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エリクシアオブライフ ~不死の災いと悪魔の写本~  作者: ゆきわ
第1章『英雄胎動』編

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13 十三番目の災い

 英雄への道は、栄光と破滅が表裏一体となった茨の道。

 クロはその一歩を踏み出した。

 一瞬でも油断すると死に繋がる、薄氷の上を歩く――いや、走るような行為。


 これより目指すのは、上級の魔物『ハイオーク』の打倒。

 それが無理だとしても、ハイオークに追われている少女を安全圏に逃がすことが絶対条件だ。

 最低でも少女が救われなければ命を張る意味が無い。

 そのためには、ハイオークの意識を数十秒ほどは自分に集中させなければならない。


「――――ッ!」


 ガケから滑り落ちるようにして川に入る。

 この土壇場で、川のなかで滑って転げるなんて笑い話にすらならない。


 クロの唯一の特技は、足場の悪いところでも平地のように踏み込めるという一点。

 すさまじい体のバランス感覚がクロの強みだった。


 ここまでくる間、ふらついた様子も見せず雨風が吹き荒ぶ森のなかを突っ切ってきたのがその証拠。

 それは、子供のころから山奥の村でひとり必死になってやっていた、遊びのような訓練のたまものだった。

 平地の白兵戦に関してほとんど意味をなさなかった特技だったが、ことこの瞬間においては最高のポテンシャルを発揮した。川の中で闘うという、自分が有利で、おそらくは敵に不利な条件を満たしていたのだ。


 流れる川の水をバシャッと弾いて無事着地。


 目的を達するために、たったひとつだけ幸運があった。

 決意のもとに踏み出したクロの着地場所が、こちらに向かってきていた少女とハイオークのちょうど中間の位置だったことだ。

 両者の間に入れたということは、必然的に少女を守れる位置にいる。

 意図せずそうできたことは、本当に幸運以外のなにものでもなかった。




「……ッ!?」


 クロの着地と同時、上流側にいる白銀の髪の少女がおどろいてこちらへと振り返る。

 一瞬だけ、少女と目と目が合った。



 ――強烈な違和感。



 クロの脳裏に浮かんだのは「どういうことだ?」という疑問。

 しかしそれは、差し迫ったこの状況においてまったく無意味なものだ。

 問いかけたい気持ちのすべてをねじ伏せて、少女から目をそらす。



「――――」



 体ごと下流側に向く。

 そこには当然、ハイオークがいる。

 その巨躯を見る。

 真っ直ぐに。

 クロの瞳は、燃え盛る炎よりも熱く滾っている。


 少女を助けるために、こいつと闘う。

 恐怖はない。

 先ほどまであれだけ怖がっていたのがウソのようだ。

 生き物には、死を回避しようとする本能がある。

 きっと、今の自分にはそれがなくなっている。

 入ってはいけないスイッチが完全に入ってしまった。いや、壊れたと言うほうが正しいか。



――闘いがはじまる。



 今、必要なのはハイオークに対して先制攻撃を仕掛けることだ。

 力の差があり過ぎる相手に勝つにはそれしかない。


 突然現われたクロにおどろいたのか、ハイオークは隙を見せている。

 狩りを愉しんで、完全に油断していたからだろう。

 ハイオークが構える前に、一撃のもとに打ち倒す。

 それが理想。

 奇襲に近い戦法だが、猶予はおそらく2秒あるかないか。


 絶対にミスれない初手。


「――――ッ」


 スッと息を思い切り吸い込んで――突進。

 イメージはシャルラッハの『雷光』だ。

 英雄の戦技とまで謳われるそれには及ぶべくもないけれど、ハイオークに奇襲という形で突撃できる程度には速度は出た。


「……ッオ――――」


 向かってくるクロを認識したハイオークは、狩りの邪魔をされた怒りを示そうと吼える――

――その前に、クロの片手斧ハンドアクスがハイオークのノドに命中した。


 突撃からの勢いと、全体重を乗せた一撃。

 先制攻撃は完全に成功した形となった。

 あわよくば、首を刈り取る思いで放ったその渾身の一撃は、


「――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」


 なんの効果もなかった。


「なっ……」


 ハイオークの首の薄皮を少し斬っただけ。

 斧の衝撃でも、首の強靱な筋肉に阻まれて、ハイオークの行動を停止させるに至らない。

 あまりにも、硬すぎる。


 思ったとおりに事を運べていたのだ。

 しかし、足りない。

 どうしようもない戦力差。

 どうにもならない実力差。


 運の天秤は悪い方向へと傾いていく。

 いや、最初から振り切れていたのだ。最悪の方向に。


 クロが不運だったのは、相手がハイオークだったこと。

 それこそが最大の不運。

 それが勝敗、生死の分かれ目となっていた。


 クロの一撃では、すさまじい防御力を誇るハイオークの肌に致命傷を与えることなど不可能。


 戦慄する。

 まさか、これほどとは。

 これほどに、どうしようもない相手だったとは。


「――――ッ」


 ちらりと少女の方向を見る。

 まだ少女はそこにいた。

 こちらの様子をうかがっている。

 山脈から吹く雨を伴った強風が、雨と川の水に濡れた白銀の髪を揺らしている。


「そのまま逃げろ!

