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エリクシアオブライフ ~不死の災いと悪魔の写本~  作者: ゆきわ
第1章『英雄胎動』編

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26 奈落絵図

「さぁ、どうする小僧ッ!」


「――――ッ!!」


 巨人の一撃がごとく振るわれるヴォゼの重く鋭い攻撃。

 それを苦渋の表情で受けきるクロ・クロイツァー。


「策は尽き、もはや退路もなし。頼みの綱であったらしい小娘の魔法も我には効かぬ」


 ガケぎわの闘いは一合ごとに熾烈さを増している。

 ヴォゼの一撃一撃が、回数を重ねるごとに強烈なものになっていく。

 まさに底無しの強さだった。


「さぁ、どうする。人の戦士よッ!」


「――――くッ!!」


 クロ・クロイツァーは必死にあがく。

 半月斧バルディッシュを硬く握る手からは血しぶきが飛んでいる。

 全霊の力でもって、ヴォゼの一撃を次々と凌いでいく。


「さぁ、さぁ! このまま為す術なくエーテル切れを待つかッ!?」


 ヴォゼの巨体から繰り出された振り下ろしの一撃を、半月斧で受け止める。

 すさまじい剛力による衝撃で、クロの両足が地面に埋まる。


「く……そッ!」


「クロッ!」


 背後からエリクシアの声。

 どうやら、魔法が効かなかったという精神的なショックから立ち直ったらしい。


「エリクシア、まだ魔法はいけるか!?」


 ヴォゼの猛攻を受けながら、後ろにいるエリクシアに声をかける。


「朝日が出たらもう使えませんが、あと一発ならッ!」


 夜はすでに明け始めている。

 集まっていた雷雲は、ヴォゼの『裂空』によって噴き散らかされていた。

 アトラリア山脈の向こう側から、日が昇ってきているのが分かる。

 もう数分の猶予もない。


「問題ない、そこで魔法の準備をッ!」


 隣で一緒に闘うと、そう言ってくれた彼女の期待を裏切るわけにはいかない。

 しかし、かといって本当に隣で闘ってもらっても困る。

 気持ちだけはもらっておく。

 魔法使いは後衛で闘うのが鉄則だ。


「我には魔法は効かぬぞ?」


 ヴォゼが横やりを入れてくる。

 下弦の月のような鋭い笑みで、絶対の優位を示している。


「…………ッ」


 エリクシアが声を噛み殺した。

 自信があった魔法が完全に防がれた形になったのだ。

 ある種のトラウマになってしまっているのもしかたない。


「大丈夫、自分の力を信じろ!」


「……ッ、わかりました!」


 その返事を受けて、クロは「よし」と心のなかで呟いた。

 エリクシアが魔力を練り上げていく。

 彼女が戦意を失わなくて本当によかった。


「…………」


 ヴォゼには魔法が効かない。

 ウソやハッタリじゃない。

 どういう特性スキルなのかは不明だが、実際に目にした事実だ。


 ヴォゼに魔法が命中した瞬間、氷塊が砕け散った。

 防御力が高かったからだとかそんなレベルの話じゃない。

 魔法学を習っていないクロでも一目見て理解できた。


 多分、もうなんというか、魔法の強さとか魔力の多さとかそういうの関係なく、根本からして魔法が効かないのだ。

 アレはそういう類いの特性だ。

 魔法に誇りを持つエルフの人たちが聞いたら卒倒ものだ。

 こんな魔物が存在するなんて笑い話にもならない。



――でも、まだ秘策はある。



 この土壇場、ギリギリの瀬戸際でひらめいた作戦。

 エリクシアのとんでもない魔法をこの眼で実際に見て思いついた起死回生の一手。

 これをやれば必ずヴォゼを滝に落とせるという絶対の策。

 しかしこれは、エリクシアと息を合わせて実行しなければ成せない策だ。


 そして、いまここでそれを声に出して伝えるわけにはいかない。

 ヴォゼに聞かれただけで、これもまた策が終わってしまう。

 エリクシアに作戦を伝えることはできない。

 自分の狙いを、彼女自身に気づいてもらうしか方法はない。

 時間もない。

 伝える術もない。

 言葉の端々に含みを持たせることぐらいしかできなかった。

 彼女がこの策に気づいてくれるのを祈るしかない。


「ほぉ? それでもまだ魔法に頼るか。どういうつもりだ、小僧」


