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エリクシアオブライフ ~不死の災いと悪魔の写本~  作者: ゆきわ
第二章『巨悪鳴動』編

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81 その少女を救うのは、世界を救うことよりも難しかった


 大雨が降りしきる音が絶え間なく続いている。溶岩の熱を冷ましながら、水蒸気の白煙を増やしていく。

 もう、クロの視界にはエリクシアしか見えなかった。


「……俺は……」


 クロはこれまで自分がなにをしていたのかを、ぼんやりとだが記憶していた。

 リビングデッドの大軍と、死者の英雄たちと(たたか)っていた。

 そこから意識が途切れた。


 後の出来事は、不死の体が覚えている。

 ボルゼニカ大火山で『英雄』アルトゥールと闘った。そしてアルトゥールが持つ『蘇生の詩編』でリビングデッドと化した、彼の騎士団とも闘った。


 その後、自分の暴走を止めるために駆けつけてくれた、『英雄』アレクサンダーと『英雄』シュライヴとも()り合った。

 それだけでなく、シャルラッハやアヴリル、それからエリクシアとも闘った。

 ()()()()()()()


 守るべき仲間に、この力を向けてしまったのだ。

 誰と闘っているのかも分からないまま、みんなを敵として、本当に、殺そうとした。結果が少しでも違っていたら、彼女たちを殺していたのだ。


「俺は、なんてことを……」


 怖ろしくて、手が、体が震えた。

 こんなにも恐いことはない。

 もう少しで取り返しのつかないことをするところだったのだ。


「クロ……目を覚ましてくれたんですね」


 顔のすぐ近くでエリクシアの声が聞こえた。

 涙声だった。

 自分が彼女を泣かせたのだとクロが気づいて、また後悔を強めた。


「ごめん⋯⋯俺は⋯⋯」


 言葉は続かなかった。

 意識がなかったとはいえ、自分の行動があまりにも酷すぎて、どう謝ったらいいのかもクロはわからなかった。


「大丈夫ですよ、クロ。もう、大丈夫」


 ボロボロの姿のエリクシアが言う。

 彼女をここまで痛めつけたのが他でもない、自分だという事実が後悔をさらに深めた。


「…………情けないところを、見せてしまったね……」


 自嘲する。

 闘いの最中に精神を追いつめられて、自分を見失ってしまった。


「本当に……みっともない」


「……いいえ、いいえ……ッ!」


 エリクシアが遮るように、二度、強く否定した。


「わたしは、クロと出会ってからずっと、そんな姿は見ていません」


 エリクシアは断言する。


「君はずっと、凜々しいままですよ。いまもそうです」


「…………」


 彼女の優しいその声は、割れて壊れたクロの心に染みるように入り込む。そして抱きしめられて感じる(やわ)らかなこの温もりは、昼下がりの微睡(まどろ)みを思わせる安心感に満ちていた。

