表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エリクシアオブライフ ~不死の災いと悪魔の写本~  作者: ゆきわ
第1章『英雄胎動』編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

53/153

53 ひとつの時代を終わらせた、始原の神雷


 ウートベルガが空の上で水竜の名を叫ぶ、ほんの数分前。

 クロ・クロイツァーとマーガレッタ・スコールレインは、獅子奮迅の活躍を見せていた。


「ハァアアアアアッッ!!」


「セァアアアアアアッ!!」


 クロの半月斧が、自分よりも巨大な魔物を吹っ飛ばす。

 マーガレッタの剣閃が、魔物の体を両断する。


 息をつくヒマもなく襲ってくる魔物たち。

 魔物に円状に囲まれている窮地。

 前後左右から来る攻撃の嵐。

 そのことごとくを凌いでいく。


 この場で2人が倒した魔物の数はもはや100は優に超えている。

 多勢の魔物に囲まれながらも、それでもこの2人の優位は揺るがない。


「そっちから来るぞ、同志クロイツァーッ!」


「はいッ!!」


 マーガレッタが熟練の読みで魔物の動きを看破する。

 間隙を突こうとした小癪な魔物を、クロが半月斧の一撃にて撃破する。


「よし、そっち側は貴公に任せるぞ」


「はい!」


 マーガレッタとの共闘はやりやすかった。

 長年コンビを組んでいたのかと錯覚しそうなほどだ。

 しかし、


「……副団長は、大丈夫ですか!?」


 毒の進行が心配だ。

 合流したときからすでに血を吐くほどだったのだ。

 闘いに次ぐ闘い。

 止まることのない魔物たちの猛攻。

 本来なら安静にしていなくてはならないハズ。

 ここまで激しく体を動かしていては、体調は悪化するばかりだろう。


「誰に向かって言っている」


 クロの言葉に「ふん」と強気に笑うマーガレッタ。


「ここにいるのはグレアロス騎士団の『副団長』だぞ?」


 毒に蝕まれながらも、それでも自分と同等以上に闘っているマーガレッタ。

 おそるべきはその精神力。

 症状からして立っているのがやっとのハズだが、彼女を動かしているのは強靱な意志。


「愚問でしたね」


「この程度で弱音は吐けん。なにしろ、まだまだ敵の増援が来るからな」


 魔物の相手をしながら、意識だけをアトラリア山脈に向ける。

 暴風が迫ってきているようなピリつく感覚が肌を刺す。


 すさまじい数の魔物。

 それがまた新たにグレアロス砦を目指して来ているという事実。


 いち早く察知したのは、砦の壁上から戦場の様子を観測していた偵察部隊だった。

 その絶望に物怖じすることなく、偵察部隊はすぐに情報伝達の動きを取った。


 まず伝令部隊と連携を取り、いままさに戦場で闘っている役職幹部たちへと早馬を送り、直接口頭で危機を伝えていた。

 そして、最前線で闘う副団長マーガレッタの元に伝令部隊の兵がやってきたのが、ついさっきのことだ。


「ハァ……ハァ……よし、ここらの魔物はだいぶ減ったな」


「こんなに魔物を倒したのは……生まれてはじめてですよ」


「私もだ」


 魔物と闘っているその流れで背中合わせになるクロとマーガレッタ。

 こうやって定期的に会話をすることで、互いの状態を確認する。

 毒熱のせいもあってか、2人とも滝のような汗が流れている。


「たしか伝令の人の話じゃ、敵増援はいまの魔物と同等の数……って話でしたよね?」


「そうだ、弱音はソレが来たときに吐くことにするさ」


 合わせると万を超える魔物の数。

 もはやどうすることもできない事態だ。


 体力・気力は刻一刻とすり減っていく。

 おまけにこの戦場には毒が満ちている。

