66 エルドアールヴ、『最古の英雄』――
漆黒の外套が、朝の斜光に照らされる。
背後から見えるその姿は、まるで少年のようなシルエットだった。
身長も特別高いわけではない。
普通だった。
その外套越しから推測される体付きも、筋肉が膨れあがっている巨躯には決して見えない。
英雄の中の英雄。
そう呼ばれるにはあまりにも不釣り合いな体躯。
パッと見で、彼がどれほど強い戦士なのかは絶対に分からない。
しかし、誰もが彼が最強だということを知っている。
それこそ世界中の人が知っている。
彼こそが、英雄エルドアールヴなのだと。
その両手にある二対一体の武器。
柄の部分が鎖で繋がれた槍斧と大戦斧。
普通の人では持つこと自体が難しい、超重量の大武器。
それをふたつ、軽々と持っている。
黒い外套、ふたつの巨大武器。
頭からフードを被り、仮面を付けるその偉容。
それらのすべてが、彼がエルドアールヴなのだと示している。
ずっとずっと昔から、この人境レリティアを支えてきた人類の大英雄。
ありとあらゆる人が、彼の英雄譚を聞いて育つのだ。
それは今し方、エルドアールヴに助けられたエリクシアとて例外ではない。
「…………」
地面にうつ伏せになりながら、エリクシアはその英雄の姿を見る。
なぜだか。
どうしてか、その背中を『懐かしい』と思ってしまった。
グレアロス砦の外で闘っていた時、同じような形で自分たちを助けたあの瞬間と場面が被るからか?
いいや、違う。
あの一度だけでこんな気持ちになるのはおかしい。
「…………」
もっとずっと前から、彼――エルドアールヴを知っている気がする。
意味が分からないとエリクシアは思う。
これまでエルドアールヴと会ったこともなければ見たこともなかった。
実際にこの目で見たのは、今日がはじめてのはずだったのだ。
そのはずなのに、どうしてこれほどまでに――
「遅いわアホ――――ッッ!!」
エリクシアの思考を吹き飛ばすように、そんな叫びが戦場に響き渡った。
エルドアールヴに対してのその言葉。
この場にいる者の中で、そんな子供染みた罵声をかけられるのは当然、彼女しかいない。
「死にかけたわッ! 毒持ちの特級4体じゃぞ!? さすがのわらわでもエーテルが底付きて衰弱死するわッ!」
エーデルヴァイン・エルフィンロード。
エルドアールヴが所属する、エルフの里『エルフィンロード』の王である。
彼女は今もウートベルガの毒を浄化し続けている。
それも、増殖で4体になった分を。
エーデルが尋常じゃないほどに汗だくなのは、魔法での魔力消費が凄まじいことを暗に物語っていた。
「すまない」
エルドアールヴは一言、仮面越しのこもった声でそう言った。
しかし、エーデルは続ける。
「いーや! 許さんのじゃ! この埋め合わせは絶対にしてもらうからの!」
「……王さま、魔法に集中してもらえませんか」
隣にいる侍女のヴィオレッタがエーデルをたしなめる。
「わ、わかっとるわ!」
「まったく……」
エーデルがこうして文句を言うのは、エルドアールヴがこの場に来たことによる安心の裏返しなのは傍目からも明らかだった。
ヴィオレッタもまた同じく、軽口を出すぐらいには安堵している様子。
それほどに、このふたりはエルドアールヴを信頼しているということだ。
「……ようやく、ですわね」
「…………ハァ、ハァ……はい」
シャルラッハとアヴリルの両名もまた、先ほどまでの絶望感は薄まっていた。
1体でも手こずっていたウートベルガが4体に増え、守らなければと決めていたエリクシアも命の危機にあった。
しかし、エルドアールヴが来たことにより、希望が見えた。
英雄というのは、そこまでの信頼感があるということである。
完全に敗戦濃厚だった死の戦場。
それが、エルドアールヴの登場で形勢逆転していた。
「……くッ」
デルトリア伯は歯噛みする。
今のエルドアールヴの急襲。
もし、ウートベルガが割って入らなかったら間違いなく殺されていた。
