57 少女が騎士になった理由
ウートベルガとの戦闘でできたクレーターのなかで、クロたちはつかの間の休息を得ていた。
「ごめんなさい。食料はこれで全部です」
エリクシアが最後のパンをクロの口のなかに入れた。
もぐもぐと咀嚼する。
結局、2週間分の食料をすべて平らげてしまった。
大食にもほどがある。
「ありがとう。もう大丈夫」
十分とは言えないが、これでエーテルはかなり回復したハズだ。
体中を貫かれた傷はもう癒えている。
「よし、あとは両腕の『再生』を待つだけだ」
まだまだコレには時間がかかりそうだ。
痛みも幾分かマシになってきた。
「……黒い霧で傷口が隠れてても、やっぱり腕が生えてくるのを見るのは気持ち悪いですね」
「ホント容赦ないね」
たしかはじめて会ったときもそんなコトを言われた覚えがある。
あのときは警戒されていたからか、いまよりもかなり辛辣だった。
いま思うと、今回の状況はあのときと似ている。
ハイオークのガルガと闘い、洞窟でエーテル切れになった。そうしてエリクシアにスープを飲ませてもらった。
今回も闘ったあとの世話はエリクシアに丸投げだ。
まったく成長していない自分に頭を抱えたい思いだったが、あいにくいまは両腕がない。
かいがいしく世話をしてくれるエリクシアは、どこか家族のような柔らかな印象を受ける。クロ自身が家族というものを姉代わりのマリアベールしか知らないせいか、あるいはデオレッサの言葉のせいか、まるで妹のように感じる。
「……『妹』みたい……か」
クロと同じ印象を抱いたのか、マーガレッタがつぶやく。
そしてすぐハッとして手で口を押さえた。
思わずデオレッサの言葉を反芻してしまった、という感じだった。
「……副団長」
――妹。
おそらく、それはマーガレッタにとって深く重い意味を持つ。
「……」
「……」
沈黙が続く。
マーガレッタのただならぬ様子を察したのか、エリクシアも口をはさまなかった。
「……すまない。空気を重くする気はなかったんだ」
「……いえ」
彼女の事情がどんなものなのかは、これまで聞いたコトもない。
前から気にはなってはいたが、興味本位で聞けるハズもない。
「ふぅ……このまま黙って回復を待つワケにはいかないな。今回の闘いが終わったら話そうとは思っていたが……」
意を決したように、マーガレッタが口を開いた。
「2人とも、少し私の話を聞いてくれないか」
クロとエリクシアは姿勢を正して、深く慎重に頷いた。
戦闘の合間。
そのほんのわずかな時間。
マーガレッタの過去が開かれる。
「私の、妹の話だ」
それは、ひとりの少女が騎士になった経緯だった。
マーガレッタ・スコールレインは、どうして闘いへの道へ進んだのか。
◇ ◇ ◇
4年前。
マーガレッタ・スコールレインは、グラデア王国の王都で暮らす、18歳の少女だった。
両親が流行り病で亡くなって、それ以来、マーガレッタは7つ年下の妹と2人で生きてきた。
生活はたしかに苦しかったが、周囲の優しい人々に助けられるコトもあってか、慎ましいながらも飢えることなくやってこれた。
転機となったのは、地方の街で開かれる祭り。
そこへ向かう行商の一団に入ったコトがキッカケだった。
「もしかして、ゴルドアの年1回の大商祭ですか?」
「知っていたか。そうだ」
クロの問いに、マーガレッタが答えた。
「有名な祭りなんです?」
エリクシアが聞く。
「うん。相当大きな祭りで、7日間かけてやるらしい。ゴルドアがちょうど国境の近くにあるから、聖国アルアとか他の国からも客が来るって聞いたことがある。人が集まるから一攫千金を目指して商人たちも数ヶ月単位で準備してるって話。毎年同じ日時に開催するから、もうちょっとしたら祭りの時期だね」
「やけに詳しいな? 同志クロイツァー」