 魅惑的なようでいて安堵してしまう、彼女が持つ不思議な感覚に溺れてしまいそうになる。


「……くっ……」


 このままでは正常な思考ができないほどに、心が乱されそうだった。

 本能的な倒錯感に抗うため、クロはエリクシアから離れようと動こうとした。

 しかし、エーテル切れになった体には、力がまったく入らない。


「クロ、もうがんばらなくて……いいんですよ」


 それは、エリクシアがずっと言ってくれていた言葉だった。

 そしてエリクシアは抱擁する腕の力を優しく強めてきた。柔らかい感触が、ぎゅっと体を包んでくる。


「俺は……」


 エリクシアのその細い体躯は、彼女の言葉の印象とは裏腹に、震えていた。

 彼女に抱き包まれていなければ分からないほど、その涙は静かだった。泣いているのを悟られまいと、必死に哀哭を殺している。

 さすがにこんな密着状態で、相手が泣いていることを気づかないほどクロも鈍くはない。


「俺……は」


 エリクシアは、自分が無茶をしていることを悲しんでいる。ずっとずっと彼女が伝えてくれようとしていた。

 もう無茶をしなくていいのだと。

 もう、強がらなくてもいいのだと。


「……エリクシア、俺は君を…………ッ……助けられない……」


 血を吐くかのように言葉を紡ぐ。

 それぐらいに、クロにとってこの言葉は重かった。


「……はい」


 エリクシアの返事は、どこまでも優しい声色だった。


「俺の力じゃ……君を助けられないんだ……」


 この事実を認めるまで、二千年もかかってしまった。

 クロ・クロイツァーはエリクシアを救えない。


 エルドアールヴとして、このレリティアを護り続けてきた。世界の危機を救ったのは一度や二度じゃない。

 グラデア王国が大国となる切っ掛けになった、『朱眼』グリュンレイグの襲撃。

 魔境アトラリア【深域】の遺跡から現れたガーゴイルの大群。

 大砂漠の地中より現れし古代の怪物、サンドワームの暴走。

 アトラリア山脈を越えてきた巨大邪竜の進撃。

『第二悪魔』が起こした人類大虐殺。

『凍てつく悲哀』の全球凍結。

 そして、転生する『冒涜の死神』ジズ・クロイツバスターの()()

 どれもこれも人類絶滅クラス、あるいは人境レリティアの土地そのものが崩壊するレベルの大厄災だった。

『最古の英雄』の伝説の分、人々を救い続けてきた。

 けれど、エリクシアを——『悪魔』を救うのは、世界を救うことよりも難しかった。

 それはあまりにも無理難題だったのだ。


「……う……ッ……ッ」


 悔しくて悔しくてたまらない。

 エリクシアを助けられないことが、それを認めることが、そしてそれを本人に伝えなければならないのが、これほどつらいものだとはクロ自身も思わなかった。

 ここまで我慢してきた涙が、溢れて零れた。

 止まらない。

 一度弱音を吐いたら、もう涙は止まらなかった。

 雨はさらに強く降り始め、激しく大地に打ちつけられる。止む気配はない。


「…………」


 エリクシアが静かに頷いた。

 止まらない嗚咽を、ずっと包んでくれていた。


「俺ッ…………ッ、俺は……」


 クロはしゃくり上げて泣きながら言葉を紡ぐ。

 もう、英雄エルドアールヴとしての姿なんてどこにもなかった。

 英雄の仮面は砕けてしまったのだ。


「……君を【最奥】に、連れて行けない……」


 エリクシアを救うため、魔境アトラリアの【最奥】に行くなんて不可能だった。


「……俺の力じゃ、『最古の六体』には(かな)わない……」


 魔境アトラリアの【禁域】の果て。そこに最強の魔物たちがいる。

 クロが千年前に闘ったことがあるのはエストヴァイエッタのみだが、何をどうしても通用しなかったのだ。他の五体も同じくだろう。

 次元違いの怪物。

 世界の間違いとも言うべき実力を持つ六体の魔物。


 常識外れの力を持つ特別な魔物を総称して、『特級』と呼ぶ。しかし、その特級の魔物ですら絶対に届かない天上の存在が『最古の六体』である。

 だからこそ、それ以上がないという意味で、その六体は『最上級』の魔物と位置付けられた。


 エルドアールヴとなった不死のクロでさえ、奴らには勝てない。

 それが、クロが千年前に直接対決し、肌身に染みて確信した感想だった。

 エリクシアをアトラリアの『最奥』に連れて行くという、出会ったあの日の約束は叶えられない。

 その事実をようやく、クロは認めた。

 ()()()


「……でも、()()()()()()


