8 戦友
荒れた土地で乾いた風が吹く。
血生臭く、イヤな匂い。
死体の山が築かれて、血溜まりが土に滲んでいる。
「…………」
力が足りなかった。
圧倒的なまでの強さを誇った、朱眼のグリフォン。
グリュンレイグと呼ばれた魔物との闘いは熾烈を極め、七日七晩の激戦となった。
犠牲はあまりにも多かった。
共に闘った者たちは物言わぬ骸になっていた。
「…………ッ……ッッ」
唇を噛みしめる。
グリュンレイグを倒して勝ち鬨を上げるグラデア王国軍から離れ、ここまで移動してきた。
今はそんな気分じゃなかった。
多くの戦士達が死んだ。
共に飯を食べた人。
共に魔物を倒そうと意気込んだ人々。
つい半刻前まで生きていた戦友達が、この場所で大勢死んだ。
グリュンレイグの一撃が、この場所に直撃して爆発したのだ。
ここに陣取っていた人達は、兵ではない人々だった。
王国軍に金で雇われて、グリュンレイグ討伐のために一時的に結成された、一般参加の戦士達だった。
その彼らが、大勢死んでしまった。
「……ぐッ…………ッ」
震える手で、半月斧を強く、強く握りしめた。
次は、もっと。
もっと巧くやる。
王国アトラリアに飛ばされて、800年を生きた。
つまり、元居た時代から1200年前の出来事が、このグリュンレイグ討伐戦だ。
エルドアールヴの伝説はまだまだ存在する。
どんなに苦しくても、辛くても、やり遂げなければならない。
「あ……あぁ……ガハッ」
「!?」
近くで声がした。
弾かれたようにその場所に行く。
「生きてるか!?」
「……その声は、エルド……アールヴか……?」
仰向けに倒れていた彼は、小さな声で名を呼んできた。
「フリッツか!?」
聞き覚えのある声だというのは、こちらも同じだった。
「ああ、そうだ……フリッツ・バールだ」
彼とはこの闘いになって出会ったが、気が合う男だった。
どこか懐かしいような、そんな感じがしたからだ。
「よかった、無事だっ……」
無事だったのか、と言おうとして、言葉に詰まった。
流れる血の量が多すぎる。
爆撃で石の破片が当たったのか、腹に空いた穴が大きすぎる。
「……俺は、運が良い方だったんだけどな……」
「…………」
何も言えなかった。
言葉が見つからなかった。
不死として、何度も致命傷を体験した。
そんな自分だからこそ、分かってしまった。
もう、彼は助からない。
「グリュンレイグは……どうなった?
倒したのか……?」
「……倒したよ。向こうの丘に、死骸がある」
「そうか……よか……った」
力無く息を吐く。
命が少しずつ消えていく。
「なぁ……エルドアールヴ」
「……なんだ?」
「頼みが、あるんだ……」
「何でも言ってくれ。できる限りのことはする」
「俺にはさ……嫁と子が……いるんだ」
「ああ、知ってるよ。昨夜、話してたな」
「王国の約束……守られたかどうか、お前が……確認してくれないか?
できれば……ここで死んだ、みんなの分も……」
グラデア王国との契約で、グリュンレイグを討伐した際には、彼らには報酬が入ることになっている。
それはたとえこの闘いで命を落としたとしても、必ず支払うという約束だった。
家族がいる場合は、その家族へ。
いない場合は、自分が望んだ人へ。
「大丈夫。グラデア国王は知り合いだ。約束を違えるような人じゃない。それに、間違いがないように、俺らエルフィンロードも動いているから、任せてくれ」
「へへ……お前なら……安心して、任せられるぜ……」
血がベッタリとついた口元で、フリッツは力無く笑った。
「ああ、まいったな……まださ、娘が5歳になったばかりなんだよ……」
「フリッツ……」
「俺はこういう稼業だったから、家に帰らねェから、ぜんぜん抱っこしてやれなくてな……」
「…………」
「嫁は、どうかな……俺が死んだら、泣くかな……いや、泣かないか……アイツは気丈な女だったから……」
血がドクドクと流れている。
これ以上喋ったら、死が早まる。
「俺はホントは、お姫さまみてェな、か弱い感じの、守ってやりたくなる女が好みだったんだがな……まったく……」
しかし、それでも最後の言葉を残そうとするフリッツを止めることなんて出来なかった。
「なぁ、エルドアールヴよぉ……」
「ああ、なんだ……?」
フリッツは、ぐぐッと言葉を噛みしめて、
そして、言った。
「……ッ、無念だ……ッ!」
フリッツの顔にへばりついていた血が、目元から濡れて滲んで流れていく。
赤い血は、薄く、薄く、流れていく。
