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エリクシアオブライフ ~不死の災いと悪魔の写本~  作者: ゆきわ
第1章『英雄胎動』編

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35 ひとつの終焉、新たな脅威


 グレアロス砦が悪魔の出現に騒然となっているころ。

 デオレッサの滝では、凄惨な闘いが繰り広げられていた。


 いや、もはやこれは闘いではない。

 拷問だ。


「ケケケ。どうしたよヴォルトガノフ、昼間の威勢がなくなってんぞ?」


 からかうように笑うのは、液体生物のスライムだった。

 人型をとっている。

 変幻自在のスライムでも、この魔物は固定の姿を好む珍しいタイプだった。

 その真っ黒な体から、見た目は完全に『人の影』だ。

 眼の部分だけが赤く光っていて、ご丁寧にもわざわざ口をつくって自分があざ笑っていることを分かるようにしている。


「こんな弱りきったテメェを放置しておくなんて、できねェよなぁ? できねェ。たとえ悪魔の捕獲が最重要の任務だったとしても、ムリな話だよなァ」


 誰に聞かせるわけでもなく言い訳をしていた。

 この黒い人型のスライムが『特級の魔物』である証明はそれだけで十分だった。

 総じて単細胞の魔物であるはずのスライムが、人語をしゃべっているという事実がすでに異常なのだ。


「この状況なら、『兄弟』もきっと同じことをするハズだ。デルトリア伯のガキは……知ったこっちゃねェ」


 スライムの視線の先には、水竜ヴォルトガノフがいた。

 水竜の体は、その鱗や皮膚のほとんどが剥がされて、とめどなく血が流れて痛々しい姿になっている。

 あまりにもボロボロで、瀕死の重傷を負っているのは明らかだった。


「元……とはいえ魔境序列・第七位を、このオレさまの手で殺せるんだ。こんな絶好のチャンスを逃す手はねェ。別のことなんざしてる場合じゃねェって話だ」


 スライムは「ケケケ」と笑う。

 そう、ただ笑っているだけだった。


「――――ッ、…………ッッ」


 それなのに水竜は口から大量の血を吐き、苦しみもがく。

 眼から血涙を流し、水面をのたうち回る。




 クロたちがこの滝壺を去ったすぐあとのこと。

 水底に戻ろうとした水竜を攻撃したのが、この『特級のスライム』だった。


 スライムに襲われてから数時間が経過していた。

 水竜は終始この状態が続いている。

 これは当然、完全回復薬フルポーションの副作用ではない。


 水竜を苦しめていたのは――『猛毒』だった。


 普段なら、特級とはいえこんな『スライム』程度の魔物など、水竜の『魔法』で一撃のもとに消し炭にできたはずだ。

 しかし、ヴォゼとの戦闘後の水竜はすでに疲労困憊だった。

 もう闘える力などほとんど残っていなかった。

 そこを狙われたのが痛かった。


 徐々に削り取られていく命。

 それでも滝壺に入ったこのスライムを殺そうと、水竜は必死に抗った。

 およそ6時間。

 毒で蝕まれた体を奮い立たせ、苦痛に耐えてそれでも闘った。

 けれど、とうとうその力が尽きる刻が来た。


「――――――――ッッ!!」


「おおッ!?」


 水竜の全霊を込めた体当たりは、水の上に浮かんでいたスライムには当たらない。

 いまは固形になっているとはいえ、元は液体の魔物だ。

 ただの物理攻撃なんて効くはずがない。


「ケケケ、怖ェ怖ェ。まだそんな元気があったのか」


「…………ッ」


 あざけるスライムを、水竜は血涙を流す瞳で睨む。

 自分たち母娘おやこの聖域に、こんな汚らわしい魔物を侵入させてしまった。

 水竜が言葉を話せるのなら、こう言っていただろう。


――「くやしい」、と。


 こんなヤツにここまで言いようにやられているのが口惜しい。

