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31 目覚め

「ん……」


 エリクシア・ローゼンハートが眼を覚ます。

 夕日が窓から差し込んくる。

 眩しくて顔の前に手をかざした。


「お目覚めね。どこか痛いところはない?」


「……ッ」


 突然近くから声がして、エリクシアはびくっとなった。

 起きたときに誰かから声をかけられるなんてどれくらいぶりだろうか。


 見ると、シスターの格好をした美人な女性だった。

 他に人はいない。

 周囲にはベッドが一定の間隔で並んでいる。

 雑多ではなく、必要なものが定位置に収まっている感じの棚もある。

 アルコールの独特な匂いが微かに香る部屋だった。


「こ、ここは……どこですか」


 びくびくしながらシスターに話しかける。

 辺りを見回しながら、自分の背中にグリモアが出ていないか確認する。

 グリモアが出ていればこんな風に話しかけてくる人なんていない。

 だからこそ確認なんてする必要はないのだが、これはエリクシアのクセだった。


「ええと、どこから話せばいいかしら……。ここはグレアロス砦の教会のなか。その医務室ね。あなたがデオレッサの滝で魔物に襲われていたところを騎士団の方々が助けてくださったの」


「……え」


 どういうことだろうか。

 たしか特級の魔物ヴォゼと闘っていて、ガケから落とそうとしていたところまでは覚えている。

 魔法で足場を崩して、でも思わぬ反撃を食らった。

 そして、クロ・クロイツァーが自分をかばってくれて――


「――クロ……ッ! あの、わたしと一緒にいた男の子は……? わたしを助けてくれたんです!」


「……残念ながら……」


 そこまでで言葉を止めて、首を振るシスター。

 それはつまり、死んでしまったという意味を込めた振る舞いだった。

 しかし。


「……か、彼はいまどこに?」


 クロ・クロイツァーは不死だ。

 彼が死ぬはずない。

 死んだと勘違いされている?

 なぜ?


「騎士団の方々が助勢に入ったのですが、闘いのあとに彼は力尽きたようです。彼の遺体は、この教会の安置所に」


 エーテル切れ。

 それがふと頭によぎった。

 それはつまり、彼がいま自由に動けないことを示していた。


「……助けなきゃ」


「え?」


「いえ。あの……わたし、彼に会いたいです」


 あのあとどうなったのかはよく分からないが、どうやらうまく逃げ出せたらしい。

 自分が気絶している間に、グレアロス砦に運ばれてしまったようだ。


「待って。その前に、あなたから話を聞いておかなければならないの。彼に会うのはそのあとに」


「話、ですか?」


「そう。クロ・クロイツァーが亡くなってしまって、情報がまったくないの。あなたがどうしてあの森にいたのか。どうやってクロ・クロイツァーと出会ったか。コトのはじまりと、その経緯。私たちは何も知らないの」