「エルドアールヴ……ッ!」
「……伯爵さんよォ。イラついてるところ悪ィが、そろそろ下がってくれねェか?」
鎧姿のウートベルガが言った。
エルドアールヴの斧を受けているガントレットが、ビキビキと音を立てている。
「……この野郎、尋常じゃねェ」
「……ッ!!」
ウートベルガの弱音とも取れる言葉。
それを察したデルトリア伯が、後ろに大きく飛び退いた。
「よォ……このオレさまとははじめましてだな」
ウートベルガが「ケケケ」と笑いながら言う。
どうやらこれは、ウートベルガなりの挨拶のようだ。
増殖の性質上、他のウートベルガに会ったことがある相手に使う定型文だ。
もちろん、それはエルドアールヴも心得ているだろう。
「そう思うか?」
「……なに?」
しかし、エルドアールヴは暗にそれを否定する。
全身甲冑の……いや、今は兜が取れているため鎧姿のウートベルガと言った方が正しいか。鎧姿のウートベルガは直接エルドアールヴと会ったことはない。にも関わらず、初対面ではないと言ったのだ。
「…………」
これはただの言葉の交わし。
ただそれだけのハズなのに、どうしてもウートベルガは無視できなかった。
ウートベルガの困惑は自身が思っている以上に激しく、エルドアールヴが何か、とてつもなく不気味なものに見えた。
「……ッ!?」
その一瞬の気後れをエルドアールヴは見逃さない。
ウートベルガの腕をガントレットごと断ち斬った。
「く……ッ!」
斬られた腕が地面に落ちるよりも速く、エルドアールヴの大戦斧がウートベルガに迫る。
「オレさまは、こっちにもいるんだぜェ!」
そこに割って入るのは、もうひとりのウートベルガ。
4体に増殖していたウートベルガは、シャルラッハとアヴリル用に2体残し、エルドアールヴに2体といった戦法をとったのだ。
「知ってるよ」
しかし、エルドアールヴは動じない。
仮面越しの声に、焦りの色は微塵もない。
鎧姿のウートベルガに攻撃を仕掛けている最中のエルドアールヴだったが、途中で踏みとどまり、真横から迫ってきていた別のウートベルガに攻撃先を変更した。
「な……ッ」
神業である。
薙ぎ払う形で大戦斧を振っている途中でピタリと止め、それをフェイントとして使い、一瞬にして真逆の方向に攻撃を変えた。
あまりにも人間離れしたその身体能力と判断力は、ウートベルガの想定を遙かに超えていた。
「ガッ――――ッ!?」
強大なエーテルに包まれた大戦斧は、ウートベルガを真芯にとらえ、そのままの勢いで爆散させた。
飛び散る黒い液体が、まるで雨のように地面に降り注ぐ。
「きょ……兄弟が一撃で、だと……ッ!?」
鎧姿のウートベルガが、そのギラギラした赤い瞳を大きく見開いて驚愕する。
鉄よりも遙かに硬い肉体を持つウートベルガ。
それをたった一撃の攻撃で絶命せしめたエルドアールヴに、恐怖の念を隠しきれない。
そして、その隙もエルドアールヴは見逃さない。
大戦斧を持つ右手の反対――左手に持った槍斧で、鎧姿のウートベルガ目がけて刺突の攻撃を放つ。
その威力もまた凄まじく、ウートベルガの鎧の下半分をえぐり取っていた。
「くッ……アブねェじゃねェかッ!」
しかし、液状の体を利用し、鎧の中で限界まで身をよじり、間一髪で刺突を躱していたウートベルガ。
「オオオォオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
恐怖とも憤怒とも取れる雄叫びと共に、エルドアールヴ目がけて鋭い爪を勢いよく伸ばした。
ウートベルガ渾身のカウンターだった。
完全に虚を突いた攻撃。
「ふッ……!」
だが、エルドアールヴは瞬時に体を反らし、紙一重で避けていた。
爪が仮面にかするように当たっていたが、エルドアールヴにダメージはまったくない。
「くそッ! テメェホントに人間かよ……ッ!?」
人の域を超えた反射神経と運動能力。
その身に纏ったエーテルは強大極まりなく、そこから繰り出される一撃は伝説に違わず激烈で、もはやウートベルガには手も足も出ない状況だった。