 あっちのガケを登って進めば騎士団の仲間がいる!」


 自分の来た方向を指さして、少女に向かって叫ぶ。

 少女のあとのことはヴェイルに任せよう。




 そして問題は、ここからだ。

 これからどうやって、ハイオークを足止めするか。


「――――ッ!?」


 クロの顔面を、黒い影が覆った。


「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 ハイオークが吼えながら、クロの頭を片手で掴む。

 そのまま頭上まで軽々と持ち上げる。


「うああああああッ!?」


 そして、まるでボールを投げるかのようにクロを地面に叩きつけた。


「――――あ、ガ……ッ」


 川底に全身を打ち付ける。

 イヤな音が体内から聞こえた。

 どの部分から激突したのかわからないほど全身に激痛が走る。


「オオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」


 ハイオークがさらに吼えて、追撃をしてくる。

 川の中からジャンプして、こちらの頭上よりも遙か高い位置にハイオークはいた。


「…………ッ!?」


 この攻撃はヤバすぎる――


 頭の奥底と、体の芯からの警告が鳴り響く。

 このままここにいては死ぬ。

 必死。

 まさに必死にクロは体を動かす。

 とにかくここから少しでも動かなければ死ぬ。


「うッ……ぐっ……ッ!」


 頭がグラグラするなかで、全身が激痛に悲鳴をあげているなかで、クロはほんの少しだけ体を横にズラすことに成功。


 次の瞬間――大重量の半月斧バルディッシュが頭のそばに落ちてきた。

 その攻撃のすさまじい衝撃で、クロの体は吹き飛ばされた。


「うあ……ッ!?」


 重力にまかせたハイオークの落下攻撃。

 しかも、完璧なタイミングで半月斧を振り下ろす腕力とが合わさって、おそろしいまでの威力があった。


 額から、つぅ……と血が伝ってきた。

 危なかった。

 直撃していたら、まず間違いなく命は無かった。


「……くっ」


 ハイオークの容赦ない一撃。

 絶対に殺すという気迫。

 慈悲という言葉は彼方の向こうに置き忘れられている。


 だが、もう追撃はない。

 吹き飛ばされたおかげで、ハイオークの間合いからは外れられた。


 痛む全身に鞭打って、しっかりと前を向く。

 赤い肌のハイオークは、半月斧を地面に叩きつけたままの恰好で止まっている。

 視線だけはこちらに向いている。

 強烈な眼光。

 荒々しい呼吸はまるで煙を吐いているかのようだ。

 浮き出た血管は、さきほどよりもさらに太くなっている。


「…………」


 クロは自分の体の調子を確かめる。

 頭から流れてくる血は、この大雨の中では止まらないだろう。


 でも大丈夫。まだれる。

 幸いか、それとも意地か、あれだけの劣勢のなかでも片手斧はまだクロの手の内にある。

 闘う手段は手放していない。

 まだ闘える。


「……その程度か、ハイオーク」


 思わず笑みがこぼれる。

 圧倒的な実力差があったハイオークと相対して、数秒だけど生き残ったことに笑いが出た。

 あと少し。

 あとほんの僅かな時間を稼ぐことができれば、さっきの少女は間違いなく逃げられるはず。

 それだけで、十分だ。


「まだ、俺は生きてるぞ」


「グルルル……ッ」


 言葉が分かるわけではないだろう。

 だが、たしかにクロの挑発は伝わった。


「ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」


 突然、ハイオークが半月斧で川底を叩いた。

 川の水が大きくはじけ飛ぶ。


「……なに、を?」


 ズドンッ、ズドンッと何度も叩く。

 一見、無意味な行動。

 しかし、まるで子供の駄々に似たその行動の意味は、ハイオークの体に表れた。


 川底が壊れそうなほど叩き続けているハイオークの赤い肌が、さらに赤く、赤く変貌していく。

 そして、ある一定のところで、水しぶきが白い煙へと変わっていく。


「……体の熱を、上げてるのか?」


 理解不能な行動だったが、その意味を知ったときにはすでに遅かった。

 ピタリ、と川底を叩き続ける行為が止まった。

 その、瞬間。


「ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」


