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エリクシアオブライフ ~不死の災いと悪魔の写本~  作者: ゆきわ
第1章『英雄胎動』編

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62 白銀と黄金の邂逅


 エリクシア・ローゼンハートは胸の前で、ギュッと手を握りしめた。

 胸中に溢れているのは、すさまじいまでの不安。

 今回の相手はあまりにも分が悪い。

 そう思わざるを得ないほど、デルトリア伯は不気味極まりない力を持っている。


 クロ・クロイツァーが悲鳴をあげたのだ。


 デルトリア伯の災い。

 黒いエーテルに触れただけで、クロの腕が腐り落ちた。

 あの災いが危険な代物だということがよくわかる。


 これまでの闘いで、クロは幾度となく負傷してきた。

 上半身が消し飛んだこともある。

 猛毒におかされたこともある。

 体を刺し貫かれたこともあった。

 どれも即死級の負傷だ。

 重傷というなら、それこそ数えきれないほどだ。


 けれど、クロがあれほどの叫び声を出したのははじめて見た。

 目の前にいる敵に注意を向ける余裕もなく、ただ苦しみに喘いでいた。

 あの我慢強いクロが、だ。


「…………」


 後方に待機しているウートベルガ。

 増殖という、とてつもない能力を持つ特級の魔物。

 あの魔物もたしかに気になるが、どうしようもないのはデルトリア伯の方だ。


 デルトリア伯の黒いエーテルに触れただけで即死級の攻撃を受ける。

 つまり、近づくことはできない。

 けれど、クロに遠距離攻撃の手段はない。


 クロとデルトリア伯の相性は想像以上に最悪だ。

 クロが倒せない相手。

 だからこそ、何よりも優先して倒すべきはデルトリア伯。


「……ッ」


 自分がやらなければ。

 自分の魔法なら、デルトリア伯に当てることができる。


氷姫の抱擁トライン・フロズ


 クロと洞窟にいた時、オーク相手に使った氷の魔法。

 対象をまるごと凍らせる魔法。

 あれなら、直撃さえすれば一撃でデルトリア伯を倒すことができるはず。


 ただ、『フロズ』は近距離の魔法だ。

 射程は短く、その間合いは5m弱。

 デルトリア伯の黒いエーテルとの境はギリギリだ。

 自分は不死でもなければ災いに対抗する手段もない。

 近づくのは自殺行為に他ならない。


 そして、魔法は残り一発だ。

 それ以上はもう体がもたない。

 ここに至るまでに、キュクロプスや群がってくる魔物に対して魔法を使った。

 デオレッサまで降臨させ、水竜の大魔法も使っている。


 グリモアから際限なく魔力を供給してもらえるが、肉体はただの人間だ。

 限界はとっくに通り越している。

 服の中では血が溢れ出している。

 幾度もの魔法の発動によって、耐えきれなくなった肌が裂けている。もう体は痛み以外の感覚がない。

 脆弱な自分の体が恨めしい。


 いま動けているのは、グリモアの魔力で糸人形のように動きの補強をしているからだ。

 次に魔法を撃ったら、もうそれすらもできなくなる。回復薬ももう残っていない。

 撃ててあと一発。

 泣いても笑ってもチャンスは一度きり。


「…………」


 これまでずっと、クロに助けられてきた。

 なら、今度は自分の番だ。

 彼を守れるのは自分だけ。

 もう守られるだけなのは――イヤだ。


「…………ッ!」


 エリクシアは決意を込めて、歩を前に出す。

 しかし、


「やめておくのじゃエリクシア」


「エーデルさん、でも……ッ」


「気持ちは分かるが、ダメじゃ」


 ダークエルフの彼女は、小さく首を振る。


「この硬直した状況はわらわの思い描いたとおりじゃ。そなたが動くことで、あのスライムに動き出されては敵わんからの」


「……時間稼ぎ」


「そういうことじゃ」


 エルドアールヴが来るまで、ひたすらに耐える。

 理に適った、それしかない最善の行動だ。

 しかしそれでは間に合わない。

 クロが危ない。

 デルトリア伯の災いは、多分、不死すら殺す。

 不死を殺すのは肉体的には絶対に不可能だが、精神的に殺すという方法がある。

 グリモアの災いでも、心までは不死にならない。

 クロの心が砕けた時、その瞬間、『不死殺し』が達成されてしまうのだ。


 不死は無敵ではない。

 だからこそ、エリクシアはクロの代わりにデルトリア伯を倒そうと考えていた。


「……でもッ…………――――?」


 その考えを伝えようとしたエリクシアは、言葉に詰まった。

