43 魔物の軍団
「しかし、貴公の災いが『不死』になってしまうこととはな」
マーガレッタがスープを飲みながら言った。
看守室のテーブルには、味は決して美味しくはないが、量だけはある粗雑な料理が並んでいた。
「エーテル切れで動けなくなるなんざ、厄介な体質になっちまったな。ほれ、遠慮すんな。ドンドン食っとけ」
ガハハハと笑うのはガラハドだった。
「……助かりました」
クロは、ガラハドが管理していた牢獄の食料を恵んでもらっていた。
ジズとエルドアールヴの話をしている途中、最奥の牢の前で『エーテル切れ』を起こして倒れてしまったのだ。
動かない体。
呼吸がなくなり、完全に止まっている心臓。
そんなクロを見て、慌てた2人に説明したのがエリクシアだった。
不死なので、何がどうあっても死なないこと。
餓死はしないが、食事を取らないと死体と変わらないようになってしまうこと。
不死に関することすべてを2人に打ち明けて、理解してもらい、現在に至る。
思えば、教会で復活してから食べた物といえば供え物のリンゴと、エリクシアが口に詰め込んでくれていた干物ぐらいだった。
それから砦を走り回り、兵と一悶着して、この地下牢までやってきた。
エーテル切れになるのは当然のことと言えた。
「デオレッサの滝から帰る途中は、つまりエーテル切れだったワケか。なるほど、これで死んでいたはずの貴公が生きていた謎が解けた」
「その節は、ご迷惑をおかけしてすみません……」
意識はあったので、どういう流れでグレアロス砦に運ばれたのかは知っている。
生きていると伝えたくとも伝えられない。
どうしようもなかったとはいえ、何とも情けない姿をさらしてしまったものだ。
「謝ることはない。貴公が生きてくれていて、本当に良かったと思っている。
いやしかし、同志シャルラッハには謝っておかないといけないだろうな。彼女は相当にまいっていたようだから、貴公が生きていると知ったら心から喜ぶだろうが、あの性格だ。同時に、想像を絶するほど激怒するぞ?」
クロはふと、胸元に手をやった。
いまは死装束を着ている。
その服のなかに、硬い感触がある。
自分には不釣り合いな、メダル型の装飾品が首にかかっている。
シャルラッハが自分を死んだものと思い、アルグリロット家の紋章を手向けとして渡してきたのだ。
これがどれほど大事な物なのかは知っている。
「……でしょうね」
シャルラッハが誇っていた、貴族家の紋章である。
決して紛失してはいけない大事な物であろうことは間違いない。
それを、自分に手向けたのだ。
自分はシャルラッハ班の班員だ。
彼女にとって自分は、同期であると同時に部下でもあった。
彼女がどれほどクロ・クロイツァーという人間の死に責任を感じていたのか。
そう考えると、無茶な闘いをしてしまったことや、自分自身の死を深く考えていなかったことに、申し訳なさを感じた。
そして、それだけ大事な仲間として考えてくれていたということを知ったいま、一発二発ぐらいは殴られてもいいや、と思うぐらいには嬉しかった。
「……その、シャルラッハさんって誰ですか?」
エリクシアがパンをかじりながら聞いてきた。
なぜか目は合わせてくれなかった。
「俺の直接の上司で、同期の子だよ」
特に秘密にするほどのことでもないので、簡潔に説明した。
「……女の人ですか?」
「うん。エリクシアと同い年ぐらいの子だ。すごく強い子なんだ」
「そうですか」
「?」
何か返答が気に入らなかったのだろうか。
やけに淡泊な返事だった。
「ちなみにシャルラッハ嬢は、めちゃくちゃ美人だぜ」
ガラハドが、何か悪巧みをするような顔で話に入ってきた。
「ああ、たしかに騎士団内でも男女問わず、すさまじい人気だな」
マーガレッタはうんうんと頷き、そのあと「しまった」というような顔をした。
