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6 シャルラッハ・アルグリロットは考える

「…………」


 訓練場から自室に戻ったシャルラッハ・アルグリロットはひとり考えに耽っていた。

 彼女の神秘的な碧眼はどこか愁いを帯びていた。


 こくりと小さな喉を鳴らして、あたたかいミルクを飲む。

 ほっと一息。

 コップを置いて、黄金の髪をくるくると指で弄ぶ。


 こうやってひとりの時間をたしなむようになったのは最近になってからの習慣だ。


 予備兵のころは女だけの大部屋で、数人で寝起きをしていた。

 けれど正規兵となった今はひとり部屋だ。


 すごく落ち着く。


 個人主義というわけじゃない。

 小さなころからアヴリルと一緒だから、別に誰かと共にいることが苦痛なわけじゃない。


 騎士団の仲間は竹を割ったような性格の子が多く、とても好ましい。

 貴族社会の女同士の精神的なかけひきが無いというだけでも天国かと思ったぐらいだ。


 ただちょっと、今夜は特に、ひとりで静かに考えたいことがあった。


 クロ・クロイツァーのことだ。


 彼と出会ってから、彼のことを考えなかった日が一度たりともない。

 それほど鮮烈な出会いだったから。


「わからない、ですわ」


 考えを少しまとめるためにつぶやいた独り言は空しく部屋に響くだけだった。

 シャルラッハが考えるのはただひとつ。



――クロ・クロイツァーが弱いこと。



「……あり得ない」


 訓練場で見た彼は、どう見てもただの一般人だ。

 騎士団の入団試験のときも、そしてこれまで任務を共に過ごした3ヶ月間、どう考えても彼はただの人間だった。


 けれどシャルラッハはそれに疑問を抱く。


――なぜ、と。


 その理由の根源は、クロ・クロイツァーとの出会いにあった。




 ◇ ◇ ◇




 3か月前のこと。

 シャルラッハ・アルグリロットは驕っていた。

 それは、天性の才からの絶大な自信からくるものだった。


 英雄『雷光の一閃』のひとり娘。


 英雄のその力を受け継いだ、ただひとりの継嗣。


 その才の器は父親よりも大きく深い。

 けれど実力は父親には遠く及ばない。


 それは決してシャルラッハが努力を怠っているからじゃない。

 ただ単純な事実として、経験が圧倒的に足りないだけ。


 積み重ねてきた時間の差。


 しかしそんな実力の差もやがては縮まり、彼女もいつか英雄である父親よりも強くなる。


 そしてグラデア王国に、

 もっと言えば『魔境アトラリア』と対をなす、

 人類の支配圏である『人境レリティア』に、

――世界全土に、シャルラッハは新たな英雄の伝説を作っていくだろう。


 父親や周囲はそれを期待し、自身もそうなるであろうことを確信的に理解していた。




 13歳になった年、父親のもとから離れることになった。

 父親がまとめ上げるアルグリロット騎士団にずっといるだけでは、どうしても見識が狭くなる。


 シャルラッハは父親のようになるのではなく――越えなければならない。



 グレアロス騎士団への入団。



 それはシャルラッハにとって次代の英雄になるための足掛かりであり、父親に追いつき追い越すためのはじまりの一歩だった。


 グレアロス騎士団でその才の器を育て上げていく、というのが目的だった。

 父親もそれを了承し、先を見越した娘の行動に感動すらしていた。