「その鎧、良い素材を使ってるな」
「……簡単に貫いておいてよく言うぜ」
期せずして距離が離れたふたりは、互いの状態を一瞬で確認する。
ウートベルガは腕がひとつ斬り落とされ、鎧は破壊されて胸当ての部分だけになっていた。
さらに4体いたウートベルガは3体になっている。
一方、エルドアールヴは、先ほどの爪の攻撃が仮面にかすっただけ。
実力の差はあまりにも明白だった。
「…………す、すごい……」
戦闘の素人であるエリクシアでさえ、英雄エルドアールヴの凄まじさを肌で感じ取っていた。
「……伯爵ッ! ずらかるぞッ!!」
唐突にウートベルガがそんなことを言った。
慎重な性格ゆえの見切りの早さ。
自分たちが生き残るには、逃走が最適の道だと察したのだ。
「ふ……ふざけるなッ! このまま、おめおめと逃げろというのかッ!? ボクに恥をかけと言うのかキサマはッ!!」
「うるせェな。オレさまの目的にゃテメェが絶対に必要なんだよ、ギャアギャア言うんじゃねェ」
「く……」
デルトリア伯とウートベルガがそんなやり取りをしている時だった。
「悪いが、逃がさんぞ」
女性の声だ。
広場を取り囲むように建つ家の屋根。
そこに、乱入者がいた。
「……キサマ」
デルトリア伯が睨む。
睨まれた乱入者は、そんなことは意に介さず言葉を続けた。
「ようやく追いつめた。まさか魔物と組んでいるとは……さすがに英雄の子といえども、辺境伯の地位にいようとも、もはや言い逃れはできんぞ」
その人物はデルトリア伯に向けて剣を抜く。
淡い青の髪。
冬の湖のように冷たい青眼。
グレアロス騎士団、副団長。
騎士マーガレッタ・スコールレインが言う。
「貴殿の……いや、キサマの悪行もここまでだ。これまで犠牲になった罪も無い民の無念を、今ここで晴らす」
冷淡な声色の中に激烈な意思を混じらせる。
それと同時に、屋根の上に次々とグレアロス騎士団の団員たちが現れた。
広場を囲むように屋根に立った団員たちは数にして数十人。
そのすべてが班長や部隊長を含む、長と名のつく立場の役職幹部たち。
つまり、グレアロス砦にいる強者たちがここに集っているということだった。
「……囲まれたか」
デルトリア伯が歯噛みする。
ウートベルガも同じだった。
グレアロス砦の強者たちといえども、この2人にとっては普段なら何の障害にもなりはしない。
一点突破で逃走したなら簡単に抜けだせる程度の包囲網である。
しかし、今はエルドアールヴがそこにいる。
逃走を図るにも命掛けである。
つまり、普段なら道端の石ほどの邪魔にしかならないグレアロスの役職幹部だったとしても、今のこの状況は、デルトリア伯とウートベルガにとっては死活問題になるほどのものになっていた。
「……どうやら、私たちが来たことで場が硬直したようだな」
敵が次の一手を考えている間を利用して、マーガレッタが地面に降りる。
すぐさま重傷のガラハドの元に駆けつける。
「ガラハドさん、無事ですか」
「ハァハァ……すまねェな。このザマだ……」
「すぐ手当てをする」
マーガレッタが屋根の上の幹部に合図をすると、数名が地面に降りてくる。
テキパキとした動作でガラハドの手当てをしていった。
「……今のうちに後ろへ」
エルドアールヴが、エリクシアに向けて言った。
エリクシアは「は、はい」と言って、ガラハドの元に駆け寄って行った。
その様子を見ているデルトリア伯とウートベルガは何も手出しができない。
「ガラハドさん……ッ!」
「エリクシア……ひでェツラじゃねェか……」
不器用にエリクシアの心配をするガラハド。
エリクシアもまた、度重なる魔法行使によって外見以上に体の内部はボロボロだった。
「ガラハドさんの失った左手はもう元には戻らないが、他は何とかなる。エリクシア、貴公もこれを飲むといい」
「これは?」
マーガレッタから手渡されたビンを見る。
中の液体は光を漏らしている。