 その元凶である特級の魔物はいまだ空の上にいる。


 考え得るかぎり、最悪の事態だ。

 これが敵の策なのだというのなら、極悪なコトこのうえない。


「ともかく、いまやれることをやろう。負けるワケにはいかん」


「……はい!」


 減ってきたとはいえ、まだまだ信じられないほどの数の魔物が周囲にいる。

 自分たちの目的はただひとつ。


「――エリクシアには近づかせない」


 魔物はエリクシアを優先的に狙っていた。

 魔物に囲まれた空間の中心で、エリクシアは怖れる仕草を見せることもなく悠然と立っている。



「――『永劫の暗闇に光るは暴竜の猛り。無垢なる少女は無力がゆえに、強大な力に庇護される。寄り添う両者は、互いに互いを支え合う』――」



 並々ならぬ魔力エーテルを練りながら、言霊を紡いでいくエリクシア。

 グリモアからは漆黒の霧が大きく立ち昇っている。

 周囲の魔物は、この正体不明のエーテルに引き寄せられていた。


 エリクシアはグリモアに書かれてある文字を読むことに集中している。

 どこからどう見てもスキだらけ。

 これでは魔物に殺してくれと頼んでいるようなものだ。



「――『かの少女は狂気の安寧に浸り、暴虐の化身は己が慈愛に溺れゆく。これこそは誰も届き得ぬ奇跡の境地、尊き絆』――」



 しかし、エリクシアは憶すことなくグリモアを読み続ける。

 それはクロたちを信用して、完全に己の身を任せている証拠。

 ここまで信頼されてしまっては、やる気も無限に湧いてくるというものだ。


「…………」


 魔物を相手取りながら、クロは一瞬だけ夜空を見る。

 はるか上空に浮いている特級の魔物。

 毒をまき散らしている元凶であるそれは、真っ黒な『雲』。


 魔物の増援もたしかに大問題だが、自分たちが最もやらなければならない使命は特級の魔物を倒すコトだ。

 そのためには、まず空から下りてきてもらわなくては話にならない。


 アレを墜とすためには、エリクシアの魔法が必要だ。

 彼女が新しく覚えたという魔法。

 その魔法を発動するために必要な手順が、これだった。


「やっぱり言ってたとおり、今回の詠唱はやけに長いな」


 氷の魔法では事後処理が大変だ。

 ヘタをすれば『雲』の真下で闘っている味方にまで被害が及ぶ。

 しかし、新しい魔法ならその心配はない、というのがエリクシアの話だった。

 そしてそのためには、いままでの魔法とは違い、長い詠唱が必要なのだという。


 詠唱の間、魔物が待ってくれるワケがない。

 完全に無防備になってしまうエリクシアを、クロとマーガレッタが全力で守る、というのがいまの状況だった。



「――『孤独を怖るるは娘の想い。絶望に嘆くは母の愛。悲劇の幕は唐突に、幸福なる日々は夕闇のごとく霞みゆく』――」



 クロは魔物を倒しながら、エリクシアの声が奏でる調べに耳を傾ける。

 エリクシアがエーテルを練るための詠唱は、何度かこの耳で聞いている。


「…………」


 どこか怖ろしく、どこか哀しい。

 どの魔法もそうだった。

 なぜか胸が締め付けられる、そんな言葉の羅列。

 彼女が発する言葉のひとつひとつが物悲しい。



「――『流るる滝の雫は後悔の涙。呪われし魂は、やがて水底の地獄にて目を覚ます。母は誓う、今度こそはと。娘は断ずる、此度こそはと』――」



 なぜかは分からない。

 どうしてか、涙が出そうになるぐらいに、胸にくる。

 まるで。

 そう、これはまるで。

 悔やみながら散っていった――誰かの人生を表しているかのようで。



「――『聖域を穢す愚か者共よ、思い知れ。赦されざる罪を雪ぐがいい。滅尽の極みにてこそ贖罪は果たされる』――」



 それはきっと、哀しみと怒りの感情。