「聞いたぜ? クロイツァーは随分とシャルラッハ嬢に懐かれてたみてェじゃねェか」
「んー、田舎者がめずらしいみたいですよ」
何気なく答えたが、ガラハドは「くくく」と笑うだけだった。
何かおかしいことでも言ったのだろうか、とクロは首をかしげる。
「……ふぅん」
エリクシアは、カプッと勢いよくパンにかぶりつく。
一気にパンを頬張って、もぐもぐと食べ出した。
まるでリスのようだ。
「……」
クロはその様子を見て、よっぽどお腹が空いていたんだなと、壮絶な勘違いをして、自分の食事を続けた。
「女のカンってのはスゲェな。アヴリルの話が出たときはスルーしたのにな?」
ガラハドが堪えきれないといったように「くくくく」と笑う。
それを見て、マーガレッタが「ハァ……」と溜息をついた。
「話に乗ってしまった私がとやかく言うことではないが、ガラハドさんは人が悪すぎるぞ」
「そう言うな。年寄りの楽しみってヤツだ」
「そこまで年寄りというワケではないだろう……」
さっきまで自分も参加していたはずなのに、いま2人が何の会話をしているのかクロはまったく分からない。
「どういうことです?」
「貴公は気にするな。こっちの話だ」
「?」
多分自分には関係のない話なのだろうと納得したクロは、隣を見る。
すました顔で、ひたすらにもぐもぐするエリクシアがそこにいた。
◇ ◇ ◇
同じころ。
デオレッサの滝よりも南。
アトラリア山脈の麓にある平原では、異常事態が起こっていた。
ちょうどグレアロス騎士団が遠征で中継地点にしていた付近の平原である。
騎士団の部隊は完全に撤収しており、テントもすでになく、雑多にあった道具などもすべて回収されている。
当然、人は誰もいない。
今宵、その平原には轟音が鳴り響いていた。
何百何千という馬が、一気に駆け抜けているかのような轟音。
真っ直ぐに平原を駆け抜けているのは魔物だ。
その数はあまりにも多く、無数と言っていいほどの魔物の群れ。
いや、群れというよりは軍団か。
もしこの光景を人が目撃することがあったのなら、どうしようもない絶望に襲われて卒倒するだろう。
普通、魔物が群れを成すときには30体以上にはならない。
なぜなら、それ以上の数になってしまうと、半端な強さの魔物では統率することができなくなり、群れとして成り立たなくなるからだ。
30体。
それが、魔物が集団で行動するための限界数である。
しかしいまここにいる魔物は、それを遙か上回っていた。
「ケケケ」
魔物の軍団。
その先頭で、人影のような形のスライムが不気味に笑う。
スライムの名は、ウートベルガ。
彼こそがこの軍団の支配者であり、指揮している頭だ。
水竜を殺して、ヴォゼを山脈のガケに磔にしたあと、ウートベルガはアトラリア山脈に潜ませていた『仲間』を呼び寄せた。
「持つべきものは、仲間だよなァ」
大型の狼に似た、双頭の魔物オルトロスの背に、ウートベルガは乗っていた。
獰猛極まるオルトロスに乗るなど、普通では考えられない。
実力的には特級に近い上級の魔物。
それが、双頭狼である。
そのおそろしく凶暴なオルトロスの背を、ウートベルガは乱暴な手つきで叩く。
「テメェもそう思うだろ? グルドガ」
グルドガと呼ばれたオルトロスは、ひとつの頭で「グルルル」と返事をした。
そして、もう一方の頭は、遙か前方を見据えていた。
「もう少しだ、もう少しで好きなだけ暴れさせてやるぜ」
その先にあるのは、グレアロス砦。
ウートベルガがそこで何をするのかなど、火を見るよりも明らかだった。
この魔物の軍団は、そのすべてがウートベルガを信奉する魔物たちで構成されている。
ウートベルガは『仲間』と言うが、実質的に『配下』と言って差し支えない。
下級の魔物まで合わせると、その数、実に5000にも届く軍団だ。
おそるべき求心力。
これが特級の魔物――魔境序列・第70位の支配力である。