 ハイオークの上半身が燃え上がった。

 比喩ではなく、炎に包まれた。

 降りかかった川の水と雨が、ハイオークが発する炎で蒸発していく。


「な……」


 変身、という言葉がよぎった。

 魔物のなかには、体を自分の意思で変形させ、秘めた力を引き出すものがいる。

 大抵の場合、変身によって得た力の上昇はそれまでとは比べものにならない。数倍にも跳ね上がったという例だってある。

 ハイオークはそんなことはできないはずだ。

 しかし、これはそれと同一のものだと直感した。


「ガアアアアアアアアッッ!!」


 ふたたび、ハイオークが半月斧を振り上げて、思い切り――落とす。


 轟音が周囲に鳴り響く。

 さっきまで川底を叩いていた威力とは比べものにならないほどの大破壊が実現する。

 まるで爆弾のような威力。

 いや違う。まるで、じゃない。

 まさに爆弾だった。

 炎が巻き上がり、一瞬にして膨れあがったそれは、たしかに爆発した。


「ウソ、だろ……」


 クロの直感は、正しく機能していたことを裏付けた。

 こんなことができるハイオークなんて、いままで一度たりとも聞いたことがない。

 規格外の怪物。

 今、自分が相対しているのは――間違いなく怪物だ。


「こいつ……〝普通〟のハイオークじゃない……ッ!」


 ゆらりとこちらに向き直ったハイオーク。

 炎は止めどなく上半身を包んでいる。

 こちらに発している殺気は尋常なものじゃない。


 思わず身を引いたクロに、ハイオークが迫る。

 目を疑うほどの速度だった。


「――――えッ……」


 ドッ、と。

 体の中を何かが通った感触。

 視界がブレる。


「あ……えっ?」


 先ほど顔面を掴まれて持ち上げられた位置よりさらに高い位置に、自分がいたことに気づいた。

 眼下にいるハイオークと視線が合う。


「ガ、ハッ……ッ」


 クロの口から血が噴き出した。

 そして同時に、今の状況を正確に把握する。


 どうやらこのハイオークは炎を纏った『変身』で、身体能力が跳ね上がっているらしい。

 さっきの突撃は、シャルラッハの『雷光』並に速かった。

 あまりにも速すぎて何をされたか分からなかった。


 半月斧の先端、尖った部分で腹を突き刺されたのだ。

 そして、そのまま体ごと持ち上げられていた。


「く……そッ……」


 ハイオークを包む炎が、クロをあぶる。

 まるで獲った魚を串刺しにしたまま焼いているかのような光景だった。


「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」


 しかしハイオークはそこで終わらなかった。

 ドンッ、ドンッと何度も地面に半月斧の柄を打ち付ける。

 そのたびに先端にいるクロの、その腹の奥深くへと鋭い刃が入り込んでいく。


「……ぐうッ、ううぅッ、うう……ッ!!」


 上下に激しく揺さぶられる。

 刃ひとつを支えにして、宙に浮いている形となったクロに自由は無い。

 抜けられない。

 足場もないこんなところじゃ、どうしようもない。


 脱出不可能な串刺し地獄。

 腹から背中へと、半月斧の刃が貫こうとしている。


「ガハッ、がふッ……ぐあッ、ぐぅ……ッ!!」


 容赦ない追撃の嵐。

 何度も、何度も上下に揺さぶられる。

 その度に、刃は腹の奥へと進んでいく。


 気が遠くなりそうなほどの激痛。

 しかし、ここで気絶するわけにはいかない。

 おとなしくしているわけにはいかない。

 取り返しのつかなくなるぐらいに深く刃が突き刺さる前に、なんとかしなければならない。


「ぐ……ッうぅ……ッ!!」


 覚悟を決める。

 死にもの狂いで、闘う覚悟。

 心に宿すのは、覚悟という名の――狂気。


「……ぐぅぅ、おおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


 ガシッと半月斧の刃を掴む。

 腹部に刺さっている刃を、渾身の力を込めてズラす。


「ぐううううう…………ッ!!」


「ガッ!?」


 ハイオークが驚愕した。

 それは、ハイオークにしてみれば理解不能な行動だった。

 それもそのはず、クロが自分から、半月斧で自分の体をえぐり斬るかのように動かしたのだ。


「……このまま、俺が死ぬと思ったか……?