 どうしようもない現実に、呪いの言葉を吐き続ける誰かの想い。



「――『我が暗闇の眼に代わり、刮目せよ。我らが怒りを知るがいい。これなるは断罪の光なり。聖域を荒らす者共よ、滅び去れ』――」



 悲哀の想いは虚しく響く。

 憤怒の想いは極限に達し。

 混ざり合った想いはただひたすらの破壊を望む。



「――『竜娘の悪魔、其は始天の映し鏡なり』――」



 エリクシアが魔力エーテルを散らす。

 いつものように、大部分の魔力が霧散していく。



「――『大禁忌・悪魔召喚ディバイン・グリモワール――」



 詠唱は終わる。

 練り上げた言霊は、最後の言葉を紡ぎ出す。

 それこそが、魔法発動のカギになる言葉。

 ゆえに、それこそが、その魔法を表す『真名』となる。




「――第四悪魔降臨デオレッサ・ヴォルトガノフ』――」




 世界のどこにも存在しなかった魔法が。

 あるいは、在ったはずの魔法が。

 胎動し続けた新しい魔法が、いまここに、産声を上げた。




 ◇ ◇ ◇




「水、竜……?」


「そんな、バカな……」


 純白に光り輝く鱗は流麗に。

 しなやかな体躯はまるで河川を模したかのように猛々しい。

 それは一度見たら忘れられないほどの神秘さを漂わせている。

 おそらくは、竜と名のつく魔物のなかでも、もっとも美の極みに達している。


「デオレッサの滝にいる水竜を、魔法で空間転移させたとでもいうのか? できるのか? 魔法で? そんなことが……?」


 突然に現れた竜に、おどろきを隠せないマーガレッタ。


「……この水竜、滝にいたのとちょっと違いますね。別個体……?」


「た、たしかに……滝のと比べれば小さいな」


 デオレッサの滝にいた水竜は、全長100エームは超えていた。

 しかしいまここに出現した水竜は、10mぐらいの全長だ。

 この水竜もたしかに巨大だが、どうしても滝にいた水竜と比べてしまって、小さく見えてしまう。


「それに、よく見ると体が半透明になってます」


 薄く向こう側が透けて見える。

 まるでクラゲのような透明感だ。

 だが不思議なことに、水竜の体の内部、内臓などは見えない。

 ただ透けている。

 水竜の外見のまま透けているのだ。

 この世の生物でないコトはそれを見るだけで明らかだ。

 一瞬、幽霊ゴーストというおとぎ話が頭をよぎる。


「……アレは、エーテルの体か? グリモアの魔力でかたどった体……なのか?

 よく分からんが、あの子はとんでもない魔法を使ったようだな」


「あの水竜が、エリクシアの『新しい魔法』……」


 クロとマーガレッタがとまどいを見せ、次の行動を迷っていたときだった。


「……同志クロイツァー、見ろ」


 東側から、地鳴りが響いてきた。

 動物が群れをなして大移動をしている音に似ている。


「魔物の増援だ」


「……もう目視できる距離に……」


 まさしく怒濤。

 あの大群が勢いのままに戦場に特攻してきたら、もうそれだけで騎士団側が壊滅してしまうほどの。


「……さて、『斬空』でどれだけ勢いを殺せるか……」


 マーガレッタが勇ましく剣を鞘に納めた。

 闘気エーテルをのせた、居合いによる抜剣の振り抜き。

 それこそが斬空だ。


 る気だ。

 彼女の戦意はいまだ衰えを知らない。


「弱音、吐かないんですか?」


「そんなヒマがあるのなら、よかったんだがな」


 そう言っている間にも、魔物の大群は押し寄せてくる。

 地面を踏み鳴らす音は、人を殺すことこそを望んでいる。

 最初から戦場にいた魔物たちは、突然の援軍に喜びの声を上げた。

 騎士団側の兵士たちは押し寄せる絶望にただ立ち尽くす。


 怒濤が迫ってくる。

 音が大きく、大きくなって――




「ああ~~ッ!!

