47 グレアロス砦防衛戦
「ケケケッ、人間共がぞろぞろと砦の前にいやがる」
草原を越え、走りに走った魔物の軍団。
それを率いるウートベルガは、双頭狼に跨がりながら邪悪な笑みを浮かべていた。
「なんだありゃ、砦前で迎え撃つ気か?
バカ共が、ひき殺しちまうか」
ウートベルガが暴力的な本性を隠しもせず、口を大きく開いて笑う。
「……ん?」
眼前から何か来る。
それを感じ取ったウートベルガが赤く光る目をこらす。
「――――ッ!?」
眼前からすさまじい速度で迫り来るエーテルの刃を見て、ウートベルガの表情が引きつった。
「うおおおおおおおおおォッ!!?」
思わず恐怖の悲鳴を上げるが、突然放たれてきたその攻撃を避ける術はない。
研ぎ澄まされたエーテルの刃がウートベルガに命中した。
その衝撃で、オルトロスの上から転げ落ちる。
「……ッ」
ウートベルガを襲ったエーテルの刃は『斬空』と呼ばれる戦技だ。
普通の魔物なら一発で胴体が半分になる威力の攻撃である。
しかし、それをくらったハズのウートベルガは、たいしたケガもなく地面から立ち上がる。
「……くッ……ッ、『裂空』かと思ってビビッちまったじゃねェかッ!!」
ウートベルガが周囲を見ると、死体の山が築かれていた。
数十体、いや、それ以上か。
自分と同じく砦を目指して走っていた最前列の魔物たちだ。
「ち、ちくしょうが……ッ! なんてコトしやがるッ!! 前線が壊滅じゃねェかクソったれッ!!」
彼ら魔物を襲った『斬空』は他でもない、マーガレッタが放ったものだ。
彼女の一撃で、先頭にいた魔物の群れが完全に瓦解していた。
間合いなど必要ない。
敵との距離など関係ない。
空を斬るとまで言われる剣技の究極。
しかし、マーガレッタの『斬空』が命中しても、それを物ともしないウートベルガはやはり特級と言うべきか。
「……クソ、あの人間共のなかに特級並のヤツがいやがるのか?」
静かな低い声でつぶやくウートベルガ。
先ほどまでの軽薄な笑みはもはやない。
その赤い眼光が、『斬空』を撃ってきた人間を見定めようとギョロギョロと動く。
「……慎重に行くか」
先頭にいた魔物が体を張って『斬空』を受け止めたため、追随してくる魔物の大部分はいまだ健在だった。
「テメェら! 怯むんじゃねェぞッ! 構わず行けッ!! ナメたマネしてくれやがった人間共をブッ殺しちまえッ!!」
背後に向かってそう叫ぶと、魔物たちが強烈な咆吼を上げながら進軍していく。
『斬空』によって仕留められた魔物の死体は、後続の魔物たちに踏みつぶされて、もはや見る影もない。
しかし、どの魔物もそんなことは気にしない。
魔物の目を惹きつけるのは、目前にいる人間たちだ。
「さぁ絶叫させろ、血をまき散らせッ!!
生ぬるいレリティアの人間共に、魔物の恐怖を刻みつけてやれッ!!」
マーガレッタが正道の鼓舞をするなら、ウートベルガは外道の鼓舞。
乱暴な言葉を供えて魔物の殺意をかき立てる。
同じ指揮官という立場でも、まさしく対極の位置にある。
「グルドガァッ! どこにいるッ!?」
先ほどまで乗っていたオルトロスの名を呼ぶが、答える声はない。
横薙ぎで放たれたあの剣閃は細い一撃だった。
斬撃の間合いをそのまま伸ばしたような攻撃だ。
つまり、ウートベルガに当たった以上『斬空』はオルトロスに当たっていないハズだ。
「……アア?」
ウートベルガがよくよく前方を見てみると、我先にと砦へと向かっていく獰猛な大狼の姿があった。
「……あんのバカ野郎がッ! オレさまを置き去りにしやがったッ!!」
完全に取り残された形になったウートベルガの声は、魔物の軍団が大地を踏み鳴らす足音にかき消されて、誰にも届くことはなかった。
◇ ◇ ◇
「敵前線、崩壊しましたッ! 後続の魔物は速度が落ちた模様ッ!」
双眼鏡で魔物の群れを見ていた兵が、マーガレッタに向けて状況を報告した。
「よし――」
マーガレッタはそれを受けて、
「――突撃ッ!!」
物見櫓から飛び降りて、魔物に向かって駆け抜ける。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!」
マーガレッタに続く形で、砦の兵らが突撃していく。
馬を使う者、走る者、それぞれが全速力で戦場へと向かっていく。
しかし、魔物とは違ってバラバラではない。
隊列を組んで、魔物との衝突に備えながらの突撃だ。
魔物と人の膂力の差は歴然。
マトモに軍団同士がぶつかれば、こちらの被害はすさまじいことになっただろう。