 そのエーデルが、額に汗を流していたからだ。


「……エーデルさん?」


 それは緊張からくる冷や汗ではなく、すさまじい運動した後のような汗。

 よく見ると、エーデルは小さく息を刻んでいた。


「思った以上に、あのスライム……やりおるのじゃ」


「……まさか」


 エリクシアがウートベルガを見る。

 こちらを見て、ニヤニヤと笑っている。

 そう、この魔物がおとなしく傍観しているなんてあり得ない。


「……エーデルさんは、ずっと魔法で闘って?」


「うむ、あやつの毒の中和をし続けておる。わらわを褒め称えてもよいのじゃぞ?」


 砦外での戦場で、ウートベルガは毒を散布していた。

 この状況でも同じことをしていたのだろう。

 しかし、解毒魔法の使い手であるエーデルが、それを真っ向から止めている。

 宙に散布された見えない毒を、片っ端から解毒している。

 場を制する静かな闘いは、ずっと前からはじまっていたのだ。


 さすが、というべきか。

 魔法を得意とするエルフ族。

 その中でも特に秀でたダークエルフ。

 すさまじきはエーデルヴァイン・エルフィンロード。

 まさに王を名乗るに相応しい、卓越した魔法の腕だ。


「負けないでくださいよ、王さま。毒を撒かれたらそれで私たちは終わりなんですから」


「言われんでもわかっておるわ、たわけめ! ヴィオレッタよ、そっちこそわかっておろうな? もしスライムが突撃してきたら、そなたが盾になるのじゃぞ!?」


「当然です。エルドアールヴのためになることでしたら、この命、喜んで差し上げましょう」


 ヴィオレッタが言う。

 嘘偽りのない、真摯な声。覚悟溢れた声だった。


「ヴィオレッタ、間違ってもエルドアールヴの前でそんなことを言ってはならぬぞ」


「わかってますよ。本気で怒られますからね」


 エーデルも闘っている。

 ヴィオレッタも同じく、闘いの中にいる。

 その事実を知り、さらに焦燥を激しくするエリクシアだが、


「間違えるでないぞ、悪魔の娘エリクシア。そなたはこの場において最重要。あやつらの狙いはそなたじゃ。そなたとグリモアを取られれば我らの負けになる」


 諭すような声色で言葉を紡ぐエーデル。

 間違いなく彼女が正しい。


 デルトリア伯にグリモアを奪われればすべてが終わる。

 ページのひとつでも破られてもダメだ。

 グリモア詩編は誰でも扱うことができる。

 いまでさえ、デルトリア伯はあんなおそろしい災いを嗤いながら使っている。

 そんな人間がさらに凶悪な災いの力を手に入れたら――考えるだけで怖ろしい。


「クロ・クロイツァーを信じよ。知っておるじゃろう? アレはそう簡単に折れぬ。よいな? 待つことも、闘いのひとつじゃぞ」


「…………は、い」


 唇を噛みしめて、忠告を聞くエリクシア。

 首にかけているロザリオをギュッと握りしめて、焦燥感に堪える。

 信じて待つ覚悟を決め、それに準じようと決意した。

 そんな時だった。




「とんでもない場面を見ちゃいましたわ」




 その可憐な声は、唐突に聞こえた。

 エリクシアやエーデルらはハッとして、道端の建物――その屋根の上を見る。


「腕が生え替わるなんて。クロ・クロイツァー、あなたトカゲか何かだったのかしら?」


 闇夜を照らす光のごとく、麗しい黄金の髪。

 そこにいるだけで、すさまじい存在感を放つ少女。


「やぁ、シャルラッハ嬢。戦場での活躍は見ていたよ。竜王種ハイドラゴンを倒すとは、さすがボクが見込んだ女だ」


 デルトリア伯が乱入者に向かって、涼しい顔で言う。

 あの黒いエーテルは瞬時に消していた。


「アヴリル、この状況はどう見るべきかしら」


 話しかけられた当の本人は、デルトリア伯の言葉を無視。

 隣に立っている、背の高い女性に話しかけた。


「さて……あまりに想像を超えた展開で、ちょっと頭がおいついてないです」


 こちらは灰色の髪をした獣人ファーリー

 オオカミのような耳が頭にあり、毛並みの良いしっぽも見える。

 人狼ウェアウルフだ。


「まぁ普通そうよね。ええっと、クロ・クロイツァーがデルトリア伯と闘っていて、その護衛とにらみ合っている……エルフィンロードの王」


 黄金の少女がひとつひとつの状況を確認していく。

 いま、この場を支配しているのは間違いなく彼女だ。


「見た状況だけで判断するなら、エルフィンロードがグラデア王国を侵略しようとしているってところかしら?」


「助かったよ、シャルラッハ嬢。魔物が砦を襲撃した隙を狙って、この反逆者共がボクを暗殺しようとしているんだ。さあ、手を貸してくれ。ボクと共に、『悪魔』を退治しようじゃないか」