「死にたく、ねぇ……」
「…………ッ」
「もっと、娘を抱きしめてやりたかった……もっと、嫁を大事にしてりゃよかった。こんな……こんなことに、なるなんて……」
思わず、フリッツの手を握る。
フリッツが握り返してくる。
それは弱々しく、しかし、強い意思を感じた。
「後悔しか……ねぇや……」
声は細く。
掠れるように。
「フリッツ・バール。
お前の家族が安心して暮らせるように、俺は全力を尽くす」
「……エルドアールヴ」
「約束だ」
両手でフリッツの手を包む。
「だから、安心して……逝け」
「へへ……お前に、任せるなら……安心……だ」
フリッツが安堵したかのように、ゆっくり息を吐く。
そしてそのまま、彼が息を吸うことは、二度となかった。
◇ ◇ ◇
「…………」
クロの眼が開く。
まず、今の状況を確認する。
ここはグレアロス砦にある兵舎の屋根だ。
煙突の上に、腰掛けていた。
「……まさか、俺は寝てた……のか」
立ち上がる。
夜空を見上げ、星の位置を確認する。
「……1分ぐらいか」
今日はベルドレッドが来たことで色々あった。
あれからエリクシアは大歓声を受けた。
悪魔だということが嘘のように、砦の住民達は彼女を受け入れてくれた。
本人はひたすら戸惑っていて、環境の激変に対応できずにいた。
それをサポートするように、シャルラッハが色々と声をかけていた。
クロの理想は、誰にも悪魔と気づかれずにこの砦を旅立つことだった。
しかし、まさかこんな理想を超えたことになるなんて、思いもよらなかった。
「よかった……本当に」
今は、エリクシアはシャルラッハとアヴリルの部屋で休んでいる。
あの2人が傍にいるなら、滅多なことは起こらない。
だからこうしてエリクシアから離れた場所で、砦全域の警戒を強めていたのだが、どうやらクロもかなり疲れていたようで、寝落ちしてしまったというワケだ。
「……少し、歩くか」
さっき見た夢が頭から離れない。
ちょうど1200年前のあの闘い。
2000年も生きていると、思い出という名の記憶が頭を埋め尽くす。
そのせいなのか、過去に起こった実体験をよく夢に見る。
大抵はうなされることになる。
「…………」
見知った場所を歩く。
ここはよく通った。
まだ不死になっていない頃。
ただひたすらエルドアールヴのようになりたいと、自分の実力と才能を誤魔化しながら生活していた兵舎だ。
それを外から眺めながら、また思い出に浸っていく。
「……懐かしいな」
兵舎の庭。
ここで夢を語った事がある。
兵舎から見える砦の街。
あの灯りも、星に照らされた時計の塔も、遠い記憶の果てのものと何ら変わりない。
そして、兵舎から少し歩いた場所に、どこよりも時間を過ごした訓練場がある。
「あの頃は、『居残りのクロイツァー』って言われてたな」
当時は辛かった思い出だ。
足掻いて足掻いて、強くなろうと必死だった。
でも何事もうまくいかなくて、悔しくて泣いたこともあった。
「……今と、そう変わらないな」
少し自嘲する。
独り言が増えていく。
言葉を発して息継ぎをしないと、思い出の洪水に溺れそうだ。
「灯りがついてる? こんな時間に?」
今は深夜といって差し支えない時間だ。
そんな時間に、訓練場に灯りがついているなんて。
いつも自分が最後まで残っていたから『居残りのクロイツァー』だったのだ。
その自分の記憶を辿ってみても、深夜まで灯りがついていたことなんて一度もなかったハズだ。
「…………」
灯りに惹かれるように、訓練場に入っていく。
土と汗、そして微かに血が混じった空気が鼻をくすぐる。
懐かしい匂いだ。
グレアロス砦で一番の思い出がここにある。
いつだって、ここで木剣を振るっていた。
時に片手斧を振ることはあったが、この場所で振るのは、やはり木剣が多かった。
なぜなら、自分には相手がいたからだ。
「よぉ、こんな時間にどうした、クロイツァー」
「ヴェイル」
フランク・ヴェイル。
訓練場の奥に、彼がいた。
その顔は、記憶の中の彼と何ら変わりない。
なんて懐かしい。
彼とは同じ日に騎士団の試験を受けた仲だ。
同期になって、同じシャルラッハ班の一員になって、そうしてずっと一緒にいた。
山暮らしだったため、買い物すら出来なかった自分に親切に教えてくれた。
正規兵になるための試験で、1対1でオークを倒せなかったため不合格となり、共に苦悩していたこともあった。
苦渋を共にして、戦友とまでいってもいい仲だった。