「中身は軽傷回復薬だ。ここに来る前に調達してきた。顔のキズぐらいは完治できるだろう」
「いいんですか? わたしに、こんな貴重な」
「心配するな。先日、回復薬は大量に仕入れていたからな。それに、女の子の顔にキズを残すのはいただけない」
そんなことを言うマーガレッタに、エリクシアは少し恥ずかしそうにしてお礼を言ってポーションを飲み干した。
◇ ◇ ◇
一方、
「……エーデルヴァインさま」
ウートベルガの毒に対抗しているエーデルに近づいたのは、エルフの兵だった。
「おお! ルシールではないか、久しいな!」
「まさか、あなたとこのような場所で再会するとは……お怪我は?」
「無事じゃ。ふふん、ルシール……そなた、わらわが心配でいてもたってもいられなかったのか? 可愛いヤツじゃの」
「……まぁ、そういうことにしておきましょうか」
副団長マーガレッタ直属の部隊、『特殊部隊』第3班・班長のルシールである。
キュクロプス退治の時に、クロが助けたエルフの女性だ。
「お知り合いですか? 王さま」
親しげなふたりに、フードを被ったままのヴィオレッタが声をかけた。
「よくぞ聞いた。このルシールは、そなたの先任なのじゃ」
「……それは……ああ、大変だったでしょう、ルシールさん……」
ヴィオレッタがルシールに向かって言った。
ルシールは察して言葉を返す。
「申し訳ない。エーデルヴァインさまの教育を間違えてしまったのはアタシなんだ」
「いえいえ、この歪んだ性根は生まれつきであると思います。あなたの責任ではありませんよ」
「そう言ってもらえると助かる」
一瞬にして苦労を共有したふたりだった。
エーデルの従者というのはよほどのものらしい。
「そなたら言いたい放題じゃな……」
「ところで、なぜエーデルヴァインさまがここに……ッ……ま、まさか……」
言葉の途中で、ルシールがハッと何かに気づいた。
エーデルは口端を歪めて笑った。
「そのまさかじゃ。我々エルフの『使命』は、今――ここじゃ」
◇ ◇ ◇
「……雑魚が群れているが、砦の騎士団どもよ、キサマらはここにいていいのか?」
しばらく敵情を観察していたデルトリア伯が口火を切った。
ほんのつかの間、緊張の糸が切れていたグレアロス砦側の面々は、その言葉に再び警戒の色を灯す。
「どういうことだ」
マーガレッタが訊く。
副団長としてデルトリア伯に問い質す。
「魔物が東門にだけ進行してきたとでも思ったか?」
「……ッ!」
このグレアロス砦は高い壁で周りを囲んでおり、横長の敷地になっている。
砦には東側と西側に正門があるのだが、魔物が攻めてきたのは魔境アトラリア側の東門の方向だった。
騎士団は早い内に魔物の侵攻を察知し、即座に部隊を展開。
団員と冒険者たちを終結させて東門に陣取り、待ち構えて戦った。
エルドアールヴの登場により、魔物の大群は壊滅した。
そして、エルドアールヴからの情報により、騎士団の筆頭戦力は今、人類の裏切り者であるデルトリア伯を討ち取るため、この広場にやってきたのだ。
「オレさまの『兄弟』が魔物を集めたんだぜ?」
続いて、ウートベルガが言う。
「同じ事をオレさまができねェわけがねェだろ」
「……キサマら……ッ」
マーガレッタが冷や汗を流す。
その事実はつまり、西門にも同じような魔物の大群を襲わせたということを示していた。
「住民どもを西側に避難させたようだが、大丈夫か? 魔物はこのグレアロス砦を挟撃していたんだぞ」
くくく、とデルトリア伯が嗤う。
しかし、そこに口を挟むようにエーデルが声をあげた。
「ああ、スコールレイン卿よ。心配する必要はないぞ、その魔物どもは我らが片付けておいたのでな」
「……なに!?」
デルトリア伯が驚く。
「大方、ここの戦力を分散させて逃げる成功率を高めるために西側のことを伝えたのじゃろうが、残念じゃったな」
エーデルが勝ち誇った顔で言う。
「わらわとエルドアールヴは、魔物が来る前……それこそキサマらがこの砦に来るずっと前からここにいたのじゃ」