 それでも、不屈だった。

 現実を知ってなお、理不尽な世界を知ってなお、諦められない意地があったのだ。


「……え?」


 エリクシアは、クロのその言葉に困惑したが、すぐに納得した。

 なぜなら、諦めなんて行為はクロ・クロイツァーには似合わない。

 屈することなんて彼にはあり得ない。

 ずっとずっと、彼はそうだったのだから。


「……俺はそれでも、君を助けたいんだ」


 不屈の心。

 不動の魂。

 ただそれだけが、クロ・クロイツァーに唯一あったもの。

 それしかなかった。

 何の才も無かった彼は、それだけしか持ち得なかった。

 だからこそ譲れない。

 だからこそ諦めない。

 これだけは、絶対に。

 不可能だろうが何だろうが関係ない。

 無茶苦茶なことを言っているのは本人も分かっている。

 しかし、矛盾していようが理屈に合わなかろうが、それでも、諦められないのだ。


「でも……俺はもう、どうしたらいいか……分からない」


 諦められない。けれど、自分の力では不可能だと悟っている。

 まるで、出口のない迷路に()まったかのような絶望だった。


「……クロ、そういうときにどうするか知っていますか?」


 エリクシアが言った。

 クロはその言葉に、目を見開いて驚いた。


「……分からない。どうしたら……」


 悩みに悩んで、己の弱さを認めて、自分の偽らざる本心を吐露(とろ)した。

 絶対に不可能な無理難題。

 その解決の答えを、エリクシアは簡単なことだと言うかのような口ぶりで続けた。


「誰かを、頼るんです。人に助けを求めるんですよ」


「助け、を……?」


「はい。君の頼みなら、きっと断る人なんていません」


 助けを求める。エルドアールヴに憧れすぎて、これまでそれを許さなかった。

 だって、エルドアールヴの自分が誰かに助けてもらってしまったら、その人はどうするのかと。


「……いや、ダメだ。俺が……エルドアールヴが助けなんて求めてしまったら、その人はもう誰にも頼れなく……」


「いいえクロ。そうじゃないんです」


 エリクシアが首を小さく振った。


「人は困ったら、()()()()ものなんですよ。どうしようもなくなったら、()()()()ものなんです」


 そんな、たったひとりの『英雄』を除いて、誰もが知っている当たり前のことを彼女は言った。


「誰にも助けを求められなくなる……だなんて、そんなことはありません。助けられたら助け返す。支えられたら、支え返すんですよ」


「…………」


「それが、()()()()


 そう言ったエリクシアの瞳は、強い光を(きら)めかせていた。そこには確かに、希望の光があった。少なくとも、クロ・クロイツァーにはそう感じられた。


「わたしは……わたしたちは、クロに助けられるだけの仲間じゃないです。君を支えて、君に支えられて、助け合って、共に闘って、背中を任せて任されて、時には君の隣で一緒に立ち向かう……わたしたちはそんな仲間に、なりたいんです」


 柔らかく優しい声なのに、芯の強い言葉だった。


「…………」


 いまにも倒れそうなぐらいボロボロで儚い姿の、しかしとてつもなく強い少女に、クロは目が離せなかった。


「……エリクシア」


 その眩い光に、惹かれてしまった。

 その優しさに包まれてしまった。

 もう、きっと戻れない。


「はい」


「……俺は、君を助けたい。だから……」


 だから、もういいのだと、思った。


「俺を、助けてくれ……」


 震える声。

 万感の想い。

 零れる涙。


 クロにとって、その言葉はとてつもなく重いものだった。

 魂を粉砕し、矜持を破壊するかのような言葉だったのだ。




 ()()()()()()




 その簡単なたった一言を言うのに、こんなにも遠回りをした。

 エルドアールヴは助けを求めてはいけない、と。

 どの時代のどこの誰よりも、クロ・クロイツァーこそがエルドアールヴに憧れて、そして神格化していた。

 だからこそ、一切の妥協ができなかった。

 エルドアールヴが誰かに助けを求めるなんて許せなかった。

 その不屈の意志で、極限の意地で、不断の努力で、不死の二千年を耐えきった。


 けれど、もう限界だった。

 心はすり切れ、絶望に壊れ、忘我に沈んで暴走した。

 それでも、と力の限りに、限度を超えた我慢でなんとか凌いでいた。

 それを壊された。

 他でもない、何をおいても救いたかったその少女に。


 助けを求める。

 クロにとってそれは、非常に重いものだった。

 今回の闘いで、クロは『英雄』アレクサンダーと『英雄』シュライヴに自分を止めてほしいと頼んでいた。

 助けてもらうことと、頼ること。

 クロのなかでそれは明確に違うものだった。


 頼るのは、相手がそれをできると知っているから、頼るのだ。

 アレクサンダーとシュライヴのふたりなら、自分を抑え込むのは可能だと理解(わか)っていた。火口に落とされて『死力(しりょく)』が発動するという予想外の出来事が起こってしまったがために、あそこまでギリギリの闘いになったのだが、本来ならもっと楽にエルドアールヴを止められる算段だった。