 水竜の眼は、たしかにそう言っていた。


「さんざん笑わせてもらったしな。そろそろお終いにしてやろうか。いや、よくここまで耐えたもんだ。さすがヴォルトガノフさんだぜ」


 人型のスライムは、水竜に指を向けた。

 そして、


「あばよ、『魔物喰らい』」


 スライムの黒い指が伸びて――水竜の首を刎ねた。


「――――――――…………」


 幕引きは静かに。

 ざぶん……と一度水中に沈んだ水竜の胴体は、そのあと、死んだ魚のように浮かんできた。

 逆に、斬り飛ばされた水竜の頭部は、深い水底に沈んでいく。


 かつて魔境を震撼させた特級最強の魔物。

 ここに、ひとつの生きる伝説は終わりを告げる。

 水竜ヴォルトガノフは、1000年という長い寿命を終えた。




「さぁて、コイツの腹のなかにいるヴォゼの死体でもおがんでおこうかね。さぁ、どんな死に顔をしてるのか、楽しみだぜ」


 スライムはウキウキとした様子で、水に浮かんだ水竜の長大な体に乗る。

 その影のような黒い手を、鋭く振り抜いた。

 スパッと斬れる水竜の腹。

 水竜が死んでいるため、血は勢い良くは流れない。


「さてさて、どうかなどうかなァ」


 裂いた腹のなかをスライムが無遠慮にのぞき込む。

 死者への敬意も弔いの観念も、このスライムには一欠片も存在しない。

 そして、


「うォおおおおッ!?」


 スライムが声を大にして仰け反った。

 水竜の腹から這い出てきたのは――


「……マジかよ、テメェ。まだ生きてたのかよ……」


――特級のオーク、ヴォゼ。


「ハァッ……ハァッ……」


 ヴォゼは荒い息を何度も繰り返していた。

 クロ・クロイツァーの一撃で心臓にまで達する傷を負い、

 水竜の強烈な胃液に何時間もさらされ続け、それでもなお、生きていた。

 おそるべき生命力だった。


「…………誰かと思えば、ウートベルガか」


 ヴォゼは血を吐きながら、スライムに向かって言う。

 どこからどう見ても瀕死だった。

 しかしそれでも、その威厳には衰えがない。


「ケケケ……ケケケケケッ!!」


 ウートベルガと呼ばれた黒い人型のスライムは大笑いした。

 常軌を逸したその笑いは、ウートベルガの邪悪さを殊更に際立たせていた。


「水竜に呑まれる瞬間からだが、見てたぜ。無様だなァ、あんた。あんなゴミみてェな人間にやられるなんてよ」


 その眼と口だけの黒い顔を、ヴォゼに近づけるスライム。


「…………」


 ゆっくりと立ち上がろうとするヴォゼは無言だった。

 手に持った剣槍グレイヴを固く握りしめ、その戦意は陰りがまったくない。

 ウートベルガを敵と見なしているのは明らかだった。


「やらせるかよ、バァーカッ!」


 スライムが、ヴォゼの頭を踏みつける。

 液状の体を凝縮して、強固に整えた足での踏みつけは岩をも砕く威力だ。


「……なんだ、怯えておるのか? ウートベルガ」


 頭を踏まれながら、それでもヴォゼは不敵だった。


「……アァ!?」


「大方、闘いが終わるまで山のどこかで震えていたのであろう? 臆病者のキサマらしい振る舞いである。情けないこと極まりない」


「……何、笑ってんだテメェ。状況が分かってねェのかッ!」


 図星をつかれた体となり、動揺したウートベルガ。

 その心を誤魔化そうと、ヴォゼの頭をさらに踏みつける。


「エストヴァイエッタさまのお気に入りだからって調子に乗ってんじゃねェぞボケがッ!」


 ズドン、とすさまじい勢いでヴォゼの顔を蹴り上げるウートベルガ。

 ヴォゼは為す術なく水竜の体を転がっていく。


「……エストヴァイエッタ?」


 フラフラになっているヴォゼは、己が横になることを許さない。

 おそるべき気力だった。

 猛毒に侵された水竜の体のなかにいたヴォゼにも、スライムの猛毒が効いているのは目に見えて明らかだ。

