表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エリクシアオブライフ ~不死の災いと悪魔の写本~  作者: ゆきわ
第1章『英雄胎動』編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/153

15 グリモアの悪魔


――ここはどこだろう。


 異様なまでに昏い闇の底。

 狭いのか広いのかもわからない。

 誰もいない。

 音も聞こえない。

 寂しい。

 孤独と静寂が、じわじわと心の深奥を浸食していく。

 ひどく、痛い。

 心が削られて闇の一部になっていく。

 ここは黒く淀んだ何かが最後に行き着く停滞の深淵だ。

 このままじっとしていたら自分というものが無くなってしまう。


――誰か。


 クロ・クロイツァーは絶叫した。

 しかし、声は出したそばから闇に飲まれて消えていく。


 この闇の中で動いているのは自分だけだ。

 自分だけが揺らめいて、闇の淀みをかき回していた。


 闇の中で手を彷徨わせる。

 まるで、歩くことすら覚束ない幼児のように。

 何かの支えがないと、心がくじけてしまいそうだった。

 すがるような気持ちで、手を必死に彷徨わせた。


 やがて、手に何かが触れた。

 何に触れたのかはわからない。

 ただ、あたたかい。

 なにか大切なものを無くしてしまって、苦労の果てに、それを見つけ出したような気持ちになった。

 その何かをギュッと握りしめる。


 もう決して離さないと。

 もう二度と手放さないと。

 心の中で誓った。

 すると、自分の手が優しく包まれるような感覚がした。


――これは、誰かの手だ。


 救われた気分だった。

 この淀んだ闇の中に、自分以外の誰かがいた。

 ただそれだけで、涙が出るほどに嬉しかった。

 自分以外の誰かがそこにいて、手を握り返してくれる。

 ただそれだけで、心の中が満ち足りていった。


 闇が少しずつ晴れていく。

 孤独の深淵は消えていく。


 次の瞬間、周囲に光が満ちた。

 そこでようやく、これが夢だということに気づいた。




 ◇ ◇ ◇




「…………」


 近くで滝の音がする。

 膨大な量の水が高所から落ちていく轟音。

 うるさいというよりも、ただただ自然というものの大きさに圧倒される。

 自分がどれだけ小さな存在なのか否応にも悟らせてくれる。


「う……」


 目を開く。

 淀んだ闇の中にいたからか、ひどく眩しかった。

 目が慣れてきて、少しずつ視界が広がっていく。


「…………え?」


 目の前にあったのは、視界いっぱいに広がった真紅の瞳だった。

 こちらをじっと、見つめている。


「……ッ!?」


「あうッ!?」


 真紅の瞳をした誰かに、顔をのぞき込まれていたのだろう。

 思わず上半身を起こしてしまったら、自分の額と誰かの額がすごい音を立ててぶつかった。


 額を押さえながら、目の前の人物を見る。

 そこにいたのは小柄な少女だった。

 足を外に向けて、ぺたんと女の子座りをしている。

 目立つのは、白銀色の長い髪だ。


「……君は、逃げたはずじゃ……」


 間違いなく、ハイオークに追われていた少女だった。

 額をさすりながら、少女が顔を上げた。

 無表情だった。

 痛そうな表情などはしていない。


 生まれついての造形美なのだろう。

 顔のつくりは極上品の人形のようだった。

 ととのった小さな鼻と口は、見目麗しく、そして愛らしい。


「…………」


 無言。

 真っ直ぐに、真紅の瞳で見つめてくる。

 ひとつひとつの顔や体パーツは幼いのに、全体の雰囲気があまりにも大人びているため、自然と色気を帯びているように感じてしまう。

 そのせいで、じっとこちらを見つめてくる真紅の瞳はどこか妖艶だった。

 幼さと色香が絶妙なバランスで天秤を保っている、奇跡のような造形美といっても過言じゃない。


「…………」


 少女の身なりは完全に長旅用の装備だった。

 着込んでいる外套は二重構造だ。

 体全体を覆う、大きく黒い外套。その上に、フード付きで灰色の外套をショールのように使い、肩に羽織っている。

 見た目からして分厚い生地でできていて、相当に丈夫そうだ。


 靴もかなり履き慣れているようだ。

 他には色んな道具を入れるのだろう、大きめのリュックがひとつ。


 旅人か、冒険者か。

 いや、しかしそれにしては幼すぎる。

 まだ年若いヒュームの少女だ。

 10から13ぐらいの年齢といったところか。


「あの……?」


「…………」


 少女は無言で見つめてくるだけだ。

 口を開く様子はない。


 困った。

 しかしめげない。

 周囲を見回しながら、白銀の少女に問いかける。


「……ここは、どこ?」


 焚き火のそばで自分は眠っていたらしい。

 パチパチと木が弾ける音が反響している。

 どうやらここは洞窟のようだ。


 土の天井と壁が、焚き火の明かりで照らされていた。

 地面も同じく土だ。

 走り回れるぐらいはある広さで、閉塞感はまったくない。


 出口はすぐそこにあった。

 洞窟の中が薄暗かったのは、外が夕暮れのせいか。



「――君は、何なのですか」



 少女が重い口をようやく開いた。

 こちらの質問は無視されたが、あまりにも無感情な声色だったので、悪意はないとすぐにわかった。


「ああ、ごめん。自己紹介が遅れた。俺は騎士団の兵士だよ」


「違います」


 否定された。

 ちょっとした虚栄心からあえて予備兵と言わなかったのがバレてしまったのかと焦ったが、どうやらそういう意味ではないらしい。


「君はなぜ、わたしを助けたのですか」


 言い直してきた。

 少女は無表情に見つめてくる。

 いや、無表情というよりは感情が表に出てこないタイプの人物らしい。

 注意深く見ていると感情の動きが微かにだが、あった。

 ほんの少しだけ眉間にしわを寄せて、柔らかそうなくちびるをキュッと引き締めている。


 よくよく見ると、どうやらこれは睨んでいるのだと気づいた。

 けれど、怖いというよりも可愛らしいというのが先にきてしまう。

 小柄な体躯と、その可憐な容姿のせいか、お菓子を買ってもらえなかった子供がムスッとしているような印象を受ける。


「……なんですか? なぜ笑っているのですか?

 失礼な人ですね。なんだかわたし、不愉快ですよ」


 思わず顔がほころんでしまっていたようだ。

 少女の口から出てくる大人びた啖呵が微笑ましい。

 思わず頭を撫でてしまいそうだ。


 そんなことを思いながら、ふと自分の右手を見た。

 ギョッとした。

 少女の手をギュッと握りしめていたのだ。

 しかも、指と指をからめるような、まるで恋人同士がするような手の握り方だった。

 さっきの夢の中と連動して、現実でも少女の手を握ってしまったのだろう。


「……あ、れ?」


 そして、おどろくべきことが自分の身に起こっていることに気づく。

 すさまじい違和感。

 ないはずのものがある。

 失ったはずのものが、ここにある。



「……なんで、俺の右手が……あるんだ」



 たしか、この右手はハイオークに切断されたはずだ。

 まさかあれも夢だったのか?