「はい。ヴェイル……同期なんですけど、ゴルドアは彼の故郷で、よく話をしてくれてました」
「なるほど」
再び話は過去に戻る。
王都からの行商は数台の馬車での大移動だった。
商人と護衛、そのお手伝い。男女と子供も含めた人数は約30名。
マーガレッタらは荷物が落ちないよう、番をしていた。
馬車を引く馬も生き物だ。
馬の機嫌が悪く、どうにも思ったようなスピードが出ない。
予定を大幅にオーバーしてしまい、もう祭りの前日になっていた。
事件はそんな時に起こった。
――魔物の襲撃。
街から街を繋ぐ主要な道は、基本的に王国騎士団の警邏隊が巡回している。
危険な区域を通る時、大所帯の場合には警邏隊がついてきてくれる。
しかし、旅の予定が大きく遅れてしまっていたマーガレッタらの行商は、運悪く警邏隊と出会えなかった。
そういう時は安全を重視して警邏隊を待つのが通例だ。
けれど、祭りに間に合わないと焦った商人たちは、自分たちだけでその道を走っていた。
雇った護衛もいたこともあって、危険な区域とはいえ大丈夫だと思ったのだろう。
誤算だったのは、前例にない強力な魔物がいたコトだった。
中級の魔物。
魔人樹。
中級のなかでも上位に入るほどの魔物。
当然、雇われの護衛では歯が立たない。
行商たちは必死で馬車を走らせ、逃走する。
腕のような長い枝をうねらせて追ってくるドリュアス。
そして、悲劇は起こった。
「揺れに揺れる馬車のなかで荷物の番をしていた私たちは必死に耐えていた。だが妹が……馬車から、弾き飛ばされたんだ……」
おそらくは馬車が石か何かを踏んだのだろう。
大きく傾いた馬車。
そこから落ちてしまったマーガレッタの妹。
いったい、どれほどの絶望だっただろう。
「…………」
クロもエリクシアも、言葉を返すことはできなかった。
マーガレッタの重く深い独白が続く。
「……私は、馬車から投げ出された妹の手を掴めなかった……。あのコも私に助けを求めて、手を伸ばしていたのに……ッ!!」
マーガレッタは話さなかったが、彼女なら間違いなく妹を助けようと馬車を降りようとしただろう。
しかし、馬車に乗っていた他の人間に止められる。
妹を残して走り去っていく馬車。
妹の名を呼んで泣き叫ぶマーガレッタ。
そんな光景が当たり前のように頭に浮かんだ。
「……私は、妹がドリュアスに捕まったのを、見てしまったッ!
なにもできずに……ッ! 見ていた……だけだったッ……」
「…………」
ドリュアスは凶悪な魔物だ。
出現報告があった場合、すぐに討伐隊が結成される。
樹が魔物化したようなドリュアスは、人を遊び殺す性質を持っている。
人を攫い、自分の巣に持ち帰り、まるで人形遊びのように人を弄ぶ。
その扱い方は尋常でなく乱暴で、11歳の少女がそう何時間も耐えられるものじゃない。
「……すまない。少し取り乱した」
「……いえ」
「……私が貴公らにこの話をした理由は、ここから先を聞いてもらいたいからなんだ」
「……?」
どうやらこの話にはまだ続きがあるらしい。
クロとエリクシアは姿勢をさらに正してマーガレッタの言葉を待った。
「その後、商人たちは騎士団に連絡をとった。そしてドリュアス討伐隊が結成された」
いまでこそ騎士団の副団長として英雄候補の一角と謳われるマーガレッタだが、当時は闘いのイロハも知らないただの少女だ。
首を長くして討伐隊の報告を待っただろう。
「せめて仇を。私はその思いに支配されていた」
馬車で一度逃走し、その後、騎士団の警邏隊と接触。
そして討伐隊がドリュアスの巣を探し出すまでの時間。
明らかに、妹の生存は絶望的だ。
「……」
「けれど、妹の遺体はなかった」
「…………え?」
「討伐隊が巣を発見したときには、すでにドリュアスは死んでいたらしい」
「……と、いうコトは……」
彼女の妹は、誰かに助けられた可能性がある。
つまり、生きている?