 ペラペラと口が回るのはデルトリア伯。

 悪魔という単語を出されたら、もうどうしようもない。

 問答無用で人類の敵と見なされる。


「……ちょ、ちょっと待って班長!」


 デルトリア伯と対峙しているクロが、黄金の少女に声をかける。


「黙りなさい、クロ・クロイツァー」


 しかし、彼女はそれを却下する。


「わたくしが話したいのは、そちらの――」


 少女の碧眼が、人狼の金眼が。

 一斉にエリクシアを見る。



「――『グリモアの悪魔』ですわ」



 名指しされて、エリクシアは身の危険を感じた。


「…………ッ」


 とてつもない威圧感。

 黄金の少女の体に滾るエーテルは、デルトリア伯のそれに引けを取らない。


 エリクシアは知っている。

 彼女たちのことを知っている。

 ドワーフの里を出て、人目から逃れるように冒険者をしていた時。彼女たちのことはイヤというほど噂に聞いていた。

 噂が勢いを増したのは3ヶ月ほど前から。

 彼女らが、このデルトリア辺境のグレアロス砦に赴任した時からだ。


 英雄の娘『暁の金翼』シャルラッハ・アルグリロット。

 異端の人狼『月下の凶獣』アヴリル・グロードハット。


 華々しい見た目も噂に拍車を掛けたのだろうが、その実力は本物だ。

 入団して3ヶ月。

 強いと評判だった副団長のマーガレッタ・スコールレインと瞬く間に肩を並べ、グレアロス砦三強女傑とまで言われている。


 クロと同じ班だと地下牢で聞いた時は、出会うことはまずないだろうと考えていたエリクシアだったが、まさかこんな最悪な形で顔を合わせることになろうとは。



「悪魔に問います。

 あなたは人類の味方? それとも、人類の敵かしら?」



 エリクシアは身を引き締める。

 これは、絶対に間違えてはいけない問いだ。

 もしも間違えれば命はない。

 それは、黄金の少女から発される威圧のエーテルからして明らかだ。


「わ、わたしは……」


 言わなければ。

 自分は人類の敵じゃない。

 真っ直ぐ、自信をもって、正々堂々と宣言しなければ。


「わたし……は」


 極度の緊張からか、頭の中に、これまでの記憶が流れた。

 訪れた村でグリモアが見つかった時、農具を手に追い回された記憶。

 入った山で山賊と出くわしたこともあった。

 善良そうな冒険者にダマされて、手荷物を奪われそうになったこともある。

 つい数時間前にも、この砦の住人や兵士に殺されかけた。

 溢れるのは苦く、辛い記憶。


 エリクシアにとって、人というものは魔物と大差なかった。

 見つかったら殺される。

 命を狙われる日々。

 油断なんてできやしない。

 隙を見せたら付け入られてしまう。


「わたしは……」


 本当に、心の底から人類の味方と言えるだろうか。

 自分はそんな風に思っているだろうか。


――わからない。


 たしかに、誰かが傷つくのを見るのは我慢できない。

 けれど、本当に本心から、自分は人類の味方と名乗れるだろうか。


――自信がない。


 黄金の少女はこちらの心の深奥を探っている。ウソは通じないだろう。

 視線の揺らぎ、仕草の違和や、声の抑揚で偽りは看破される。

 だからこその問い。


「…………」


 視界が揺らぐ。

 心が揺らぐ。


 いつだって、人は悪魔を糾弾してきた。

 忌み嫌われて、恨まれて。

 何か悪いことがあればすべて悪魔の所業にされてしまう。

 ノエラの元を離れてから、それからはまるで地獄の中にいるような気分だった。

 絶望だった。

 ノエラが死んで、この世界にたったひとり。

 周囲には敵だらけ。

 暗い深淵の中にいるような、光のない日々だった。


「…………」


 そんな誰も信じられないような世界の中で、手を差し伸べてくれたのが、クロ・クロイツァーだった。

 それからは人生が激変した。

 ガラハドと再会し、マーガレッタと出会った。

 さっき会ったばかりだけれど、エーデルもヴィオレッタも良い人たちだ。


「……」


 それもこれもすべて、クロと出会ったから。

 彼が、自分の取り巻く環境を変えてくれたのだ。




「――わたしは、クロの味方ですッ!!」




 口に出たのは、そんな言葉だった。

 まったく質問に答えていない。

 この状況では、そんな答えは何の意味もなさない。

 バカにしているのかと怒られても仕方ない。


 しかし、真っ直ぐに。

 本心のままに。

 エリクシアはその言葉を口にした。


「…………」


 黄金の少女は、その碧眼をまん丸にして、おどろいていた。

 そして、くすくす、と笑った。


「――そう。それがあなたの答えですのね」


 口元に手をあてて、上品に笑う。

 おかしくて堪らないといった様子だ。


「アヴリル。わたくし、決めましたわ」


「はい。シャルラッハさまの思いのままに。私も同じ思いです」


「ええ。では――」


 屋根の上から、華麗に跳ぶ。

 黄金の髪が夜に舞う。

 あまりにも優雅すぎて、エリクシアは見とれてしまう。

 黄金の少女が着地するまで、完全に目を奪われていた。




「わたくしは、この悪魔ちゃんの味方をしますわ」




 エリクシアの方に背を向けて、ウートベルガとデルトリア伯に剣を向けて。

 黄金の少女はそう言い放った。


「というわけで、エーデルヴァイン殿。我々も参戦します」


 灰色の人狼もまた、黄金の少女の隣に着地する。


「う……」


 こちらの味方をしてくれると言われたにも関わらず、エーデルはなぜか怯えている様子。


「子供のころ以来ですわね? エルフィンロードの王さま。一度だけ、グラデアの王城でお会いしたのを覚えているかしら?」


「……ヒェッ!?」


「あら? どうしたのかしら、そんなに怯えて」


 くすくすとシャルラッハが笑う。


「こ、こっちに来るでないわ! わらわに何をしたか忘れたとは言わせんぞッ!」


「わたくし、何かしましたっけ?」


「ぬけぬけと! あの時突然わらわに剣を突きつけてきたであろうがッ!