 事情聴取というやつだ。

 助けられてハイ終わりというわけにはいかない。

 身元も分からない自分をここまで運んでくれたのも、そういうことだ。


「そのうち副団長とも面会することになるから、円滑にコトが運ぶように、協力してくれるわね?」


 一刻もはやくクロのもとへ向かいたいが、安置所とやらの場所も分からない以上、シスターの言うことを聞いたほうがよさそうだ。

 それに、あのあと何があったのか知っておかなければならない。


「……わかりました」


 エリクシアは言われるままに、シスターに語った。

 冒険者として洞窟や古い遺跡の遺物を発掘したりするトレジャーハントの仕事や、手配されている下級の魔物の討伐で日銭を稼いでいたこと。


 今回の事件の発端は、アトラリア山脈付近の森に出没する懸賞金の魔物を狙って森に入ったことだった。

 その途中でヴォゼやガルガたちオークに見つかってしまい、追われていたところをクロに助けられたことを話した。

 もちろん、悪魔の写本ギガス・グリモアやそれにかかわることは意図的に省いた。


「そう、あなたみたいな子供がそんな命をかけた大変な仕事を……」


 話を最後まで聞いたシスターは、ぽつりとそう言った。

 エリクシアぐらいの歳で冒険者になる人はそこまで珍しくない。

 だいたいは騎士団に入団するか、王立魔法院に入学するか。

 そして、冒険者組合ギルドに入るかだ。

 あとの少数派は、親の仕事を継ぐなど個々人によってそれぞれだ。


 ギルドに入っていれば依頼クエストという形で自分に合った仕事を割り振ってもらえる。しかしエリクシアのように、ギルドに入らず野良フリーで冒険者をしている者も少なからず存在する。

 仕事を斡旋してもらうかわりに報酬の何割かをギルド側に支払うギルドの冒険者と違って、フリーの冒険者は報酬がすべて自分のものになるかわり、その分危険が大きい。

 人生の一発逆転を狙う者や、爪弾きになってしまった者がフリーの冒険者になるのだ。


 悪魔のエリクシアにはそうすることしか選択肢がなかった。


 エリクシアが、育ての親であるノエラと死別したのが3年前。

 それからいままで、ひとりで生きていた。

 幸い、夜限定だが力はあった。


 この砦はよく使っていた。

 自分は夜にしか闘えないため、昼は砦の街にある宿屋で寝泊まりしていた。

 砦の依頼掲示板は誰でも行える依頼だったため、有効に活用していた。ギルド用の依頼じゃないので騙されたりお金をもらえなかったりすることもあって、日々を暮らすだけで精一杯だった。


