30 帰還、追悼
グレアロス砦はその周囲を高い壁に囲まれている。
堅固な砦だが、ひとつの街という一面も備わっていた。
アトラリア山脈に向かう冒険者が入り用のものを買い物したり、あるいは酒を酌み交わし、情報を交換したりと、人の賑わいはヘタな街よりも活気があった。
砦内はグレアロス騎士団によって自治されていて治安も良く、環境も良く、周辺の土地も豊かだった。
アトラリア山脈の近くにあり魔物の襲撃も絶えないが、王国の騎士団という信頼に足る組織が守っているため、安心して生活ができる。
そうなれば人もますます増えていき、冒険者相手の商人たちも本腰を入れて商売をはじめ、砦はいつの間にかグラデア王都に次ぐ、巨大要塞街となっていた。
西側は民衆の居住区となっており、東側はアトラリア山脈を監視する騎士団の主要施設が集まっている。
その診療所兼、教会も東側にあった。
「……そうか、ハッキリとした死因は特定できんか」
「……はい。申し訳ありません、副団長」
マーガレッタは、女医を兼任しているシスターと会話をしていた。
「致命的な傷も見当たらず、重い病気だったという記録も彼にはない。そして、おかしなことに体中のエーテルが空になっています。普通、死後1日はエーテルの反応が僅かながら残っているものなのですが……」
「ふむ……」
「これは憶測になってしまいますが、生命力と精神力を、限界を超えて振り絞ったことが原因ではないかと……」
「待て、そんなことが可能なのか……?」
「ひとつだけ、心当たりが」
「……『死力』か?」
「おそらくは」
そう考えると合点がいく。
あのときのクロ・クロイツァーが異常なまでに強かった理由。
そして突然に絶命した理由。
「…………」
自分たちが到着する前に、クロ・クロイツァーは『死力』を使っていた。
つまり、間に合わなかったのだ、自分たちは。
彼を救うことができなかった。
後悔の念がマーガレッタの心を蝕んでいく。
「…………」
クロ・クロイツァーは教会の安置所に寝かされていた。
窓はあるが薄暗い。ろうそくの炎に照らされた、厳かな雰囲気の室内だった。
葬儀の前に遺体を一時的においておく場所だ。
「……彼女のほうは、どうだった?」
「あの少女は意識を失っているだけで特に問題はないでしょう。じきに目覚めるはずです」
「彼女が目を覚ましたら連絡をくれ。話を聞きたい」
「承知しました。では、私はこれで」
シスターが安置所から出ていく。
ひとりになったマーガレッタは、クロの顔を優しく撫でた。
「……すまない、私はまた……何もできなかった……」
もう目覚めないクロに向かって、小さく呟いた。
安置所から長い渡り廊下をしばらく歩くと教会に出る。
豪奢ではないが荘厳で、ほどほどに見栄えが良い内装で、静かに祈りを捧げるのに適した空間だ。
礼拝堂には、長椅子に座ったアヴリルとシャルラッハの姿があった。
「待たせた」
安置所から出てきたマーガレッタが2人に声をかける。
シャルラッハをひざまくらしているアヴリルが、ぺこりと頭だけ下げた。
ステンドグラスから差し込む光が、そんな2人を神秘的に彩っていた。
まるで一枚の絵画のようだ。
「同志シャルラッハの様子はどうだ?」
「いまは泣きつかれて眠っています」
すぅすぅと寝息を立てて、シャルラッハは眠っていた。
アヴリルの目には隈ができており、憔悴しているのが分かる。
うっすらと泣いたあとも見て取れた。きっと彼女のことだ。シャルラッハが眠ってからひとりでクロ・クロイツァーの死を悼んでいたのだろう。
「遠征から先に戻っていた兵たちにもすでに休暇を出している。貴公も疲れただろう。今日はもう宿舎に戻るといい」
山脈の遠征を行って、クロ・クロイツァーの捜索をして、特級の魔物と対面した。
ずっと気を張って眠っていなかったのだ。
もはや疲労は限界まで達していた。
「……ですが」
「あとのことは私がやっておく。今回の闘いの詳細を書いて団長に送るだけだ。それが終わったら私も休むよ」
「……すみません」
「謝るな。それが私の責務だ」
同じ釜で食事をした同期が亡くなったのだ。
アヴリルやシャルラッハの悲しみは想像を絶するものがあるだろう。なら、彼女らを気遣ってやるのは当然のことだ。
「……では、私は執務室に戻る」