 ナメるな、よ……ハイオーク……ッ!!」


 仮に、スコップを土に刺して抜けなくなったらどうするか。

 土をえぐり取るように掘ってスコップを抜くのが簡単な方法だ。

 これは、それと同じこと。


 腹に半月斧が突き刺さって抜けないのなら、その方法をとればいい。

 刃を体のなかで動かして脱出すればいい。

 体の一部が邪魔になるなら斬ってえぐってしまえばいい。


――狂気の沙汰。


 クロが今やっていることは頭がおかしいとかいうレベルじゃない。

 自殺行為そのものだ。

 けれどこれは、生き残って闘うために必要なこと。

 矛盾しているが、事実このままおとなしくしていては絶命してしまうのだ。


「ぐぎぎぎぎ……ッ」


 歯を食いしばる。

 肉がえぐられる感覚。

 腹部の筋がブチブチと引き千切れる音が体内から聞こえてくる。

 激烈な痛みの警告が「やめろ! それ以上はやめろ!」と頭の中で鳴り響く。

 今の状況で、そんな何の役にも立たないものは徹底的に無視した。


「うおおおおおおおおおおおああああああああああああッッ!!」


 クロの鮮血が、ハイオークに降り注いだ。


 およそマトモな人間が思いつく行為じゃないそれは――腹部から胸部にかけて深い重傷を負った事実を除けば――クロを串刺しの地獄から脱出させることに成功した。


 宙にいたクロは支えを失って重力に従って落ちていく。

 驚愕の表情を浮かべてこちらを見ているハイオークの顔面へと。

 真っ直ぐに。


「ハアアアアアアアアアッ!!」


 渾身の力を込めて、ハイオークの顔面めがけて片手斧を打ち下ろした。


「ガッ……!?」


 片手斧はハイオークの左目に突き刺さる。

 硬い肌とは違って、容易に攻撃がとおった。

 目や体内などの部分を鍛えようがないのは人類と同じなのだろう。


「ハッ……マヌケ、が……油断してるから、そう……なる」


 思いも寄らない反撃に、半月斧から手を離したハイオーク。同じく、血のりで滑ってクロの手から片手斧が離れる。

 クロは半月斧と一緒に川へと倒れ込んだ。


「う、ぐぅううううう……ッッ!!」


 すさまじい痛み。

 歯を噛みしめていないと意識が持っていかれそうだ。

 背中まで突き破られていなくて良かった。

 ボタボタと流血しながらも、なんとか窮地から脱出できた。


「ガ、アアアアアッ!」


 ハイオークは、眼球に突き刺さった片手斧を抜こうとしていた。

 ドロリとした血が左目から流れていた。

 ハイオークにとっては痛恨の深手だろう。



 そして。

 クロの反撃はそれだけでは終わらない。


「――――……」


 次にクロのとった行動は、まさに本能の赴くままにといったもので、まったく自分では意識していなかったものだった。

 血を流しすぎてぼやっとした頭だったから出た無意識の行動なのかもしれない。


「ガアアアアアアアアアッ!」


 炎を発しているハイオークが、左目に刺さっていた片手斧を眼球ごと引き抜いて投げ捨てる。

 そして残った右目だけでクロを睨んで、


「――――ッ!?」


 ふたたび驚きの表情を見せた。

 なにせ、自分の武器である半月斧が奪い取られていたのだから。


「――――――――」


 ハイオークの目前に迫ってきていたクロが、両手で持った半月斧を振り上げた。

 そう、振り上げた。

 クロにまともな意識があったなら、試そうとも思わなかっただろう。

 いまだかつて、こんな巨大な武器を振り上げることなんてできなかったのだから。


「おおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


 そして、振り下ろす。

 ハイオークの左肩から真っ直ぐ下に、半月斧が食い込んでいった。


「ガギャアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 しかし、ハイオークもただやられるだけでは終わらない。