 だから、彼らふたりに頼んだのだ。

 仮に自分が全力で暴れても犠牲を出さずに止めてくれると理解っていたからだ。


 だが、助けを求めるというのは、その相手ができるかできないかなんて関係ない。自分の願いを相手にただぶつけるだけの行為だ。

 溺れる者は(わら)をも掴むという言葉があるが、掴まれた藁そのものが千切(ちぎ)れようが関係なく、自分が助かりたい一心で藁を掴むのだ。

 それを人に対してするなんて、そんな無責任なことをエルドアールヴがするわけにはいかなかった。


 しかし、もう、矜持なんて崩れ去ってしまった。

 エルドアールヴの幻想ではエリクシアを救えない。

 それを理解してしまった。

 苦汁の決断。

 身を引き裂くような思いだった。

 そんな、魂を削るかのような思いで、クロは助けを求めたのだ。




「はい。任せてください」




 そのクロの助けを求める声を、エリクシアは力強く返した。

 クロの、自分自身を責める内心を悟ったのだろう、エリクシアは言葉を続けた。


「クロ、見てください」


 そう言って、抱きしめる腕を(ほど)く。

 互いに座った状態で、互いを見つめ合った。


「わたしたちは、エルドアールヴに勝ったんです。わたしたちひとりひとりの力は君には敵いません。でも、わたしたちが力を合わせたら、君にだって勝てるんです。エルドアールヴに勝ったんです。わたしたちは、君よりも、強いんです」


 彼女たちはエルドアールヴに勝った。

 勝った方が強い。

 間違いようのない事実だった。

 文句も出ない。

 完膚なきまでに倒されたのだから。


「だから、わたしたちを信じてください。大丈夫です。そんなわたしたちとクロが手を組んだら、きっともっと凄いことができるんです。いままでクロができなかったことも。わたしたちと力を合わせたら、絶対に大丈夫」


 その言葉は、不思議にもクロの心に強く、激しく響いた。


「だからクロ、一緒に力を合わせてがんばりましょう。大丈夫です、きっとどんなに困難な状況でも、みんなと一緒なら、なんとかなります」


 温かい声だった。

 我を忘れて(すが)りたくなるような、そんな優しい言葉だった。


「大丈夫ですよ、クロ。君はひとりじゃないんです。わたしたちがいます。だから大丈夫」


 雨がさらに強くなっていく。

 温かい雨がふたりの体を優しく包んでゆく。


「うぅ……うぅうう……ッ」


 ザァザァと降りしきる雨音が、ふたりの耳を包んでゆく。


「……クロ」


 エリクシアが再びクロの体を抱き寄せる。

 ぎゅっと、強く。

 ふたりの距離が(ぜろ)になる。


「クロ……もう、我慢しなくていいんですよ」


 エリクシアはクロの背をゆっくりとさする。

 安心させるように、優しく。


「もう、大丈夫ですから」


 白く煙る大雨で、クロとエリクシアの姿は誰にも見られない。声もきっと、この大雨の音のなかではかき消されていくだろう。


「う……ぐッッ…………ッッ」


 それでも、クロは必死に声を我慢していた。

 漏れ出た微かな嗚咽は、雨の音に消えていく。

 流れ出た多くの涙は、雨の雫に混じっていく。

 大声で泣いても誰にも気づかれないのに、クロはそれでも、泣き声を堪え続けていた。


「…………」


 彼のそんなちょっとした少年心の見栄をいじらしく、そして(あい)らしく、(いと)おしく感じて、エリクシアは抱きしめる力をより強く、より優しく、その腕にこめたのだった。