「……そうか、そういうことか」
マーガレッタが得心がいった様子で言葉を繋げる。
「エルドアールヴが東側の参戦に遅れたのは、別の街から駆けつけていたからではなく……」
「西側の魔物を全滅させていたからじゃな。今は我らエルフの戦士たちが事後処理をしておる。憂うことはないぞ」
まさしく英雄である。
デルトリア伯とウートベルガの策を、ことごとく打ち破っていた。
策が破綻した本人らは、ただ歯噛みをすることしかできなかった。
「む?」
そんな会話をしているところで、騒々しい音が広場に届いてくる。
「外にいたそなたらの兵も、ようやくここに到着したようじゃな」
正規兵や、参戦していた冒険者たちが、こぞって広場にかけつけてきた音だ。
東門から、そしてエルドアールヴが穴を開けた壁の箇所から次々とやってくる。
そして、兵たちは広場を大きく取り囲み、数に物を言わせて出口を塞いでいく。
訓練どおりの動きだった。
班長たちの戦いを邪魔しないよう配慮しつつ、敵を逃がさないようにする陣形だった。
「――頃合いじゃな」
エーデルが今度は真剣な顔をして言った。
これまでの子供染みた表情ではなく、それはエルフの王としての表情だ。
「皆の者! 我が宣布を聞くがよい!」
エーデルが尊大な口調で、広場に響く大きな声を出す。
何事かと、広場に集った者が彼女の声に耳を澄ました。
「此度の戦い、その首謀者はここにいるデルトリア伯こと、フリードリヒ・クラウゼヴィッツである。こやつの悪行を知る者は知っておろうが、今一度確認せよ。
全員の眼であの姿を見よッ! あり得ぬことに特級の魔物と共謀し、数多の魔物を引き連れ、このグレアロス砦を落とさんとする愚行は、断じて看過できぬ、許すまじき行為である! デルトリア伯はもはや人類の敵であり、我らエルフィンロードの同盟国、グラデア王国を滅ぼさんとする逆賊であることは間違いようのない事実ッ!」
その事実を知るよしもなかった兵たちや冒険者に、ざわつきが生まれる。
ウートベルガと横に並んだデルトリア伯のその姿は、エーデルの言葉が真実であることを強く物語っていた。
「何か申し開きはあるか?」
「…………」
エーデルの問いに、デルトリア伯は何も答えない。
しばらく待って、エーデルが続ける。
「キサマの目的はエルドアールヴがすでに突き止めている。今ここに、白日の下に晒そう」
「……ふ、ボクの何を知って――」
「――『不老不死の命』であろう?」
「…………ッ!?」
エーデルの言葉に、デルトリア伯がはじめて動揺した。
それは図星であることを暗に語っていた。
「キサマはまず、『不老不死の霊薬』の製造に目をつけた。
このデルトリア辺境の商会に計画を話し、着々と準備を進めていった。マヌケにも、キサマの悪行を追っていた我がエルフの商会にも話を持ってきたな。決定的な証拠を求めたゆえ話に乗ってやったが、当然、すべて失敗した」
「……なるほど、それで大量の失敗作……回復薬系の在庫か」
マーガレッタが言った。
エーデルが頷く。
「近々、この戦があると分かっていたからな。グレアロス騎士団に安く買い取ってもらったワケじゃな」
「……分かっていた?」
「それは後で話すのじゃ」
マーガレッタの疑問を置いて、エーデルが続ける。
「……『不老不死』を手に入れる方法は、残りひとつとキサマは考えた。それが、そこにいるエルドアールヴの打倒」
「…………」
「エルドアールヴは『不老不死の霊薬』を手に入れた不死である。そういう噂。
そのような与太話をキサマは間違いない事実と考え、エルドアールヴから『不老不死の霊薬』を奪おうとしていたのじゃ。あるいは『詩編』かのぅ?」
「…………ッ!」
「しかし、相手は人類最強の英雄。目的を達するためには力が足りぬ。だからこそキサマは悪魔の力……グリモアの力を狙ったのじゃ」
ざわっ、と兵士たちがざわめいた。
それはまさしく悪魔の力。
人類の敵の力である。