 肩に食い込んで、そのまま体を両断しようとする半月斧を手で受け止めて、それ以上の侵入を防ぐ。


 そして、もう片方の燃える腕でクロを殴り飛ばした。

 ふたたび両者の距離が離れた。


「グッ、ググ……ッ!!」


 思わぬ深手にハイオークがたまらずひざをつく。

 体に纏った炎が見る見るうちに引いていく。


「ハァ……ハァ……ッ、くっ……ぐぅぅ……ッ」


 クロは殴り飛ばされた反動で、離しかけていた意識を取り戻した。

 さっきまでのことは覚えている。

 そして実感していた。



――今のが『闘気』だ。



 そうか、そういうことか。

 アヴリルが言っていたのはこういうことだ。

 ハイオークの硬い肌に深い一撃を食らわせられた。

 それは半月斧だったからじゃない。


――闘気なら自らの体や武器に纏わせて、シャルラッハさまの『突進』や、私のような『怪力』を補佐するのです――


 昨夜、アヴリルはそんなことを言っていた。

 つまり、無意識のうちに自分は闘気を使ったのだ。

 闘気は誰にでもあるもの。

 そして、闘気自体を操るのに才能はそこまでいらないとも言っていた。

 特訓次第でどうにかなる。

 才能の無い自分でもできるのだ。


「……なるほど、ね」


 口から血を流しながら、にやりと笑う。

 そう、特訓次第でどうにかなるのだ。


 さっきハイオークの肩口を切り裂いたあの行動は、間違いない。

 体が慣れていた。

 無意識に動けるほどに。

 今までやっていた長年の特訓の成果だ。


 それは騎士団での特訓か? 違う。

 小さなころからやっていた遊びのような特訓か? それも違う。


 なら、これまで自分がやっていた斧を使った特訓とは何か。

 今まで一番多く、その行為ワンアクションを特訓していたのは何か。


「ハハ……まさかそっちか、そっちだったか……」


 あれは、間違いなく『薪割り』だった。

 上に振り上げて、真っ直ぐ下ろして薪を割る。

 それだけの行為。

 子供のころからやっていた。手伝っていた。

 自分とマリアベールの分。そして腰を痛めた村人の分。若いからといって無理やり手伝わされていたこともあった。

 騎士団に入ってからも、そういう雑用は自分たち予備兵の仕事だった。

 何度も何度も繰り返してやっていた。


「ムダなことなんて、無かったんだな……」


 いままであんな重い武器を持つことだけはできても、振り上げることなんてできなかった。

 それはつまり、〝上に振り上げる動作〟に闘気を使っていたということ。


 ようやく、自分の闘気の使い方を理解した。

 勝機は見つかった。

 あの力を使えば、今度こそハイオークを倒せる。


「く……ッ、……ッ」


 立ち上がったら激痛が走った。

 腹部からすごい量の血が流れている。

 これは致命傷だ。

 これが死ぬほどの痛みというやつか。

 痛みで脂汗が顔に滲むが、大雨で流される。


 雨が降っていてよかった。

 痛みで涙が出ているのだ。

 自分では気づかないフリをしているけれど、鼻水や涎も出ているに違いない。あまりにも酷い激痛で、そんなものを我慢したり拭いたりしている余裕がない。

 雨のおかげで外面はかろうじて保たれている。

 誰も見ていないだろうけれど、なんとなく、そんなどうでもいいことを思った。


「……ハッ……ハハ」


 本当に、自分の才能の無さに笑ってしまう。

 生命の危機を感じることで、闘気はその真価を発揮するともアヴリルは教えてくれた。

 まさか致命傷を喰らうまで、その闘気の真価を見つけることができないなんて、才能が無いにもほどがある。

 でも――ようやく見つけた。


「……う、あ……」


 ぐらりと体がふらついた。

 自分には、中級の魔物と闘えるほどの闘気が無いと。

 闘気の総量が少なすぎると、それが上官の判断だった。

 つまりは才能が無いのだと。

 まさにそのとおりだった。


 たった一度の攻撃でコレだ。

 全力でマラソンしたような疲労感。

 闘気とは生命力、あるいは精神力のようなものとはよく言ったものだ。

 気を抜けば今にも倒れてしまいそうだ。

 異常な倦怠感の中、気迫だけでなんとか踏みとどまった。


「フルポーションは……ある。大丈夫だ」


 副団長からもらった完全回復薬フルポーションは腰のポシェットの中だ。

 小瓶が割れないように、綿入りの鉄の小箱の中に入れてある。

 今これを使うわけにはいかない。

 ハイオークが回復行為を見逃すはずがない。

 治療するのは全部終わってからだ。


「俺の武器は……、……あった。あそこか……」


 川底に投げ捨てられている片手斧を見つけた。

 ちょうどハイオークと自分の間にある。


 ハイオークは、肩口に食い込んだ半月斧を抜いている最中だ。

 チャンスは――今しかない。


「――――ッ!」


 ダッと川の中を駆ける。

 腹部の痛みが半端じゃない。

 けれど、そんなことに構っている余裕はない。

 走る。

 ハイオークとの距離を詰めていく。


 走る速度を落とさずに、前屈みになって片手斧を拾う。

 大丈夫、きっとできる。

 自分を信じる。

 これまでの自分の人生を信じる。


 片手斧を両手で振り上げて突撃。

 ぶしゅっと腹部から血が噴き出した。

 はやく決着をつけないと、こっちのほうが先に絶命してしまう。


 ハイオークは間に合わない。

 半月斧は肩口に食い込んだままだ。

 焦ったハイオークは、こちらの攻撃を手だけで防ごうとしている。


「ガアアアアアアアアアアアッ!!」


「おおおおおおおおおおおおッ!!」


 川の中にあった大きな岩に跳び乗って、さらに大きくジャンプした。

 さっきのお返しだ。

 振り上げた片手斧に、闘気の力を感じる。

 この全霊の一撃を、人生を懸けた闘気の一撃を、手だけで防げるものか。


――いける。


 そんな直感。

 両断できると確信した。

 この一撃でハイオークを倒せる。


 これで――終わる。


 重力に引かれてハイオークへと迫る。

 タイミング良く斧を振り下ろそうとした、その瞬間――


「……ッ!?」




――閃光が辺りを包んだ。




 耳に聞こえたのは大音量の、炸裂音。

 わけもわからず吹っ飛ばされる。

 目の前がチカチカする。

 体が痺れて動かない。


「……がッ、え……? あ……ッ?」


 何が起こった?

