19 異質な魔物
「クロ、急いでください」
クロとエリクシアは暗い洞窟を走っていた。
たいまつを手に持ったエリクシアが先行している。
その後ろをクロが追う形だった。
「そんな、こと……言ったって、ぐッ……」
オークに射られた肩が強烈に痛む。
闘っているときは集中していたからか、そこまで気にならなかったが、激しく動くと頭の芯まで痛みが響いてくる。
おまけに半月斧という重量武器を担いでいるせいか、走るのもままならない。
「傷はもう少ししたら勝手に治るはずです。とにかく今は我慢して、走ってください」
「そんな無茶な……」
洞窟に2人分の足音が響く。
繊細でおとなしそうな外見とは裏腹に、エリクシアの足はワリと速い。
ケガをしているとはいえ、追いつくのがやっとだ。
「魔物は倒したじゃないか、どうして逃げる必要が……」
突然現われた3体のオークを撃破した。
しかし、エリクシアは焦るように逃走を促してきたのだ。
洞窟の入り口はエリクシアの氷の魔法で塞がれたため、2人は奥へ向かって走っている。
どうやらこの洞窟は行き止まりの構造ではなく、出口が2つあるそうだ。
そのもうひとつの出口へと向かっているのが今の状況だった。
「まだです。わたしを狙っているあの魔物の集団は、順番待ちをしているんです」
「順番待ち……だって?」
「はい。わたしを狩る順番を決めているみたいです。あのハイオークもそうでした。倒してしまえば次から次へと新手が来るんです」
エリクシアは走るペースを落とさない。
一応、気を配ってこちらの様子を見てくれているようだが。
「……君の魔法なら新手の魔物ぐらい一掃できるだろ?」
あの氷魔法はとんでもなかった。
魔法のことは門外漢だが、なにしろ魔法を使う魔物が存在するため、それぐらいは勉強している。
オークを一瞬で仕留める威力の魔法。
しかもあの規模の広さ。
そして、本気になればこの広い森一帯に範囲を広げられると言った彼女の言葉を信じるなら、もはやそれは英雄レベルの技だ。
あれを騎士団の人間で例えるのなら、シャルラッハの『雷光』のようなものだ。
おそらくだが、シャルラッハならあのハイオークでさえ簡単に倒せるだろう。
つまり、エリクシアはシャルラッハと同じぐらいの強さだということだ。
「ハイオークだって倒せてたんじゃないのか?」
「いいえ、不可能です。さっきのは君が相手の注意を引いてくれていたからできたことです」
「そうか、詠唱か……」
「はい。言葉を紡いでいる間に殺されて終わりです。わたし、体術はまったくダメなので」
いわゆる、魔法使いの弱点というやつだ。
攻撃の起点となる詠唱がそのまま付け入る隙となってしまう。
中には無詠唱で魔法を発動する特例がいるが、それは本当に特別な者のことで、普通は数秒から数十秒かけて魔力を練らなければならない。
そのかわり熟練の魔法使いなら、広範囲の敵を一発で薙ぎ倒すことができ、集団戦においてすさまじい効果を発揮し、戦局を一気に好転させる要になることも多い。
「わたしの体術を抜きに考えても、追ってきている魔物の中に、とてつもなく危険な個体がいるんです」
「……危険な個体? あのハイオークよりもか?」
あのハイオークは普通じゃなかった。
倒せたのは本当に奇跡だった。
あんなやつより危険な魔物なんて、そうそういるはずがない。
しかし、そんなクロの質問に、エリクシアは「はい」と断言した。
「次の順番が『あの魔物』かもしれない。そうなれば、わたしたちは終わりです」
「……そんなにヤバいのか?」
「はい」
あまり顔に感情が出ないエリクシアが冷や汗を流している。これは走っているせいではない。
そこまでエリクシアが焦るほど、危険な存在だということだ。
「……神さまに祈るしかないですね。『アレ』が出てこないうちに、魔物を撒けるように」
エリクシアはそう言って、たいまつを持っている側とは反対の手で、胸元に手を入れて、銀色に輝くロザリオを取り出した。
「悪魔も神に祈るんだ?」
「いけませんか?」
「……いや、俺の知ってる教会の人は、どんな人物でも神に祈ってもいいとか言ってたな。神の前では人は平等だとか」