 立ち上がることすら困難な状態で、それでも闘おうと剣槍グレイヴを握る。


「くくく……あのクソババアが、どうかしたのか?」


「テ、テメェ……ッ!! 殺す、ブッ殺すッ!!」


 そして、ウートベルガは再びヴォゼの頭を踏みつける。

 容赦なく踏みつける。


「クソがッ! なんでエストヴァイエッタさまは、テメェみたいなのを一目置いてるんだッ!! ふざけんじゃねェぞッ!!」


 感情のままに何度も何度も踏みつける。

 しかし、


「嫉妬か……。下らぬぞ、ウートベルガ。あのババアは自分に従う者など興味がない。ゆえにこそ、キサマらは相手にされぬ。アレは、我以上の戦闘狂であるからな」


「黙れッ!!」


「キサマも千年前の闘いは知っておろう? エストヴァイエッタはかつて闘った『不死者アンデッド』が忘れられぬがゆえ、いまでも闘える相手を望んでおる」


 千年前。

 たったひとりで魔境アトラリアに攻めてきた不死者がいた。

 おそろしく強く、破竹の勢いで『禁域』を突破しかけ、『最奥』にまで届きかけた不死の怪物。


 そのとき闘ったのが『最古の六体』が一柱、『傾天の幼麗』エストヴァイエッタだった。

 禁域の一部がまるごと消し飛ぶほどの壮絶な死闘を繰り広げ、そのまま決着がつかなかった伝説の闘いがあった。


 水竜がまだ生まれたての幼生だったころの話である。

 500年ほどしか生きていないヴォゼやウートベルガに至っては生まれてすらいないころの話だ。


「エストヴァイエッタの寵愛を受けたければ闘って勝てば良い。くくく……だが、キサマ程度では一瞬で殺されるだろうがな」


「テメェがエストヴァイエッタさまを語るんじゃねェ!!」


 執拗にヴォゼを叩く。

 滅多打ちだった。

 その衝撃で水竜の巨大な死骸が揺さぶられ、水面にいくつもの波を立てるほどだった。


「あんなゴミみてェな人間にやられたテメェが強さを語るんじゃねェッ! 笑わせてくれるぜ、なにが魔境序列・第十位だッ! なにが『魔物の英雄』だッ! オレさまのほうが強ェに決まってる!」


 ウートベルガは激情を叫びながら、ヴォゼが持っていた剣槍を奪い取る。

 そして、ヴォゼの分厚い胸板にそれを勢いよく突き刺した。


 ヴォゼの真っ赤な血液が飛び散り、ウートベルガの顔にかかる。

 ペロリとその血を舐めながら、ウートベルガは嘲るように笑う。


「ケケケ。ほら見ろ、ここでテメェはオレさまに殺されるんだ」


「……ガフッ、……ッ」


 腹から背中へ、自分の体を貫通した剣槍を見ながら、ヴォゼが吐血する。


「ゴミのような人間、と言ったか」


「……まだ生きてんのかよッ!!」


「違うな。ゴミはキサマだ、ウートベルガ」


 あらゆる部位から血を流しながら、ヴォゼは続ける。

 凶悪な笑みで、瀕死のヴォゼは語り続ける。


「忠告だけしておいてやろう。悪魔の写本ギガス・グリモアを求めるのは止めておけ。キサマがゴミと言ったあの人間……クロ・クロイツァーは悪魔の守護者である。キサマ程度では荷が重い。

 キサマでは、クロ・クロイツァーには敵わぬ。足下にも及ばぬ。アレは我が唯一認めた天敵であるがゆえ」


「……テ、テメェ」


「予言しよう、ウートベルガ。

『悪魔』を求めるというのなら――キサマはクロ・クロイツァーに殺される」


「うるせェええええええええええッ!!」


 ウートベルガは渾身の力を込めて剣槍を握る。

 そして、投げ槍のようにヴォゼを投げ飛ばした。

 その勢いはアトラリア山脈のガケまで届き、岩肌に剣槍が深々と突き刺さる。


「……ケ、ケケッ! ザマァねェ。好き放題言いやがって……。そのまま死に恥をさらし続けろやッ!」


 ガケの高い場所にはりつけとなったヴォゼの声は、ウートベルガにはもう届かない。


「これでオレさまが魔境序列・第十位だッ!

