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開戦の火ぶたが切られた。
「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
ヴォゼが吼える。
ハイオークのガルガと似て、まるで猛牛のような吼え声だ。
ただし、牛のそれとは一線を画す声だった。
激震、だった。
カタカタと地面の小石が震えている。
まるでヴォゼを怖れるかのように、周囲の木々がざわめいていた。
ただ声を放っただけで、ここまで周囲に変化を与えるほどの力。
地響きをともなった大音量の轟声。
身がすくみ上がりそうになるほどの威圧だった。
これはもはや、百獣の王と言われるライオンなどの大型肉食獣の咆吼と同質の重低音だ。
爆撃のような声に呼応するかのように、いや――呼応させられたクロが走る。
ヴォゼとの距離をつめていく。
「…………ッ」
走るクロの胸中に溢れていたのは『感動』だった。
恐怖で頭がおかしくなってしまったのかと思ったが、その感情の正体はヴォゼに近づけば近づくほど鮮明になっていった。
「よい、よいぞッ! その気迫、キサマはやはり――戦士であるッ!」
特級という類い希なる怪物が、自分を敵として認識しているという事実。
力量でいうと、道ばたのゴミ程度の価値しかないであろう自分を、このヴォゼという魔物は倒すべき敵として見てくれている。
それが、嬉しくてたまらなかった。
思えばこれまで、いつだって誰かに笑われていた。
英雄を目指すと心に誓った子供時代。
村のみんなや旅人たちは、あまりにも大きすぎる子供の夢として笑っていた。
彼らに悪気はなかったのだろう。
けれど、悔しくてたまらなかった。
誰ひとりとして、本気にしてくれていないのが分かったからだ。
育ての〝姉〟であるマリアベールだけは、この夢を笑いはしなかったが、心の底から心配していた。
それが逆に、つらかった。
きっと、マリアベールは分かっていたのだろう。
自分に、戦闘の才能がまったくないことを。
村を出ると決意した日も、誰もが自分のことを心配してくれていた。
そのころになると、村人たちや馴染みの旅人たちも分かっていたのだろう。
自分がどれほど本気で英雄を目指していたのかを。
そしてそれに反比例するように、何の役にも立たない雑兵以下の実力しかなかったことを。
悔しくて悔しくてたまらなかった。
騎士団に入ってからも同じように笑われていたことを知っている。
どんなに必死になって訓練しても、まったく強くなれない弱者だと。
オーク程度もひとりで倒せない、兵士にそぐわない軟弱者なのだと。
才能もないのに、身の丈に合わない夢を追いかけた。
それでも、努力を続ければ何とかなると思っていた。
同時に、無謀だったと諦める想いも育っていったのも確かだ。
矛盾する心は爆裂寸前で、自分の体を痛め続けるように訓練を繰り返して、そうやって必死に夢を追い続けなければ精神の均衡が保てなくなりそうだった。
――どうして自分には才能がない。
そうやって嘆く日々が続いた。
シャルラッハやアヴリルに対して、嫉妬の心がなかったと言えばウソになる。
どうして、どうして、と。
自分はこんなにも欲しいのに。
神というものがいるとしたのなら、これほど残酷なことはない。
生まれ持った才能。
天から授かった力。
それがどうして自分にはないのか。
なぜ他の誰かにあって、自分にはないのか。
心ない先輩たちに言われたことを覚えている。
お前なんかいるだけ邪魔なのだと。
はやく田舎に帰れと。
あるいは、さっさと他の兵士の盾になって死んでしまえ、と。
……その先輩たちは、ジズに叩き潰されて再起不能になってしまったが。
そんな過去があったからこそ。
誰にも期待されていなかった自分だからこそ。
英雄と対等に闘えるほどの強大な怪物に、特級の魔物であるヴォゼに敵として認められているのが、たまらなく嬉しいのだ。
「――――」
気がつけば、その敵はもう目の前だ。
ヴォゼは一歩たりとも動いていない。
待ち構えている。
そのヴォゼに近づいたクロがまず思ったのは、
――デカい。
という単純な感想だった。
3mに届く巨躯だ。
自分と比べれば大人と子供以上の差があった。
ヴォゼの腕なんて、自分の胴体ぐらいある。
灼熱色の肌を盛り上げるのは、まるで鋼のようだ、と言っても相違ない筋肉だ。
このままバカ正直に真っ直ぐ向かっていっても返り討ちに遭うのは火を見るより明らかだ。
けれど、ガルガとの闘いで最初に使った不意打ち染みた先制攻撃はもうできない。
しかし、クロは構わず半月斧を振り下ろす。
「むっ?」
ヴォゼが疑問の声を出した。
なぜなら、クロが武器を振り下ろした場所は、ヴォゼより数歩以上も手前の地面だった。