しかし、敵の勢いは削いだ。
そのための初撃『斬空』であり、そのための隊列だ。
「よし、これなら予定通りにいけるか」
マーガレッタがつぶやく。
頭のなかで敵味方の戦力比を思い返していく。
敵の軍団はさまざまな魔物で構成されている。
大雑把に分けると、下級・中級・上級といった具合だ。
砦の城壁から見たところ、敵のほとんどが下級に分類されるのが分かった。
中級・上級と手強くなる魔物ほど数が少ない。
下級の魔物はその数こそ多いとはいえ、一般兵や冒険者、傭兵たちに任せても問題ないだろう。
それぞれの兵が中級のオークを1対1で倒せる者たちだ。下級の魔物なら、油断さえしなければ1人で数体ぐらいは相手をすることができる。
戦闘に慣れていない予備兵でも、訓練どおり守りに徹して隊列さえキチンとしておけば下級の魔物とは問題なく闘えるハズだ。
中級の魔物は、精鋭の部隊が相手取る。
当然、精鋭の部隊も向こうと同じように数が少なくなるが、中級ぐらいは余裕で倒せる強者たちだ。
「偵察の目算だと下級は約4000体、これに当たるのが兵士1000名。中級がおよそ1000体、対するが精鋭200名……か」
マーガレッタが苦い顔をする。
対下級は4倍の敵。
対中級は5倍の敵と闘わなくてはならない。
しかも、今回は大規模な戦闘だ。
敵味方が入り交じる、混沌とした戦場になるに違いない。
決め手になるのはそれぞれの班の連携か。
そういう訓練は山のようにやっている。
生き残るための技術は教え込んでいる。
「…………」
上級の魔物の相手は隊長格だ。
隊長格は、1対1で上級を倒すことができる実力者だ。
だがしかし、傭兵や冒険者を合わせても、隊長クラスの人数は10数名と少なく、敵の上級はおそらく100体は存在する。
格下を相手取る対下級・中級の兵たちと決定的に違うのが、この対上級の闘いだ。
「我ながら無茶なことを言ったものだ……」
隊長格と同等の相手が約10倍いる事実。
相当に厳しい闘いになるのが、この勢力と予想される。
「……そして、問題は……アレか」
走るマーガレッタが前方を睨む。
信じられない数の魔物の群れ。
そのなかに、ひときわ巨大な魔物が2体いる。
「――単眼巨人と、竜王種」
どちらも全長10mは超えるであろう巨体の魔物。
地面を揺るがし進軍してくるその様は、まさしく絶望の象徴と言えよう。
遠くからでも姿が見えるこの2体は、もはや上級の枠に収まらない怪物だ。
「……『準特級』が2体」
公式ではないが、準特級と呼ばれているクラスの魔物。
その名のとおり特級と上級の間だ。
魔境アトラリア『禁域』に棲まう大型の魔物。
その実力は見たとおり、凶悪極まりない。
まず間違いなく隊長格ですら相手にできない強敵。
これを打倒せずしてグレアロス砦の未来はない。
「……む?」
進軍の最前を走るマーガレッタ。
彼女の足に追いつける者は兵にはほとんどいない。
どの兵も、隊長格ですら後方から追いかけてきている状況だ。
しかし、マーガレッタを追い越して、とてつもない速度で魔物に接近していく者がいた。
「同志シャルラッハ、同志アヴリル」
この2人だけは例外だ。
戦技『雷光』を使うシャルラッハの足は尋常の域を超えている。
それに後れは取ってしまうものの、かろうじてシャルラッハに追随することができるのが、人狼のなかでも才気溢れるアヴリルだ。
絶望的なこの闘いで、唯一の幸運がここにある。
マーガレッタ・スコールレイン。
シャルラッハ・アルグリロット。
アヴリル・グロードハット。
この、グレアロス砦『三強女傑』という例外の存在だ。
準特級と同程度の実力を持つのは、この三強女傑以外にはあり得ない。
端的に言ってしまえば、この3人は上級の魔物が何体いても物の数にもならないほどに強い。
キュクロプスとハイドラゴンの二大脅威を相手にするのはシャルラッハとアヴリルの役目だ。
遊撃という名の役目で戦場を駆け、魔物を薙ぎ倒しながらあの2体と闘う。
無茶無謀は承知の上での命令だ。
だが、それぐらいのことをしないと砦を守ることはできない。
「……2人とも、頼むぞッ」
前を行く2人に想いを託す。
彼女ら2人に任せる他なかった。
なぜなら、マーガレッタには準特級と闘う余力などない。
万全の力でもって相手をしなければならない強大な敵がいるからだ。
「私の相手は――」
この闘いで最も絶望的な存在。
黒い人型のスライム。
あれこそが真の脅威。
絶対の破滅。
逃げることは許されない。
負けることも許されない。
あれを倒せるであろう団長は間に合わない。
