46 旗印
グラデア王国の最東にある防衛拠点、グレアロス砦。
砦の歴史は古く、そのはじまりは約1200年前にまでさかのぼる。
いまでこそ聖国アルア・帝国ガレアロスタに並ぶ『レリティア三大国』に数えられるグラデア王国だが、当時は建国したばかりの弱小国のひとつにすぎなかった。
グラデア王国がレリティア屈指の大国になっていく転機。
それが、『朱眼のグリフォン』グリュンレイグの討伐である。
魔境アトラリアからやって来たグリュンレイグは、そのすさまじい力で、近隣の国々を次々と蹂躙していった。
わずか7日の間で滅んだ国は片手の指では数えきれず、小さな国々だったとはいえ、その人的被害は甚大だった。
暴虐の化身。
おそるべき天災。
それはまさしく『特級の魔物』だった。
グリュンレイグの暴虐に業を煮やし、この大敵を討伐しようと名乗りを上げたのが初代グラデア国王、そして、最古の英雄エルドアールヴだった。
エルドアールヴを交えたグラデア王国騎士団とグリュンレイグの闘いは熾烈を極め、7日7晩もの激戦になった。
結果として、多大なる犠牲を出しながらもグリュンレイグを討伐することに成功した。
その大戦果によって、栄誉の国として名を広めたグラデア王国は見る見るうちに国力を強めていった。
そして、その闘いの最後の舞台となったのが、ここ、グレアロス砦がある場所なのである。
アトラリアの魔物の侵攻を防ぐための重要拠点。
ここまで立派な砦になったのは近年になってからだが、代々グラデア王国の騎士団が守ってきた場所だ。
この砦を守る騎士団は、慣例として『旗印』が受け継がれていく。
朱眼のグリフォンが剣をくわえて両翼を広げている様子を描いた絵柄の紋様がそれだ。
砦と騎士団の名は時代と共に変われど、その旗印だけは不変のもの。
先代の英雄からその役目を受け継いだ当代英雄ベルドレッド・グレアロスもまた、この旗印を掲げて『グレアロス騎士団』を結成している。
――そして今。
かつてのグリュンレイグ襲撃と同規模、あるいはそれ以上の脅威が押し寄せてくるなか、グレアロス砦の東門に、グレアロス騎士団の大旗がたなびいていた。
東門の前は、金属のこすれ合う音が絶え間なく鳴り響いている。
集まった兵たちの武器や鎧の音だ。
グレアロス砦に常駐している騎士団の団員、予備兵も合わせて900余名。
突然の召集にもかかわらず、これだけの数が即座に戦闘体勢に入れたのは日頃の訓練のたまものだった。
目的は、グレアロス砦に迫り来る魔物の軍団の殲滅。
「…………」
シャルラッハ班・班員、予備兵フランク・ヴェイル。
彼もまた、兵士に混じる形で参加していた。
後列も後列。
最後列にヴェイルは並んでいる。
グレアロスの兵とはいえ、予備兵の彼は当然戦力たり得ない。
予備兵の仕事は、前列にいる戦闘兵たちの補佐の役割を担っている。
戦闘兵の武器交換、軽傷回復薬・重傷回復薬などの物資運搬、各箇所への状況通達などが主に割り振られている。
どれも重要な役割であり、常に危険がつきまとう役目である。
真っ向から魔物と向き合うことはないが、戦場は何が起こるかわからない。