「――というわけで、あなたをここまで運んだのが、副団長マーガレッタ・スコールレインさまたち、グレアロス砦『三強女傑』の方々なの」


 エリクシアは自分の話をすると同時に、自分が気絶したあとのことをシスターに聞いた。

 情報交換というやつだ。


「……グレアロス砦の、最高責任者……」


 話には聞いたことがある。

 なんでもこのグラデア王国で最も英雄に近い騎士らしい。

 入団からたった4年で副団長にまで登り詰めた才女。


「…………」


 まず思ったのが、怖い、というものだった。

 普通の人なら頼もしいだとか思うのだろうが、エリクシアは違った。

 エリクシアは悪魔だ。

 悪魔は人類の敵。

 ここも、エリクシアにとって敵地だった。

 すぐにでも身を隠さないといけない。

 いつ、そのマーガレッタが敵として襲ってくるか。それを考えたら、気が気ではいられない。


――魔物も怖いが、人類も怖い。


 唯一。

 心の底から安心できるのが、クロ・クロイツァーという存在だ。

 彼に会いたい。

 いますぐに会いたい。

 エリクシアは切実にそう思った。




「この部屋よ」


 話が終わり、シスターにムリを言ってクロがいる安置所に案内してもらった。


「私は席を外すわ。死者との対面に割って入るほど無粋じゃないの。でも時間は決められているから、気をつけて」


「はい。ありがとうございます」


 よかった。

 同席されていたらどうしたらいいか分からなかった。

 これでクロを助けてあげられる。


 ドアを開いてなかに入る。

 ろうそくの明かりに照らされた部屋。

 ベッドがいくつもあるが、使われているのはいまはひとつだ。


「クロ……!」


 ダッと駆け寄った。

 ベッドに寝かされているクロの体は冷たかった。

 これでは死体と思われても仕方ない。


「聞こえますか? いま助けますから」


 ポケットから紙に包まれた干物を出した。

 万が一、クロがどうにもならない状態になった場合に保険としてとっておいた食料だ。

 滝に落ちたからか、水分を含んでしまっていて見た目的にもおいしそうにない。


「食べられ……ませんよね。どうしよう……」


 うろたえるエリクシア。

 これほど反応がないのだ。クロが干物を食べられるはずがない。


「……っ」


 窓が少し陰ったのをエリクシアが見た。

 時刻はもう夕暮れだった。


「……夜が、来る」


 エリクシアは焦る。

 夜が来ればグリモアが出てくる。

 そうなれば、自分が悪魔だということがバレてしまう。

 これで何度手酷い目に遭ってきたか。

 過去、悪魔とバレてしまったのは小さな村や、洞窟でバッタリ出くわした冒険者たちだ。

 これまではその場を逃げれば何とかなっていたが、ここはグレアロス砦。

 騎士団の拠点だ。

 逃げ切れる自信はない。


 クロをすぐに助け出して、自分はすぐに身を隠さなければならない。

 そうしないと、殺されてしまう。


「クロ、ごめんなさい。汚いかもですが、我慢してください……っ」


 エリクシアはそう言うと、手に持っていた干物を口に含んで噛み切った。

 焦りながら、口に残った干物を噛む。

 そして、クロの頬に手を添えて、


「……ん……」


 くちびるを重ねる。

 冷たくなったクロの口内に、飲み込みやすくした干物を口移しで入れた。


「クロ……」


 祈るように、クロを見る。

 しかし、動かない。


「お願い……飲んでください……」


 顎を持って、どうにか嚥下するような動作をさせる。

 が、当然そんなことをしてもムリだった。


「エーテルが無さ過ぎるんだ。どうしよう……どうしたら」


 キョロキョロと周囲を見渡すエリクシア。

 何もない。

 あるわけがない。

 この状況ではどうしようもない。


「飲んでくれさえすれば……」


 クロの口に指を突っ込んで、噛み砕いた干物をノドの奥へやってみてもダメだった。

 飲むという行為が大事なのだ。

 エーテルの補給は、体に取り込まれたという認識が不可欠だ。

 その認識が、食物に含まれるエーテルの移動を促進させる。


「どうしよう、どうしよう……」


 慌てふためくだけで、ただ時間だけが過ぎていった。


「……あっ」


 そして、陽が沈んだ。

 悪魔の写本ギガス・グリモアが姿を現す。


「…………ッ」


 もう、ダメだ。

 そう思ったときだった。


「……認識」


 ふと、ひらめいた。

 ここまできてしまったらもう時間がない。

 何でも試してみるしかない。


「グリモア、きて」


 エリクシアに呼ばれたグリモアが、彼女の手元に引き寄せられる。

 巨大な本だ。

 ページをめくるのにもひと苦労だが、この本は言葉だけで動いてくれる。


「魔法の項を」


 エリクシアの目の前でグリモアのページがパラパラと開かれていく。

 そして、とある場所でピタリと止まる。


「わたしが使えるのは『氷姫』の魔法だけ……。でも、何か……あったはず」


 古代アトラリア語で書かれたそれを読んでいく。

 グリモアに書かれたものは、災いに関することだけではない。