 ええっと、元が七十位だったから、いくつ上がったんだ? わかんね……。まァいいや。ケケケッ! 大躍進だぜッ!」


 黒い手を叩いて喜ぶウートベルガ。

 静かになった滝壺で、彼の声だけが響く。


「……クソッ。なんなんだ、この微妙な気分は」


 しかし、一転して。

 ウートベルガはイライラした様子で、真っ黒な頭をガリガリとかきむしる。

 そして、ふと気づく。

 自分がどういう理由でイライラしているのか。


「……クロ・クロイツァー、だったな」


 比べられたからだ。

 足下にも及ばないと。

 たかが人間に。

 この特級である自分が。


「たしか騎士団の格好をした連中と逃げていったな。……砦か? 待ってろ、すぐに殺してやる。オレさまをナメんじゃねェぞ、ヴォゼ」


 ウートベルガは怒りの形相で、ガケに刺さったヴォゼを見る。

 特級のオークはもう動いていない。


「チクショウ、絶対に、許さねぇ……。

 絶対に殺してやるぞ、クロ・クロイツァー」


 そうしてウートベルガは滝壺を去っていった。

 デオレッサの滝は、ようやくの静寂を取り戻した。




 ◇ ◇ ◇




 夢か現か。

 水竜ヴォルトガノフは消えゆく意識のなかで幻のような光景を見た。


「――おかえり、おかあさん」


 水底に落ちていく水竜を迎えたのは、姿を見るのも遠く懐かしい愛娘の姿だった。

 あのころと何も変わらないデオレッサのその姿。

 貧弱で、頼りない。

 だからこそ放っておけない娘だった。


――デオレッサ、会いたかった。


 デオレッサに向かって、水竜は言葉にならない言葉で返す。

 いまならきっと通じると、どこかで理解していた。


「泣いてるの? おかあさん」


 ああ、ああ。

 泣いているとも。

 この滝壺を守りきれなかった。

 デオレッサとの約束を守りきれなかった。

 不甲斐ない母を許しておくれ。


「そんなことはないよ。おかあさんはがんばってくれた」


 いいや、何もできなかった。

 500年、ただこの滝壺にいただけだ。

 ただムダに生きていただけだ。

 他には何もできなかった。

 何も成し遂げられなかった。

 最後にちょっとだけ、デオレッサと同じ匂いのする少女を守れただけだ。


「そう、だから『縁』ができた。おかあさんのおかげ」


 縁?


「そう、だからこれで、おかあさんとずっと一緒にいられるの」


 ああ、ああ。

 デオレッサと一緒にいられるのなら、こうして死んでしまったのも悪くない。

 もっとはやくに死ぬべきだった。


「ちがうよ。おかあさんがいままでがんばってくれたから、最後に『縁』をつないでくれたから、こうしてまた会えたの」


 なら、この500年はムダではなかったのか。

 ひたすらに滝を守ってきた意味はあったのか。

 ああ、なら。

 がんばってきた甲斐があった。


「さぁ、行こう、おかあさん」


 どこへ?


「あの子のところへ。

 助けてあげたいんだ、わたし」


 助ける?


「わたしひとりじゃ何の力もないの。だから、どうすることもできなかった」


 デオレッサは弱いからね。

 だから守ろうとした。


「うん。でも、そんな強いおかあさんが手伝ってくれるなら、わたしもあの子の力になれるんだ。いいかな?」


 ああ、ああ。

 いいとも。

 デオレッサがそうしたいのなら、いくらだって力を貸そう。


「ありがとう、おかあさん」


 デオレッサは水竜の頭に乗る。

 ゆっくりとその頭を撫でて、嬉しそうに微笑んだ。

 水竜も同じように、嬉しそうに眼を細めた。


 それは――魔物と人間が寄り添い合う、

 奇跡のような光景だ。




 500年の時空を超えて、母娘は再会した。

 もう二度と離れることはないだろう。

 この絆は、決して誰にも引き離すことはできないのだから。



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