「副団長殿」
礼拝堂を出ようとしていたマーガレッタ。
その背中に、アヴリルが声をかけた。
「……?」
「……その……」
「どうした?」
「……あまり、自分を責めないでください」
「……」
「クロイツァー殿が亡くなったのは、あなたのせいではありません」
「…………」
見透かされていた。
傷心の部下に気遣われてしまった。
「そうか、貴公は知っているのだったな。私の過去を……」
「……はい」
4年前。
目の前で魔物に襲われている妹を守れなかった。
それは一生忘れることなんてできないし、一生悔やんで生きていくのだろう。
そしてまた今回も、守ることができなかった。
やはり、クロ・クロイツァーと妹を重ねてしまっている。
騎士団の一員として魔物と闘っていく以上、こういうことは少なからず起こってくるだろう。
もっと気を引き締めていかなければならない。
副団長として、騎士として。
そうしなければ、死んでいった者に申し訳が立たない。
妹にも、クロ・クロイツァーにも、これまで死んでいった多くの仲間に顔向けができない。
「……差し出がましいことを言いました」
「……いや」
失言を謝罪するアヴリルを止める。
自分もつらくて堪らないはずなのに、人のことまで心配するこの人狼の少女は本当にデキの良い部下だ。
彼女がグレアロス騎士団に入ってくれて良かった。
「ありがとう、同志アヴリル」
◇ ◇ ◇
マズいことになった。
クロ・クロイツァーは安置所でひとり焦っていた。
まったく体を動かせない。
微動だにできないとはこのことか。
指を動かすどころか、閉じたまぶたを開くことすらできない。
滝壺での闘いでエーテルを使いすぎたようだ。
体の力が抜けて倒れてしまい、シャルラッハに背負われて森を移動している途中で完全に力尽きたようだ。
本当に根こそぎ使い切ったようで、呼吸することもできず、心臓すら動きを止めている。
これでは死人と間違われてもしかたがない。
と、いうより死人とまったく同じ状態になっている。
しかし、不死の作用で意識がなくならない。
ただ状況に流されるだけの人形のようだ。
「…………」
耳は聞こえていた。
どうやらここはグレアロス砦内部にある騎士団専属の教会らしい。
やはりというか、自分は死んだものとされている。
森から砦まで、馬車で揺られているときにシャルラッハがずっと泣いていたのが印象的だった。
このままではマズい。
自分が生きていることを、騎士団の人たちは誰も知らない。
ほんの少しだけでいい。
何か食べるものがほしい。
エーテルの補給をしなくては。
けれど、死人に食事を与える奇異な行為をする人はいない。
いるとしたらそれは、自分が不死だと知っている者だけだ。
エリクシア・ローゼンハート。
彼女だけが、自分を救える頼みの綱だ。
いまの自分には何もすることができない。
彼女を信じて待つしかない。
焦ることしかできなくて、ただ時間だけが無情にも過ぎていく。
◇ ◇ ◇
「ん……アヴリル?」
シャルラッハは目を覚ますとすぐに現状を把握した。
どうやら礼拝堂で眠ってしまったらしい。
「ごめんなさい。わたくし……どれぐらい眠ってたのかしら?」
「ほんのちょっとです。まだお昼過ぎですよ」
「……そう」
「副団長殿は執務室に戻られました。今日はもう休んでいいとおっしゃっていましたよ」
「……そう、わかりましたわ」
長椅子から立ち上がる。
少しフラついてしまった。
アヴリルが心配そうにしたが、「平気」だと手で制した。
そのまま奥のドアを目指して歩く。
「……」
どこへ、とは聞かれなかった。
アヴリルも分かっている。
自分には、まだすべきことがある。
「私はここで待っています。お二人でしか話せないこともあるでしょうし」
「……ありがとう、アヴリル」
現実を、見なくては。
カツン、カツン、と足音が響く廊下を歩く。
途中、その足音に気づいたシスターが部屋から顔を出したが、シャルラッハと知って、礼をして戻っていった。
「…………」
壁に飾っている鏡があった。
シャルラッハは何気なく自分の姿を見た。
相当ひどい顔をしている。
目は充血していて、まぶたが腫れている。
疲れ切った表情を隠しもしていない。
余裕のなさがハッキリと見て取れてしまう。
「……ふ……」
感情が定まらず、苦笑い。