 あれ以来、剣がトラウマになったわボケッ!」


「それは初対面で毛虫をドレスの中に入れてきたからでしょう? 殺されなかっただけマシと思ってくださる?」


「ただの子供のイタズラじゃろうが! 本気になって殺そうとする方がおかしいのじゃ!」


「王さま……そんな昔から、変わっていないのですね」


 ヴィオレッタが頭を抱えていた。


「あなたは従者? 大変な苦労でしょうに……」


 同情するように、シャルラッハが労った。


「ええ……手を焼いております」


 ヴィオレッタがため息をつく。


「やかましいわ! い、いまは戦闘中じゃぞ! 場をわきまえんか!」


「あなたがそれを言うんですの?」


「く……ッ。だが……まぁよい。無礼な振る舞いはお互い水に流そう。まさかそなたに助けられることになるとは思いもしておらんかった。今回ばかりは助かるぞ」


「エルフの王さま、わたくしはそこの悪魔ちゃんが気に入ったから助けるの。勘違いしないでくださる?」


「相変わらず生意気じゃの、そなたは!」


「どっちがですの」


 グラデア王国を代表する貴族とエルフィンロードの王。

 このふたりはどうやら面識があるらしい。犬猿の仲っぽい感じだが。


「えと、あの……」


 しかし、エリクシアは突然のことに戸惑っていた。

 殺意を向けられていたと思ったら、次の瞬間に、自分の味方をすると宣言された。


「あなた、お名前は?」


 黄金の少女が向き直り、再び問う。

 先ほどまでの威圧はない。

 むしろ友好的でさえある。


「エ、エリクシアです」


「そう。わたくしはシャルラッハ。あなたとは良いお友達になれそうな気がしますわ。どうぞ、よろしくお願いしますわ」




 ◇ ◇ ◇




 クロはホッと胸をなで下ろす。

 どうやら、シャルラッハとアヴリルが敵になる事態は防げたようだ。

 デルトリア伯にウートベルガ、このふたり相手に時間を稼ぐだけでも至難なのに、彼女らも敵になってしまっていたらと考えると絶望しかないところだった。


「クロ・クロイツァー」


 シャルラッハが呼びかけてくる。


「あとで全部、何もかも話してもらいますからね?」


「うん。必ず」


 何も分からないまま、それでも助けてくれる。

 そんなシャルラッハとアヴリルに感謝しつつ、クロは真っ直ぐデルトリア伯に向き直った。

 一方、そのデルトリア伯はというと。


「な、なぜだッ!! なぜこんなヤツらの味方をする!? 悪魔だぞ!? 人類の敵だぞ!? シャルラッハ嬢、なぜボクと共に闘わない!!」


 声を荒げ、憤慨していた。


「クロ・クロイツァーやエルフの王が悪魔に魅了されているかもしれない……最初はそんな風に考えていましたけれど、実際に話してみたら、いいコでしたので味方したくなっちゃいましたの」