 もう、うるさ――――いッ!!!」




――少女が叫んだ。


「……ッ!?」


 水竜の方向から聞こえたことで、クロはおどろいてそちらを見やる。

 とぐろを巻いて佇む水竜の体に、少女が乗っている。


「せっかく外に出ていい気分にだったのにッ!! だいなしだよ、もうッ!」


 ヒステリックに叫ぶ少女。

 それはまさしく、エリクシア・ローゼンハートその人だ。


「まったく、ホントにまったくッ!」


 水竜に乗ったエリクシアが、東のほうを見ている。

 いままさに押し寄せてくる魔物の援軍を見ているのだろうか。


「わたしたちの『聖域』を荒らそうとしているのかな?

 、どうする?」


 どこか、彼女の様子がおかしい。

 クロが注意深くエリクシアを見ようと足を向けたそのとき、



「――――――――――――――――――――――――ッッ!!」



 水竜が、大きく咆吼した。

 戦場に轟く大叫喚。

 兵士たちはおろか、魔物ですらその大音声だいおんじょうにすくみあがる。


「ぐ……ッ」


 クロが耳をふさぐ。

 至近距離でこの音量。

 気を抜いてしまえば、それだけで気絶してしまいそうだ。


 幸い、この周囲の魔物が襲ってくる心配はない。

 突然現れた水竜に恐れをなしてか、距離を取って様子を見ているようだ。


「く……」


 見ると、マーガレッタも同じように耳をふさいでいた。

 やがて水竜の咆吼が収まってから、互いに確認し合った。


「……どういうワケか分からんが、いま目の前にいる水竜は、デオレッサの滝にいた水竜と同じ個体だな」


「……だと、思います」


 聞いたことのある咆吼。

 見たことのあるその姿形。

 動作のひとつひとつ、鱗の生え方、色の付き方。

 そのすべてが、だと物語っている。


 デオレッサの滝での闘い。

 生死の掛かった闘いの場にいた、一度は敵かと思った相手を忘れるハズがない。

 体の大きさだけが変わっているが、アレは間違いなく、だ。


「エリクシアは……」


 そして、水竜の体に乗っているエリクシアを見る。

 彼女は――


「あっ、やっぱりおかあさんもそう思う?」


――エリクシアは楽しげに笑っていた。

 まさか水竜と会話しているのだろうか?