王都と砦ではあまりにも距離が遠すぎる。
つまり、ここにある砦の戦力でどうにかするしかない。
「――特級だ」
あらためて言葉に出すことで、マーガレッタは覚悟を決める。
その青い瞳に、怯えの色は一切ない。
◇ ◇ ◇
誰よりも速く。
何よりも速く。
「ハァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
魔物の群れへと斬り込んだのは、シャルラッハ・アルグリロットだった。
黄金の髪をなびかせて、次々と魔物を薙ぎ倒していく。
とてつもない速度での単騎駆け。
魔物の群れを文字通り突き穿つ。
英雄の技『雷光』は、暗雲を切り裂く稲妻のごとき輝きを放っている。
魔物の群れに突っ込んでから数秒。
その間に倒した魔物の数はすでに20は超えている。
彼女の細剣は刺突専用の形状をしているが、エーテルによって強固なものになっているため、多少手荒なマネをしても折れる心配はない。
「さて」
行く手にいた下級の魔物を斬り払うシャルラッハ。
すかさず近くにいた魔物をトンッと踏みつけて、一気にジャンプする。
「どちらにしようかしら」
無数の魔物の頭上を飛び越えながら、冷静な声でつぶやく。
当然、目的の魔物のことだ。
「『巨人殺し』か、『竜殺し』。
アヴリルはどちらの称号がほしい?」
宙を跳ぶシャルラッハが、眼下に向かって声をかける。
「私はどちらでも」
声を返すのは当然、アヴリルである。
シャルラッハを追いかけて、その怪力で魔物を殴り倒しながら地上を走っている。
「うーん……そうですわね」
特大規模のジャンプしていたシャルラッハが、重力に引かれて地面に降り立った。
アヴリルと隣同士になって走っていく。
「それじゃあ、わたくしがハイドラゴンですわね。
あなた、火が苦手でしょう?」
あの巨大なドラゴンは、体から火の粉を散らしているのが遠目からでも見てとれる。
「面目ないです……」
しゅんとしながらも素直に同意するアヴリル。
そんな彼女を見て、くすくすと笑うシャルラッハ。
人狼というより獣人特有の、火への苦手意識。
一応は克服しているが、苦手なものはやはり苦手らしい。
「それじゃ、ここで別れましょう」
「……私は正直、シャルラッハさまと戦場で離れたくはないのですが……」
「ワガママを言わないでちょうだい。ハイドラゴンとキュクロプスは離れて進軍してきているわ」
この2体は互いが巨体なためか、距離にして数百mは離れている。
それぞれがそれぞれの相手をする以上、どうしても一緒に闘うことは不可能だ。
「あの2体をわたくしたちが仕留めないと砦は終わり。言わなくても分かるでしょう?」
「……はい。すみません」
アヴリルの灰色の耳としっぽがうな垂れる。
「物分かりの良いコは、好きよ」
そんなアヴリルに微笑みかけて、シャルラッハは足に力をためる。
ハイドラゴンのもとへひとっ飛びするための『雷光』の準備だ。
「アヴリル。こんなところで死んではダメよ?」
「もちろんです」
「……」
シャルラッハが物憂げに瞳を伏せる。
いまから闘いに行く者とは思えない『弱さ』がそこにあった。
「……シャルラッハさま」
アヴリルは察する。
原因は間違いなくクロ・クロイツァーだ。
彼の死は、こんな窮地の戦場でもシャルラッハの心を揺さぶっている。
「何でもないですわ。さて、わたくしはもう行きますわ」
心中を察せられているのを理解していながら、シャルラッハはあえて話題に出さず、気丈に振る舞っていた。
「……はい。ご武運を」
「そちらも気をつけて」
シャルラッハがにこりと微笑む。
そして『雷光』を使って、魔物の群れのずっと奥――ハイドラゴンに向かって駆けていった。
「……」
その場に留まったアヴリルは、自分に群がろうとしていた周囲の魔物を一掃する。
そして、キュクロプスの方を見る。
「私も、人の心配をしている場合ではないかもしれませんね」
これまでにない強敵。
おそらく、アヴリルとキュクロプスの実力は同等だ。
勝機は五分。
だがしかし、負けるワケにはいかない。
準特級の2体を倒さずして、砦の未来はない。
けれどここでこの2体を倒すことができれば、三強女傑の全員で特級の相手ができる。
そうなれば、この絶望的な闘いに『勝機』が見える。
「今夜は新月ですか。せめて満月の夜に来てくれれば良かったのですが……仕方ありません」
アヴリルがそうつぶやいた――瞬間。
周囲で様子を見ていた魔物の群れから、ひとつの影が飛び出してきた。
「オオアアアアアッッ!!