 どうなった?

 頭の中には疑問符だらけ。


 どうやら自分は今、川岸にいるらしい。

 川の真ん中にいたのに?

 なぜ?

 ハイオークが何かやったのか?


「…………」


 そして理解する。

 まったくもって、運に見放されていた。

 これはあんまりだ。

 いくらなんでも、あまりにも酷すぎる。


――最悪。


 ここまで不運な人間がいるだろうか。

 ここまで天に見放された人間がいただろうか。


「……ら、落雷……?」


 川の中に、雷が落ちたのだ。

 クロが勝利を目前とした、ハイオークにトドメを刺そうとしたあの瞬間に。


 勝っていたのに。

 ハイオークをあと少しで倒せるところまで追い詰めたのに。

 天の采配はそれを拒んだ。


「……ッ、ぐっ、くっそ……ッ」


 川からはバチバチと電気音がしている。

 雷の余韻だ。

 電流にやられて、体が痺れてまったく動かない。


 片手斧を落としてしまう。

 手に力が入らない。


 ヴェイルと一緒にいたときに遠雷が鳴っていたのを思い出す。

 そりゃそうだ。

 あんなにゴロゴロ鳴っていたのに、川の中でこんなことをしていたら、そうなる可能性だってあったのだ。


 不幸中の幸いだったのは、雷が直撃しなかったことだ。

 どこか、そこら辺に落ちたらしい。

 川の中から突き出ていた折れ木に落ちたのだろうか。

 斧を振り上げていた自分に落ちていたなら、間違いなく命は無かった。


「ハァ……ッ、ハァ……ッ!」


「――ッ!?」


 自分とは違う息づかいが、近くから聞こえたのにおどろいて視線を向ける。

 ハイオークがすぐそこにいた。


 肩口に食い込んだ半月斧はそのままだ。

 その傷口と、眼球の無くなった左眼孔からは煙が立ち上がっている。

 その屈強な体は真っ黒に焼け焦げている。

 真紅の肌だった名残は、ところどころに残っているぐらいだ。

 これらは先ほどの炎の火傷じゃない。

 あれはハイオークの闘気のようなもので、自分自身を焼くことはない。

 つまり、


「ガ、ハァ……ッ、ハァ……ッ」


 雷でこうなったのだ。

 クロよりも被害が酷い。

 ハイオークは川の中にいた。

 落雷の電撃は、水を伝ってハイオークに直撃していたのだろう。

 もし、クロがハイオークを真似てジャンプしていなければ、水に完全に浸かった状態で落雷を受けていれば――こうなっていた。


「…………ッ」


 背筋がゾッとした。

 しかしおそるべきはハイオークの耐久力だ。こっちは電流で体が痺れているのに、ハイオークはケガを負いながらも動けている。


「ハァ……ッ、ハァ……ハァ」


 荒い息づかいのままハイオークがしゃがみ込んだ。

 それは、落ちていたクロの片手斧を掴むためだった。


「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 ハイオークが片手斧を振り上げる。

 そして次の瞬間。

 ドンッ――と両断された。


「…………ッッ!」


 声にならない悲鳴。

 これまでそこにあったものが、自分の体に無い喪失感。


 右手が――なくなった。


 ヒジから先が無い。

 まるでオモチャのように、クロの右手はあらぬ方向に飛んでいった。


「ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」


 そしてそのまま、振り下ろしていた片手斧を横に薙ぎ払ってくる。

 避ける間などない。

 右横腹へとめり込んで、そのままの勢いでクロをぶっ飛ばした。

 飛ばされた勢いのまま、クロは何度か川の水面を跳ねて、川の中にあった岩にぶつかって止まった。


「ガッ……ハ……」


 激烈な痛み。

 体は血の赤に染まっている。

 もう、全身が痛い。

 痛くないところを探すほうが難しい。



――もう、殺してくれ。



 そんなことをクロは思った。

 目的だった少女の救出は成ったはずだ。

 もう、これでいい。

 もう十分頑張った。

 もういいだろう。


「ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」


 ハイオークが片手斧を振りかざして、こちらへ駆けてきた。

 もうあの炎を纏ったときのような速度は出ていない。

 それでも、もう動けないクロを殺すには十分だった。


 ハイオークが目の前まで肉薄する。

 クロは死ぬ覚悟を決めた。

 しかし、


「…………ッッ」


 いくらその時を待っても、ハイオークの追撃はなかった。


「…………え?」


 ハイオークは激しい息づかいをしながら、こちらをジッと見つめている。