「……ッ! なんだ、あれは……」


 そばにいたマーガレッタが息を呑む。

 クロも同じようにソレに気づく。


「……光の、玉?」


 水竜の口内には、いつの間にか小さな『光玉』が出現していた。

 直視できないほどの光量だ。


「アレは……エーテルの塊だな」


「……なんかアレ、大きくなっていってません?」


「おそらく魔法だ。何かやる気だぞ」


 光玉は急速度で膨張していた。

 大きくなるにつれて、水竜の口が光玉に押し開けられていく。


 ギギギギギギギ、と甲高い音を打ち鳴らしながら、水竜の鋭い牙の間から、まばゆい光が溢れ出す。

 光玉から溢れ出た幾重もの光線が、夜の戦場を明るく照らしていく。


「う……ッ」


 眼がくらむ。

 まるで太陽を見ているかのようだ。

 クロがそう思ったのもつかの間。


 臨界点に達したのか、光玉がバチンと弾けた。

 次の瞬間、激しい電撃音が鳴り響き出す。


「――――――――ッ」


 ここでようやく理解する。

 あの光玉は、雷の塊だ。


「…………くッ」


 この場にいるのが怖ろしい。

 生物的な本能が恐怖を訴えかけてくる。


 大気が震えるほどの爆音。

 大地が揺らぐほどの衝撃。


 いまだかつて見たことのない規模の雷が生まれ出す瞬間を、自分は見ている。

 すさまじい雷鳴が、水竜の口のなかから止めどなく轟いている。


 これこそは天の怒り。

 神罰の代行とも言われる雷。

 それを統べるのが水竜だ。



「――やっちゃえ、おかあさん」



 水竜の口が180度以上も広がったその瞬間、

 夜が――昼になった。


 戦場にあったすべての音が消える。

 視界が真っ白に染まっていく。




「――――――――」




 あの光玉を、アトラリア山脈からこちらに向かってきていた魔物の大群に撃ち放ったのだ。

 それを察するのが限界だった。




「…………く……ッ」


 しばらくして、自分の感覚が正常に戻ってきた。

 耳がキーンと鳴っている。

 眼がチカチカと明滅している。


「……なにが、起こった……?」


 となりにいたマーガレッタが状況を確認していた。

 そして、


「――――な」


 目前の光景に衝撃を受ける。

 次いで、クロも同じようにして体が固まった。


「……夢でも見てるんですかね?」


「さて、な……」


 眼を疑う。

 まさか、こんな光景が現実に起こるとは。



「雷の――豪雨」



 万雷とはこのことか。

 幾千幾万もの雷の束が、眼前で暴れ狂っている。

 あまりにも雷の数が多すぎて、まるでひとつの巨大な光の柱のようにも見える。

 その範囲は直径30kmケームほどもあるだろうか。

 あまりにも広範囲すぎる『攻撃』だ。


 砦から10kmほど離れたあたりにあった森までもが、雷の柱のなかに入ってしまっている。

 木々は雷に焼き払われ、もはや見る影もない。


 そして当然、魔法の標的となった魔物の援軍は、雷の柱にスッポリと収まってしまっている。

 間違いなく、全滅。

 悲鳴を上げるヒマもなく。

 おそらくは痛みを感じる余裕さえもなかっただろう。

 あまりにも突然の、あまりにも乱暴な消滅だ。


「……水竜の魔法伝説は本当だったようだ」


 雷の柱を呆然と眺めながら、マーガレッタが言った。


「魔法伝説?」


 クロの言葉に、こくんとマーガレッタが頷く。

 目線は雷に向けたまま、


「――汝、デオレッサの滝に近づくべからず。かの竜が操る魔法は『始原の雷』。決して水竜の逆鱗に触れるべからず。怒れる神を起こすことなかれ」


「それは?」


「昔、立ち寄った村で教えてもらった伝説だ。500年前から伝わるものだそうだ。おそらく、その村の先祖は見たのだろう。この水竜の魔法を」


 眼前に広がる雷の柱は、いまだ唸りを上げている。

 ああ、たしかに。

