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エリクシアオブライフ ~不死の災いと悪魔の写本~  作者: ゆきわ
第1章『英雄胎動』編

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32 力加減

 陽も落ちて、碧色が濃くなりすぎた宵の空。

 夜がはじまったばかりだというのに、もう空いっぱいに星が瞬いている。

 心が広がるような景色だが、いまはそんなものを眺めているヒマはない。


「……どこだ」


 教会の外に出たクロ・クロイツァーは周囲を見渡す。

 ひらひらの死装束を着て、足は裸足。

 手には巨大な半月斧バルディッシュを握っている。

 どう見ても不審者だ。


 もう片方の手に持ったリンゴをかじる。

 瑞々しい果実の甘みが口いっぱいに広がる。

 エーテルの補給はとりあえず済ませられた。

 このリンゴは、自分を見て泣いておびえていたシスターからもらったお供えの果物だ。


 それにしても、あんなに怖がらなくてもいいのにとクロは思う。

 が、シスターからすれば死体が突然起き上がったのだから仕方ない。安置所という場所も雰囲気も悪かった。存分におびえてくれと言っているようなものだ。


「こっちだッ! 悪魔がいたぞ!」


 遠くのほうでそんな怒声が聞こえた。


「あっちか……ッ」


 ダッと駆け出すクロ。

 あちこちで警笛がなっている。

 悪魔が出たという非常事態に、招集がかかった兵士たちと慌てふためく一般人の流れで通りはごった返していた。


 グレアロス砦はとにかく人が多い。

 表通りは混乱に満ちていて、もはや走るどころか歩くこともままならない。

 悲鳴と怒声が入り交じった喧騒で、収拾がつかない事態になっている。

 訓練でこういう事態はシミュレートしているはずだが、『悪魔の出現』という想定以上の出来事に、現場の混乱は異常なまでに高まっていた。

 正規兵や予備兵の裁量を遙かに超えてしまっている。


「……これはマズい。騎士団の幹部が出てくる」


 一刻を争う状況だ。

 はやくエリクシアを助けて身を隠さないと、待っているのは彼女の破滅だ。

 この事態を収めるために、副団長のマーガレッタ・スコールレインを筆頭に、このグレアロス騎士団の役職幹部なんてものが出張ったりでもしたらエリクシアの救出は目に見えて難しくなる。