「さて、ね」


「くくく、その眼。キサマまだ何か企んでおるな」


「言ったろ。吠え面かかせてやる」


「威勢やよし。その調子だ。

 死ぬ直前まで、我を愉しませよッ!」


 会話の間でも、ヴォゼの猛攻は緩まない。

 闘い始めの力任せなだけだった粗雑な攻撃はもう過去の話だ。

 その剛力に加え、おそるべき技量の粋が姿をみせ始めた。


 剣槍グレイヴを振るう技巧は巧妙極まる匠の業。

 攻撃の速さは疾風のごとく、連撃の繋ぎは迅雷のごとし。

 進撃の勢いは烈火のごとく、衝撃の重さは大山のごとし。


 ヴォゼの怪力が生まれもってのものであるのなら、次々と溢れ来る圧巻たる技の数々は血が滲むほどの修練の結集だ。

 まさに百戦錬磨の豪傑。

 あまりにも手強すぎる怪物。


 これほどの魔物から逃れるなんて、それこそ奇跡でもない限り不可能だ。

 しかし、クロ・クロイツァーは知っている。

 奇跡なんてものは、起こらないからこそ奇跡なのだと。


 だけど、あがく。

 天が自分に味方するなんてあり得ない。

 この世は理不尽だ。

 奇跡なんてものは起こらない。


 だけど必然であるならば起こり得る。

 だから、あがく。

 ヴォゼから逃れ得るだけの必然を、この手に掴むため。

 この身が朽ちるまで。

 いや、たとえ朽ちたとしても、それでもあがき続けてみせる。



「――『其は神聖にして侵すべからざる麗人なり。氷の城には何人たりとも近づくこと能わず、かの姫君は独り嘆きの矢を打ち放つ』――」



 エリクシアが練り上げる魔法の言葉が聞こえてきた。

 まだあどけない、少女らしい声。

 しかし決意に満ち溢れた、しっかりとした声の調べ。


「いつでも、いけます!」


 その凜とした声を聞いて、クロはエリクシアを信じることに決めた。

 彼女が自分の狙いに気づいてくれることを。




 ◇ ◇ ◇




 刻一刻と迫ってくるタイムリミット。

 朝日はもう間近。

 エリクシア・ローゼンハートは永遠にも感じるような一秒一秒を耐えていた。


「…………ッ」


 留めているグリモアの魔力が体のなかで暴れている。

 いまにも泣き出しそうなほどの鋭痛が、頭のてっぺんから足の先まで縦横無尽に駆け巡っている。

 しかし、痛みなんかに負けている場合じゃない。


――クロの狙いを察しなければならない。


 彼の眼はまだ諦めていなかった。

 魔法で何かをする気なのだ。


 クロと過ごした時間は短いが、共に修羅場を乗り越えようとしている特殊な状況だからか、彼の人となりは何となくだが理解していると思う。

 クロは適当に「大丈夫」だとか言うような人間じゃない。

 何か、確固たる考えがあって、「そこで魔法を使え」と言ってきたのだ。


 まず、大前提の話として。

 ヴォゼを倒すことは絶対にできない。

 魔法も効かない特級の魔物なんて反則にもほどがある。

 なら当初の予定通り、逃走することが目的だ。

 最初の作戦通り、ヴォゼを滝に落とすことが現実的だ。

 でもこの状況で、どうやって?


「…………」


 エリクシアは考える。

 クロが何を思って「まだ終わっていない」と言ったのか。

 この状況で何をすればいいのか。

 なぜこんな後方で自分を止めて、魔法を準備させたのか。


 ひたすらに考える。

 彼は何を言った?

 彼の言葉を思い出せ。

 彼の言葉の真意を探れ。


――退くんだエリクシア――


 ヴォゼに魔法が効かないと分かって自分がヒザを屈したとき、たしか彼はそう言った。

 しかしこれだけでは分からない。

 もっと思い出さなきゃいけない。

 記憶を手繰り寄せる。

 彼は次に何を言った?


――巻き込まれるぞ――


 何に?

 クロとヴォゼの闘いに?

 そんなことを今更言うだろうか?

 あの言葉に何か裏の意味がある?

 まだ、自分が気づけない何かが……



――自分の力を信じろ――



 力強い言葉だった。

 魂の底から奮い立たせるような、そんな言葉。


「――――――――」


 そこまで思い出して、エリクシアは戦慄する。

 なんてこと。

 やっと気づいた。

 やっと理解した。


――を思いつくのだ、この人は。


 をあの瞬間に考えついた?

 あの状況で、ヴォゼに魔法が効かないと知ったあの瞬間に?