そんなものを求めるなんてことは、理解の外だった。
「なるほど、たしかにグリモアの力ならばエルドアールヴ打倒もあり得る。そうしてキサマは悪魔を付け狙っていたのじゃ」
「……くくく」
デルトリア伯が嗤う。
「少し訂正させてもらおうか。ボクは、はじめからグリモアの力を求めていた。それこそ3年前、ボクが『グリモア詩編』を手に入れた瞬間からな」
「……それは自白と取ってよいのじゃな?」
「構わないさ。キサマら全員、ここで皆殺しにしてやれば済むことだ。元々そういうつもりだったしな」
兵士たちが臨戦態勢を取る。
マーガレッタは何かの拍子に飛び出してしまう者が出ないよう、手で静かにそれを制した。
「ゴミどもがいくら集まってもボクらの障害にはならない。このエルドアールヴさえ倒せば、あとはどうとでもなる。
エルドアールヴをこの目で見て確信した。コイツは『霊薬』ではなく、『不死のグリモア詩編』を持っている。それを奪ってやる」
「……できるものならな」
「やってやるさ」
エーデルとデルトリア伯が互いに口を歪めて笑う。
「さて、では本題に入っていくのじゃ。なぜキサマが不死を求めるのか、だ」
「……言ってみろ」
デルトリア伯が促した。興味を示したようだった。
ニヤリ、とエーデルが笑う。
「それはキサマの『詩編』の能力にあるじゃろう?」
「……ッ……」
デルトリア伯がまたも驚き、しかし今度は不敵に笑う。
「続けろ」
「キサマの『詩編』、その災いの名は――第十災厄『変革』」
「…………」
「これまでのものを見ている限り、物質を腐らせるという災いと勘違いしてしまうのじゃろうが、その真は違う」
「…………」
「腐らせる能力はただの『副次効果』。キサマの能力の神髄は、クロ・クロイツァーに使ったあの黒い渦じゃ」
クロ・クロイツァーを消し去った、あの黒い渦。
尋常ならざるあの摩訶不思議なものが、デルトリア伯の詩編の本質だという。
「……腐蝕の力は、副次効果……?」
エリクシアが反芻する。
思わぬ落とし穴だった。
クロ・クロイツァーの『不死の災い』、その副次効果である『治癒』や『再生』と同じようなものだったのだ。
「あの力が……二次的な作用で起こったものだと……?」
腐り落ちた自分の腕を見ながら、ガラハドが戦慄した。
触れただけで致命的なダメージになるあの力が、高威力の大魔法を凝縮したような腐蝕の力が、ただのついでのようなものであるということだ。
自分たちが闘っていた者の異次元の強さを知り、ガラハドのみならず一同が恐怖するのも仕方のないことだった。
「そのとおり、そやつの能力の本質は『変革者』」
エーデルが宣言する。
デルトリア伯の詩編の真実を。
「――時空に穴を開け、過去に戻り、『歴史を変革する災い』じゃ」
過去に戻って歴史を変える。
誰しもが一度は思ったことがあるだろう。
あの時こうすればよかった。
今の自分なら、もっといい結果が残せた。
あの瞬間をやり直せれば、と。
それが現実になってしまう。
「この災いが凄まじいのは、自分が生きた時間以上の過去に戻ることができるところじゃな。
たとえば、このグラデア王国の興りを邪魔することすら可能であること。つまり、簡単に国を――人類を滅ぼし得る可能性を秘めているのが、『変革』じゃ」
知らない間に人類が絶滅することすら起き得た。
グリモアの災いとは、勝負している盤上をひっくり返して勝ちをさらうようなものである。
クロ・クロイツァーの不死しかり、デルトリア伯の変革しかり。
詩編の異次元の強さとは、つまりはそういうことである。
一同が騒然とする。
グリモア詩編を知らない兵士たちもいる。エーデルが言っている意味が理解できない者も当然いた。
しかし、理解した者から伝染した衝撃と戦慄は、本能的に、無知の者たちにまで浸食していった。
結果、まるで汚染されるように兵士たちに恐怖が蔓延していった。
混乱から生じる狂騒状態にならなかったのは、ひとえに日頃の訓練のたまものであることは間違いない。