「ぅぅ……ぐっ、ぅぅ……ッ」


 雨は止む気配をみせない。

 まるで、空が何千年も雨を我慢していたかのように。

 いつまでもずっと、降り続いた。




 ◇ ◇ ◇




 王墓より始まったこの一連の闘いは、ようやく終わりを告げた。

 リビングデッドの大軍と、過去の『百英雄』たち。

『死神』ジズの邪知悪謀による絶望。

『英雄』アルトゥール率いる、リビングデッドと化し生前よりも遙かに強力になった、南の騎士団の全軍。

 続いて、『英雄』アレクサンダーと『英雄』シュライヴとの死闘。

 さらに、『獣化』アヴリルと、『天才』シャルラッハを含めた激戦。

 そして、始原魔法を操る『悪魔』エリクシアとの決戦。

 最後に、『人間の少女』による身を(てい)した涙の説得。


 連戦に次ぐ連戦。

 激戦に次ぐ激戦。

 それぞれが命を懸け、全力を出し、限界を超えて相手取った。

 ここまでして、ようやく——『最古の英雄』を打ち倒した。


 不死身、不屈の英雄。

 人々から無敵と謳われ、比類無き武勇を誇る、人類最強の戦士。

『最古の英雄』エルドアールヴはこうして、完全敗北を喫したのだった。




 ◇ ◇ ◇




 雨の中、クロは優しく包まれる。

 微睡みが柔らかくクロを抱きしめる。

 その温もりが、遠く遙か彼方にあったクロの記憶を呼び覚ます。




 同じような大雨の夜。

 真っ暗で、強い雨の音だけが耳に響いていた。

 見覚えのある古ぼけた教会。

 記憶のなかの自分は、幼い姿をしていた。

 これは最初の記憶だ。

 クロ・クロイツァーという人間の、これが人生の始まりだった。


「……ごめんなさい」


 雨の音に混じって、闇のなかで女が涙声でそう言った。


「ごめんなさい……」


 もう一度言って、そして、走り去っていく。

 ぼんやりとした記憶。

 雨と闇で、そのときの景色は朧気だった。

 女の顔は覚えていない。

 どんな姿をしていて、どういう人だったのかも分からない。


 ただ、その微睡みの記憶のなか。

 幼児の自分がその人のことを「()()()()()」と呼んだのを見た。いや、思い出した。

 それで、顔も覚えていないあの人が自分の母親なのだと理解した。


 幼い自分が母を追いかけて、しかし転げてしまう。

 バシャッという水音に気づき、一瞬だけ振り返った母はしかし、耐えるように唇を噛みしめて、そして振り切るように、そのまま闇のなかに消えてしまった。

 おかあさん、まって、と。記憶のなかの自分が泣き叫ぶ。

 苦々しく、痛々しい記憶。


 はじまりの記憶は絶望からだった。

 でも、()()()()()()()()()


 後ろのドアから人の気配がした。

 教会から出てきたのは、小さなエルフだった。


「こんな時間にどうして子供が……? いえ……そう、ですか」


 疑問は当然。しかし彼女の理解は迅速だった。

 大雨の深夜。教会の前にいる幼子ひとり。

 すぐに分かったのだろう、捨てられた子なのだと。


 時代や国によって差はあるが、そういうこともよくあるのだ。

 子を捨てる場所で、最もポピュラーなのが教会だった。

 教会なら、よほどのことがない限り悪いことにはならない。子を捨てる罪悪感が少しは(やわ)らぐことから、教会や孤児院に捨てていくことが多かった。


「大丈夫ですよ。もう大丈夫」


 小さなエルフはそう言って、雨に濡れて冷たくなった自分の体を抱きしめてくれた。

 温かかった。

 その優しさに安心した。

 絶望のなかで寂しくて苦しかったけど、それでも、たしかに救いはあったのだ。


「私はマリアベール・クロイツァー。ここの教会のシスターです。あなたのお名前は?」


 小さなエルフの彼女は優しくそう言った。

 こうして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()




 微睡みの記憶のなかで、懐かしさを感じた。

 だからだろうか。


 故郷に帰りたい。


 あの山奥の、あの名も無き村の、自分が生まれ育ったあの教会に。

 エルドアールヴとして生きたこの二千年、一度もその場所に帰ることはなかったのに。

 それなのに、いまになって、クロはそう思った。










――――第二章『巨悪鳴動』編――――





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― 新着の感想 ―
更新ありがとうございます!
ついに1章完結…!! まだこの壮大な物語の始まりに過ぎないかもしれませんが、もうすでに感動して涙が溢れそうです
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