弱肉強食、実力主義の魔物にとって、強いことは何よりも羨望の理由となる。
序列第70位ともなれば、深域や境域あたりでたったひと声かけるだけで、これほどの数の魔物が集まってしまう。
たかが70位と侮るなかれ。
されど70位。
魔境アトラリアには小型の魔物も合わせると、約666億も存在する魔物たち。
その、上から70番目に強いのがウートベルガなのだ。
「さぁて、グレアロス砦まであと少しか」
ウートベルガが双頭狼のグルドガの背に立つ。
そして、追随してくる後方の魔物に向かって吼えた。
「テメェら、そのまま走りながら聞けッ!」
後方を睥睨するウートベルガの赤く光る瞳には、尋常ならざる数の魔物たちがいる。
「待たせたなァ。これからオレさまは、この先にある人類の拠点を攻撃するッ! テメェらも殺してェだろ!? 人間共をよォ!」
ウートベルガの言葉に、四足歩行で疾駆する獣型の魔物コボルトの群れが次々に吼える。
同じように、こん棒や槍を持ったゴブリンたちも、よだれを垂れ流しながら喝采の声を上げた。
「遠慮はいらねェ、オレさまが許す! 何もかもブッ壊して、ブッ殺せッ! 本能に従って、殺戮欲求に身を任せろッ!」
トロールが重低音の咆吼で悦びを表現する。
一際巨大なひとつ目の巨人キュクロプスも同じように、雲を穿つかのような叫声を上げた。
「向かってくるヤツラはブッ殺せ! 逃げるヤツラも追いかけて徹底的に殺しちまえ! 建物があるなら全部ブッ潰せッ! レリティアの人間共の痕跡なんざ、跡形もなく消し飛ばしてやれッ!」
5000もの魔物のすべてが、歓喜の声を上げ、喜び勇む。
ウートベルガの言葉に殺意は彩られ、彼らの心に邪悪な火が燃え上がる。
「テメェらはオレさまが選りすぐった凶暴な魔物だッ! オレさまが許す!
思うがままに、暴虐の限りを尽くせッ!」
集まった魔物のすべてが、ウートベルガが操る人の言葉を理解しているわけではない。
だが、ウートベルガの発する言葉から滲み出るドス黒い感情。
魔物たちはそれを理解して、自分たちが何を命令され、何を許されているのかを分かっていた。
「人間を見たら、とにかく殺せッ! 女子供、弱そうなヤツは特に酷たらしく殺してやれッ! この世に生まれたことを後悔させてやれッ!!」
すなわち、人類への殺戮衝動。
ウートベルガの邪念によって起爆された殺意は、とどまることを知らない炎となって、平原を疾く駆け抜けていく。
「……ケケケ、そうすりゃイヤでも出てくんだろ。人間ってのは、そういうモンなんだろォ? 絶対に逃がさねェぞ、クロ・クロイツァー。必ず、オレさまがテメェをブッ殺してやる……ッ」
どこまでも苛烈に。
どこまでも獰猛に。
激しく煮えたぎるような凶悪な殺意は怒濤のごとく、真っ直ぐに、グレアロス砦に向けられていた。
「さあ――この空をヤツラの悲鳴と絶望で、
この大地をヤツラの血と涙で染めてみせろッ!!!」
――どんなに善良な人でも、生きているだけで誰かに憎まれてしまう――
それを言葉にしたのはクロ・クロイツァー自身である。
まるで呪いにかけられたかのように、彼自身もまた知らぬ間に、見知らぬ誰かの恨みを買ってしまっていた。
◇ ◇ ◇
「これは――」
その鐘の音が響き渡ったのは、クロたちが食事を終えたすぐあとのことだった。
グレアロス砦全域はおろか、地下牢の看守室にまで届いたその音は、火急の事態を知らせる早鐘だった。
「――魔物の襲撃ッ!!」
クロは椅子をはね飛ばして立ち上がる。
マーガレッタもガラハドも同様だった。
「マズいな。タイミングが悪すぎる。おい、マーガレッタ!」
ガラハドが手斧を確認しながら声を張り上げる。
その言葉だけで理解したのか、マーガレッタは眼だけで頷いた。
「同志クロイツァー、そしてエリクシア。貴公らはここで待機だ」