 言い伝えていかなくてはならないだろう。

 これはそれほどの光景だ。


「――この、魔法の最高峰『始原の魔法』を……」




 星が生まれて46億年。

 始原の世界には生命は存在していなかった。

 創世の時代、命の無いはじまりの世界がそこにあった。


 始原の世界には、いまの世界にはあり得ないとされる自然現象が存在していた。

 止めどなく降り来る隕石の衝突。

 その衝撃で解けてしまった岩石の大流動。

 星そのものを揺るがすほどの大噴火。

 あらゆるものを削り飛ばす大突風。

 この星に海を作り上げるほどの大雨。


 現代とは比べものにならないほどの、地獄のような世界。

 生まれて間もない不安定な惑星の内部には、想像を絶するほどの莫大な『力』が暴れ狂っていた。

 それは、人が生きることなどできるはずもない、過酷極まりない始原の世界。


 星の誕生からなる莫大な力の鳴動。

 それらさまざまな始原の自然現象がいくつも重なり、偶然かあるいは運命なのか。

 あるとき、ある瞬間をキッカケに、世界を激変させた。

 それこそが、『生命の誕生』である。


 この星に原始生命が発生したのが約40億年前と言われている。

 世界に突然現れた、小さな小さな生命体。

 その原始生命が進化と淘汰を繰り返し、長い、とてつもなく長い時間をかけて、やがて動物や人が生まれてくることになる。


 始原の時代を終わらせ、新しい、生命の時代を築き上げた原因。

 水竜のこの雷は、まさにその始原最後の自然現象のひとつ。

 生命誕生の起因となった、『神の力』の具現である。


――その名は、『神雷』。


 これこそは、雷属性・最大最強の魔法。

 自然現象を再現する魔法のなかでも最高峰に位置する、別格の『大魔法』だ。


「…………」


 気がかりなコトがひとつ。


「どうした? 同志クロイツァー」


「……副団長。雷の範囲に、人は……?」


 この水竜はエリクシアの召喚魔法だ。

 つまりこの神雷も、エリクシアが放ったものと同義である。

 万が一にも雷の範囲内に人がいれば、彼女が人を攻撃したというコトになる。

 それでは彼女が本当の意味で『悪魔』になってしまう。


「いない。伏兵も偵察も、人手がまったく足りなかったのが幸いしたな」


「……よかった」


 こちら側の犠牲者はいない。

 ホッと胸をなで下ろす。


「それにしても、これが噂の『地形破壊攻撃ランドブレイク』というやつか。あの周辺の地図を書き直さねばならんな……」


 地形破壊攻撃ランドブレイク

 あまりにも広範囲・高威力の攻撃のコトをこう呼ぶ。

 文字通り、山や森、あるいは街や村を一撃で全壊させてしまう攻撃だ。

 これを起こせるのは一部の英雄と特級の魔物のみ。

 特級が『天災』と呼ばれる所以だ。


 これはもはや人間の手に負える存在じゃない。

 生物学的にだとか、分類上だとかそういうレベルの話じゃない。

 これは存在そのものが別次元の怪物だ。

 始原の神雷を意のままに操る生物など、どう考えても人の手に余る。


「しかも相当に威力を抑えてですよ」


「……どういうことだ?」


「水竜を召喚するとき、エリクシアは魔力の大半を捨てているんです。被害が大きくならないようにって、魔法を使うときには必ずそうするらしいんです」


 出会ってからいままで、エリクシアの魔法は何度も見た。

 その度に、彼女はせっかく紡いだ魔力を散らしている。

 いまだかつて全力の魔法は見たことがない。


「……アレで……か?」


 マーガレッタが雷の柱を指差す。

 あのすさまじい威力。

 とてつもない魔法。

 それが、手加減をしたものなどと、普通なら考えもしないだろう。


「滝のときと比べて相当に小さいあの水竜。おそらく十分の一ほどの大きさです。その体が『魔力エーテル』で構成されているのなら、たぶん、見た目どおりの手加減になっているハズです」


