22 反逆の翼
「……修業? 何の話だ」
ヴォゼの問いかけは、クロには意味が分からなかった。
「……ふむ。どうやら自分でも気づいていないようだな、小僧」
ヴォゼはいったい何を言っているのか、クロには分からない。
「だから、何の話だ?」
「キサマの特性の話である」
「……スキル?」
聞いたことはある。
才能とは違う『何か』。
技とも形容できない、『特性』としかいえないもの。
たとえば、人狼なら耳や鼻が人間よりも利く。
あるいは小人なら大地の声が聞こえ、妖精なら森の声が聞ける。
そういう種族ごとの特性もあるし、個人の特性というものも存在する。
同期であるアヴリル・グロードハットの特性がそれだ。
彼女は満月の夜になると人狼の獣性を発揮して『変身』するらしい。そのときだけ、シャルラッハの『雷光』に引けを取らない『戦技』を使えるのだという。
つまりはそれが戦技を使う前段階の、技ともいえない『特性』だ。
そういうものが、自分にもある。
まったくもって寝耳に水の話だった。
「そうか。キサマ、本当に気づいておらぬのか。これはなかなか……」
くくく、とヴォゼが笑う。
「……何だよ、俺のスキルって」
「キサマは敵に自分のことを訊くのか?」
ヴォゼに見下される。
なんだかそれがバカにされているようで、事実そうなのだろうが、無性に腹が立った。
「……あんた強いだろ。なら強者の余裕ってやつを見せてくれよ。強者らしく、傲慢にさ。それとも俺相手に助言するのがこわいのか?」
「……キサマ、それは挑発のつもりか?」
「さぁ、な?」
先のやり取りをそっくりそのままやり返した。
それに気づき、してやられた、とヴォゼは笑みを深く歪ませた。
「よいだろう。ひさびさに教示するのも悪くはない。しかし、敵に対しても己が強さを問うか。キサマはガルガに似ておるな」
「……オークに似てるって言われても別にうれしくはないな」
「あやつは我の一番弟子だったがゆえ、誇りに思うがよい。『戦技』を使いこなせたのも、あやつだけだ。悦べ、小僧」
◇ ◇ ◇
普通、人が成長するには『経験の蓄積』が必要だ。
なんだってそうだ。
たとえば楽器の演奏なら絶え間ない練習によって巧くなっていく。
失敗や成功を繰り返しながら徐々に蓄積していく経験こそが実力となっていくのだ。
そこに才能という恩恵が加わることによって、個々人に成長の差というものができてくる。
そして、クロ・クロイツァーにはそれがまったくと言っていいほどなかった。
仮の話だが、経験というものを数値化するとしたなら、クロが騎士団での毎日の特訓で得られる経験値が1だ。
しかし、他の凡人……たとえばヴェイルなら5の経験値を得ることになる。
それほどにクロは才能がない。
この5倍の差を埋めるために、クロは他人の5倍努力を積み重ねてきた。
だがこれが才能溢れる者……たとえばシャルラッハのような『天才』なら、ゆうに100の経験を得ることができる。
これはもう追いつくとかいう次元の話じゃない。
それが日々の特訓の積み重ねとなってきたなら、もはやどうあがいても越えられない壁となってしまう。
天才と凡才の違いとはこういうことだ。
絶対的な経験蓄積量の差。
それらが実力の差となって、人と人に優劣をつくっていく。
実際には、人の成長は数値化では表しきれないほど複雑だ。
たとえば特訓のやり方を見直すことや、優秀な師を仰ぐなどの工夫を重ねて成長力を促し、莫大な経験値を得て、才能の差をくつがえしてしまう可能性だってある。
その最たる例は、実戦――修羅場での経験値。
実戦と練習では得られる経験は天と地ほども違う。
さらに自分よりも強いものを倒したときの経験となれば、それは膨大なものになるだろう。
しかし、それはあまりにもリスクが高すぎる。
闘って死んでしまえばそこですべてが無に帰してしまうからだ。
死ねばすべてが終わる。
生き物として当たり前のこと。
だが、ここに『不死』というおそるべき事象が発生した。
ここにきて、彼はその真価を発揮しだした。
死ななくなったのだ、クロ・クロイツァーは。
相打ちとはいえ、ガルガを打ち倒した自信と達成感は、彼に著しい成長を促していた。
仮にこれを数値化した経験としたなら、おそらくは数万以上の経験値になったはずだ。
闘気――あるいはエーテルは、精神力と言われるほど心に密接した影響を受ける。
そしてエーテルは強さの源になる。
さらに、クロの急成長にはもうひとつ理由があった。
ヴォゼが愉しげに、クロを指差した。
「キサマは闘いの最中で急激に成長している。それはなにゆえか」
「…………」
クロは無言でうなづいた。
「こんな話がある。瀕死の重傷を負った戦士が最期の力を振り絞り、強敵を打ち倒し相打ちとなる。よくある話である」
「…………」
クロは、ヴォゼの話を真剣に聞いていた。
それはある意味、滑稽な光景だった。
敵に教えを請い、その敵もまた、丁寧に説明しているやっているのだ。
不気味。
異常。
このクロ・クロイツァーという人間と、ヴォゼというオークは間違いなく、どこか常軌を逸した異質な生き物だった。
「――それを為し得るのが、特性『死力』である」
それこそがクロの本質――『特性』だった。
