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8 死の匂い

 看守部屋からの明かりが僅かに差し込むが、牢の奥までは届かない。

 少しして、暗闇に目が慣れてきた。

 ジズの姿がぼんやりと見えてくる。


「ジズ、食事と水もってきたよ」


 牢の奥にいるジズはあぐらをかいて座っていた。

 壁からクモの巣のように伸びている鎖によって胴体を拘束されている。

 両腕は幾重にも巻かれた鎖。

 足にも鉄球付きの鎖。


 一見して、やり過ぎなほどの拘束。

 騎士団の人らがどれほどジズを恐れているのかがよくわかる光景だった。


 しかしこれでもジズの行動を完全に封殺することはできない。

 常識を覆す異端。

 それがジズ・クロイツバスターだ。


 体中鎖だらけのジズの肌は青白く、やせ細っていてガリガリだった。

 病的なやせ方をしている。

 ちなみに投獄での仕打ちが問題じゃなく、これは元からだ。


 入団試験に集まったときは、枯れ木のようなヒュームの少年といった第一印象だった。

 胸元まで垂れている長い髪は、真っ白というよりは元々あった色を失ってしまったような感じ。


 色素が消えた髪から覗いているのは片目だけ。もう片方は髪に隠れている。

 魚類かと見紛うほどの丸い眼だ。

 瞳が鮮血を思わせる朱色なうえ、白目の部分は常に充血していて、眼球そのものが異様にギラギラしているのも相まって、不気味に赤く揺らめく炎を思わせる。


「ああ、ああ……クロ、ひさしぶり。君は本当に変わらないね」


 目の前に置いた食事には目もくれず、じっとこちらを片目だけで見つめてくる。


「昨日今日でそんなに変わらないよ。それよりほら、食事と水」


「そんなものより話がしたい。君はいままでなにをしていたんだい? 君はなにを考えていたんだい? ぼくはそれが知りたい」


「まずは食事をしよう。話はそれからだ。そうじゃないと話さない」


 ジズの目の前に置いていたトレーをずいっと押す。

 こちらの譲らない態度を見て、ジズはしぶしぶといった様子で食事に手を出した。


 じゃらりと鎖の音が鳴る。

 両腕をくっつけるように縛られているが、手首から先は使えるので物を掴むのは問題なかった。


「アー……」


 ジズが上を向いて口を大きく開く。

 手のひらぐらいの大きさのパンを2つと干物を、次々と喉の奥へ落とした。

 ぼと、ぼと、と胃に落ちていく。


「ちょっとぐらい噛もうとしろよ!」


 犬のほうがまだ行儀がいい。咀嚼する動作があるから。

 蛇のほうがまだ行儀がいい。嚥下する意思があるから。

 ジズのこの食事の仕方は、なんというか穴に落とすという感じだ。


「さあ、話をしよう」


「水! せめて水を飲もう! 見てるこっちがむせる!」


「えぇ……しょうがないな……」


 そう言うと、ジズは大きな水差しを両手で持って、さっきと同じように頭の上に掲げて、一気に口の中に流し込んだ。

 ゴクゴクという音もしない。

 ただ単に喉の奥へ落とし込んでいる。

 びしゃびしゃと、胃に落ちた水の音が聞こえてくる。


 そういえばジズのこの食事とも言えない食事風景を見て、シャルラッハが卒倒したことがあったことを思い出す。気持ちは分かる。これは見てるほうがむしろキツい。


「飲んだよ。さあ、話をしよう」


「それは飲んでない。落としただけだ……」


 食事はもっと楽しくしてほしかったが、ジズには言うだけムダなのかもしれない。




 ◇ ◇ ◇




 常識のない奇天烈な行動を取るジズは、当初から騎士団では遠巻きに見られていた。

 誰もがこいつはダメだとジズを見捨てて接触を拒んでいた。

 しかしその中で、クロだけが積極的にジズと関わろうとしていた。

 理由はひとつ。


 クロ・クロイツァーは誰かを見捨てることはできない。


 クロは捨て子だった。

 4歳のとき、山奥の村にあったマリアベールの教会に置き去りにされた過去がある。


――ごめんなさい。


 もう顔もわからない女が泣きながらそう言っていた光景を微かに、しかし確かに覚えている。