 振り下ろそうとしていた片手斧は、クロの頭の上で止まっている。


「……なん、だ……? さっさと、殺せ……」


 だが、そんなクロの言葉を無視するかのように。

 ハイオークはひょいと後ろへジャンプした。

 彼我の距離が遠ざかる。

 そして、ハイオークはクロの片手斧をこちらへと投げてきた。


「…………なに、を」


 水音をたてて、片手斧はクロの左手の近くに落ちた。

 ハイオークはじっとクロを見つめている。


「お前……冗談だろ……?」


 ハイオークは何も言わない。

 ただ荒い息を吐いている。


「闘えって……?」


 ハイオークは答えない。

 そもそもが言葉が通じるとは思えない。

 けれど、ハイオークの言わんとすることは不思議と分かってしまった。


「落雷に邪魔された分、トドメの攻撃をひとつ見逃してやるって……? ここまでやっておいて……お前、それはないんじゃないか……」


 斬り飛ばされた右手を見る。

 こんなの、もう闘えるわけがない。


「…………ッ」


 ハイオークの目は、決死の闘いに臨む戦士の目をしていた。

 どこまでも気高く。

 どこまでも崇高に。




 最期の瞬間まで――戦士たれ。




 闘いで死ぬことこそが戦士の誇りなのだと。

 ハイオークの目はそう言っていた。


「くそ……お前と闘うんじゃ、なかった……」


 かかってこい、とハイオークは言っている。

 そんな目で見つめられたら――


「……かっこいい、じゃないか……お前」


――死に、逃げるわけにはいかないじゃないか。


 もう、体の痺れはない。

 死力を振り絞って、立ち上がる。

 左手で片手斧をしっかりと持つ。握りしめる。


 雨はずっと降り続けている。

 風はずっと吹き続けている。

 劣悪な環境だ。


 クロもハイオークも、どちらも致命傷を負っている。

 命の灯火は尽きようとしている。


 これまでのような力は両者とも出せないだろう。

 けれど、それでも。


 先ほどまでとは一線を画す――決死の闘いがはじまる。


「往くぞ……」


「ガルル……」


 闘いは、すぐに決着がつくだろう。

 勝っても負けても、両者とも絶命する闘い。




――これより、死地に入る。




「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


「ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」


 クロは左手で片手斧を持って走る。

 ハイオークは素手で突撃してくる。

 互いの攻撃力は、おそらく同程度。


「――ふッ!」


 クロの攻撃は、ハイオークの肩口を狙う。

 満身創痍で闘気の使えない今の自分じゃハイオークの肌を傷つけることはできない。

 なら、最初から傷ついた場所を狙う他無い。


「グルルルッ!」


 が、その狙いが分かっていたかのように、ハイオークは硬い腕でガードする。

 そのまま、クロの片手斧を掴んで離さない。

 同時に、クロの頭を掴もうと、もう片方の腕を伸ばしてくる。


「……とッ!」


 クロは片手斧を手放して、ハイオークの体を蹴って後方へ跳ぶ。

 すんでのところで掴み攻撃を避ける。


 腹や右ひじの傷口から血が噴き出すが、もうクロにはそれを気にする意思は無い。

 一瞬の狼狽が勝敗を分けるギリギリの闘い。


 再び開いた両者の距離。

 その瞬間、ハイオークは足を振り上げて川の水と土砂をクロにぶち当てた。


「ぐ……ッ!」


 思わず目を庇ったクロに、ハイオークは狙いが決まったことを確信して接近する。

 命を懸けた闘いに、卑劣などという言葉は存在しない。


「考えることは、一緒か……ッ!」


 言って、くるりと回転するクロ。

 空手となった左手で、首元にあったヒモをほどく。蝶々結びにしておいて本当によかったと、そんなことを考えた。


「ガ……ッ!?」


 相手の視界を塞ぐことになった攻防は、クロに軍配が上がった。

 ハイオークになくて、クロにあったもの。

 それは、外套として使っていた騎士団のマントだった。

 何度も川に倒れ、水に濡れ続けた外套は、ハイオークの顔に巻き付いて、容易に張り付いた。


 グイッとクロが力任せに外套を引っ張る。

 同時に、視界を塞がれて力の入れどころを見失ったハイオークの上体が下がる。


「グガアアアアアアアアアッ!!」


 濡れた騎士団のマントを、鋭い指の爪で引き千切ったハイオーク。

 しかし、時すでに遅し。


 クロはその一瞬の隙をついて懐に入り込む。