 しかしシャルラッハは驕っていた。

 自分が想像していた以上に。



 グレアロス騎士団の本拠地がある王都についた彼女は、自分の新たな旅立ちに舞い上がっていた。


 ほんの少しの稚気だった。


 王都への道のりは馬車での移動だった。

 アヴリルが引く馬車の景色に飽きてきていたときのこと。

 ようやく王都が目前に迫った道の途中でのことだ。


 決して短くはない日数を、窮屈な馬車のなかで過ごしていたシャルラッハは、窓から見た王都に、普段ではあり得ないほどに興奮してしまっていた。


 王都までの――シャルラッハにとっては――ちょっとした距離を移動しようと、馬車を飛び降り、アヴリルの制止を聞かず、『雷光』での突進をした。


 景色が高速で流れていくなかで、彼女は人生最大の失敗をしたことに気づいた。


 自分の想定以上に『雷光』の速度が高まっていたのだ。


『雷光』は爆発的な移動である。


 一歩の踏み込みだけで実現する、超高速の移動技。

 そのせいか、技の終わりの着地まで地面に足がつくことはない。


 つまり、技の途中で自分の意思では止まれない。


 使いどころが非常に難しい技で、英雄の技と謳われるほどの威力。

 だからこそ、力を調整することに気を配る必要があった。


 しかし、興奮から来るエーテルの高まりからか、あるいは馬車でのストレスが原因か。シャルラッハがこれまで体験したことのない、限界以上の速度が出てしまっていた。

 着地位置は、想定の場所よりも遙か向こう側。


 過ぎる景色は一瞬のもの。

 王都への道は疾うに走破してしまった。


 目の前には王都の外壁。


 本来ならもっと手前で着地する予定だった。

 完全に、『雷光』での移動距離を見誤った。



――止まれない。



 このままではぶつかる。

 シャルラッハはその速度こそ尋常を逸脱しているが、体そのものは平凡の域を超えない。平凡と言っても、騎士のなかでの平凡だが。


 この速度で壁にぶつかるというのは自殺行為にほかならず、良くて重傷、悪ければ即死。


 なんてマヌケ。

 力をもてあました者の末路は、父親から何度も言い聞かされて理解していたはずなのに。


 刹那の時間のなか、シャルラッハは自分の愚かさに自嘲の笑みを浮かべ。

 最悪の事態――死を覚悟した。


――そのときだった。


 眼前に出てきたひとつの人影。

 アヴリルではない。

 父親でさえ自分に追いつけないのだ。アヴリルがいるはずがない。


 つまり、通りすがりの人だ。

 やってしまった、と思った。


 最悪の事態を想定して覚悟した自分を呪った。

 それ以上の最悪がここにあった。


 自分の力をコントロールできず、ひとりで死ぬのならまだしも、見知らぬ誰かを巻き込むなんて、英雄の娘として、いや、人としてバカすぎる。


 衝突する寸前、目をつむったシャルラッハ。

 しかし、いつまで経っても衝撃はやってこない。




「ケガはない?」




 目を開くと、そこには黒髪の少年の顔が近くにあった。


 自分の体を見ると、その少年に支えられているのが分かった。

 いわゆる、お姫さま抱っこをされていた。


 しかし、それをされる恥ずかしさよりも、頭のなかにあったのは疑問だった。


「なん……で?」


 その疑問はいくつもの意味があった。


 どうして自分は生きているのか。

 どうして少年は無事なのか。

『雷光』の衝撃はどこにいった?