「そ、そんなあやふやな理由で……か?」


「あと、伯爵。あなたと一緒に闘うって選択肢は最初からないですわよ?」


「な、なぜだ……!?」


 狼狽するデルトリア伯を見て、くすくすと笑いながら、


「だってわたくし、あなたが大嫌いなんですもの。味方なんてするはずないでしょう?」


 シャルラッハが言い放つ。


「ギャハハハハハッ!!」


 大きく反応したのはウートベルガ。

 手を叩きながら大笑いしていた。


「振られたなァ! ザマァねェな、伯爵さんよォ!」


「――――――――ッッ!!」


 顔を真っ赤にするデルトリア伯。

 怒りが頂点に達したようだ。


「クロ・クロイツァー、キサマのせいで……ッ! 絶対に許さないぞ……ッ」


「いや、俺のせいじゃないと思うけど」


「黙れッ!!」


 バサッとマントをひるがえす。


「ウートベルガッ! 武器を出せッ!」


「アァ?」


「ここに来る前に、腹がすいたと武器庫の備品を食っていただろう! それをよこせと言っている! まだ消化していないだろう?」


「ふざけんな道具袋かよオレさまは、って言いたいところだが、散々笑わせてもらったからな。いまは気分がいい。何がいい?」


「――斧だ」


「ほう?」


 ウートベルガが瞼甲ベンテールをあげて、黒い影のような顔を出す。

 口の中に手を突っ込んで、ゴソゴソと長柄の斧を取り出した。


「お、良さそうなのがあったぜ。ほらよ」


 ブンッ、と乱暴に投げるウートベルガ。

 デルトリア伯がそれを受け取る。そして、ムッとした顔をした。


「……ヘドロがついているじゃないか……なぜ拭いてから渡さない?」


「贅沢言うんじゃねェよ!」


「これだから魔物は……」


 懐からハンカチを取り出して斧のグリップ部分を拭くデルトリア伯。


「よし。まだ汚いが、これでいい」


 スライムのヘドロがついたハンカチをポイッと捨てる。


「覚悟はいいか? クロ・クロイツァー」


「……何のつもりだ」


 わざわざ斧を指定してまで武器を取り替えた。

 あまりに不可解だ。


「何、さすがのボクも限度というものがある。クロ・クロイツァー、どうやらキサマには苦痛の地獄だけでは生温いらしい」


「…………」


「キサマのとしているもの、その全てをくじいてやろう」


 デルトリア伯は長柄斧を構えた。


「…………」


 クロから見て。

 デルトリア伯の構えは素人同然だった。

 おそらく、斧という武器を持ったことすらなかったのだろう。


「……何のつもりだ」


 もう一度、同じ質問をする。

 不可解すぎる。

 腰にある剣ではなく、わざわざ慣れない斧を手にした理由。

 意味がわからない。

 だからこそ、逆にそれが不気味で仕方ない。


「いいから来い。すぐにわかる」


 罠だ。

 間違いなく。

 しかし、いまデルトリア伯は黒いエーテルを、災いの力を使っていない。

 素のままの力を出している。

 すさまじい闘気だが、いまだけは接近できる。