安全な場所なんてものはどこにもない。
「…………」
そして、ヴェイルは心のなかで、それを密かに喜んでいた。
ようやく贖罪の機会を得たのだと。
「……待ってろクロイツァー。すぐに俺も行く。できれば魔物の1匹ぐらいは倒してお前に自慢してやりたいケド、どうだろうな……」
その誰にも聞こえない独り言は、自嘲の色を含んでいた。
本当なら、いま自分と同じように隣にいるハズの少年を想う。
「…………」
誰かの悲鳴を聞いて、即座に森のなかに入っていったクロ・クロイツァー。
それを見ていることしかできなかった自分。
足が動かず、恐怖に震えていた情けない自分。
シャルラッハとアヴリルが救出に向かい、そして彼女らが帰還したときに聞いた、クロ・クロイツァー殉職の報。
「……ッ」
見殺しにしてしまった。
後悔の感情で足下がグラついたのを覚えている。
友を、戦友を、魔物への恐怖のあまり見殺しにした。
将来を語り、夢を語り、悩みを共に打ち明けて涙を堪え合ったクロ・クロイツァーを、自分は見殺しにしてしまったのだ。
「……くそォ……」
だからこそ、ひたすらに自分が憎い。
雨のなか、ひとりで森の前に座り込んでいたところを救助され、それに安堵してしまった自分に腹が立つ。
そのとき、クロは魔物と闘っていたのだ。
たったひとりで勇敢に。
そして、その生涯を閉じた。
「……ちくしょう……ッ」
片手剣を握りしめる。
自分が許せない。
友を見殺しにして、自分だけが助かったことにホッとしてしまった自分が憎らしくて仕方がない。
そして、そんなときに魔物襲来の知らせがきた。
「もう、逃げねェ……俺は、闘うぞ……ッ」
いまの自分がどんなにガンバっても、中級の魔物1体も倒せないだろう。
けれどそれでいい。
今度こそは、逃げずに闘うこと。
それが、いまの自分にできる精一杯の贖罪だ。
自暴自棄。
そう言われても否定はできない。
「よぉ、緊張してんのか?」
声をかけてきたのは、白いヒゲを伸ばした小人だ。
自分の胸ぐらいしか身長がないこの人は、グレアロス騎士団の隊長格。
看守長ガラハド・ベネトレイトだ。
「なんだ、お前シャルラッハ嬢んとこの坊主か」
「あ、はい……そうです」
シャルラッハとアヴリルは、このグレアロス砦の最大戦力の要だ。
遊撃として戦場を自由に駆け回り、戦況を有利に運ぶことを役目にしている。
そんな彼女らについて行けるハズがないヴェイルは、こうして看守長の部隊に編成されていまに至る。
「何、心配すんな。よっぽどのコトが無い限り、この門のとこまで魔物は来ねェ。仮に来たとしても、ワシや正規兵が何とかする。ここ以上に安全な場所は無ェぞ。安心してコトに当たれ」
ポンポンと胸を叩かれる。
看『守』長と呼ばれるぐらいに、この人は守りに長けているらしい。
彼の部隊員もまた、同じように守りに長けている者らで構成されている。
そのため、看守長の部隊は東門の守りを任されている。
要は、魔物が砦のなかに入らないようにする最後の防衛線だ。
その彼らの補佐をするのが、いまのヴェイルの役目だった。
「…………」
違うんだッ!
ヴェイルは心のなかで叫ぶ。
安全? 安心?