「……つまり、本来ならアレの10倍の威力があると言いたいのか……?」


「はい」


「…………」


 もはや人知の域を遙かに超えている。

 あらためて、悪魔の魔法のすさまじさを知る。


「……同志クロイツァー。誤解しないで聞いてもらいたいのだが」


 マーガレッタは少し言いにくそうに、断りを入れてから続けた。


「私は……エリクシアが、彼女が悪魔で本当によかったと思う」


「…………」


 いったい何を血迷ったコトを……とも思ったが、エリクシアがどれほどの想いで悪魔として過ごしてきたか、それを知らないマーガレッタではない。

 クロは黙ったまま先を促した。


「アレを悪意ある者が使えば、。悪魔が彼女だったからこそ、世界がまだ存続しているのかもしれない」


「…………」


 否定する要素がない。

 あの神雷はまさしく世界を滅ぼし得る力だ。


 力を持ったら使ってしまいたくなるのが人間というもの。

 自分だってそうだ。

 エーテルを扱えるようになってから、この力をいかに全力で、効率的に、あるいは効果的に使っていくかというコトを考えるようになり、そして実践してきた。

 それが普通。

 それが当たり前の反応だろう。


 だがエリクシアは違う。

 それを自制しているのが彼女なのだ。

 グレアロス砦の街中で兵士に追いつかれたとき、彼女は死の間際にいた。

 それでも魔法を使わなかった。

 自分を殺そうとしていた兵士どころか、グレアロス砦をまるごと消し炭にできるほどの力を持っているにもかかわらず、だ。


 自分の死よりも自制を優先する。

『聖女』並の精神力がないと、そんなのは不可能だ。


「……貴公は1000年前の『悪魔狩り』を知っているか?」


 マーガレッタがふと、そんなことを言い出した。


「? 概要程度ですが、本で読みました」


 生まれ育ったマリアベールの教会で読んだコトがある。

 人類三大汚点のひとつ、『悪魔狩り』。


 およそ1000年前のこと。

『悪魔裁判』なる方法で、無実の人々が悪魔として処刑されていった人類史に残る最大最悪の大迫害だ。

 その犠牲者数は諸説あるが、当時の人口で、数万人規模にまで及んでいるという。


「……『悪魔狩り』は決して許されるものではないが、あれはもしかしたら、起こるべくして起こった悲劇なのかもしれないな……」


『悪魔狩り』を主導していたのが当時の大国である、覇国『ラグネツィア』だ。

 あまりにも悪魔を怖れた彼らは、人道を大きく踏み外した。

 大戦力を保有していたこともあってか、当時、どの国も覇国の暴挙に関わらないよう静観していた。


 そんな中、たった1人。

 覇国に異を唱えて立ち上がったのが、『最古の英雄』エルドアールヴだった。


 彼は滅多なことでは人同士の争いに加勢しない。

 その長い英雄譚を見ても、数度あるかないか。

 そのひとつが覇国との戦争――『聖戦』と呼ばれる戦いである。


 英雄エルドアールヴ対、覇国ラグネツィア。

 個人対国家のその戦いは、約1年続いた。


 最終的に、覇国ラグネツィアの王女『アルア』がエルドアールヴに助勢することによって覇国内に反乱軍が発足、大国が滅ぶほどの大革命が起きた。

 それにより、狂気の『悪魔狩り』はようやくの終焉を迎える。

 そうして、この大革命ののち、現在のレリティア三大国である聖国『アルア』が誕生することになる。


――余談だが。

 この『悪魔狩り』から端を発した一連の被害も、とされている。

 これにより、『悪魔』そのものに対する人々の憎悪や恐怖はますます強まっていくことになった。


「エリクシア……」


 クロがつぶやく。

 そしてハッとして、自分がすべき行動に気づく。


「副団長。俺、エリクシアのところに行ってきます」


「そうだな、それがいい。あれほどの魔法だ。本人にどんな影響があるか分からんからな。貴公が守ってやってくれ。周囲の警戒は任せてくれ」


 クロは頷いて、エリクシアの元へ走ってゆく。

 水竜召喚の魔法を使ったあたりから、どうもエリクシアの様子がおかしい。

 気のせいならいいのだが……と。

 そんな漠然とした不安をかかえながら、クロは足を速めた。




 ◇ ◇ ◇




 少し迷ったが、クロは滝のときと同じように水竜の体を駆け上っていった。

 水竜の体はとぐろを巻いていて、前よりは随分と登りやすい。


 水竜の体に立っているエリクシアのもとまで到達する。

 グリモアの黒い霧が、彼女の周囲に立ち昇っている。


「エリクシア、平気か!?」


 クロが声をかけ、そのエリクシアがこちらを振り向いた。


「……おどろいた。おかあさんが体を許すなんて」


 彼女はまるで。

 はじめて出会った人を見るかのような、そんな表情をしていた。


「……エリクシア?」


 やはり様子がおかしい。

 どこか妙だ。

 姿形はエリクシアだ。

 彼女の背後にはグリモアも浮いている。

 だが、何かが違う。


「あ、もしかして、エリクシアを守ってくれてる人? おかあさんから聞いたよ。滝でガンバってたって」


「…………」


 クロが足を止める。

 違和感が爆発的に膨れあがっていく。

 胸騒ぎが止まらない。


「なぁに? なにか用?」


「…………お母さん?」


「そうだよ」


 エリクシアが水竜の体に触れる。

 それはまるで、幼い子供が母親の服を掴むかのような仕草だった。



「君は――誰だ」



 気がついたら、そんな言葉を口にしていた。

 目の前にいるのはエリクシアだ。

 さっきまで、自分たちと一緒に闘っていた彼女なのは間違いない。


 でも、違う。

 この感覚は、そう。

 だけが変わっている、そんな印象だ。


「ああ、そっか。こういうときは、こう言うんだよね?