 いや、あり得ない。


 あの痛みは夢なんてものでは納得できないほどのものだった。

 あの喪失感は現実のものだった。

 絶対に間違いない。

 あの闘いが夢だったなんて、そんなことは絶対にあり得ない。


「……それを、説明しようと思っていて、君を安全な場所まで運んで介抱していたのです」


「そうだったのか……。あのあと、君が助けてくれたんだ……」


 よかった。

 右手に関しては何らかの事情があるようだ。


「そうしたら、目覚めからいきなりの頭突きですよ? あげく、なぜか笑われるという屈辱です。なにか言い訳はありますか?」


 真紅の目を細めながら、静かに抗議してくる白銀の少女。


「……それはなんというか、ホントすみません……」


 まさか可愛いから笑ってしまったなどと本当のことは言えず、ただ謝るしかなかった。

 そして、まだ自分が彼女の手を握っていることに気づく。

 無遠慮に女の子の手に触れ続けるなんて、さすがにそれは失礼というものだ。


 手を離そうと指を緩める。

 手と手に隙間ができる。

 少しだけ、名残惜しく感じた。


 すると、次の瞬間、やわらかい感触がふたたび手に舞い戻る。

 今度は少女の方から指をからめてきたのだ。

 2人の手は離れない。


「で、どうしてわたしを助けたのですか?」


 何事もなかったかのように、少女は話を続けた。


「……あの、手を……」


「なんですか。はぐらかそうとしてもダメですよ」


「いや、手を握ったままなんで……いいのかなって」


「……手? 手がなんです、か…………っ!?」


 少女が握った手を凝視した。

 いまようやく気づいたようだ。

 少女はそれを見て、石のように固まってしまった。

 ということは、さっき握り返してきたのは無意識だったらしい。


「…………」


 静寂。

 焚き火の音と、遠くから聞こえる滝の音だけが洞窟内で響いていた。


 やがて、こちらの顔へと視線を戻してきた少女。

 そして目をパチパチさせて、正気を取り戻していた。

 ふぅ、と一息入れて、何事もなかったかのように元の無表情に戻った。


「……君の手があたたかくて、わたし、つい。その……ごめんなさい」


 少女はそう言って、しかし手は離れない。

 握った手はそのままだった。

 こちらの指はもう緩めてあって、からみついているのは向こうの指だ。


「えっと……?」


「……おどろいたことに、わたしの心が手を離すのをイヤがっているみたいです。とても離れがたいです」


 蠱惑的な誘いとも取れる発言だった。

 ごくり、と喉を鳴らしてしまうが、理性はなんとか押しとどまった。


「……最近の旅人は、異性を口説くのに手慣れているのか……?」


「……なっ! バカにしないでください。

 わたしの唯一の誇りは純潔なところです。異性の体に触れたのもこれがはじめてですので」


「……」


 なんてことを暴露しているのだ、この子は。

 そんなことを言われたら余計に意識してしまうじゃないか。


「とにかく話の続きです。あ、手はこのままでお願いします」


 少し、変な子だと思った。

 淡々とした言葉とは裏腹に、懇願のようなものがあった。


 ただ、手をつなぐという行為。

 親や兄弟姉妹、あるいは友人恋人とする、当たり前のような親愛の表現。

 それがこの子にとって、まるで奇跡に等しいもののように映っているのが、言われずとも理解できた。

 そして、その手をつないだ相手が自分なのだということが、すごく喜ばしいことなのだと自然と思ってしまって、これ以上追及する気にはなれなかった。


「どうして君は自分の命を捨ててまで、わたしを助けたりなんかしたんですか?」


 命を捨てた。

 そう、少女が言ったように、たしかに自分は死んだはずだった。

 けれどいまここに自分は生きている。

 右手も、なぜか完璧に再生している。


 完全回復薬フルポーションでもここまではできない。

 腰にあったポシェットは外されて、近くに置かれていた。

 警戒した少女が中身を確認したのだろう。

 それをちゃんとこちらに教えるかのようにポシェットは開かれていて、フルポーションが入った鉄箱も開かれて中身が見えている。