そんなものはいらない。
自分が必要としているのは、クロ・クロイツァーが受けてしまったほどの危険がほしい。
そして彼と同じように闘い、そして――
……そうじゃないと、彼に顔向けができない。
「……ああ、まァなんだ、その。1個だけ言わせてくれや」
ヴェイルの尋常じゃない様子を見て、何かを察したガラハドは、頭をボリボリとかいた。
「死に急ぐんじゃねェぞ、小僧」
「……ッ!」
ギョッとした。
まるで心の内を見透かされているかのような看守長の言葉。
「お前に何があったかは聞かんが、ワシは、そういう目をしたヤツに心当たりがある」
「…………」
「大事な人が死んじまって、自暴自棄になってヤケを起こす。何もできなかった自分が憎い。いっそのこと自分が死んじまったらイイんじゃねェか、とか考えちまう」
「…………」
まるで自分のことのように、すらすらと言い当ててくる。
ヴェイルは驚きで声が出ない。
「……まぁ、なんだ。ワシが言いてェのはな、あー、アレだ……生きろ。とにかく生き残れ。死ぬんじゃねェ。生きてりゃそのうち、自分を許してやれることがあるかもしれねェ。もしかしたら……だがな?」
「…………」
「余計なコト言っちまったな。まぁ、ジジイの戯れ言だが、ほんのちょっとでも、記憶に残しておいてくれや」
わざとらしく後頭部をかきむしるガラハド。
そして、こちらの返事は聞かず、背を向けてゆっくりと去っていった。
「…………」
ヴェイルは、その背中を見つめ続けた。
「…………」
ドワーフの小さな、しかし大きい漢の背。
そんな彼に、ヴェイルは誰にも聞こえない声でつぶやく。
「……スゲェ、な。
あんたは、ずっとこんな感情と闘い続けてるのか……」
きっと彼も、自分と同じなのだと、
ヴェイルは理解できた。
◇ ◇ ◇
東の果てから魔物がやって来る。
もうその大群は目前だ。
東門に集った兵士たちに緊張が走る。
魔物と闘う意思を見せたのは騎士団の兵士だけじゃない。
この砦で魔境アトラリアに向かうための準備や情報交換していた冒険者たちや、
金のために傭兵稼業をしている者たち。
そんな彼らもまた、戦場となるこの場所に立っていた。
その数、約300名。
戦力の増強を経て、1200余名の大所帯になった砦の戦士勢。
しかし、敵である魔物の軍団は目算で5000を超える。
あまりにも不足している。
全滅必至の絶望的な闘いに、しかしここに集まった者たちに諦めの色はない。
なぜなら、
「諸君、よく集まってくれた」
このグラデア王国で最も英雄に近いと誉れ高い、マーガレッタ・スコールレインがこの場にいるからだ。
その凜々しい声が聞こえると、ざわめきや金属音がピタリと途絶えた。
急造の物見櫓の上に立つ彼女は、整列した戦士たち全員の視線を一身に浴びていた。
総勢1200もの視線に物怖じせず、マーガレッタは続ける。
「諸君らもすでに耳にしているだろうが、アレは特級の魔物が率いている群れだ」
絶望的なのは魔物の数だけじゃない。
特級の魔物がいる。
その強さのほどは、もはや人知を超えている。
一騎当千どころの話じゃない。
一個体で万軍に匹敵する、正真正銘の怪物だ。
「だが、我々は逃げるわけにはいかん。たとえどれほど敵が強かろうが、負けるわけにもいかん。我々の後ろには、守るべき王国の民がいる。彼ら彼女らの平穏を、魔物の手で引き裂かれるわけにはいかん」
マーガレッタの言葉に、兵士や冒険者、そして傭兵たちはより一層気を引き締める。
ある者は武器を固く握りしめ、ある者は震える腕を掴む。
「みな、命を私に預けてくれ。かつて『朱眼のグリフォン』グリュンレイグを倒した偉大なる先人たちのように――」
マーガレッタは鞘に入れたままの剣を騎士団の大旗に向けた。
風がひとつ吹いて、大きく旗印が揺れ動く。
「――共にこの苦境を乗り越えようッ!!」
張り上げたその声に、一拍の間を置いて、
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!』
全兵士の雄叫びが轟いた。
マーガレッタの鼓舞に呼応し、その士気を極限まで高めていく。
魔物の軍団はおそろしい速度で迫ってくる。
もはや衝突は間近。
しかし、まだ距離は遠い。
兵士たちは、いまかいまかとその瞬間を待つ。
「この剣が諸君らの道を切り開こうッ!
――我が剣閃に続けッ!!」
マーガレッタは物見櫓の上で、居合いの構えをとる。
彼女の尋常ならざる闘気が立ち上り、構えた剣に収束していく。
「戦技、『斬空』――横一文字ッ!!」
裂帛の気迫による抜剣。
あまりにも速すぎるそれはまさに神速の域。
流麗に過ぎたる剣の軌跡は、遠く群がる不逞の輩共をことごとく斬り払う。