「はやくしないと……」


 急ぐクロは裏通りに入った。

 裏通りは道が複雑極まりない迷路のようになっていて、自分の土地鑑では目的の場所まで辿り着くことは不可能だ。

 道の脇に積み重なったゴミ用の木箱に足をかけて、屋根の上によじ登る。


「……よし」


 屋根伝いにエリクシアを捜す。

 目立ってしまうかもしれないが、もうこれしかない。

 この辺りは建物が密集している。昔やっていた山の木々を渡る訓練と比べたら、平地を歩くのと大差なかった。


 建物から別の建物へ、身軽に跳んでいく。

 夜の闇のなか、黒い影が屋根の上を疾走する。



 ◇ ◇ ◇




 エリクシア・ローゼンハートは息を切らせて走っていた。

 砦の街を利用していたとはいえ、この辺りは来たことがない。

 人の少ないところを選んで道を進んでいたが、裏通りに入った途端に自分がどこにいるのか分からなくなってしまった。

 何度も道を間違って行き止まりに入ってしまった。

 その度に来た道を戻って別の道を進んでいく。


「ハァ……ハァ……ッ!」


 後ろからは兵士たちの怒声が聞こえてくる。

 心臓がバクバクする。

 捕まれば殺される。

 足を止めてしまったら自分なんてすぐ捕まってしまう。

 こうなってしまったら人も魔物もかわらない。

 ただひたすらに、こわい。


「いたぞッ! こっちだッ!!」


「……ッ!!」


 悲鳴を噛み殺す。

 逃げる、ひたすらに逃げる。


「待てッ!」


「悪魔め……絶対にぶっ殺してやるッ!」


 追いかけてくる兵士。

 鎧の音がせまってくる。

 剣を抜く音が聞こえてくる。


「どうして……」


 土の凹凸おうとつに足をとられて転げかける。

 すんでのところで体勢を立て直し、再び走る。


「わたし、何にもしてないのに……ッ! 何も悪いことしてないのに……ッ! どうして……ッ!!」


 世界への理不尽を叫ぶ。

 本当に何もしていない。

 このグラデア王国で決められた法律を破ったこともない。

 こんな、見ただけで追いかけられるほど悪いことなんて一度たりともしたことがない。

 なのにどうして、と。


「わたしッ……殺されるようなことなんてしてないッ!!」


 冷たい涙が頬を流れる。

 バケモノを見るかのような人の視線。

 敵対する視線。

 人の殺意が突き刺さる。

 エリクシアの心をえぐっていく。


「泣いてる……のか?」


 逃げるエリクシアを見て、兵士のひとりがそう言った。


「騙されるな。アレが悪魔のやり方だッ!」


「でも、子供だ……」


 別の兵士もまた、悪魔の姿に動揺していた。


「アレは人を魅了するための手段だ。グリモアを隠すことはできない。だからこそ、悪魔は人を誘惑する。アレは魔物と思え、絶対に生かしておいてはいけない」


「でも……」


「悪魔がどれだけの街や村を滅ぼしたと思ってるんだ! お前の故郷も悪魔のせいで滅んだんだろうがッ!」


 知らない、知らない。

 そんなことやっていない。

 エリクシアは声なき声で否定するが、


「そうだった……ッ! クソ、人の良心につけこみやがって……ッ!」


「そうだ、悪魔は魔物を呼ぶ。全部コイツのせいだ。コイツが、俺やお前の家族を殺したんだッ!!」


 兵士の敵意がエリクシアに突き刺さる。

 すべての災いは悪魔のせいだと。

 この世の不幸は悪魔が行ったものなのだと、彼らは本当に信じている。


 人類を滅亡させる絶対悪。

 決してくつがえすことのできない、間違った世界の真理。


「何もしてない……わたしは、何も……ッ」


 もうダメだ。

 いつだってそうだ。

 何を言っても聞いてもらえない、信じてもらえない。


「ハァ……ハァ……ッ」


 いっそ魔法を使おうか?