「謎なのは、それ以来、妹の安否が分からないんだ」
「……どういうコトです?」
エリクシアが話に入る。
ちょうど自分も同じコトを思った。
「そのままだ。ドリュアスが私の妹を攫って巣に運んだ。そして討伐隊が数時間後に巣を見つけたときには、妹はいなかった。
別個体のドリュアスだったというコトはまずあり得ない。巣のなかに妹の服の切れ端が残っていたからな。他の魔物がドリュアスを殺した可能性も、おそらく無い。あの区域ではドリュアスを倒せるような魔物は存在しなかった」
「つまり、誰かが副団長の妹さんを助けた可能性がある。でも、4年も経ったいまでも行方不明……と」
「……そうだ。妹が生きているのか死んでいるのか。それすら分からない」
助かったなら、どうして妹が戻らないのか。
もし死んでいるなら、その誰かはどうして遺体を回収して隠したのか。
「だから私は、妹を捜すために騎士団に入ったんだ。情報が一番入りやすいからな」
「……上の立場になればなるほど、情報が入りやすくなる」
「そのとおりだ」
だから、『副団長』なのだ。
天才だった彼女が。
それまであまり努力をしたことのなかった彼女が、本気になって上を目指した。
そうして22歳の若さでグレアロス騎士団の副団長に就任し、騎士号を叙勲することになった。
すさまじい才能と執念だ。
もちろん、騎士として民を守ろうとする彼女の意思も本物だったからこそ、成し遂げられた偉業だろう。
「……貴公らにひとつ頼みたいコトがある」
「……?」
「貴公らはこれから先、グリモア詩編を探す旅に出る予定なのだろう?」
破られた12枚の詩編。
それをまず集めるのが、自分たちの目的だ。
いまはデルトリア伯が持っているであろうグリモア詩編を取り戻すのが先決だが、それが終わったら多分、レリティア中を巡るコトになる。
「はい」
「もし妹の情報を手に入れたら、私に知らせてくれないだろうか」
マーガレッタの声は切実だった。
「情報を集めるために、上の立場になった。だが逆に、簡単には動くコトができなくなった。私はもう騎士団の副団長だ」
デルトリア辺境、およびグレアロス砦を守る長だ。
そう簡単には動けない。
彼女は職務上、この地域から離れるコトはなかなかできない。
それぐらいに副団長という立場は重い。
だからこそ、妹の安否情報を手に入れたい思いと、副団長として責務を全うする思いが、マーガレッタ自身のなかでぶつかり合っている。
「これが私のワガママなのは分かっている。だから旅のついでで構わない。せめて、妹の生死だけでも、知りたいんだ……」
ゆえに、この頼み事。
彼女にとって切実な願い。
「これは副団長としてではなく、ただひとりの人間として……頼む」
マーガレッタ・スコールレインが座った状態で頭を下げる。
地面に拳をつけて、他でもない、自分たちに向けて。
「エリクシア」
「はい。クロの思うままに。わたしも、同じ思いです」
エリクシアは微笑む。
彼女なら、そう言うと思った。
「副団長。いえ――」
言い直す。
いまはその呼び方は妥当じゃない。
「――マーガレッタさん。妹さんを見つけてみせます。必ず、あなたのもとに連れ戻します」
あえて妹の『情報』とは言わなかった。
マーガレッタが真に望んでいるのは情報なんかじゃない。
妹の帰還だ。
4年。
そんな長い期間、行方が分からないなら発見は絶望的かもしれない。
でもそれでも。
もし仮に、妹が死んでいたとしても、必ずマーガレッタのもとに取り戻す。
クロはそう約束した。
「……っ……」
ガバッと顔を上げるマーガレッタ。
その冬の湖畔のような青い両眼には涙がにじんでいて、春の雪解けを思わせる。
「すまない、恩に着る……」
そう言って、マーガレッタが涙をぬぐって。
――顔を上げた瞬間だった。
「――危ないッ!!」
マーガレッタが叫んだ。
次の瞬間、ドンと、クロの視界がブレた。
マーガレッタに体を押されたのだ。
突然のコトで抵抗すらできなかった。
「……えッ!?」
クロの腕はまだ完全に『再生』していない。
手をつくコトもできずに地面に倒れ込む。
「ケケケッ! すげェ反応だな、女ッ! オレさまの『奇襲』が失敗したのははじめてだ。スライムとしてショックだぜ」
その声を聞いた瞬間、ゾッとした。