クロは、これまでの訓練どおり、反射的に騎士団の集合場所に意識が向いていた。
それを言葉だけで引き戻すマーガレッタ。
「貴公らはいま、騎士団に追われている身だ。そして特にエリクシア、貴公は絶対に誰にも見つかってはいけない。いいか、この地下牢から外へは絶対に出るなよ?」
遅れてクロが気づく。
「……そうか、騎士団は悪魔を捜していた。そして、そのすぐあとに魔物の襲撃があったってことは……」
「そう、すべて悪魔の仕業にされる。忘れるなよ? 我々の本当の『敵』は、あのデルトリア伯だ。こちらのしっぽどころか、影すら踏ませてはダメだ。どんな卑劣な手を使ってくるか分からん相手だからな」
マーガレッタが額から冷や汗を流していた。
厄介極まりない相手。
何をするか分からない異常者。
それがデルトリア伯なのだと、マーガレッタは言う。
「クロイツァー。エリクシアを頼んだぜ」
ガラハドが真剣な表情を見せる。
もう闘う者の顔になっている。
これが長年の間、闘い続けてきた本物の戦士。
「はい。彼女は俺が、守ります」
「よし、いい返事だ」
ガラハドは白いヒゲを触りながら、豪快に笑った。
「ガラハドさん……」
エリクシアは何か言いたげで、けれど何も言葉が出ない。
こんなときでも、エリクシアとガラハドには心の溝がある。
いってらっしゃいとも言えない。
いってくるとも言えない。
そういう仲ではない。
互いの大事な人を亡くした痛みは、こんな少しの時間ではぬぐい去ることなんてできやしない。
「…………」
だからクロはエリクシアの背中を、そっと、押してあげた。
優しく、ほんの少し、触れる程度に。
「…………」
エリクシアがこちらを見る。
まるで、迷子になった子供のような、不安で不安で堪らないといった表情だ。
そんな彼女を勇気付けるように、真っ直ぐ見返してやる。
すると、
「…………っ」
エリクシアは覚悟を決め、前に出る。
「……お気を、つけて」
たどたどしく、慣れていない言葉。
けれど、小さな少女の、精一杯の勇気を振り絞った言葉がそこにあった。
「……エリクシ……っ…………ッ」
そして、そんな想いが届かないほど、ガラハド・ベネトレイトという男は間の抜けた大人ではない。
「――おう!」
顔はそっぽを向いたまま。
たった一言。
されど大きな声で。
たしかに、エリクシアの想いを返す、返事をした。
ガラハドはそれだけの言葉を残して、意気揚々と看守室から出て行った。
「…………」
エリクシアはその後ろ姿をずっと見つめていた。
交わした言葉はきっと、2人にとって大きな前進であったに違いない。
「うん」
クロは何となく、エリクシアの頭を撫でた。
「……ありがとうございます、クロ」
彼女は嫌がる素振りは見せず、眼をつむって身を任せていた。
「まったく、いい年をして不器用な男だな」
くすくすとマーガレッタが笑う。
ガラハドの後を追うように看守室から出て行くマーガレッタに、クロが声をかける。
「副団長も、お気をつけて」
「ああ、行ってくる。貴公らも、気をつけて」
グレアロス砦の長い夜は、こうして幕を開けていく。
◇ ◇ ◇
地下牢に残された形となったクロとエリクシア。
地上では、いまだに警鐘の音が響き渡っている。
ここからでは夜空が見えないと分かっていても、クロはなぜか天井を見上げてしまう。
「……」
「……クロ? どうかしましたか?」
エリクシアが真紅の瞳で見つめてくる。
彼女の背後には、ゆらゆらと揺れる悪魔の写本。
「いや……なんでもないよ。さ、食器を洗っておこう。このままにしておいたら、あとで怒られちゃいそうだ」
軽い言葉をつく。
しかし、どうしてか胸騒ぎが止まらない。
このままここにいて、本当にいいのだろうか。
不安というよりは、予感――悪寒の類いか。
理解不能の焦り。
机の上の食器を片付けながら、クロは逸る心を必死に抑えつけていた。




