッツはあなた達のことを、大切に想っていました」


 その言葉を聞いて、フリッツの嫁が涙を零す。

 そして、フリッツの娘は、堰を切ったかのように泣き叫んだ。


「うわああああああああああああ……ッ!!」


 泣かせるつもりはなかった。

 でも、今伝えないといけなかった。

 何も出来ない。

 彼女らの涙を止めることなんて、エルドアールヴとなった今の自分でも、不可能だった。


「…………」


 無力感だけが膨れあがっていく。

 後悔だけが降り積もっていく。

 心が折れそうだった。

 その時だった。


「こいつを泣かせてんのはお前かッ!」


 子供の声だった。

 隣の家から、ひとりの男の子が飛び出してきたのだ。

 歳はフリッツの娘と同じぐらいか。


「……君は」


 赤い髪。

 どこか、遠い誰かを思い出す。


「だいじょうぶか!? まってろ! 俺がコイツをたおしてやるからな!」


 そう言って、こちらを睨む男の子。


「ち、ちがうの……くん!」


「――――」


 一瞬、時が止まったかのような錯覚がした。

 今、フリッツの娘は何と言ったのか。


「この人は、おとうさんのお友達なの!」


「え? そうなのか? 俺、てっきりお前をイジメてるのかと……」


「もう、ヴェイルくんはいつもそうなんだから。でも……ありがとね」


 この赤い髪。

 ヴェイル。

 まさか、とクロは思った。


「この子は……」


「すみません、彼はお隣さんの子で。うちのと仲がよくて、いっつも一緒なんです」


 ヴェイルと呼ばれた男の子の登場で、フリッツの嫁は泣き止んだようだ。

 フリッツの死を受け止めて、冷静になれたようだ。


「そうね……彼がいるなら、うちの娘は、安心ね」


 子供ふたりを見つめながら、フリッツの嫁がそう言った。


「…………」


 フリッツの家は果物屋だ。

 そして、ヴェイルと呼ばれた赤髪の男の子。


「……そうか、そういうことか」


 この町は、まだ出来たばかりのグラデア王都から、エルフィンロードの里の間にある。

 ちょうどこれより1200年後。

 この場所には、ゴルドアという巨大な商業都市がある。

 そしてゴルドアは、他でもないフランク・ヴェイルの故郷なのだ。

 ヴェイルの実家は果物屋だ。


「……繋がっているのか、全部……」


 この目の前の子供達はおそらく、ヴェイルの――


「まだ遠い、あの頃に……繋がっている」


 折れそうだった心が、再び立ち上がる。

 燃え上がるような想いが、心に熱を灯す。

 思わず、胸にかけたシャルラッハのペンダントに手をやった。


「…………」


 大丈夫。

 大丈夫。

 そう言い聞かせる。


「そろそろ馬車が出発する時間です」


 遠くから見守ってくれていた、エルフの商会の女性が伝えてきた。

 そう、立ち止まっている場合じゃない。

 まだまだ先は長いのだ。

 自分は、エルドアールヴとして、闘わなければならない。


「伝えたとおり、フリッツの家族の力になってやってくれ」


「お任せください、エルドアールヴ」


 エルフ商会の女性が言った。


「え……?」


 フリッツの母娘と、ヴェイルと呼ばれた男の子がそんな声を上げた。


「それじゃ、俺はこれで……」


 懐に入れていた仮面を顔につけながら、3人に言った。


「エ、エルドアールヴ!? あんた、エルドアールヴだったのか!?」


 ヴェイルと呼ばれた男の子が驚きの声を上げる。

 フリッツの娘も同じく、驚きの声を上げていた。


「あ、あの……! エルドアールヴが、なぜ……わざわざ」


 フリッツの嫁が問う。


「言ったとおり、フリッツは友人で、俺の恩人なんです」


 彼の存在が、折れかけた心を取り戻してくれた。

 未来のあの頃に繋がる細い糸を、フリッツが見つけさせてくれた。

 間違いなく、彼はエルドアールヴの恩人だ。


「エルドアールヴ!」


 ヴェイルと呼ばれた男の子が、キラキラした目をしていた。

 エルドアールヴの伝説を追っていく内に、この歳の男の子はこういう目で見てくるようになった。


「コイツは俺が守るから、任せとけ!」


 多分、何かを察したのだろう。

 フリッツの娘の頭に手をやって、ニッと笑った。


「……ヴェイルくん」


 そして、あえてフランク・ヴェイルと重ねた呼び名で、男の子に言った。


「頼んだよ」


「おう!」


 そうして男の子は立派に成長して、フリッツの娘と結婚し、果物屋を継いだ。

 やがて彼の子供や孫、さらにその子供が店を継いでいき。

 フリッツの店は、ゴルドア一番の果物屋になったという。





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