1 魔境アトラリア三大派閥『セロ一派』
魔境アトラリア【禁域】。
人境レリティア全土と比べても遙かに広大なこの【禁域】の地には、噴火活動が活発な火山の密集地帯がある。
いくつもの火山から噴き上がる、溶岩の赤色。それが夜の闇に不気味に浮かぶ。
灼熱の風が吹き荒び、焼けた山肌を駆け巡る。
山頂の火口には、巨大な竜の魔物が火山にもたれ掛かるようにして息絶えていた。
頭部の半分を破壊されて死んでいるこの巨大な竜は、この火山地域一帯を支配していた強力な火竜だった。それが殺されている。異常な状況だった。
グツグツと煮えたぎる火口の溶岩溜り。
そこに魔物の一団がいた。
角が生えた馬のような魔物、鷲と獅子を合わせた見た目の魔物、大きな牙を生やした巨大な象の魔物、立派な角を広げた山羊の頭をした魔物、羽の生えた人型の魔物など、多種様々な魔物が楽しそうに談笑している。
「ふー、なかなか良いじゃねェか」
なかでも一際強力な力を放っている魔物、『最古の六体』セロが心地良さそうに言った。
その頑強な巨体は溶岩に浸かっている。まるで温泉にでも入っているような感覚で溶岩のなかにいるのだ。
「いままで入った溶岩風呂のなかでも最高だなこりゃ」
丸太を何本も合わせたかのような巨大な腕が、マグマのドロドロを遊ぶように掬い上げた。
人のそれとは明らかに違う岩盤のような胸筋と腹筋が、グツグツと沸騰する溶岩から見え隠れしている。燃え上がる炎のような髪と、獰猛な獣を思わせる瞳は、溶岩よりも熱を帯びているかのようだ。
額からは天を衝くような鋭い角が生えていて、頬まで裂けた口から覗く鋭い牙が白くギラリと光っている。
その姿はまさしく『鬼』と呼ぶに相応しい悪貌だ。
しかし、一見怪物染みた容姿風貌だが、真っ直ぐに筋が通った高い鼻や、掘りが深い鋭い目元など、要所要所でバランス良く整ったその顔付きは、人の美意識で見たとしても十分以上に美男と呼べるものだった。
「アハァ……熱ぅい……」
そう言ったのは、セロにしな垂れかかるようにして抱きついているハーピーの魔物だ。
怪しく笑いながら、彼女はセロと同じように溶岩に浸かっている。その体から溢れ出る強力なエーテルで、炎熱のダメージを軽減している。しかし完全には防ぎ切れておらず、その体の羽毛が焼け爛れていた。
「ラヴは相変わらず無茶するねぇ、まったく」
困ったように苦笑いをするのはクモ型の魔物。巨大なクモの姿そのものだが、その背中から人間の女性の上半身が生えているようなイビツな容姿だった。
これはアラクネという強力な魔物の特徴で、彼女はそのなかでも群を抜いて強い、突然変異の特殊個体だ。
「ほらラヴ、さっさと溶岩から出な。このままだと死んじまうよ」
アラクネはその細くしなやかな腕を伸ばして、ラヴと呼んだハーピーの魔物に呼びかける。
「アハァ……でもでもウルト。わたし、セロと離れたくない」
ウルトと呼ばれたアラクネは、「はぁ……」と深いため息をつく。
「……セロ」
ウルトはじとっとした目でセロを見る。彼女の下半身にある、八つのクモの眼も同じくセロを睨んでいる。相手が並の魔物なら、即座に全速力でこの場から逃げ出すほどの威圧だった。
「イヒヒヒ、そう睨むなよ。コイツの勝手だ、好きにさせてやれよ」
しかしセロはそんなものは意に介さず軽い口調で返す。『最古の六体』である彼が怖れるものなど、この世になにひとつありはしない。
「まったく……」
苦労人のような立場なのだろう、ウルトは眉間に皺を寄せながら再びため息をつく。
「心配すんな。こんなもんでコイツは死にやしねェよ」
「えへへぇ、セロが褒めてくれたぁ」
ラヴは上機嫌になって、さらにぎゅっとセロに抱きつく。
セロは特に気にする素振りを見せず、ラヴのやりたいようにさせていた。
「まっ、たしかにそうか」
心配しただけムダだと、ウルトは再び深いため息をつく。
「あたしも酒でも飲むかねぇ」
ウルトは近くの魔物たちを見やる。
魔物たちは突き出た岩を机や椅子に見立てて酒盛りをしていた。彼らの楽しげな笑い声は溶岩地帯の空の先まで響いていた。
彼らは魔境アトラリア『三大派閥』のひとつ、『セロ一派』と呼ばれる集団だ。
この魔境アトラリアの魔物は、そのほとんどが三つの派閥に属している。
ひとつは『最古の六体』エストヴァイエッタを信仰する無数の魔物たち。
もうひとつは、【冥主】と呼ばれる『最古の六体』の一体が完全統制する、事実上魔境アトラリア全土を支配している最も大規模な軍団。
そして、このセロ一派だ。
エストヴァイエッタの信奉者、冥主の大軍勢、セロの悪友、この三つの集団が、魔境アトラリア『三大派閥』である。
