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エリクシアオブライフ ~不死の災いと悪魔の写本~  作者: ゆきわ
第1章『英雄胎動』編

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68 闇底で足掻く愚者は、空の星へ手を伸ばす


 

 たった一撃。

 攻防を交わしただけで、デルトリア伯は悟った。

 自分とエルドアールヴとの実力の差。

 それがあまりにも隔絶し過ぎていることを。

 神に愛された己が才能をもってしても、この差は簡単には覆せない。


「……くッ」


 エルドアールヴの遠慮容赦のない剛撃。

 次々と繰り出してくるそれは、全てが必殺の一撃だった。

 に防ぎ続けているデルトリア伯の斧は、受けた部分がヘコみ、曲がり、もはや斧としての機能を果たしていない。

 斧を握る手は一撃目ですでに痺れてしまって感覚が無い。


 自身のエーテルで斧の強度を増していてコレだ。

 凄まじいとしか言えない威力だった。

 増殖したウートベルガを一撃で仕留めたのは伊達じゃない。

 こんなものを食らったら一発で死が確定する。


「……く、そッ……」


 エルドアールヴ――クロ・クロイツァーを睨む。

 クロのその瞳は、かつての少年のような眼をしていない。

 獰猛な獣のように鋭く、冷徹な色を濃くしている。

 実力とも相まって、その変貌ぶりは相対するデルトリア伯に恐怖を抱かせるに余りある。


 もはやこの敵は人などではない。

 二千年。

 そんな膨大な時間を生きた者など、人と呼べるはずもない。

 魔物でもない。人でもない。

 では、目の前のクロ・クロイツァーという存在は、一体なんなのか。


「バケモノめ……ッ」


 そうとしか思えない。

 不死の怪物。

 異形の化物。

 こんな意味不明のバケモノに敵う道理はない。

 この化物を倒すのは、今の自分には不可能。

 この戦闘でエルドアールヴを越すことはできない。


 であれば、グリモア詩編で逃走するしかない。

 唯一、本当にただひとつの手段として。

『変革』の時間移動でこの場をまず逃れ、本気で自分を鍛え上げる。

 一年……いや、二年の時間を遡り、本気で鍛錬を積めば敵の実力に届く。

 その方法でしかクロ・クロイツァーを倒す術が無い。


 デルトリア伯は、これまで一度たりとも努力などしてこなかった。

 それは努力というものが嫌いなのも理由としてあったが、それ以前に、必要性が無かったからだ。

 剣でも弓でも、何の領域でも、ほんの少し触れば達人級になっていた。

 これまでの相手は、その程度で簡単に崩せていた。

 神に愛されたこの才能の前では、そこらにいる有象無象など取るに足らない存在だった。


 しかし、今回の敵は本物の『英雄』だ。

 英雄エルドアールヴ。

 レリティア十三英雄のひとり。

 つまり、自分の父であるアルトゥールと同格の相手。

 