 使われた形跡は一切ない。


 ではどうやって自分はここまで奇跡のような回復を遂げたのか。

 それは、この少女が説明してくれるらしい。

 なら、まずは少女の疑問から解決するのが先だろう。


「君が魔物に襲われていたから、俺は見捨てることなんてできなかった。それ以外に理由なんてないよ」


 助けた理由なんて簡単だ。

 そんなものだ。

 クロ・クロイツァーの行動原理なんて、そんなものなのだ。

 それだけで命を懸けるにあまりある。


「……そう、ですか。

 君は、変な人ですね」


 クロの言葉が気に入るに足るものだったのか。

 少女はほんの少しだけ微笑んだ。

 注意深く見ていないと分からない微細な変化だった。

 それがなぜか、すごく嬉しかった。


「でも、だからこそ、『グリモア』に選ばれてしまったのかもしれない……」


 少女の独り言のようなそれは、たしかに聞いたことのある言葉だった。

 動揺してしまった。

 そんな言葉をこの少女が発するとは夢にも思わなかったからだ。

 忌まわしきその言葉は――


「……前置きは、いらないですね。先に結果から説明しておきましょうか。

 あれだけのケガを負った君がどうして、いまここに生きているのか」


 ごくり、と息を呑む。

 多分、いま自分は頭が真っ白になっているんだと思う。

 なにかを考える余裕がない。




――悪魔の写本ギガス・グリモア




 あまりにも不吉すぎるその言葉を彼女が発したからかもしれない。

 冗談まじりで言うような言葉ではない。


 それは禁忌すべき邪徳の書。

 それこそは人類が忌むべきもの。

 災いの根源。

 世にあってはならないもの。

 このレリティアに解き放たれた1体の悪魔が持つ、巨大な写本。

 それが――グリモアだ。



「君は、グリモアに選ばれて『不死』となってしまいました。

 死ぬこともなく、病むこともなく、寿命もない。君は、永遠の命を手に入れてしまいました」



 不死者アン・デッド

 それはアトラリアの最奥にあるはずの、不老不死の霊薬エリクサーオブライフを飲んだ者だけがなると言われている伝説の存在。


「グ、グリモアって……不死とか言われても、そんな……」


 信じられるわけがない。

 そう言いたかった。

 しかし、できない。

 なぜなら――


「ごめんなさい。

 わたしのせいです……。わたしが、君と出会ってしまったから」


――そのグリモアが、今、目の前にあるからだ。


 いつの間にか現われた巨大な本。

 どんな力が働いているのか、少女の背後で浮遊している。

 本と言うにはあまりにも巨大過ぎる。

 人よりも大きな、明らかに異常な雰囲気を纏った本だ。


 本能レベルで理解した。

 これが、これこそが、悪魔の写本ギガス・グリモアだ。


「君は……何者なんだ」


 白銀の少女に問う。

 手を振り払ってしまいそうだったが、彼女の手が小刻みに震えていることに気づいて、思わずやさしく握り直した。


「わたしは……」


 少女の手は震えている。

 きっと、この先を言うのが怖いのだ。

 なんとなく、繋がった手からそれが伝わってきた。


 少女は目を閉じる。

 そして深呼吸をして、また目を開く。



「――わたしは、エリクシア」



 決意の眼差し。

 真紅の瞳は真っ直ぐに、クロ・クロイツァーを射貫く。



悪魔の写本ギガス・グリモアの現所有者。

 君たち人類が遙か昔から忌み嫌い、畏れながら憎悪している『悪魔』という存在の継嗣けいし



 その眼差しは、どこか寂しげで。

 雨の中に捨てられて、震えている子犬を連想させる。


 急激に胸が苦しくなる。

 これは同情――いや、共感だ。



「それがわたし、エリクシア・ローゼンハートです」



 次の瞬間、グリモアが開かれる。

 パラパラと独りでに巨大なページが開いていく。


 それはまるで、

 これからはじまる物語を、目に見えない悪魔が読み始めたかのような光景だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