そこで、ああ、とようやく理解できた。
どうして自分が初対面のエリクシアとこれほど打ち解けて会話できたのか。
マリアベールに似ているのだ、この子は。
ヒュームのエリクシアとエルフのマリアベールの外見はぜんぜん似ていない。
けれど、そう、雰囲気が似ていた。
冷たそうな外見と、それと反するかのような儚げなやさしさ。どことなく、話し方も似ているような気もする。
だからこそ、まったく抵抗なく親身になれたのだ、きっと。
「いいんじゃないか? 神頼み。それで何とかなってくれるなら、俺も信じてみてもいいかもな、神の奇跡ってやつ」
クロ自身は神というものを信奉していない。
信じるものは自分で決める、というのがマリアベールの教育方針だったからだ。
クロが心から信じるものは『英雄』だ。
「大丈夫です。わたしは何度も助けてもらいましたので。食べ物に困ったときとか、天から恵んでくれましたし、パンとか」
「…………」
「ほ、本当ですよ?」
えらく具体的で、庶民的な奇跡だった。
すごく、うさんくさい。
「わたしが本当に困ったときにはいつも助けてくれるんですからっ」
「…………あっ、肩の傷が治ってる!? すごい……本当に治るんだな」
走りながら会話しているうちに、オークに射られた傷がなくなっていた。
腕をぐるぐる回してみても、痛みも違和感もない。
完治している。
ハイオークとの闘いの傷もこうやって治ったのだろう。
これが不死の力というものなのか。
「ちょ……ちょっと、聞いてますか? 本当なんですよ? 本当に神さまが助けてくれたんですってば」
「いいから走れ。ヤバいのがいるんだろ?」
「むぅ……」
むすっとしたエリクシアの顔がちょっと印象的だった。
◇ ◇ ◇
しばらく洞窟を走り続けて、外に出た。
背後を見ると、巨大な丘があった。
さっきの洞窟は、この丘をくり抜いたものだったようだ。
人の手によるものか、それとも魔物がやったのか。
推測だが、多分これはデオレッサの滝に住むという水竜が通ったものだろう。
相当に巨大な魔物らしいから、それぐらいはやってのけるだろう。
「……どこまで逃げる?」
夜の森は真っ暗な印象だったが、ここらの木々には葉があまりついておらず、星の光が届いていた。
十分とは言えないが、そこそこに周囲が見えるのでこれなら走ったとしても問題ないだろう。
「水竜にも気をつけないといけませんし、とにかく遠くです。たいまつは消しますね」
地面にたいまつをこすりつけて、その火を消していくエリクシア。
洞窟の前でほんの少しだけの一休み。
そのつもりだった。
「……なんだ?」
「どうしまし……なんですか、この音……」
耳鳴りがした。
風が悲鳴を上げているような、そんな音が聞こえた。
クロが空を見上げたのは、なんとなくだった。
そしてそれを見た瞬間、クロの顔が真っ青になった。
「――ッ……逃げろおおおおおおおおおおォッ!!」
叫ぶ。
まだ気づいていないエリクシアを庇うように、抱きかかえて洞窟から跳び離れた。
「うォ……ッ!!」
「……ッ!!」
まるで爆弾が爆発したかのような衝撃と音。
しかし、熱はない。
当然だ、あるはずがない。
爆弾なんかじゃない。もっと信じられないものだった。
「ぐッ……」
霰のように飛散してくる石や土。
地面に伏したエリクシアを覆うようにして、それらから庇う。
しばらくして、そこら中に舞っていた土煙が晴れていく。
「な、な……なんですか、これ」
エリクシアが驚愕する。
「岩だ……。デカい岩が、降ってきた……」
声に出すことで、その信じられない出来事を再確認する。
洞窟の出口を、巨大な岩が押しつぶしていた。
直径7~8mぐらいある巨大な岩だ。
「土砂崩れ、ですか……?」
洞窟の眼前にあるのはアトラリア山脈だった。
「山の方から落ちてきたのか? たまたま、偶然……? この洞窟に、ピンポイントで……?」
そんなことがあるか?
あり得るのか?
アトラリア山脈からここまで、けっこうな距離がある。
それを飛び越えて、落ちてきたのか?