 そもそもが、エルドアールヴを倒すために悪魔からグリモア詩編を奪おうとしていたのだ。

 そうしなければ勝てないと理解していた。


 それなのに、デルトリア伯は侮った。

 エルドアールヴの正体がクロ・クロイツァーだったからこそ、侮ってしまった。

 正確な判断力を失ってしまっていた。


 そうして今の状況に陥った。

 クロ・クロイツァーの苛烈な攻撃の連続。

 ほんの僅かな油断で即死するようなこんな状況で、『変革』の時間移動など使うことなんてできやしない。

 目前の英雄を倒す唯一の方法が、敵を侮ってしまったがために、消え去ってしまったのだ。


「…………ッ」


 クロの攻撃を必死で受けながら、デルトリア伯はそこで気づく。

 ハメられた、と。


「…………ッッ!!」


 エルドアールヴとして帰って来たクロ・クロイツァーの行動。

 何故わざわざ、ウートベルガの能力をべらべらと得意気に喋っていたのか。

 何故、必要以上に自分を煽り、前に出させたのか。

 今こうして、エルドアールヴと一対一で決闘している理由。


「……キサ、マ……ッ」


 ウートベルガの力の全てを白日の下に晒して、その戦意を削いだ。

 次に、デルトリア伯の『腐蝕』の力が意味を為さないことを本人に理解させ。

 わざと煽るような言葉を並べ立てて激昂させ。

 この才能だけで倒せるという錯覚を起こさせ。

 今のこの状況を生み出した。

 これはつまり、エルドアールヴの、老獪極まりない『罠』だった。


――もっとも。

 そもそもがデルトリア伯の計画は、前提から破綻していたことを彼は知らない。

 彼の計画は、英雄エルドアールヴから『不死の詩編』を奪い、あるいは盗み、それによって自分が不死となって望みを叶えるというものだった。

 悪魔を狙い、『悪魔の写本ギガス・グリモア』から新たな詩編を手に入れようとしていたのも、エルドアールヴから『不死の詩編』を奪うという、非常に難度の高い目的を達成するためだったのだ。