彼と最後に会ったのは、いつだったか。
クロにとってはもう2000年も前のこと。
記憶の彼方の出来事は、もう忘却してしまっていた。
「久しぶ……」
そして、気づく。
ヴェイルの異様な気配に。
「……何しに来た、クロイツァー」
こんなヴェイルは見たことがない。
かつての彼は、これほどの怒気を放っていた事はない。
そのはずだ。
「ヴェイル……」
「訓練場に来るなんて、俺をバカにでもしに来たのか、クロイツァー。いや、違ったか」
ヴェイルの眼が、怒りに満ちている。
「なぁ、エルドアールヴ」
「…………」
困惑は、なかった。
理解した。
なぜ彼がここまで自分のことを怒りに満ちた眼で見るのかを。
「入って来るんじゃねェよ。ここはお前が来ていい場所じゃねェぞ」
「…………」
訓練場の入り口から、歩を進めた。
ヴェイルの忠告を無視した形になった。
「……お前」
土を踏み、訓練場の奥へ。
ヴェイルの目の前で立ち止まる。
「何でだ? 何で、俺を騙してた、クロイツァー」
「…………」
「答えろッ!!」
ヴェイルが怒鳴る。
「お前は……エルドアールヴだってのに、俺とここで訓練してた。
ふざけてんのか!?」
「…………」
「才能が無いから強くならないとって、お前言ってたよな!? 正規試験でオークと闘って、怖ェんだって俺は言ったよな!?」
ヴェイルは知らない。
クロが不死になったことを。
それによって、死力という特性に目覚め、強くなっていったことを。
そして、クロが2000年前の過去に行ったことで、文字通りの万死を越えて強くなったことを。
「お前はそんなに強かったのに、俺に合わせて弱いフリをしてたのか!?」
一般人や普通の兵は知ることはない。
グリモアの力でエルドアールヴが意図せず作られたことを。
普通は不死を前提として考えない。
彼らの認識では、古来より脈々と続く『エルドアールヴ』を継承したのだと考えている。仮面を被り、正体を隠し、そうして代々『エルドアールヴ』が続いていると思っている。
それが、グリモアを知らない人が辿り着く結論だ。
そしてそれは、ヴェイルも同じだった。
「お前は、ここで俺と過ごしていた3ヶ月……ずっと俺をバカにしてたのか!?」
そういう結論になってしまう。
一般人に真実を話す必要なんてない。
無理に話せばグリモアや悪魔のことまで知られる可能性がある。
誰でも使えてしまうグリモア詩編。
それを狙い、グリモアを持つ悪魔……つまりエリクシアが危害を加えられる可能性が大きくなる。人というものは善人もいれば悪人もいる。
エリクシアを危険に晒すワケにはいかない。
だから、クロは極少数の人だけに話したのだ。
「一緒に訓練しながら、心の奥で、嗤ってやがったのか!?」
ヴェイルの怒鳴り声は、もはや嘆きのそれに近かった。
「ヴェイル」
「……なんだ? 言い訳か?」
「ヴェイル。本当に……そう思うか?」
「何?」
「俺が強さを隠して、ヴェイルをバカにしながら裏で嗤ってたって、そう思うのか?」
「…………ッ!」
「そんなわけないだろ」
クロが言う。
「……し、信じられるわけねェだろ!? 俺は見たんだぞ、キュクロプスを倒すお前をッ!」
「そうか……あの時、ヴェイルはあの場所にいたのか」
それはまだエルドアールヴとなる前の、不死になったばかりのクロだ。
今のクロとは雲泥の差があるが、ヴェイルにとってはどちらも同じことだろう。
「…………クロイツァー」
ヴェイルが何かを投げ寄こした。
パシッとそれを片手で受け取る。
「……木剣?」
「言葉じゃ通じねェ。俺の頭は今、沸騰してるからな……」
「……そうか、だから訓練場に」
ヴェイルの意図するところを知る。
「決闘だ」
ヴェイルが木剣を構えて言った。
「それで判断する。ずっとそうだった。お前とはここでずっと決闘してたから」
真っ直ぐ突き刺すような眼。
それを真っ向から受け止める。
「懐かしいな。訓練の度、ケンカする度、決闘してた。うん、だんだん思い出してきたよ。本当に楽しい日々だった……」
背負っていた斧槍と大戦斧を地面に置く。
そして同じように、クロも木剣を構える。
「本気でやれ。
今ここで手を抜いたら、俺はお前を許さねェ」
「…………」
少しだけ考える。
本気でやってしまったら、間違いなくヴェイルは死ぬ。
しかし、本気でやらないと彼との友情は完全に終わってしまう。
クロの返答は――
「――分かった」
懐かしき対決は2千年を超えて。
グレアロス砦の訓練場にて、開幕する。