「未来は不確定で、行けるはずはない。穴を通るのがその災いじゃからな。存在しない時間軸に行くことはできぬ。じゃが、確定しておらぬ未来に繋げた極小規模の穴――つまりキサマのエーテルに触れて、未来に繋がったからこそ『腐蝕』が起きるのじゃろ?」
「……くくく」
デルトリア伯が不気味に笑う。
「どうやったのかは知らないが、よくぞそこまで調べたものだ。ああ、そのとおりだ」
兵士たちが更にざわついた。
デルトリア伯がニタリと嗤う。
「この詩編の力は最強だ。過去に行って歴史を変える。これを使えば、ボクはレリティアを支配することすらできるッ! 『変革』の詩編を手に入れた時は、さすがのボクも万能感に支配されたよ。だがね……違うんだ」
「ふむ?」
エーデルが首を傾げる。
デルトリア伯は一転、悲しそうな顔で語り続けた。
「ボクは『今』の支配者になりたいんだ。『過去』じゃない、『現在』の支配者になりたいんだよ、分かるかな?」
憎らしげに空を仰ぐデルトリア伯。
「仮に、この災いの力を使ってグラデア王国建国時の1200年前に行ったとしても、そこでボクがグラデアの王に成り代わっても、寿命が足りないんだよ!」
バッ、とマントを翻し、デルトリア伯が叫ぶ。
「あるいは、たとえレリティアの王に君臨したとしても、ボクは『現在』に戻れないんだッ! その前に寿命が尽きる、それじゃ意味がない!」
「……だからこその、不老不死か」
話を大人しく聞いていたマーガレッタが言った。
「そのとおり! ボクは不老不死になって、この世界を永遠に支配するんだッ!」
それこそが、デルトリア伯の本当の目的だった。
「……レリティア十三英雄の面々が黙っていないぞ。英雄であるキサマの父君……アルトゥールさまもな」
「そう、厄介なのはソレだよ副団長。ボクが最も恐れたのは、英雄どもが徒党を組むことだった。だからこそ隠密に動いていた。悪魔からグリモア詩編を奪い、エルドアールヴひとりだけを狙って不死の詩編を奪い、そうして過去から現在までを支配する予定だった」
そこでデルトリア伯がエーデルを睨んだ。
「しかし、エルフの王よ。なぜだ? ボクの能力、そして目的。ボクを調べた程度のことだけでは分かるはずもない。この計画を知っていたウートベルガでさえ、ボクの『変革』の能力を知らなかった。なぜそれを知っていた?」
言われて、エーデルが「くくくく」と笑う。
「いるではないか。キサマの能力を知る者が」
「……何!?」
「忘れたのか? つい今し方のことだぞ? その能力を、使った相手がいるではないか」
「……まさか」
「そう、クロ・クロイツァーじゃよ」
その名がここで出て、エリクシア他、彼を知る者が驚きの表情を見せた。
「しっかりと伝えてくれたのじゃよ。己が身に何が起こったのか、それを推察し、看破し、今にまで語ってくれた。だからこそ、わらわが知っておるのじゃよ」
「……また、あいつか……ッ!!」
デルトリア伯が憤慨する。
怒りがわき上がっている。
変革でこの時空から消し去った後でさえ、二度と戻ってこられない地獄に送ってさえ邪魔をしてくると、デルトリア伯が怒りを露わにする。
「さあ、下地は整ったのじゃ。デルトリア伯よ、思考の整理は追いついたか?」
「……何? これ以上なにがあると言うんだ」
「キサマはおそらく、人生最大最悪の失敗をした。変革の能力を使う相手が悪かったな」
「何……?」
デルトリア伯が疑問の顔をする中で。
エリクシアだけが、その真意に気づく。
「……ま、まさか……」
「そうだ、エリクシア。クロ・クロイツァーは生きている」
「……は? どういうことだ? キサマは何を言っている!?」
「知らなかったのも仕方がない。うまく隠しておったからな。キサマ、クロ・クロイツァーの詩編の力を何とみた? くくく……まさか、『再生』の詩編だとでも思ったのか?」
「な……に?」
デルトリア伯は混乱する。
エーデルが何を言わんとしているのか想像がつかない。