 しかし誰に言われるわけでもなく――ああ、と気づいた。



 これは『戦技』だ。



 戦技は達人を超える技の極地。

 闘気でもって為し得る奇跡の御業。


 レリティアの武芸者なら一度は夢想する修練の結晶。

 魔物との戦乱から生み出された超絶技巧。


 自然の力を操る魔法とは対極の位置にある夢想の境地。


 シャルラッハは英雄の血脈を受け継ぎ、アルグリロット家に代々伝わる戦技『雷光』を使うことができる。

 そしてその高速移動を使って、戦技『斬鉄』に至っていた。


 おそるべきことに、シャルラッハはこの歳ですでに2つの戦技を会得している。

 彼女が天才だと言われる所以はそこにある。




 戦技はめったにお目にかかれない。

 使える者が少ないからだ。

 しかし、今。

 その戦技が目の前に現われた。


 シャルラッハは戦技の数々を頭に思い浮かべる。

 そして、記憶の中にあるそれに辿り着く。


 戦技の中には、衝撃を完全に散らし、威力を相殺する絶技がある。


 戦技は世界に数有れど、この戦技を会得した者は、レリティアの歴史でも五指に満たない。それほどに希有なものだ。


 しかし、疑問のすべてはその戦技で解決できる。

 まさかとは思ったが、けれどそれしかない。



 つまり、雷光が〝いなされた〟のだ。



 これ以上なく、完璧に。

 完全に。


 英雄が英雄たる技の、その神髄が打ち破られたに等しい。


 衝撃を相殺するタイミングは、ほんの僅かな狂いも許されない。

 一瞬のミスが死に繋がる。

 それを、この少年は成し遂げたのだ。

 なんでもないことのように。平然と。


 あり得ないとは思う。

 しかし、それしか考えられない。

 あり得ないが、信じられないが、それしかない。


 きっとこの少年は、さぞや高名な戦士か、偉大な冒険者か、あるいは自分の知らない英雄の誰かなのだろう。

 そう結論付けて、シャルラッハは思考の渦から舞い戻る。




 お姫さま抱っこをされているのを再び確認して、赤面する。

 しかし恥じらっている場合ではない。


 この少年は命の恩人だ。

 貴族として、そしてひとりの人間として、しっかりと礼節を示さなければ。


 少年に礼をしようと声を出そうとしたその瞬間。


「――――え」


 息が止まった。

 見惚れた――と言っていい。


 腕に抱える自分を見て、少年が涙を流していた。


 何がどうなっているのか分からない。

 男の人の涙を見たのはこれが人生ではじめてだった。


 どうしたらいいのか、分からない。


 まるで時間が止まってしまったかのように、シャルラッハは固まってしまった。




 結局。

 少年はそのまま立ち去ってしまった。


 その後ろ姿をシャルラッハはずっと眺めていただけだった。

 ようやく動けるようになったのは、全速力で走ってきたアヴリルに声をかけられてからだった。




 おどろいたことに、少年との再会はすぐだった。


 入団試験は毎日あって、今日は全部で5名の希望者がいた。

 そこに彼はいた。


 彼の名前はクロ・クロイツァー。


 心臓が高鳴る。

 きっとこれは運命なのだと、シャルラッハは思った。




 ◇ ◇ ◇




 思い出から意識を戻して、シャルラッハがため息をひとつ吐く。


「どうしてなのかしら」


 あれだけのことを平気で出来る人間が、弱いはずがない。


 まぐれだったのか? 偶然だったのか?

 あり得ない。


『雷光』は英雄の技だ。

 それを別の戦技でいなしたのだ。

 打ち破った、と言ってもいい。

 まぐれや偶然などと、そんなことがあってたまるものか。


「わからない……ですわ」


 しかし、クロ・クロイツァーは、ただの凡人だ。

 今日も確かめた。


 彼の体つき、筋肉の動き、腕、足、そして首や頭。

 触れて、撫でて、指をはわせて確かめた。


 表情やちょっとした仕草。

 エーテルの質。

 そのすべてを観察し、記憶のなかの少年と照らし合わせた。


 もしかしたら他人のそら似か、双子の兄弟か、あるいは自分の勘違いだったのか。

 何度も、何度も確かめた。


 結論はやっぱりいつもと同じ。


 クロ・クロイツァーは、『雷光』を受け止めて自分の命を救ってくれたあの少年だ。

 絶対に間違いない。

 見間違えるものか――自分の命の恩人を。


 だからこそ、わからない。

 謎すぎる。


「本人に聞いても、知らないの一点張り……なぜ嘘をつくのかしら?」



――クロ・クロイツァーには得体の知れない〝何か〟がある。



「ふふ」


 いつかその真実にたどり着けることができたなら。

 そのときこそ、あのときのお礼を言おう。


「そういえば今日は、足を撫で回されたのにはビックリしましたわ……」


 よく考えたら自分も同じようなことをしている。

 そう考えたら、急に恥ずかしくなって逃げてしまった。


 でも、ぜんぜんイヤじゃなかった。

 彼に触れられるのが嬉しい自分がいたことにもビックリした。


「どうしてかしら」


 まだまだ子供のシャルラッハに、その理由は分からない。

 この世界には、分からないことが多すぎる。


「クロ・クロイツァー」


 彼の名前を声に出してみた。

 特に意味はない。

 少しだけ、心拍数があがった。


 シャルラッハはそうしてまたクロ・クロイツァーについて考える。

 飽きもせず。

 毎日、毎日。



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