 しかし、その前提がまず間違っていた。

 クロの不死は詩編を持っているからではなく、『悪魔の写本ギガス・グリモア』から直接に災いの力を宿されているため、不死の力を奪うなんてことは不可能なのだ。

 つまりは、万が一にもデルトリア伯に勝機は無かったと言える。




 一方、必死の思いで防戦一方なデルトリア伯に対して。


「ケケケ、強ェなァ……」


 後ろで待機しているウートベルガは、


「テメェは強ェなァ……反逆の翼ァ。ケケケ、期待以上だ」


 不気味に笑っていた。




 ◇ ◇ ◇




「強い」


 その戦いを端的に表現したのはアヴリルだった。

 それがどちらのことを指すのかは語らずとも明白で、広場に集まった者すべてがアヴリルと同じ思いだった。

 広場に鉄のぶつかり合う激音が響く。

 重く、鋭く、速く。

 撃鉄の火花が舞い、宙空に散っていく。


 デルトリア伯はプライドを捨て、腰に下げていた剣を使いだした。

 彼にとって剣は斧より使い勝手の良い武器だった。

 斧でもってクロ・クロイツァーの誇りを踏みにじるという歪んだ『才能殺し』の性質を捨ててまで剣を取った理由。

 それはつまり、そうしなければならないほどに、エルドアールヴとして帰ってきたクロ・クロイツァーが強すぎたのだ。


 デルトリア伯の天賦の才をもってしても、クロ・クロイツァーの二千年の努力は凌駕しきれない。

 まさしく圧倒的。

 洗練された斧技は流麗で、ある種、優雅な舞いのように美しい。

 卓越した剛力はもはや人の域を遙かに超え、両手に持つ2本の超重量武器を軽々と扱っている。


「……でも、どうして倒しきれないんでしょう?」


 アヴリルの疑問はもっともだった。

 これほど実力差のある戦い。

 それなのにも関わらず、クロの攻撃をデルトリア伯は凌ぎきっている。

 アヴリルが不可解に思うのも当然のことだった。


「もしかして、手加減をしているのでしょうか?」


「いいえ」


 アヴリルの疑問に答えるのはシャルラッハ。

 腕を腰に当てて、クロの戦いを黙って観察していた彼女が言う。


「運が良いのよ、デルトリア伯は」


「……へ?」


 説明になっていない説明で、アヴリルが混乱する。

 クロから視線を外さないまま、シャルラッハが更に答える。


「クロ・クロイツァーの攻撃は、すべて必殺の狙い。あの実力差ならデルトリア伯が攻撃を凌ぐのは不可能でしょうね。普通なら捌くことも、避けることすらできないですわ」


「し、しかし今……」


「ええ。だから、運が良いとしか言えないの。デルトリア伯が『才能殺し』という『戦名いくさな』以外に何て言われてるか知ってるかしら」


「たしか……『神に愛された者』でしたか」


 それは、実力以外の『何か』の存在。

 運としか言いようのない要因。


 当時8歳のデルトリア伯が、剣豪を倒した逸話がある。

 それまで剣を持ったこともなかった少年が、長年錬磨を続けていた剣の達人をどうやって打ち破ったのか。

 決闘において、剣豪が油断も慢心も手心も加えるはずがない。だからこその達人である。

 獅子は兎を狩るのにも全力を尽くすもの。

 たとえ天賦の才――闘うことですぐに強くなる才能があったとしても、そんな相手に敵う道理は無い。

 だが、デルトリア伯にはそれを遙か覆すほどの『運』があった。


「例えば、偶然に攻撃を受ける武器の角度が良くて攻撃を捌けた。

 例えば、偶然に足が滑ったから攻撃を避けられた」


 シャルラッハが言う。

 たまたま運が良いのだと。


「眼の動き、腕の動き、足の動き、重心の移動、息づかい、もしかしたら場の状況に至るまで、そのすべてが偶然にもデルトリア伯を活かすのよ」


「……じょ、冗談ですよね?」


「わたくしが冗談を言っているように見えるかしら?」


「…………」


 信じられないといった表情のアヴリルだが、シャルラッハが大マジメな顔をしていたことで、無理やりに納得するしかなかった。


「命の危機に瀕することで、ありとあらゆる要因がデルトリア伯を助けるの。まるで、物語の主人公を生かそうとする補正のように」


「……だから、神に愛された……と」


「そういうことね。その『天運』を、デルトリア伯は持っているの。とんでもない反則級の豪運を」


 命を懸けた闘いは、運に左右される場合もある。

 そんな時にこれを発揮する者こそが、『生き残れる』、つまり『勝利する者』なのである。


 強敵と対峙した絶体絶命の闘いで、起死回生の一撃を狙うために機会を窺って耐える。そのためには死なないことが絶対条件であり、格上との闘いであれば、より運が重要度を占めるものだ。