犬っころの匂いがするゾッ! 飼い犬ダッ!」
野太い声とともに、アヴリルを襲う凶悪な爪。
「――――ッ!?」
それをアヴリルは間一髪で避けて、その襲撃者を視認する。
「双頭狼、ですか……」
もしも。
あってはならないことだが、自分たちの勝機が潰えることがあるのなら。
か細く小さな勝機の光が、巨大な絶望の闇に染まることがあったとしたら。
――全滅――
そうなる可能性は、いくつも存在する。
たとえば、兵士や隊長格が魔物の物量に敵わず全滅してしまうこと。
あるいは、シャルラッハかアヴリルのどちらかが、2体の準特級に負けてしまうこと。
2人の助勢が間に合わず、マーガレッタが特級に負けてしまうこと。
全滅の原因は、本当にいくつも存在する。
この闘いは、どれひとつを失敗してしまっても成り立たない。
そしてこの作戦には大前提がある。
それは敵の勢力が、偵察班の報告通りのままだったなら、という前提だ。
つまり、特級の魔物1体と、準特級の魔物が2体。
これ以上の戦力が敵側にあった場合、グレアロス騎士団の作戦はすべて瓦解する。
「犬の女。グルドガが一番嫌いなものを教えてやル」
オルトロスの片側の頭が、アヴリルに語りかけてくる。
「ガルルルルルルッッ!!!!」
もう片方の頭は、凶暴な魔物らしく唸り声を上げている。
「それハ、人間風情が『狼』を名乗ることダ」
どうやらこのオルトロスは尋常なものではないらしい。
片方の頭だけが人語を介している。
「……これは、マズいですね……」
アヴリルは、砦へと進軍していくキュクロプスを横目で見る。
自分が闘わなくてはならない相手。
一刻もはやくアレのもとへ向かい、闘って倒さなければならない。アレの相手を他の誰かに任せることなんてできるワケがない。
このままここにいてはキュクロプスを野放しにしてしまう。
しかし、できない。
ここを離れられない。
運は自分たちを見放した。
「なァ、人狼ッ!!
オマエ、簡単には死なさないゾ」
準特級が――もう1体いた。
これ以上の戦力は敵側にないのだと。
自分たちが死にもの狂いで闘えば、なんとか勝機はあるのだと。
グレアロス騎士団のそんな期待――
――『希望』は、木っ端微塵に打ち砕かれた。
◇ ◇ ◇
アヴリルが絶望を感じていたころ。
マーガレッタは魔物の群れの奥深くにまで突撃し、
「――オレさまに『斬空』を撃ってきたのは、テメェだなッ!!」
「キサマが、この群れのボスか」
ウートベルガと一戦を交えていた。
攻撃を一度受けただけで、マーガレッタは理解した。
「…………」
――勝てない。
「オレさまに調子こいてくれた罰だ。
テメェ、生まれてきたことを後悔させてやるぜッ!」
「…………」
三強女傑は英雄にあらず、その実力は英雄一歩手前。
特級の魔物を倒せるのは英雄だけ。
グレアロス砦が無事に明日を迎えることができるのなら、それは、新しい英雄の誕生を意味している。
――この闘いは、『胎動する英雄』が覚醒するための闘い――
マーガレッタはそれが自分だとは思わない。
なぜなら、もう見てしまっているからだ。
本物の英雄とは何か。
真に英雄となるのは誰か。
あの光景は、この先に自分の人生が続くのなら、きっと忘れることはできないだろう。
あの勇姿を。
あの勇猛さを。
頭に思い浮かぶのはひとりの少年だ。
水竜の体を駆け上り、特級の魔物へと向かっていったあの少年。
いまはまだ地下牢の奥深くで息を潜めているのだろう。
少年の名は――クロ・クロイツァー。
彼ならきっと、闘ってくれる。
彼ならきっと倒してくれる。
きっと、この砦を救ってくれる。
自分は、彼がこの状況に気づくまでの『場つなぎ』だ。
彼がここに来るまでの間、死力を尽くして闘おう。
予感がある。
きっと、今夜は――彼が『英雄』となる日だ。
ああ、そのためなら。
彼が英雄となる礎になれるのなら。
この命、ここで尽きてしまっても――構わない。