 生みの親に見捨てられた自分が、それに絶望した自分が、その人と同じようなことをするなんて断じてできないし、したくない。


 だからこそ、『最古の英雄』エルドアールヴに憧れたのだ。

 彼は絶対に誰も見捨てない。

 目に映る誰かを救うために、己の命を懸けて行動する英雄だ。


 しかし、当然そのすべてを救えたわけじゃない。

 彼のことを記した物語を読んでクロはそれは知っている。助けられなくて死んでしまった親友のために、彼が流した涙を知っている。


 彼の英雄譚の語られない影の部分には、きっと挫折があっただろう。どうしようもない絶望もあっただろう。

 それでも彼は立ち上がる。

 血を流し続けながら。

 涙を流し続けながら。

 それでも――彼は、エルドアールヴは、誰かを救おうと手を伸ばし続けている。


 彼は英雄だが、全能ではない。

 けれどその誇らしい行動が、揺るぎない信念が、幼いクロに一体どれほどの勇気と希望を与えたか。

 クロ・クロイツァーは、エルドアールヴのような英雄になりたい。

 だから自分の出来うる範囲のことをやろうとしていた。

 クロ・クロイツァーはそういう人間だった。


 ジズのことも同じこと。

 まさか騎士団の仲間を殺しかけるなんて露とも思わなかったけれど、そこまで異常だとは思わなかったけれど。

 けれど、それでもクロはジズを信じている。

 ジズはきっと改心してくれるのだと。

 誰もがジズを忌避して不必要だと断じていても、クロだけは見捨てない。


 根っからの悪人なんて存在しないと信じたい。

 この世に不必要な人なんて存在しないと信じたい。

 だから見捨てない。

 たとえ誰かに見捨てられた人も、この世界に生きていてもいいのだと信じたい。

 ジズはこの世に必要な人間なのだと証明してやりたい。


 そうじゃないとジズは、

 そして親に捨てられた自分は、まるでこの世に生まれてきてはいけない存在だったみたいじゃないか。




 ◇ ◇ ◇




 そうこうして、ジズとの会話がはじまった。

 最初の話題はいつもジズからだ。


 人境レリティアと魔境アトラリアがあるこの世界のこと。

 もっとも古い6体の魔物の話。

 そして――この空のもっと向こう側。

 そこには空気がなくて、死の世界だという話。


 壮大極まる話だ。

 ジズ特有の妄言、狂言の類。

 クロでさえ、眉唾物の話だった。

 しかし、信じる信じないは別として、クロはジズのそんな話が楽しくてしかたがなかった。

 それは『最古の英雄』の物語を読んでいたときの高揚に近かった。

 ジズはたしかに見た目や行動は不気味で怖いが、ジズの話は心の底から好きだった。


 いつの間にか座り込んで話に夢中になっていた。

 ジズが喋り疲れたあとはこちらの話。

 今日はどんな任務を受けたか。どんな訓練をして、何を思ったか。今日は何を食べたか。

 ジズの壮大な話に比べればどうでもいいような小さなこと。

 けれど、いつだってジズは真剣に聞いてくれた。


「ああ、ああ……。とうとう闘気のことを学んだんだね」


「やっぱり知ってたのか、ジズは」


 こちらの問いかけに、真っ赤な魚眼を少し細めたジズは頷いた。


「知ってたなら教えてくれてたらよかったのに……」


 ふてくされるようにクロが言った。

 毎日毎日こうやって話をしていたのだ。

 闘気に関することをもっと前から聞いていたら今とはもうちょっと違う結果が出ていたんじゃないか……と思ってしまう。


「ぼくが教えたらダメなんだ。ぼくの闘気の知識は、君にとっては害悪でしかないからね。ぼくと同じになっちゃうよ?」


 そう言って、ジズは鎖で縛られた自分の両腕を見せる。

 上官や先輩相手に、狂ったように暴れ回るジズを思い出す。


「それは嫌だな」


「ああ、ああ。でもこれで『英雄』に一歩近づいたね。ぼくはうれしいよ」


「オークを倒すまでに3年はかかるって言われたけど……近づいたのかな?」


 ジズには自分が英雄になりたいということを言っている。