 力量や技量、そしてエーテル等とは違い、傍目では分からないステータス。

 それが『天運』。


 それは少なからず誰しもが持っているもの。

 もちろん、シャルラッハもアヴリルも天運を持っている。

 英雄と呼ばれる者、あるいは英雄候補は、この天運が強い者が非常に多い。

 しかしデルトリア伯は、並み居る英雄たちと比較してもなお、群を抜いた天運の持ち主だった。


 逆に、クロ・クロイツァーはそれが無い。

 むしろマイナスに振り切っている可能性すらあり得る。

 トドメを差せそうだったガルガとの闘いで、たまたま偶然、水竜の雷で邪魔された時のように。


 そして、これまでの強敵との闘いでは、必ず誰か仲間の天運に助けられている。

 ヴォゼ戦では水竜。

 キュクロプス戦ではエリクシア。

 ウートベルガとの空中戦ではマーガレッタとデオレッサ。


 クロ・クロイツァーは『神に嫌われた者』と言っても過言ではない。

 それは二千年経った今でも変わらない。


「デルトリア伯は倒せない……のでしょうか」


 アヴリルが言う。

 シャルラッハはそこでクロから眼を離し、アヴリルを見ながら言った。


「そんなわけないじゃない」


 シャルラッハが、勝ち誇った顔をして笑う。


「クロ・クロイツァーは、エルドアールヴなのよ?」


「……!」


 そう、彼には実績がある。

 数々の強敵を倒してきた経験がある。

 その戦いは英雄の伝説として、シャルラッハもアヴリルも知っている。


「……天運なんて物ともしない、本物の強さを持っているのが、エルドアールヴ」


「そういうこと」


 アヴリルとシャルラッハは会話を止め、闘いに視線を移した。


「…………」


 シャルラッハはクロを見つめる。

 見つめ続ける。


「…………」


 どうしてだろうか、と思いながら、シャルラッハはクロを見つめていた。

 あれほど、なりたがっていた英雄になったのに。

 あれほど、強くなりたいという意思を見せていたのに。

 そしてそれが叶ったのに。


「…………」


 シャルラッハは思う。

 どうして。

 夢が叶ったはずのクロ・クロイツァーの背中が。

 まるで泣いているかのように、見えてしまうのだろうか、と。




 ◇ ◇ ◇




 クロ・クロイツァーは冷静に、冷徹にデルトリア伯を追い込んでいく。

 しかしなかなか倒せない。

 こちらの攻撃は、デルトリア伯の命を消し飛ばす必殺の一撃。

 しかし、デルトリア伯はそれを九死に一生の奇跡で耐えきっている。

 それを何度も、何度も。

 打ち込んだ回数は百に届く。


 それでも、デルトリア伯は生きている。

 なんという天運の強さか。信じられない。

 これほどの強敵を、二千年前の自分は倒そうと考えていたのかと思うとゾッとする。まったく、信じられない愚か者だった。


「…………」


 これまでエルドアールヴとして様々な強敵と戦ってきた。

 デルトリア伯の才能は本物だ。

 そして、この天運の強さもまた、本物だった。

 おそらくは、この二千年分の歴史の中で、これまで出会った全ての者をひっくるめて比べても、デルトリア伯の才能と天運は群を抜いている。

 間違いなく、人類『史上』最高の天運持ちだ。

 後にも先にも、彼を上回る運の持ち主は出てこないだろう。


「…………」


 あまりにも惜しい、とクロは思う。

 もしも彼が人生を懸けて本気の努力をしていたら。

 もしも彼が邪念を持った性質でなく、英雄としての資質を持っていたのなら。

 才に溺れず、邪に染まらず、他者を思いやることが出来る人間だったなら。

 エルドアールヴなんていう『』よりも、遙かに本物の『英雄』として人々の希望になっていただろう。そう思わずにはいられない。


「…………ッ」


 大戦斧ギガントアクスを強く打ち込む。

 どうして、と。

 どうして神から授かったその類い希なる力を、人々のために使わないのか、と。


「…………ッ!」


 さらに、強く、強く打ち込んでいく。

 激しく、烈火の如く。

 荒々しく、龍が如く。


「ぐぁッ……!!」


 デルトリア伯が叫ぶ。

 彼の剣が砕け散る。


「…………」


 これで終わり。

 運が尽きるという言葉があるとおり、天運は消費するものだ。

 この瞬間を待っていた。


「…………」


 デルトリア伯を倒す。

 大戦斧の一撃を放とうとしたその瞬間、

 突然、死角から影が現れる。


「――――ふッ!」


 それを超速の反応で、大戦斧の一撃で叩き潰す。

 ウートベルガだ。

 おそらくウートベルガが動くなら、ここだと予想はしていた。


「……?」


 しかし、何か違和感があった。

 自分が叩き潰した影を見る。

 全身甲冑の鎧だった。

 中身は黒いスライムが入っていた。


「やるなァ! 反逆の翼ァ!」


 声に反応してそちらを見ると、ウートベルガがデルトリア伯の傍にいる。

 なら、今仕留めた鎧のスライムは一体何か。


「『増殖』……いや、『分裂』か」


 増殖はもう使えない。

 なら答えはひとつ。

 己が身を2つに分かつ、繁殖のようなスライムの特性『分裂』だ。

 その本質は『増殖』と違い、増えるのではなく、分かれるもの。


 当然、力の源であるエーテルすら分かれるので、相当にリスキーな選択だったはず。

 ウートベルガ特有の、生まれた瞬間の『吸収』もあまり意味を為さない。

 なぜなら、『分裂』ではエーテルの最大値や質自体が半分になるからだ。


 実際に、そこに居るウートベルガはさっきまでとは違い、格段に弱い魔物になっている。エーテルの強さで言えば、今までの特級から、格下の準特級に近いレベルにまで落ち込んでいた。