 はじめまして、おにいちゃん」


 エリクシアの姿をしている『誰か』は、くすくすと笑っている。



「わたし、デオレッサっていうの。

『第四悪魔』って言えば分かるかな? うん……分かんないか」



 滝と同じ名前なのも、第四悪魔というのも、よく分からない。

 自分は目の前のデオレッサという少女のコトを何も知らない。

 ただひとつ、知りたいのは。


「エリクシアは、どうした?」


 そのことだけが心配だ。

 これは魔法を使ったことによる、いわゆる錯乱状態トランスじゃない。

 悪魔の写本ギガス・グリモアに関係する何かなのは間違いない。


「だいじょうぶ、わたしたちはこの子の味方だよ。慣れない魔法だから、わたしがこうして出てきてあげてるだけ」


「……エリクシアは無事なんだな?」


 その問いに、デオレッサと名乗った少女は満足そうに頷いた。


「ふふ、そう、おにいちゃんはソレでいいんだよ。

 ずっとずっと、聖域エリクシアを守っていてね?」


 そう言って、デオレッサは自分エリクシアの胸元に手を当てる。


「この子はわたしたちの聖域なの。やっと見つけた、わたしたちの大切な居場所。

 だから、ねぇ、エリクシアが死なないように気をつけてね、おにいちゃん?」


 無邪気な笑顔。

 その笑みにまったく言っていいほど邪悪な気配は無い。



「そんなことになっちゃったら、わたし――」



 この目の前にいる少女は、『子供』だ。

 でも、だからこそ。



「――世界を滅ぼしちゃうから」



 誰よりも純真無垢で、

 何よりも冷酷無比だ。


「おかあさんの魔法なら、きっとカンタンだよ」


 グリモアの黒い霧が濃くなって、彼女の体を包んでいく。

 肌に痛いほど感じる魔力の波動は、水竜の魔法に勝るとも劣らない。


「…………」


「わたしたちね、魔物も人も、ぜんぶぜんぶ大っ嫌いなの。だって、わたしたちの居場所を奪うのよ? そんなの、もう二度とゆるせない」


「…………」


 デオレッサは本気だ。

 エリクシアが死んだら、本気で人類を皆殺しにする気だ。


 彼女は真性の悪魔だ。

 この第四悪魔を名乗る少女は――本物だ。


――『グリモアの悪魔』。


 歴史にいわく。

 それは人類を滅ぼすモノ。

 レリティアに解き放たれた悪魔。

 それは人に溶け込み、人類の滅亡を企むモノ。

 魔物よりも遙かに怖ろしい存在。

 人類にとって害有る災厄を振りまくモノ。


「…………」


 エリクシア・ローゼンハートは、グリモアの災いのすべてを背負っている。

 それはあまりにも重すぎる枷。

 ひとりじゃ決して支えきれないほどの重圧だ。


「デオレッサ。君に世界を滅ぼさせたりはしないよ」


「……へぇ?」


「エリクシアは、俺が絶対に守るからだ」


 ああ、だから。

 だから助けたいって、思ったんだ。


「……うん。うん!

 わたし、おにいちゃんは好きだな!」


 第四悪魔デオレッサは、屈託の無い笑みを見せる。


「…………」


 真正面からまぶしいほどの純粋な好意を向けられて、

 クロはどう言葉を返せばいいのか分からなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 地球とほぼ同じ歴史を辿ってるってことは、魔法の力を加味したコピーの世界なのかな?裏世界みたいな? 星の寿命は確か構成物質と大きさに左右されるから、この星は地球とほぼ同じ大きさの岩石惑星のはず…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