悪寒が走った。
そんなバカなコトがあるだろうか。
「クロ・クロイツァーを狙ってたんだが……。
ああ、でも。たしかテメェは『斬空使い』だったよな? まあ、厄介な方を先に仕留められたってコトで、コレはコレでよしとするか」
「副団長ッ!!」
「ぐ……あ……ッ……ッッ」
真っ黒の液体が、マーガレッタの全身にかかっている。
直感で理解した。
これは『猛毒』だ。
自分を庇って、マーガレッタが代わりにソレを浴びてしまったのだ。
「この『斬空使い』に感謝しろよォ? コイツが庇わなけりゃ、テメェがそうなってたんだぜ、クロ・クロイツァー」
マーガレッタの近く。
漆黒のスライムがそこにいた。
「この毒は強烈だぜ。『兄弟』が戦場に撒いてた毒を凝縮したようなモンだからな! お別れを言っておいてやれよ? この女、もう数分保たねェぞ!」
そんなバカな、そんなバカな。
倒したハズだ。
間違いなく手応えはあった。
この手で、絶命させたハズだ。
けれど目の前にいるソレは間違いない。
「ウートベルガ……ッ」
感情の高ぶりと同時、クロの両手が一気に『再生』する。
近くに置いてあった半月斧を手に、ウートベルガに斬りかかる。
マーガレッタの近くにいたウートベルガは、後ろに跳んでクロから遠ざかる。
「たしかテメェが『兄弟』にトドメを刺したんだったな。テメェの方はどんな戦技か分からなかったが、絶対に食らわねェぞ」
「…………ッ」
クロは、ウートベルガの死体があった場所を見た。
そこには黒い水たまり。
死んだときと変わりない。
間違いなく、それがウートベルガだったハズだ。
つまり、目の前にいるこの黒い人型のスライムは別個体?
いや、しかし、そうだとは思えない。
一度闘った相手だ。
クロには、この目の前のスライムも、ウートベルガにしか思えない。
「なんなんだ、お前は……」
「ああ、自己紹介をしてなかったな。
はじめまして。オレさまも、ウートベルガだ」
◇ ◇ ◇
「これはおもしろいコトになったな……」
グレアロス砦東門の壁内部。
双眼鏡で、戦場にできた巨大なクレーター部分を覗いていたデルトリア伯が言う。
「キサマ、『兄弟』と言っていたな。ボクはてっきり、義兄弟のようなものだと思っていたんだがな?」
全身甲冑の魔物に問いかける。
いや、問い詰めていると言ったほうが正しい。
「あん? 何かおかしなコトでもあったか? 兄弟っていやぁ、普通は血の繋がった、とかそういう意味だろう」
「ふざけるなよ、『特級の魔物』。キサマのようなスライムがそう何体も生まれてきてたまるか。戦場にいるアレは、お前だな?」
「さぁて、どうかな」
あくまでもシラを切るプレートアーマーの魔物。
しかし、
「いい加減にしろ、ウートベルガ。
ボクはもう騙されないぞ」
睨むデルトリア伯は、そのあとすぐに考え込んで、
「……そうか、キサマはスライム。『分裂』か」
答えを出す。
しかし、プレートアーマーの魔物――否、ウートベルガは「ケケケ」と笑う。
「そんな程度のスキルなら、オレさまはただの特級だ。
忘れたか? オレさまは『序列入り』をしてる魔物なんだぜ」
「…………」
魔境序列・第70位。
魔物のなかで、70番目に強い魔物。
それがウートベルガだ。
「普通のスライムでも持つスキル『分裂』。アレは体を分けるからどうしても強さも分散しちまうんだ。エーテルもな。つまり分裂すればするほど弱くなる」
「……たしかに、そうだな」
デルトリア伯が頷く。
ウートベルガは誇らしげに力説する。
「――オレさまのは『増殖』だ。広い魔境アトラリアといえど、このオレさましか持たねェ、固有特性」
「つまり?」
「オレさまは、この強さのまま増えるコトができる」
その言葉を聞きながら、デルトリア伯は涼しい顔をしていたが、内心では尋常でない衝撃を受けていた。
心の動揺を表に出さず、嫌味を言った。
「バケモノめ」
「そう褒めんなよ」
ケケケと笑うウートベルガを横目に、デルトリア伯は考える。
「…………」
『増殖』。
それはつまり。
事実上の不死身。
横にいるこの魔物を、倒す術が無いというコトだ。
「……バケモノめ」
ウートベルガに聞こえないように口のなかだけで。
デルトリア伯は同じ言葉を、もう一度、つぶやいた。