どうしていいか分からない。
重い足をふたたび前へ進めていく。
そうこうしている内に、目的の場所についた。
「……すぅ、はぁ……」
ドアの前で深呼吸。
ゆっくりとドアノブを回し、部屋のなかへ。
「…………」
ろうそくの明かりに照らされて、ベッドに寝かされているクロ・クロイツァーがそこにいた。
滝壺から脱出していたとき、彼の呼吸がどんどん乱れていって、弱々しくなっていくのを背中越しに感じた。
首に回されていた彼の腕が力なくほどけていったのを、この眼で見てしまった。
「…………」
近づいて、顔をそっと撫でる。
開かない眼。動かない口。
冷たい。体温がない。
硬くなった肌。死後硬直がはじまっている。
「……っ」
クロ・クロイツァーが死んだという実感が、シャルラッハの心を穿つ。
苦しくなった胸を、手でギュッと押さえる。
くちびるを噛んで、大泣きするのを必死で我慢する。
「……クロ・クロイ……ツァー……ッ」
彼も騎士団の兵だ。
当然、戦死することも可能性としてあった。
けれどこうして彼の骸を前にして、平常心を保てるほどシャルラッハは大人ではなかった。
「どう、して……」
どうして死んだ。
なぜ。
分からない。
あのクロ・クロイツァーが死ぬなんてあり得ない。
「……どうして」
いや、本当は分かっている。
どんなに強くとも、死ぬときは死ぬ。
英雄だって死ぬこともある。
古代王国アトラリア滅亡から2000年。数々の英雄が生まれ、そして闘いのなかで死んでいった。
尊敬する父親も、もしかしたら戦死してしまう可能性だってあるのだ。
誰にだって死の可能性は潜んでいる。
でも、それでも。
クロ・クロイツァーだけは特別視してしまっていた。
3ヶ月前、あの出会った瞬間に思ったのだ。
彼だけは何があっても死なない――無敵の人間なのだと。
そんな夢のような幻想を抱いてしまっていた。
しかし、事実として彼は死んでしまった。
こうしていま目の前に遺体がある。
非情な現実がここにある。
「……うっ、うぅ……ッ」
頬を流れるものは止められない。
冷たい亡骸を抱きしめて、シャルラッハ・アルグリロットは感情を押し殺すようにむせび泣いた。
「……」
しばらくして、シャルラッハが顔を上げた。
決意の表情だった。
「……クロ・クロイツァー」
帰路につく馬車のなかで泣き続けた。
そしてここでもまた泣いてしまった。
もう、いいだろう。
そろそろ現実を受け入れるときだ。
いつまでも子供のままではいられない。
自分は、次代の英雄になるのだから。
「わたくしは、見届けました」
自分の胸元に手を入れる。
ゆっくりと、服のなかに入っていたペンダントを取り出した。
首の後ろにある留め具を外す。
「あなたの闘いを」
ろうそくの明かりに照らされて、ペンダントがキラリと光る。
それは決して豪華なものではない。
アルグリロット家の紋章飾りが小さくある程度だ。
貴族が持つにはあまりにも華がない。
しかしシャルラッハにとって、このペンダントは特別極まりないものだった。
「あなたの勇姿を」
アルグリロット直系の証。
子が生まれたと同時に造られる、唯一無二の一品だ。
専属の魔法造形師によって造られるため、偽造は不可能であり、二度同じものを造られることはない由緒正しい代物である。
決して無くしてはいけない大切なもの。
自分以外の指紋すらついていないそれを、
「あなたは誰よりも誇らしい――『英雄』でしたわ」
それを、クロ・クロイツァーの首にかけた。
留め具をしっかりとつけて、ペンダントを彼の胸元に入れる。
「だから、あなたがずっと持っていてほしい。
わたくしの、すべてを」
それが意味するものは、
「これでわたくしは、アルグリロットの当主にはなれない」
絶対の覚悟。
「クロ・クロイツァー。あなたの代わりに、わたくしが。
自分の力だけで、あなたのような『英雄』になることを、ここに誓います」
貴族の権威なんて必要ない。
ただ一個の人間として、その高みまで昇ってみせる。
生前のクロ・クロイツァーがそうしようとしたように。
「それが、あなたへの――わたくしからの弔いですわ」
シャルラッハは悲しみと絶望のなかで立ち上がり、明日への希望を見出して、
本当の意味で、英雄への道を歩みはじめた。