 エリクシアが使う魔法の詳細もここに書かれてある。


「……あった、これだ」


 すぐさま魔法の準備に入る。

 定められた言霊を練っていく。



「――『敬虔なる少女はかの英雄に懸想せり。熱き想いは悲恋となりて、嘆きの渦に堕ちていく。大敵たる英雄を想い、少女は純真な心を凍らせる』――」



 淀みなく綴られる言葉の羅列。

 エリクシアの周囲に3つの魔法陣が出現する。

 背後に回ったグリモアから魔力が伝わってくる。



「『氷姫のトライン――」



 小さく呟く。

 そして、横になっているクロに覆い被さる。

 両手でクロの顔を優しくはさむ。



「――溜息ブレス』」



 くちびるを重ねて、魔法を発動させた。

 部屋の温度が急激に下がっていく。

 これは氷属性の魔法を劇的に強化する魔法だ。

 だが、今回は用途が違う。


「……これで」


 威力を殺した魔法を、クロの肺に直接吹き込んだ。

 魔法は魔力――つまりエーテルが燃料だ。

 そして、攻撃ではなく強化の魔法。

 強化の魔法をクロの体内に直接入れることで、ほんのわずかでもエーテルを取り込んだという認識はこれで成ったはずだ。

 エリクシアはクロの顔をじっと見つめる。

 そして、


「きゃあああああああああああああああああああッ!!」


「――――ッ!?」


 後ろからの突然の悲鳴。

 魔法を使ったことで、シスターが様子を見にきたのだろう。

 そんな彼女がドアを開けて入って見たものは、


「だ、誰かッ!! 悪魔が……ッ、悪魔がッ!!」



 悪魔の写本ギガス・グリモアを背後に従えた――悪魔の姿。



 シスターの悲鳴を聞いた人たちが、廊下を走ってくる音が聞こえた。

 教会に来ていた騎士団の兵たちだろうか。

 彼らの行動は迅速だった。


「…………ッ」


 大変なことになった。

 正体がバレた。

 それも、グレアロス砦のなかで。


「……」


 クロを見る。

 変化がない。

 失敗した?


「どうしたシスターッ! なッ、これは!?」


「……あ、悪魔ッ!?」


 鎧を着た4人の兵士が安置所のなかに入ってきた。

 エリクシアを見た彼らは動揺する。

 人類の敵として悪名高い、本物の悪魔がそこにいるのだ。


「……くっ」


 ダメだ。

 ここにいては殺される。

 クロには悪いがもう少し耐えてもらおう。

 まずは自分がここから逃げなければならない。


 兵たちはいまだに動揺して動かない。

 その間に、エリクシアは安置所の窓を突き破り、外へ脱出する。


「しまった……逃がしたッ!!」


「待てッ!!」


「応援を呼べッ! 警笛を鳴らせッ! 砦中の兵士に伝えろッ!!」


「なんてことだ、悪魔が現れるなんて……ッ。グレアロス砦を滅ぼされるわけにはいかんッ! 絶対にここで仕留めるぞッ!!」


 怒号と恐怖。

 静寂こそが相応しい教会が、一気に緊迫した雰囲気に包まれた。




 ◇ ◇ ◇




 慌ただしく悪魔を追っていった兵士たち。

 安置所にひとり残されたシスターは、床にへたり込んでいた。

 あまりのショックに呆然としている。

 ろうそくの灯がゆらゆらと揺らめいている。


 しばらくして、

 シスターはおどろくべきものを視界の隅にとらえた。


「…………え?」


 ベッドに寝かされたクロ・クロイツァー。

 その体から、漆黒の霧が溢れていた。


「……え、え……?」


 どう見ても尋常ではない。

 シスターは状況についていけない。

 逃げることも、叫ぶこともできなかった。


「…………え……」


 そして、絶対に起き上がるはずのない死体が、起きた。

 見間違えようもない。

 彼の遺体を鑑識したあとに、自分が着せた死装束。

 教会の祭服に似たものだ。

 真っ黒な布に金色の刺繍が入った、死者に着せるための服。

 絶対に動かない人に作られたそれが、ひらひらと動いている。


 ベッドの上で上半身だけ起こして何やら動いている。

 まるで、硬くなった体を解きほぐすかのような動き。

 そして、ベッドから下りて足をつく。


「……ひっ……」


 あり得ない出来事に、シスターが涙目になってしまう。

 ガタガタと体が震える。

 けれど、ゆっくりと自分に迫ってくるそれから目が離せない。


「……あっ、あぁ…………」


 ガチガチと歯が鳴る。

 座ったまま後ずさりして、やがて壁に当たってしまう。

 逃げ場がない。


 起き上がった死者の体からは、絶えず黒い霧がゆらゆらとうごめいていた。

 世にもおそろしい光景。

 もうダメだ、とシスターが目を強く瞑ったそのときだった。


「あの、すみません。食べ物、もらえませんか……。

 あと俺の武器、どこにあるか知りませんか?」


「……へ?」


 害意も何もあったものじゃない。

 それを聞くだけで不思議と人を安心させてしまう、そんな声だった。


 そんな無害な声にあてられたシスターは思わず、

 クロのベッドのそばに遺品として整理してあった半月斧バルディッシュを指さした。



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