そして。
地面に武器を振り下ろしたその反動で、棒高跳びのように大きくジャンプした。
宙空で身を起こし、その途中、闘気を使って半月斧を地面から引き上げる。
結果、華麗極まる大ジャンプが実現した。
曲芸のような動きだった。
「――そうくるかッ」
ヴォゼの頭より高い位置から、クロが再び半月斧を振りかぶる。
クロが今持っている必殺ともいえる技は、『薪割り』だ。
が、3m近いヴォゼの身長に対してはそれが使えない。
なにしろ、ヴォゼが巨大すぎて見上げることしかできないのだ。
仮に、無茶に技を放てばフヌけた一撃になってしまい、攻撃といえるほどの威力にさえならないだろう。
必殺とは、致命傷でなければならない。
それ以外では意味がない。
だからこそ、ヴォゼの頭より高い位置からの攻撃が必要だった。
ただの思いつき。
しかし、それを実行するには鉄のような度胸が必要だ。
失敗すれば目も当てられない。
だが、クロはそれら一連の動作を成功させた。
結果、ヴォゼが予想もできない動きをし、クロに有利な状況からの攻撃のチャンスが生まれた。
「ハッ、クハハハハッ!!」
宙を舞ったクロを仰いで、ヴォゼは笑う。
それは決して嘲笑の類いではなく、おそるべき度胸を持った敵に対しての喜びだった。
「くらえ――」
3mを超えるヴォゼを見下ろし、落下する。
この局面をつくりあげた達成感など今のクロには無い。
あるのは、いかにして目の前の強大極まる敵を倒すか――それだけだ。
「――ふッッ!!」
走ってきた勢いもあって、そのままヴォゼの頭に半月斧を振り下ろした。
全身全霊の力を込めて、叩きつける――。
「やるではないか、小僧……ッ!」
対して、ヴォゼが迎撃する。
剣槍――ではなく、
〝拳〟で。
「…………ッッ!!」
半月斧が弾かれる。
クロの闘気を込めた半月斧の一撃を、こともあろうか、このヴォゼという怪物は、〝殴りつけて〟きたのだ。
当然、上空からの攻撃に対してヴォゼが迎撃してくるのは予想していた。
グレイヴで突き刺してくるか、薙ぎ払ってくるものだと考えていた。
しかし、それごと粉砕する勢いで『薪割り』を放ったのだ。
それをヴォゼは、ただの拳で威力を相殺してきた。
驚愕である。
クロの半月斧を使った全力と、ヴォゼの素殴りが、同じぐらいの威力だということ。
圧倒的すぎる戦力差。
それが如実に表れた一合だった。
「ぐッ……ッ!!」
さらに悪いことに、ヴォゼに殴りつけられた反動で、クロの体が完全に浮いた状態になってしまっている。
まったく身動きがとれない。
こうなってしまったらもうどうにもならない。
「――歯を食いしばれ。気を抜けば、死ぬるぞ」
ヴォゼが言葉にした刹那の後、目の端でキラリと光るグレイヴの軌跡が見えた。
反射的に半月斧を自分の前に構える。
「吹っ飛べ」
「――――ッ!!」
グレイヴでの豪快な、横薙ぎの一閃。
強烈だった。
構えた半月斧ごとへし折られるかのような衝撃が走る。
メキッという不快な音が自分の体の中から聞こえた。
「ぐギッ……ッ」
クロは数m以上先の大木に叩きつけられた。
ぼとり、と地面に落ちる。
無残にもクロの腕や足、そして首は、あり得ない方向に曲がってしまっていた。
◇ ◇ ◇
「……ふん、首の骨が折れたか」
無残としか形容できない瀕死の重傷。
息をするだけで精一杯。
そんなクロの様子を見て、ちっ、と舌打ちをしたヴォゼ。
「期待外れであった。つまらぬ……」
地面に倒れたクロにトドメを刺そうと近づいていく。
すると、
「……ぬ?」
倒れているクロの後方、木々の間から『氷の矢』が飛んできた。
「小賢しい」
ヴォゼはまるで寄ってくる虫を払うかのような動作で、その氷の矢を弾いた。
粉々になった透明に近い水色の結晶が、周囲にパラパラと落ちていく。
「――――ッ!?」
息を潜めた悲鳴が木々の奥からヴォゼの耳に届いた。
戦闘開始と同時に、森に身を潜めて機をうかがっていたエリクシアだ。
「まさかキサマら……この程度で我を仕留める腹積もりだったのか?」
クロが前衛でヴォゼの注意を引きつけ、エリクシアが魔法で攻撃する――。
ヴォゼが悪い意味で衝撃を受けていた。
怒りすら含んだ呆れ。
「オトリ役の小僧は一撃すら耐えられず、決め手の魔法がコレとは……なんとも、下らぬ。拍子抜けすぎて苦笑いすら出ぬわ」
「――だろうな」
ヒュッ、と。
ヴォゼの予想もしていなかった場所から攻撃があった。
「…………ッ!?」
突然かけられた声と攻撃にヴォゼはおどろき、しかし体の反応は一瞬の後れをとることもなく、半月斧の薙ぎ払いをグレイヴで完璧に止めていた。
「……くッ、そ。不意打ちでもダメか」
「……どういう、ことか」
ヴォゼの目の前にはクロが立っていた。