「……」


 しかし、それをする意味はたしかにあった。

 今の隙で、ウートベルガは自分の体に翼を生やし、デルトリア伯と共に空へと飛び立っていた。


「ケケケ、あばよ! 反逆の翼ァ!」


 ウートベルガはそう言って。

 バサッと黒い翼を羽ばたかせ、更に高く舞い上がっていく。


「おとなしくしてろよ? 伯爵」


「ああ。ここは逃げる。今度はしっかり準備をして、万全を期す。

 次こそは、ここに居る者全てを皆殺しにしてやる」


「遅ェんだよ、そう思うのがよォ」


 クロはその様子をじっと観察していた。

 逃げていくのは、太陽の方向。

 つまり、東。

 その果てには、魔境アトラリアがある。


「…………」


 ウートベルガのあの黒い翼は、特性『変化メモタルフォーゼ』だ。

 自分の体を、あるいはその一部を変形させる特性スキル

 はじめてこれを見たのは、たしか『雲』になったウートベルガだった。


 改めて、怖ろしい魔物だと実感する。

『変化』『増殖』『吸収』『猛毒』『分裂』等々。

 普通の魔物なら1つか2つ程度のはずの特性スキルを、盛り沢山に持っている。

 その内の『増殖』に至っては、それだけで特級に……いや、魔境序列の二桁になれるほどの固有特性オリジンスキルだ。


 特性というものは、生まれつきのもの。

 つまり才能だ。

 ウートベルガとデルトリア伯。

 魔物と人間の天才同士。

 類は友を呼ぶと言うが、ここまで似通ったふたりが揃うのもまた珍しい。


「何をボサッとしておるかバカ者ッ!」


 観察していたクロに、エーデルの罵声が届く。


「このままでは逃げてられてしまうぞ!? 何のためにずっと準備をしておったのだ! アレらを倒すためであろうが!」


「分かってる」


 さらに、シャルラッハの声がかかった。


「クロ・クロイツァー」


「?」


「一応、聞いておきますけれど――」


 試すような声だった。


「――手助けは、必要ないのでしょう?」


「もちろん」


 クロの即答を聞いて、ニヤッと意地悪な笑みを浮かべたシャルラッハ。


「だそうですわよ? 副団長」


「……ふっ」


 マーガレッタは小さく笑いながら、構えていた剣から手を離す。

 斬空使いの彼女なら、どんなに距離があっても視界の中でなら射程圏内だった。

 デルトリア伯を逃がさないと、彼女もまた抗おうとしていたのだ。


「マーガレッタさん、お願いが」


「む? ああ、なるほど。分かった」


 何を聞くまでもなく、クロが何をして欲しいのかを理解したマーガレッタ。


「敵が逃げた方向にいる者は即刻その場から退け! エルドアールヴのに入るな!」


 言われて、東側の屋根上にいた兵たちが退いていく。

 統率の取れた素早い動きだった。


「助かります」


「頼むぞ、


 あえて『昔』のままの呼び名を使ってくれたマーガレッタの心遣いに感謝しつつ。

 クロは斧槍ハルバードの切っ先を地面に突き刺し、手放した。

 そして、大戦斧ギガントアクスを両手に持ち、天に掲げた。


 瞬間。


 クロの全身から、黒いエーテルが立ち昇る。

 闘気エーテルは渦を巻きながら、まるで昇龍のように激しく燃え上がる。


「…………」


 真っ直ぐ、前を見る。

 前方にはグレアロス砦の壁面。

 そして、空にはウートベルガとデルトリア伯。

 もうすでに彼らは遠く離れていた。

 太陽に向かって飛んでいく。

 しかし、逃がさない。

 絶対に。




「――『翼無き愚者は手を伸ばす』――」




 一言、紡ぐ。

 クロの闘気が更に激しく迸る。

 さながら、咆吼する黒龍のように。



「――『天蓋の星へ、ただひたすらに手を伸ばす』――」




 更にもう一節、詠唱を紡ぐ。

 闘気が極限まで圧縮されて、大戦斧に収束していく。

 黒い闘気が爆発的に強大化する。




 ◇ ◇ ◇




 目の前で、クロ・クロイツァーが強大な闘気を迸らせている。

 黒い外套、黒い闘気。

 畏怖すら感じさせるその威容は、未来の英雄たちの魂に響く。


「アヴリル」


「はい」


 シャルラッハとアヴリルが強さの果てへと至った彼の背中を見つめている。

 少年――そう言っていいのか分からないが――の、大いなる成長を。


「わたくし、決めましたわ」


「私も、決めました」


 大きな決断をここに。

 互いに何を言いたいのか分かっている。

 言わずとも理解している。

 だが、あえて決意を言葉に出す。


「わたくしの『栄光』は、クロ・クロイツァーの傍で輝かせますわ」


 光あれ、暗闇を照らすは一条の栄光。

 それがシャルラッハ・アルグリロットの戦技詠唱である。

 あまりにも大きすぎる闇に立ち向かう彼の傍でこそ、『雷光』を輝かせると。

 彼女は誓う。


「お供します。私の『爪牙』は、『闇を裂く光』でこそ輝きます」