しかし、エリクシアは知っている。
クロ・クロイツァーが不死なのだということに。
「……クロは? クロはどこに……?」
そう、あのクロ・クロイツァーなら、過去に飛ばされたとしても寿命が尽きない。
ならばこの場所に戻ってきているのではないか。
「…………」
そして――エリクシアは、ゆっくりと、その人物を見る。
まさか、と。
そんなことがあるのかと。
たったひとりだけ、異質な存在がそこにある。
この場所に、異常な存在がいるではないか。
「約束の刻は来たッ!」
エーデルが声を張り上げる。
その姿は年端もいかないものながら、まさしく王者の気風を纏っている。
「永く、永く待たせてしまった。歴史は些細なことで変わってしまう。そのために、お主の行動を我らエルフの魔法で制限させてしまっていた。それは我らが予言の、時の民だからこその宿命であった。よくぞ……よくぞこれまで我慢し続けてくれた。だが、ようやくここに辿り着いた」
エーデルが万感の想いを込めて、王の演説をしていた。
「我が祖――ラグルナッシュ・エルフィンロードに代わり、
当代の長、エーデルヴァイン・エルフィンロードが宣言する!」
エルフィンロードの里のエルフは、このために共に歩んできた。
今、この時のために生きてきた。
すべてはたったひとつの約束のため。
「――最愛なるぼくらの友人よ、必ず、君を元の場所に帰してみせる――」
「…………っ」
その言葉を伝えられた相手は、万感の想いで聞き入っていた。
「約束は果たされた。もはや我らの枷はない。正体を隠す必要も、名を隠す必要も、歴史の影に隠れる必要もない。誰も知らぬ未来は開かれた。自由に力を使い、思うがままに行動せよ」
エーデルの言葉は、誰に言っているのかは明白だった。
「エルドアールヴよ、よくぞ……よくぞこれまで耐えてくれたのう。
礼を言うぞ。お主と共に在れたこと、我ら代々のエルフは誇りに思う」
「……いいや、礼を言うのはこっちの方だ。
ありがとう」
エルドアールヴが答える。
広場に集まった全員が、彼を見る。
エルドアールヴの仮面の、ウートベルガに傷つけられたヒビが大きく割れていき、ポロポロと崩れていく。
「……ああ、そんな……」
エリクシアが信じられないもの見る。
驚きは尋常なものではない。
しかし、彼女は常に言っていたのだ。
不死はこの世にたったひとりしかいないと。
「……似ているとは思っていたが……こんなことが……」
マーガレッタも同じく、その光景に見入っていた。
仮面が外れたその素顔。
どうしようもなく、見覚えがあるその顔に。
「…………」
シャルラッハやアヴリルは、その事実に驚愕し、絶句していた。
言葉も出ない驚きとはこのことか。
エルドアールヴから眼が離せない。
「さぁ……ゆけ。お主はもう、自由じゃ。
我らがエルフの古き友、『最古の英雄』――――」
エーデルが、両手を大きく前に出し、彼を祝福する。
どうか、彼のゆく末が幸せな結末でありますように。
英雄の門出を、王として、そして友として祝福する。
エルドアールヴ。
人類の守護者。
二千年前より闘い続けてきた、不死の大英雄。
史上最古の英雄。
彼の者の名は――
「――――クロ・クロイツァー」
かつて少年は夢をみた。
夢は憧れに変わり、やがてそれは渇望へ。
誰もが彼の無能を笑い、
誰もが彼の夢を嘲笑った。
しかし、
数多の修羅場をくぐり抜け、
文字通りの万死を越え、
死力を振り絞って、二千年という地獄を耐え抜いた。
少年は強く、強く、強く、
どこまでも強く、誰よりも、強くなった。
いずれそう成りたいと願い、ただひたすらに足掻いた。
いつかの幼き日、物語で見た伝説をその足で、ただひたすらに歩んだ。
英雄譚は少年と共にあり、少年はやがて本物の英雄となった。
最古の英雄クロ・クロイツァー。
エルドアールヴの物語はここで終わりを告げ、
歴史の影に胎動していた英雄は、今――ここに新生した。