しかし、あくまでクロは凡人だ。
彼が開花・覚醒させたその特性はさして特別なものではない。
◇ ◇ ◇
「――やっぱり、『死力』だったんですね」
エリクシアは樹の影から顔を出し、2人の様子を覗いていた。
クロは敵からの助言染みた言葉を熱心に聞いている。
「…………」
エリクシアはそんなクロを見て、いまにも卵の殻を破って生まれでようとしているヒナを見ているかのような高揚感を覚えた。
◇ ◇ ◇
「……死力。それが、俺の特性?」
クロが問いかけて、ヴォゼがそれに応えていく。
「そう、名の由来は命を使い切るかのような使用者の姿から来ておる。それを使ったが最後、文字通り使用者は例外なく死ぬる」
それと同じような原理を故意に引き出して、自分の命と引き替えに周囲に大破壊を実現する『自滅魔法』というものも存在する。
それらを使用するのにエーテルは必要ない。
エーテルは精神力とも生命力とも言われるが、それとはまったく次元の違う、使用者の命そのもの、『寿命』を使うのだ。
命と引き替えなら、どんな者でもすさまじい力を発揮する。
それは誰しもが持っている可能性のようなもの。
しかし、特性『死力』は成長とは無縁の代物だ。
『死力』を使って強くなったとしても、使ってしまえば絶命する。
それはいわば、命が最期に燃え上がる輝きのようなもの。成長も何もあったものじゃない。
死んでしまえばそれで終わりなのだ。
クロが成長するには、どうしようもなく無意味な特性だった。
本来なら、ガルガとの闘いのあとに『死力』を尽くして絶命し、その人生は終わりのはずだった。
その成長を実感することもなく、亡骸となって自然に還っていくだけだった。
おそらく、クロはその人生でまず気づくことすらなかったはずだ。
なにせ、『致命傷を負えば強くなる』なんて、そんなもの、訓練で試しようもない特性なのだ。
その特性があるのだと知ったときには、時すでに遅し。
『死力』を使ったら、あとは死ぬだけなのだから。
「――しかし、キサマは『不死』だ」
それは運命のいたずらか。
神が――いや、悪魔がもたらした奇跡で『不死』となり、クロ・クロイツァーのおそるべき本質が大覚醒したのだ。
特性『死力』でのパワーアップと、修羅場での莫大な経験値。
「キサマの命には際限がない。だからこそ、キサマは『死力』を使っても復活し、その力を得たまま成長する」
強敵と相対する極限の戦闘、『修羅場』。
己の命を力に換えてしまう特性、『死力』。
何があっても絶対に死なないグリモアの力、『不死』。
この3つが絶妙に重なり合った結果が、クロの尋常ならざる急成長の理由だった。
それすなわち、『大躍進』である。
「それがキサマが闘いの最中に強くなっていく理屈である」
ヴォゼが強烈に惹かれたのが、これの元となったクロの激烈な感情だった。
あくなき強さへの欲求。
焦がれるほどの渇望。
普通の人なら挫折する壁を越えようとする、おそるべき愚直さ。
『死力』とはまさに、
クロ・クロイツァーという人間の『執念』を体現したかのような『特性』だった。
不死となったクロ・クロイツァーは、
強敵と相まみえるほどに強くなっていく。
闘えば闘うほど強くなっていく。
死ねば死ぬほど強くなっていく。
どこまでも、どこまでも。
果てしなく。
憧れの人――『最古の英雄』エルドアールヴを目指して。
「我ら魔物は、キサマら不死特有のそれを『反逆の翼』と呼んでおる」
そのヴォゼの言い方が、異常なほどに気になった。
「……何だ? まるで俺以外に不死がいるみたいな言い方だな」
「何を言っておる。キサマら人類が知らぬはずがなかろう。居るではないか、もうひとり。二千年以上前からずっと生き続けておる者が」
どこかで聞いたような話。
それは、誰よりも自分が一番に知っているはずの。
「まさ、か……」
そんなはずがない。
しかし、そう思うクロの口からは自然とその名が出ていた。
「――エルドアールヴが、不死……?」
「いかにも。我はまだ会ったことがないがな」
衝撃だった。
だって、エリクシアは不死は1人しかいないと断言していたのだ。
自分だけなのだと。
ヴォゼが騙してきているのか?
いや、違う。
だいたい騙すメリットがない。
なら、エリクシアにウソをつかれたのか?
それも違う。
断じて違う。
彼女が自分にウソをつく理由も意義も意味もない。
何よりも彼女を信用している。
「…………」
なら、答えはひとつだ。
悪魔であるエリクシアの想定以上のことが――この世界で起きている。
「さぁ、そろそろよいだろう。闘いの再開だ、小僧」
「ま、待て。まだ聞きたいことが……っ」
「否、である。これ以上は闘いのなかで応えようぞ」
ヴォゼが剣槍を構え、戦闘の体勢をとった。
これはもう、どんな言葉でも止められまい。
それほどの戦意をみなぎらせていた。
「くそ、いいところで……」
色んな疑問はある。
聞きたいことは山ほどある。
しかし、いまはそれ以上にヴォゼを何とかしなければならない。
エリクシアもさっきの会話を聞いていたはずだ。
なら、それをどう思うか彼女にあとでまた訊いてみるのもいい。
あらゆる謎を置いて、
クロもまた、半月斧を構えた。