 こんな的確な策をひらめいたというのか。

 なんということだ。


 死が間近に迫り、絶望した人がしてしまう行動なんて普通はたかが知れている。

 その場で泣き崩れるか、何も考えずに諦めるか、自暴自棄になるか。

 あるいは自分がしたような、神に祈る行為。


 クロ・クロイツァーという少年は普通じゃない。

 死中に活を求める行為を平然とする。

 窮地を打開するために、あえて危険な策を練る。

 そんなこと、普通の人間には絶対できない。


――ああ、でも。


 と言えば、クロらしい。

 クロ・クロイツァーならそうするだろう。

 そう納得できてしまう。

 だから、きっと、それが唯一の正解だ。


「クロ――」


 ガケ際で闘っているクロに声をかける。

 ヴォゼと闘っている彼の背中に、続けて声をかける。



「――失敗したら、わたしと一緒に、地獄に堕ちてくれますか?」



 最後の確認だ。

 本当にやるのか、否か。



「――うん。君と一緒なら、どこまでも」



 ちょっとどこか遊びに行こうかとでも言うかのような、日常会話みたいな抑揚の声。

 そしてクロは一瞬だけこちらを振り向いて、笑顔をみせた。

 その少年特有の屈託のない微笑みを見て、エリクシアは、


「――――――――」


 なんだろう、これは。

 どうしてこんなに、心が高揚するのだろうか。

 なんなんだろう、この人は。

 誰にも感じたことのないこの感情は、いったいなんなんだろう。


 分からない。

 分からないから、知りたい。


 だから、なんとしても。

 なんとしてもここから生き延びて、そしていつか――


「行きますッ!」


 エリクシアが魔法を発動させる。

 さっきとまったく同じ、氷塊の矢を撃ち放つ攻撃魔法。



「――『氷姫の慟哭トライン・ヘイル』――」



 手の向けた先は、『地面』。

 大氷塊の一撃を食らったガケが吹っ飛ぶ。


 ヴォゼに魔法が効かないなら、他の方法をとればいい。

 自分たちはヴォゼを倒すことが目的じゃなく、逃げることが目的なのだから。


 山すら砕くグリモアの魔法。

 ならば、ガケを崩落させることなど容易い。

 雨でぬかるんだ地盤は思ったよりも脆く、一瞬にして砕けた。


 一番に影響を受けるのは、ガケ際だ。

 滝側へ突出する形で出ていたガケ先は、大本の大地が吹っ飛んだことにより、支えを無くして滝壺へと落ちていく。


「――な、にィ……ッ!?」


 ガケ際で闘っていたヴォゼは、グラグラと揺らぎ落ちる地面に驚愕していた。

 重力に従って落ちていく足場では、その巨躯の影響もあってかヴォゼは何もできない。


「――じゃあな、ヴォゼ」


 反対に、クロはその持ち前のバランス感覚で、谷底へと崩れ落ちる地面の上を平地のようにすいすい跳び走る。

 そしてそのまま、


「クロッ!」


「君ならやってくれるって信じてた」


 揺らぐ地面によろめいていたエリクシアを抱きかかえ、安全な場所へと走っていく。


「ムチャしすぎです」


「まったくだ。もう二度とゴメンだ。でもこれでやっと逃げられる」


 お姫さま抱っこのままで、ギュッと抱きしめられる。

 落ちないようにするためのクロのその行為。

 それはまるで、自分の心まで抱きしめてくれているかのような感覚だった。

 その感覚にどこか幸せを感じたエリクシアは、張り詰めていた気が解けていく。


――そして、クロの肩越しに、エリクシアは見た。


「クロッ! 後ろですッ!」




 ◇ ◇ ◇




 エリクシアの声に反応して、クロは背後を見た。


「――――ッ!」


 ガケごと滝壺へ落ちようとしていたヴォゼが、剣槍グレイヴを構えていた。


「くっそ……ッ!」


 必死に走る。

 アレから逃れなくてはいけない。

 少しでも遠くへ。



「――奈落への招待状だ、受け取れ」



 そんなクロの努力をあざ笑うかのように、ヴォゼの攻撃が放たれる。

 爆音とともに、地面の底から大震動が伝わってきた。

 ガケどころか、その周囲の地面50m四方が丸ごと吹き飛んだ。


「くっ――――」


 ふわっとした浮遊感。

 クロとエリクシアは、空高く吹き飛ばされた。

 飛ばされただけだ。

 直撃していない。

 どうやらヴォゼは地面を狙ったらしい。

 さっき自分たちがやったことと同じことをやり返されたのだ。

 周囲には自分たちと同じように、大量の土砂や切り株が渓谷に投げ出されていた。


「なんて、しつこいヤツだ……ッ」


 もはや足場はない。

 逃げることはできない。

 自由落下に任せるしかない。

 眼下を見ると、そこには滝壺の渓谷が広がっていた。


「エリクシア……ッ」


 返事がない。

 腕のなかにいるエリクシアを見る。


「…………」


 さっきの衝撃で気絶してしまったようだ。

 朝日が完全に出てしまっているせいで、グリモアももう消えている。


「くっ……ッ!」


 それでも、唯一の幸運は『裂空』とかいう戦技じゃなかったことだ。あんなのをやられたら、両手に抱えたエリクシアがまず死んでいた。

 ヴォゼが宙に浮いた状態だったから、踏み込みができなくて半端な威力になったのか。

 けれど、それでもこの威力。

 エリクシアの魔法がガケの先だけを崩したのなら、ヴォゼのこれは周囲一帯そのものを破壊する一撃だ。


「言ったであろう、逃しはせぬと」


 先に落下していたヴォゼが、こちらを仰ぎ見ていた。

 その好戦的な笑みは崩れない。

 この期に及んでまだ闘いを愉しんでいるらしい。


「下でまた相見あいまみえようぞ、小僧」


「この、野郎……ッ」


 落ちていく。

 奈落の底へ落ちていく。


 50エーム近い高さのガケから、一直線に滝壺へ。

 水竜がいる、デオレッサの滝。

 絶対に来てはいけないと念を押されていた場所へ。


「こんなところで、終わってたまるか……ッ!」


 気絶したエリクシアを抱きかかえて、クロ・クロイツァーは水竜が潜む滝壺の渓谷へと落ちていった。



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