他の派閥と比べてセロ一派の構成人数は極端に少なく、セロを除いて9体しかいない。
それがなぜ三大派閥とまで言われ並べられるのか。
理由は簡単だ。
それは、セロ一派の全員が例外なく強く、一体一体がこの魔境アトラリアに名を轟かせる歴戦の猛者だからである。
炎のような熱気を放つ酒を、石のジョッキでゴクゴクと飲み干している山羊頭の魔物は、魔境序列『第十二位』のグルドバッハ。
大きな翼を広く伸ばしているのはグリフォンの特異個体、魔境序列『第十四位』のモズグリフ。
上品なグラスで色っぽく酒を飲んでいるウルトは魔境序列『第十五位』。
セロに寄りかかっているラヴは魔境序列『第十六位』。
続く魔境序列『第十七位』は、象のような巨大な魔物、ゼギーブ。
魔境序列『第十八位』と『第十九位』は双子の魔物、二角獣のベルトルゴーラ、一角獣のアロガルベーラ。
このなかで最も弱く、酒を注いでまわっているオドベッテは、それでも魔境序列『第二十位』という凄まじさだ。
そして最後にもうひとり。
ズシンズシンと音を立てながら山を登り、一体の魔物が近づいて来た。
セロに勝るとも劣らない、3mはあるだろう筋骨隆々の巨体だ。
頭には、一対の洞角が大きくカーブをして天を突いている。二足歩行の牛頭だが、その眼や表情は肉食獣のそれを思わせるほど獰猛かつ凶悪だった。
多くの二足歩行の魔物と同じく衣服を着用しているが、この魔物の衣装は、人の感覚で言うなら王族か貴族が着るような豪奢なものだ。首や腕、腰や足などさまざまな箇所に豪華な貴金属をつけていて、彼の燃えるような真紅の肌によく映える。
その魔物が開口一番、重く低い声で静かに怒気を放つ。
「おいセロ。どういうつもりだ」
この牛頭の巨漢は、魔境序列『第八位』、『魔物の王者』ブル。
姿形はミノタウロスに近いが、その実力はもはや別物レベルの超強力個体だ。
彼が王者と呼ばれる所以は、最強の『特級の魔物』だからである。
序列一位から六位は『最上級の魔物』である『最古の六体』が占めており、序列『第七位』は『神獣』ベヒモスが座している。このベヒモスに関しては魔物ではない。
ゆえに『特級の魔物』で最も強いのが、『第八位』の彼なのだ。
このブルという魔物の存在が、セロ一派の地位を不動のものにしている。
「この火竜は、儂の獲物だったはずだ」
ブルは巨大な竜の死骸を見ながら言った。
彼のこめかみには青筋が立っており、怒りの表情を隠しもしていない。
「悪い悪い、溶岩風呂に入りたかったんだよ。それをそいつが邪魔してきてな。つい殺しちまった」
しかし、セロが悪びれもせず言った。
「…………」
ブルが無言でセロに近づく。
とんでもない威圧が周囲に放たれる。仮にいまこのふたりが暴れたなら、ここにある火山地帯は一瞬で景色が変わってしまうだろうことは火を見るよりも明らかだった。
周りの魔物たちは、ふたりの動向をじっと見守っていた。
「貸しだぞ」
ブルが厳かな声で言う。
轟く遠雷のような低く重い声だ。
「ん?」
「次、獲物が被ったら儂に譲れ」
「ハァ!? なんでだよ!?」
セロが嫌そうな顔をした。不服らしい。
「やかましい。儂はあの火竜の成長を楽しみにしていたのだぞ。まだまだ強くなる素質も素養もあった。だからこそ殺さずに生かしておいたのだ。それはキサマに伝えていたはずだぞ、セロ」
「…………あっ」
「まさか……忘れていたのか」
信じられん、と呆気にとられるブル。
マズいことをした、と渋い顔をするセロ。
「わかった、わかったよ! 次な。そう怒るなよ。獲物を譲ればいいんだろ」
「約束だぞ、セロ?」
「お、おう……」
「……漢と漢の、約束だぞ?」
「わかってるよ! しつけェな!」
セロは面倒そうに手をひらひらと振った。
「やれやれ……せっかく良い情報を持ってきてやったというのにな」
ブルが呆れた様子で呟く。
「あ? なんだってんだ?」
セロが怪訝そうに返した。
そして、周囲にいた魔物たちが興味津々といった様子でブルに話しかける。
「おっ、なんだなんだ? 聞かせろよ、ブル」
酒を飲みながらブルに近づく山羊頭の魔物、グルドバッハ。
「ふぅん? ブルにしてはめずらしくやけに上機嫌じゃないか。よっぽどいい情報ってことさね」
酒で頬を赤く染めながら、ウルトが怪しく舌なめずりをする。
「フッ」
悪友たちの反応が上々なことに気を良くしたブルが、悪い笑みを浮かべながら話す。
「名前と居場所が分かったぞ、『反逆の翼』のな」
千年前、魔境アトラリアに攻め込んできた不死者。
そして『最古の六体』エストヴァイエッタと闘い、生き残り逃げおおせた怪物。
その話題を聞いたセロ一派の面々は、歓談の雰囲気がなくなり、ほとんどの者が好戦的な笑みを浮かべていた。