 月光にて我が爪牙は光輝く。狩りこそが我が本能。

 それがアヴリル・グロードハットの戦技詠唱。

 己が身砕ける最後の瞬間まで、栄光の傍で戦い抜くと。

 彼女は誓う。


「問題は、騎士団側が何というかでしょうね。お父上にも何と伝えたらいいか」


「何の問題もありませんわ。わたくしが決めた。なら、たとえ父上でも邪魔は許しませんわ」


「……お転婆ですねぇ」


「そんなわたくしだから、いいのでしょう?」


「まったく……そのとおりです!」


 未来の英雄たちは、一歩、踏み出す。

 遙か先に進んでしまった、彼の背中を追って。




 ◇ ◇ ◇




 それは噴火直前の火口のようなエネルギーに満ちていた。

 黒よりも黒い闘気の奔流は、解き放たれるその瞬間をただ待ち構えている。


 限界まで引き絞った弓のように。

 咆吼する獣が口を大きく開く瞬間のように。

 一瞬よりも短い刹那の静寂がそこにあった。

 溜めに溜めた激烈極まる闘気は、今こそ暴れ狂う場所を見出す。




「戦技――――」




 これなるは戦技であって戦技ではない。

 いくつもの戦技の重ね業。それらをひとつにまとめ上げ、たったひとつの動作を極限まで研ぎ澄ませた武人の夢。

 言うならば『大戦技』。


 二千年もの間積み上げた鍛錬の末に、ようやく辿り着いたひとつの境地。

 エルドアールヴが英雄たる所以。

 かつてあらゆる邪悪を滅ぼした英雄の必殺。

 技の極地である戦技を更に磨き上げ、極天にまで至った神業。

 それこそが――




「――――『断空』」




 振り下ろしの極技。

 解き放たれた闘気は、大戦斧の軌道を大きく拡大し、迸りながら空を奔る。

 眼に見える闘気の怒濤に飲まれたグレアロス砦の壁が、一瞬にして消滅する。

 大地を削り、それだけでは飽き足らず、大空までも飲み込んでゆく。

 漆黒に光り輝くその一撃は、まさしく文字通り空を断つ。




――かつて、才無き少年は渇望した。




 不死となった後に闘った最初の死闘。

 クロ・クロイツァーにとっては二千年以上も前の出来事だ。

 しかし、あれを忘れることなんて出来なかった。


 オークのヴォゼ。

 あの凄まじい強敵が放った一撃。

 もうひとつの極天。

 薙ぎ払いの極地である大戦技。

 文字通り、空を裂いたあの極技。


――『裂空』。


 弱き少年に湧き上がった憧憬は、

 魂を揺さぶられたあの憧れは、

 尊いと、美しいと、そう思ってしまったあの感情は、

 少年の心にいつまでも燻り続けていた。


 あの、『武の極み』に魅せられた。

 ほしい、と。

 あの途轍もない力がほしいのだと。

 求めていた力はこれなのだと。

 あの瞬間のクロ・クロイツァーは、そう渇望した。




 そして今。

 遙か二千年の時を超えて。

 少年はそこに至る。


 漆黒の光と化した『断空』の一撃、その勢いは限度を知らず。

 空の彼方までもを飲み込んでいく。


 いつかの日。

 才を持たざる少年は、才ある者たちのことを『星』と称した。

 泥底の中で足掻く自分には絶対に届かない『星々』。

 それでも。

 ずっと、手を伸ばし続けてきた。

 あの輝かしい星々に、この手を、いつか届かせてみせるのだと。


 そして。

 そして――――届く。


 天空を飛ぶほしへ、クロ・クロイツァーの一撃が届く。

 激烈な勢いはそのままに、怒濤の破壊はデルトリア伯とウートベルガを飲み込んだ。


「…………」


 しばらくして、漆黒の光が収まった後。

 遠くの空に、ひらりひらりと舞う紙があった。

 朝の日差しに照らされたそれは、間違いようのない、グリモア詩編。


「鳥が啄む前に回収しておくかの。風の魔法は得意ではないのじゃが……」


 エーデルが、指をくるくると回して詠唱のない簡単な魔法を使う。

 すると、ほんの僅か気流が変わり、空を漂っていたグリモア詩編が、こちらに向かってゆっくりと舞い落ちる。


 そして、落ちていく先は、クロ・クロイツァーの元へ。


「…………」


 クロは無言で手を空に向ける。

 やがて『変革』のグリモア詩編は、クロの手に収まった。


 その瞬間。

 兵士達から歓声が上がる。

 片手を天に掲げたそのエルドアールヴの行動を、勝利を意味する仕草であると判断したようだ。


 騎士団らしく勝ち鬨を上げ、生き残ったこと、そして、グレアロス砦という大事な街を守り切れたことを、彼らは大いに喜んだ。


 大歓声は次から次へと砦に広まっていき、

 それはまるで、新たな英雄を賞賛する、英雄賛歌のようだった。


 深夜から早朝にかけて続いたグレアロス砦防衛戦は、

 今ここに終息した。




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