 いや、ダメだ。

 そんなことをしてしまっては、それこそ彼らの言う『悪魔』ができあがってしまう。

 それに、人を殺してしまうなんて自分には絶対できない。


 逃げることしかできない。

 ただひたすらに走っていく。


「――――ッ!?」


 そして、エリクシアは見てしまう。

 自分が走っていく道の先。

 道脇にあったドアが開かれて、中から人が出てきた。


 何人も、何人も。

 エルフの男、ヒュームの女、ドワーフの老人。

 老若男女種別さまざまな人々が、そこにいた。


「悪魔だ……」


「人類の敵……ッ」


「息子を、返せ……」


 それぞれ農具を持っていた。

 何に使うかなんて決まっている。

 悪魔が出現したという話を聞いて、捜していたのだろう。

 ただの一般人でさえ、エリクシアを殺そうと殺意をみなぎらせる。


 彼らがどうして自分を狙うかなんて考えるだけムダだ。

 すべて悪魔のせい。

 この世の不幸はすべて、エリクシアのせい。


「――――――――」


 ああ――、とエリクシアは悟った。

 絶望の衝撃は計り知れなかった。



――悪魔は生きることを許されない――



 こんな想いをするのなら、もういっそのこと。

 死んでしまえば――楽になるんじゃないか。


「……あッ!」


 そんなことを一瞬考えてしまったとき、エリクシアは地面に落ちていた木の切れ端に足をとられて転んでしまった。


「……ああ……」


 起き上がろうとするが、もう間に合わない。

 追ってきていた兵士に追いつかれた。


「…………あ……」


 上半身だけ起こしたエリクシアは、断罪の刃を待つ死刑囚のように。

 ただ涙を流しながら、どこか虚ろな目をしていた。


「手間取らせやがって……」


「気をつけろ、罠かもしれん」


「これで終わりだ」


「覚悟しろ、悪魔ッ!!」


 エリクシアの真後ろに、追ってきていた兵士が立った。

 武器を手に、その憎き首を刎ねようとしていた。

 エリクシアはただその刻を待つことしかできなかった。


「…………」


 そして、ふと思う。

 自分の人生は――いったい何だったんだろう、と。

 人に恨まれて、憎まれて。

 自分が何者かも分からずに生きて、そして憎悪の対象として死んでいく。



――『エリクシアの人生』は、そんなことのために在ったのだろうか――



 エリクシアは首にかけていたロザリオを握りしめる。

 そして、祈る。

 いつだって自分を助けてくれていたその存在に。



「――神さま、ごめんなさい……」



 ひとりで生きることになった3年前。

 最初は当然うまくいかなかった。


 魔物を倒してお金を稼ごうと森に入って遭難してしまったことがある。空腹で倒れそうになったとき、どこからかパンが降ってきた。

 高熱を出して宿屋で寝込んでいたとき、気がついたら高級な薬が置いてあったこともある。店主に聞いても誰がそんなことをしたのかは分からなかった。

 盗賊と遭遇して逃げていたら、とてつもない地震が起こって助かったこともある。


 何度も何度も、そういうことが続いた。


 誰か親切な人が自分を助けてくれるわけがない。

 自分は悪魔だ。

 何年も自分のことを見守ってくれていて、明らかに自分が悪魔だと知って助けてくれる存在。

 人間じゃない何かだ。

 そんな存在なんて、神さまぐらいしかいない。

 悪魔を助ける神なんて笑い話にもならないけれど。

 それでも、エリクシアはそう信じている。


 自分ではどうしようもない苦難に遭遇したときには、いつも神さまが助けてくれていた。

 でも、それも終わり。

 さすがに、もうそんな奇跡は起こらないだろう。



「――ごめんなさい、クロ。君を助けられなかった……」



 エリクシアは最後にそう呟いた。

 兵士たちの刃が、エリクシアの命を刈り取らんと動く。




「――いいや。助けられてるよ」




 頭上から、そんな声が聞こえた。

 そして次の瞬間、エリクシアの背後で強烈な金属音がした。


「――え?」


 エリクシアが後ろを振り返る。

 死装束を着たクロ・クロイツァーがそこにいた。




 ◇ ◇ ◇




 間に合ってよかった。

 涙が止まらない様子のエリクシアを見て、クロはホッとした。


「何を諦めてるんだ。行くんだろ、アトラリアに」


 4人の兵士が振り下ろしたそれぞれの剣を、半月斧バルディッシュで完全に受け止めていた。


「な、何だ……キサマッ!!」


 兵士のひとりがクロに向かって怒鳴る。


「あんたらが何なんですか。

 女の子ひとりをこんな大勢で追い回して、何やってるんですか」


 騎士団の先輩……なのだろう。

 顔は見たことはない。

 砦にいる兵士は数千にもなる。

 同じ部隊か、よほどの有名人じゃない限り、顔を覚えることなんてできない。


「コイツは悪魔だ、見て分からんのかッ!?」


「そんなもの、知ったこっちゃないです」


 言って、クロは受け止めていた4つの剣を力押しで弾く。

 そして半月斧の柄を豪快に振るった。


「うおッ!?」


「……がッ」


 その威力に、4人の兵士が壁に叩きつけられる。

 ドサドサと倒れ伏す兵士たち。


「……あれ? そんなに強くやったつもりじゃないんだけど……」


 力加減を間違えてしまったようだ。

 ヴォゼの闘いと同じような感覚でやったのがマズかったか。


 格好からして彼らは正規兵だ。

 オークを1対1で倒せるぐらいには強いから、さすがにあれぐらいで死んではいないはず。


「ほらエリクシア、立って」


「……え? あ、はい……ッ!」


「さあ、逃げるぞ」


 エリクシアの手をとって、走ろうとする。

 しかし、


「ま、待てッ!!」


 先ほどエリクシアの正面にいた住人たちがそれを遮ろうとする。


「何? ちょっと急いでるんですが」


「その悪魔は人類の敵なんだッ! 逃がされてたまるか!」


 憎しみの目でエリクシアを見る彼ら。

 握っているエリクシアの手が、おびえるように震えていた。


「……この子があなたたちに何かしたんですか?」


「そいつは人類を滅ぼそうとしているんだぞ!?」


 チャキ、と音を立てて農具を構えた住人たち。


「…………」


 エリクシアは目を伏せている。


「そうなの?」


 そんなことはないと知っているが、住人にも分かってもらおうという意味を込めて聞いてみる。

 エリクシアはブンブンと首を振る。


「違うって言ってますが」


「バカなッ!! 悪魔の言うことを聞くとでもいうのかあんたはッ!!」


「少なくとも、この子を殺そうとするあんたたちの方がよっぽど悪魔だと思いますよ、俺は」


「な……」


「どうしてもこの子が憎いって思うなら、勝手にそうしていればいいですよ。どんなに善良な人だって、生きてるだけでいつの間にか誰かに憎まれてしまうものだし、それはそれで仕方ない」


 ポン、とエリクシアの頭に手を置く。

 そして、半月斧の切っ先を住人に向ける。


「でも、この子を殺そうっていうなら、俺が相手になる」


「……くッ」


 住人たちは動けない。

 さきほどのクロの力を見て、敵わないと悟ったからだ。


「……その悪魔を助けるなんて、全人類を敵に回すことになるぞッ!!」


「上等です。俺はこの子を守るって決めたので」


「く……ッ」


 すさまじい啖呵を切っちゃったな、と自分でも思った。

 けれど、本心からの言葉だった。

 こんな理不尽な目に遭っているエリクシアを見捨てられるわけがない。

 後悔はない。


「行こう」


「……はい」


 クロとエリクシアは進んでいく。

 後ろは振り返らない。


 まずは、一刻もはやくこのグレアロス砦から脱出しなければ。



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[一言] エリクシアを殺した後に、エリクシアにトドメを刺した人が悪魔になったらどんな反応になるんだろ?
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