 先ほどのように、自分を突撃させてから腐蝕の攻撃を放つ気だろうか。


「…………」


 何にせよ、誘いに乗るしかない。

 デルトリア伯を倒すには、どちらにしても、あの腐蝕の攻撃を乗り越えるしかない。

 それができるのは、不死である自分だけ。


「ハァッ!!」


 答えを出して、即行動。

 災いの力に注意しながらデルトリア伯に肉薄する。

 半月斧を振りかぶり、そして、思いっきり叩きつける。


「――――ッ!?」


「ふん」


 鉄と鉄がかち合う甲高い音が鳴る。

 こちらの攻撃に合わされた。

 半月斧はデルトリア伯に届かない。

 攻撃失敗。

 理解した瞬間、後ろへ跳んで距離を取る。


「…………」


 災いの攻撃は来なかった。


「ふむ。なるほど、こう……か? いや、こうだな」


 警戒しているクロとは正反対に、デルトリア伯はこちらを見ていない。

 斧の感覚を得ようと素振りをはじめる始末。


「……」


 クロは戦慄していた。

 慣れない武器で、自分の攻撃が防がれた。

 エーテルの使い方が巧いだとか、体術がすごいだとか、そういう話じゃない。

 いまの一合の攻防は、限りなく純粋な技量勝負だった。

 それはつまり、『才能』だけでクロの一撃が止められたと言っていい。


「重心は、剣とは少し違う位置か。こうか?」


 そして、構えた。


「…………ッ!?」


 これは一体、どういうことだろうか。

 突然、デルトリア伯の構えが良くなった。

 素人同然だったはずが、いまは熟練の斧使いに見えてくる。


「……何を、した……」


 クロの衝撃は計り知れない。

 まさか。

 まさかとは思うが、いまの素振りだけで、斧の使い方を学んだとでも言うのだろうか。


「クロ・クロイツァー、キサマはいつから斧を得物にした?」


「……え?」


「その感じだと、そうだな……斧を使いはじめて2、3年というところか?」


「……10年だ」


 英雄エルドアールヴに憧れて、斧を得物とした。

 できれば彼のように大戦斧ギガントアクス斧槍ハルバードを使いたかったが、当時のクロは子供で、そんな重い武器を持つことはできなかった。

 最初は村で木こりをしているおじさんから小さな斧をもらい、使い方を教えてもらった。

 それから、ずっと斧を扱っている。


「10年? そのザマでか? それは、くくっ、すまない。まさかそこまで才能がないとは思わなかった。悪く思わないでくれ。想像以上だったものでな」


「…………ッ」


 ギリッと唇を噛みしめる。

 言われ慣れているとはいえ、くやしいことには変わりない。


「なら、そうだな――」


 デルトリア伯は人差し指をひとつ立てて、こちらに見せる。


「――1分だ」


 デルトリア伯は嗤う。

 クロ・クロイツァーという人間のすべてをあざけるように。


「1分で、キサマの斧――その技術のすべてを。

 キサマの10年分の努力とやらを、ボクが1分で超えてやろう」




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