 ヴェイルとジズだけに話した自分の夢。

 心を焦がすほどの、大事な夢。


「近づいているさ。君が英雄になるのはそう遠くない」


「……うさんくさいな」


 自分の実力の無さは自分自身がわかっている。

 ぜんぜん足りない。

 この調子だと何年、いや何十年経っても不可能だ。


「いや……遠いけど、遠くない。そんな感じだよ」


「あやふやだなぁ」


 クロは天井を仰ぎ見る。

 そこには何もない。ここは地下で、ただの天井があるだけだ。

 空も星もここからでは見えない。


 英雄はきっと輝く星だ。

 雲より高い天蓋にある星には決して手が届かない。

 ここは地上よりももっと下で、自分は星を仰ぎ見ることすらできない。


「オークを倒せるようになるのに3年は……ちょっと長すぎる。なんかこう、一気に強くなるような特訓ってないかな」


「ひとつだけ方法があるよ」


 ジズが薄笑いを浮かべて、指を1本立てた。


「あるの!? 何?」


 ガバッと体を起こした。

 言葉に引き込まれる。


 ジズは尋常じゃなく強い。オークを簡単に倒せるような上官と、騎士団の先輩たちを相手取って、彼らを素手で倒せるほどの実力者だ。そのジズが言うのだ。

 すぐにでも強くなる方法があるのだと。




「――悪魔の力を奪うんだ」




 そんなことを言った。

 たしかに悪魔は厳然たる事実としてこのレリティアに存在する。

 目撃情報もある。

 しかし、


「…………それは笑えない冗談だよ、ジズ」


――『悪魔』。


 それは人類を滅ぼすモノ。

 レリティアに解き放たれた1体の悪魔。

 それは人里に溶け込み、人類の滅亡を企んでいる。

 魔物よりも遙かに怖ろしい、人類にとって害有る災厄を振りまくモノだ。

 魔物よりも忌み嫌われている存在の力を使うなどと、それはさすがに行き過ぎた話だ。


「そうかな?」


「悪魔の力だなんて……仮にそんなことしたら、俺がシスター・マリアベールに殺されるじゃないか」


 ジズには自分の育ての〝姉〟であるマリアベールのことも話してある。

 マリアベールは教会のシスターだ。

 悪魔は特に、彼らの天敵である。


「……明日は大きな闘いがあるんだったっけ。気をつけてね、クロ」


「闘いって言っても俺らは後方で待機だよ?」


「いいや、闘うことになるさ。

 だって、君――」


 ジズは真っ赤な魚眼をこちらへ向けて。

 じっと、見透かすようにしていた。



「――死の匂いがする」



「…………ッ」


 言葉が出なかった。

 いや、出せなかった。


 これまでとは比べものにならないほどのジズの威圧。

 威圧たらしめるこれの源泉は喜悦の感情だ。あまりにも感情の波がすさまじ過ぎて、こちらの精神が飲み込まれてしまいそう。

 鎖がじゃらりと、音を立てた。


「おい! どうしたクロイツァー! 何かあったか!?」


 外から看守の声がした。

 ジズの気配が変わったからだろう。心配になって見に来てくれようとしている。

 閉じられた檻が開かれる。


「ぼくは予言者じゃないけど、ハッキリ分かる」


 ジズが前のめりに喋りかけてくる。

 彼を拘束している鎖の一部が、バギンと音を立てて砕け散った。

 圧倒的な敵意。

 これまで一度たりとも自分には向けてこなかった、ジズの殺意だ。


「…………ッッ」


 ジズから目が離せない。

 看守が慌ただしく牢に入ってきた。

 大丈夫かと声をかけられるが、耳に入るのはジズの声だけだ。


「いいかい、クロ。明日、生き残りたかったら逃げてしまえばいい」


 看守に肩を掴まれて、外へと引っ張られる。ジズとの距離が開いていく。

 ジズは壮絶に嗤っている。


「でも、君が本当に『何者か』になりたいのなら――」


 牢の外に出た。

 ジズの姿はもう見えない。

 暗闇の中から、彼の声だけが鮮明に聞こえてくる。


「――死にもの狂いで、闘うんだ」


 牢獄の檻が、閉じられた。



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