「……いえ、違うみたい……です」
エリクシアがとある方向を見つめた。
その方向に視線を移す。
アトラリア山脈の一部分、山の中腹。
断崖絶壁の場所――そこに、いた。
「…………」
クロはポシェットの中に入れていた片手式の望遠鏡を出して、震える手で覗いた。
ピントが合わない。
少しずつ調節していく。
「――――ッ」
そして、目が合った。
クロの全身に怖気が走った。
「……なんだ、アイツは……」
「さっき言っていた、危険な個体です……」
「祈りは通じなかったみたいだな……」
「まいりましたね……どうしましょう」
エリクシアがクロの裾をギュッと握りしめた。
服越しのその弱々しい感触が、取り乱しそうになっていた自分の心を律した。
「…………ッ? どこにいった……?」
望遠鏡でその場所を再確認しようとしたが、そこにはもう何もいなかった。
しかし、クロの呟きに答えたものがあった。
「――ここだ」
後ろから、遠雷のように轟く深い声。
バッ、と振り向く。
洞窟を押しつぶした岩の上に、ハイオークが座っていた。
ハイオークが、いたのだ。
前に会ったやつとは違う個体だ。
「え……」
まさか、あの山の上からここまで跳んだのか。
「ほぅ、ガルガの得物を奪いおったか」
肉食獣のように縦に切れた瞳。
その瞳の色は黄金に輝いている。
イノシシのような凶悪な牙は野蛮の象徴だった。
筋骨隆々のその肉体は傷だらけで、血管が浮き出ていて、何かの模様を描いているかのようだった。
あのハイオークに勝るとも劣らない、ある種の美があった。
肌の色は赤色……よりは灼熱色というのが正しいか。
信じられないが、肌の色そのものが炎のように揺らめいている。
マントのようにかけられた毛皮は何かの猛獣のものだろうか。腰みのも同じような素材だ。
太い首元には金の装飾が施されたネックレスを何重にもつけている。
手首にも金のブレスレット。足首にも同じものをつけていた。
頭には金の冠をかぶっていた。その冠には羽根飾りがついていて、巨大な鳥の羽毛だろうか、それを頭頂部から背後に流している。
そして、何よりも。
巨大な体躯だった。
ゆうに3mはあるだろうか。
そこに居るだけで圧力が尋常じゃない。
「小僧、ガルガの最期はどうであった?」
「しゃべっ、た……?」
そう、このハイオークは、しゃべっているのだ。
聞き間違いではない。
ハッキリと、その牙の生えた口で、人の言葉を話しているのだ。
「我のように会話ができる魔物ははじめてか?」
「…………ッ」
不気味。
ただその一言しか出てこない。
「今一度問うぞ、小僧。ガルガの最期はどうであったか」
異質なオークが目を細めた。
それだけで、凍えそうなほどの悪寒が走る。
「……ガルガ?」
「炎を纏うハイオークである。その半月斧の元の主だ。ガルガは戦士として、善き最期を遂げおったのか、否か。答えよ」
あのハイオークはガルガという名前なのか。
戦士として善き最期。
そう言われたら、そうだった。
なにしろ、尊敬の念すら感じるほどの壮絶な最期だったのだから。
「……最期まで、強い戦士だった。少なくとも、あの闘いぶりは生涯忘れることはできない」
心の底からの本音だった。
本当に、あのハイオークはすごかった。
「そうか」
少しでも時間を稼ぐしかない。
どうにかして、こいつから逃げないといけない。
このオークは異質だ。
危険すぎる。見ただけでわかる。
こいつは強すぎる。
逃げる方法を考えないと、ここで本当に終わってしまう。
エリクシアが殺されてしまえば終わりだ。
不死を治す方法もわからなくなる。
「……それで、ハイオークの仇討ちに来たのか? それとも、この半月斧を取り戻しに?」
「仇討ち? 得物を取り戻す、だと?」
灼熱色の肌をしたオークが笑う。
「否。闘いで死したならばガルガも悔いはなかろう。己を討ち滅ぼした相手に得物を使われるのもまた至福である」
「どういうことだ……?」
岩の上にいる異質なオークが立ち上がる。
その手には、巨大極まる剣槍が握られていた。
「敵に猛進し殺される、大いに構わぬ。完膚なきまでに打ち負かされ、次こそはと敗走するのも結構だ。
――我らオークは愚かでよい。狂気に目覚め、同士討ちで絶命するのも面白い。慢心し、敵の策で無様に死ぬのもまた一興」
強烈な威厳だった。
そこにいるのはただの魔物じゃない。
「我らオーク唯一の恥は、命を惜しみ、気概を持たずして戦を怖れることである。
ゆえにこそ、これよりはじまる闘いは、仇討ちなどではなく、純粋な殺し合いである」
このオークは、すべてのオークの頂点だ。
それが肌で分かる。
これまで会った誰よりも強い。
アヴリルよりも、シャルラッハよりも、副団長よりも。
誰よりも、遙か高みにいる。
このオークは、手の届かない『星』だ。
今、目の前にいる魔物は――
「我が名はヴォゼ。オークのヴォゼである。
愉しもうぞ、小僧。ガルガを倒した手並み、我に見せてみよッ!」
――『英雄』だ。