ボロ雑巾のようになっていたクロがそこにいることに困惑したヴォゼの心情は、計り知れない動揺に包まれていた。
「なにが……?」
「……なぜ、キサマが動いている」
「さぁ、なんでだろな」
すっとぼけたように言うクロ。
クロの体からは、黒い霧のようなものが漂っていた。
折れていた腕や足は元通りになっている。
致命的だった首の骨折も完全に治っていた。
「――とぼけるな、『不死者』」
「…………ッ!?」
クロが目に見えて動揺した。
「答えが顔に出ているぞ。まだ青いな、小僧」
「…………」
「そうか、キサマ本当に『不死』か。おどろいたぞ」
苦虫をかみつぶしたような顔をしているクロ。
「いや、しかし、そんなことはどうでもよい。我〝は〟グリモアなどに興味はない」
くっくっく、と笑うヴォゼ。
「それよりも、小僧」
「……なんだ」
先ほどとは一転して、嬉しそうにしているヴォゼ。
「今の攻撃、我の技だな?」
「……」
不意打ちを狙ったクロの攻撃は、ヴォゼが放ったものと同じ軌道を描いていた。
「あとはそうだな。初手、跳びからの振り下ろしは、ガルガの技でもあったな」
多少のアレンジは加えてあったが、あのジャンプ攻撃もまた、他人のものだった。
見よう見まね。
そう言ってしまえば話は終わる。
技の威力も切れ味も、本家とは比べるまでもなく劣化していた。
だが、しかし。
「…………」
「無言を通すか、それもよかろう」
クロ・クロイツァーの放った技は、ただのマネゴトとは決して言えない、真に迫ったものをヴォゼは感じていた。
侮れない。
そんな脅威を感じた。
「――そらッ!」
ヴォゼはその脅威を確かめるように、
本能の赴くままに、
〝先ほどとまったく同じ〟薙ぎ払いの攻撃をしかけた。
「ぐッ……うッ、お……ッ!!」
それを拙いながらもクロが受け止めた。
ズザザザッ、と後ろに吹っ飛ばされていく。
しかし、さっきのような無様は晒さない。
キッチリと受けきって両の足でしっかりと立っている。
力加減も技の鋭さも、誤差すらないレベルで同じ攻撃をしたのにもかかわらず、だ。
「なるほど」
ヴォゼは笑いながら確信する。
――明らかに、強くなっている。
戦闘の才能は絶無に等しい。
これまでヴォゼは、さまざまな人間、妖精、小人、獣人などの人類側の戦士たちを見てきている。
クロ・クロイツァーは、その中でも飛び抜けて才能がない。
体の動かし方、反応速度、エーテルの動き、その総量。
すべてが脆弱だ。
まるで成っていない。
しかし、ヴォゼは確信する。
――この小僧は強敵たり得る逸材である。
人類同士の才能の有無など、ヴォゼには興味がない。
才能という一点だけなら、個として見れば差があるだろうが、種として見ればたいした違いはないのだ。
そもそも、『才能』とは生まれ持ったものであるとヴォゼは思っている。
オークと人類を比べて見ると、その差は歴然である。
人類の赤子は脆弱極まる存在だが、オークの赤子は生まれてすぐ狩りをする。小動物ぐらいなら自らの手で獲り、食べることができる。
人類と魔物の赤子を闘わせるなら、まず間違いなく魔物が勝つ。
人類と魔物ではそれほどに遙か隔絶した才能の差があるのだ。
しかし、現実はどうだ。
魔物を倒せる人類がいるという事実。
なぜそれほどの力が生まれてしまうのか。
それはなぜか。
それは、人類が『努力』をするからだ。
強大な敵を倒そうと、必死で闘いの技術を磨き、工夫し、洗練させ、強くなっていく。
強さを求める者は、際限なく強くなる。
多少なりと壁があろうと、努力を続けていればいずれ壁を越えて強くなっていく。
人類同士で強さの優劣が決まるのは、その努力がうまく自分の糧になるかどうか。
強くなるのが早いか、遅いか。
それだけだ。
つまりは、人類の強さとは才能ではない。
人類の強さとは、努力であり、成長である。
それがヴォゼの持論だった。
そして、このクロ・クロイツァーという少年は、まさにヴォゼが思う人類の強さそのものだった。
いかに強大な敵と出会おうが、諦めることを知らない。
その牙を引っ込めることをせず、なんとか勝とうと努力する。
魔物の技を盗む。
なりふりを構わないストイックさ。
まずはマネることが成長の初歩なのだとヴォゼは知っている。
成長することに容赦がない。
弱すぎるがゆえ、強くなる。
逆にいえば、真剣勝負の闘いの中でしか強くなれないのが、クロ・クロイツァーなのだ。
その代わり、成長度合いが尋常ではない。
『大躍進』と、言ってもいいほどに。
だからこそ――
「キサマ、我で修業しておるな?」
――クロ・クロイツァーは闘いの中で強くなっていく。
不死であることではなく、
悪魔と一緒にいるからでもなく、
クロ・クロイツァーの本質にこそ、ヴォゼは強烈に惹かれていた。