 ハイオークの肩口に食い込んでいた半月斧を左手で掴み、


「おおおおおおおああああああああああああああッ!!」


 全力で引っ張り下げた。

 体の中心――心臓の位置まで半月斧が到達する。


「ガフ……ッ!」


 ハイオークが喀血する。

 肺も裂かれ、心臓にまで達した致命傷。

 これが人であるなら即死だ。


 しかしハイオークは魔物である。

 並々ならぬ戦意は一向に衰えを見せない。

 ギラギラした右目で「まだ闘える」と言っている。


「いいや、これで――」


 ギュッと半月斧の柄を握り直す。

 クロの戦意もいまだ消えていない。

 己が生命力、精神力のすべてを振り絞って、

 全身全霊の力のすべてを使って、


「――終わりだッ!!」


 心臓を削り取るように、ハイオークから半月斧を抜いた。


「ア……ガッ……ッ……」


 ハイオークの胸から大量の鮮血が噴き出した。

 そのすべてを被る形となったクロだったが、半月斧を引き抜いた格好のまま、真っ直ぐにハイオークを直視する。


「ク……ククッ……――――」


 ハイオークは一瞬、たしかに、笑った。

 愉しかったと言うかのように。

 自分を打ち倒した勝者を称賛するかのように。

 満足したように――事切れた。


「……立ったまま、絶命とか」


 ハイオークは片手斧ハンドアクスを持ったまま、堂々とした立ち姿で、死んでいた。


「お前、かっこよすぎるよ……」


 そう言って、クロは半月斧バルディッシュを持ったままくずおれた。

 川の中に仰向けになって倒れた。

 この周辺の水はそこまで深くはなく、顔だけが外に出ている状態だ。


「…………ああ、やっ……た……」


 もう指一本も動かせない。

 体の痛みはもう、無い。

 限界を超えて動きすぎた。

 よくここまで動けたものだ。

 完全回復薬フルポーションは一瓶しかない。

 いくらなんでも今のクロを治すことは不可能だろう。

 さすがに致命傷の箇所が多すぎる。



――ここで、死ぬ。



「はは……」


 死の実感。

 意識はゆっくりと、昏く暗く沈んでいく。


 でも、なぜだろうか。

 悔しくもなく、無念さもない。

 胸中にあるのはすさまじい達成感。

 尋常じゃない強敵を打ち倒した高揚感。




 この闘いは間違いなく――偉業だった。

 歴史に残らない死闘。

 決して華々しくない、泥臭い闘いだった。

 勝者はいない。

 両者共に絶命するのだから。

 この闘いは引き分けだ。

 しかし、たしかにこれは偉業だった。

 どうにもならない強敵を打ち倒した、クロ・クロイツァーの偉業。




「……つか、れた……」


 白銀の少女は、無事にヴェイルのところまで行けただろうか。

 それだけが気がかりだ。


「…………」


 そういえば、と思い出す。

 あれは一体なんだったのだろうか。

 クロがここに来たあの時、白銀の少女と目が合った。

 あのときの、強烈な違和感。


――あの少女は、絶望した顔をしていた。


 おどろくのはまだ分かる。

 逃げている最中に突然、クロが現われたのだ。そりゃおどろくだろう。


 けれど、少女は振り返り、クロと目が合った。

 少女はクロが人だと気づいたはずだ。

 魔物じゃなく、人間だと気づいたはず。

 でもそれなのに、少女は「万事休す」といった表情をしたのだ。


 そんなに頼りなく見えたのだろうか?

 いや、そういう感じの絶望じゃなかった。


 仮に、現われたのがクロじゃなく魔物の新手だったなら、あんな顔をするだろう。

 まるで、クロがハイオークと同じものであるかのように。

 自分を害する存在がひとつ増えてしまったというかのように。

 あの少女は脅えていた。

 怖がっていた。

 絶望していた。


「…………」


 悔いが残るというのなら、それだ。

 あんなに守ってあげたくなるような表情をされてしまっては、このまま死んでしまうのが口惜しい。


「…………」


 でももう、だめだ。

 時間がない。

 意識はだんだんとかすれていく。

 思考もゆっくりと止まっていく。

 心臓の鼓動が弱くなっていくのを感じた。


「…………――――」




 そして死の瞬間――それを見た。




 真っ黒に輝く光。

 光なのに黒い。

 黒くて眩しい。

 異様な光景だった。




「――ああ、なんてこと。

 君の感情に反応してしまったんですね」




 そんな眩く輝く漆黒の光の中で、声が聞こえた。

 この声の主は誰だろう。

 分からない。



「何をどう強く想ったのかは分からないけど。

 君が、解き放ってしまったんですね……」



 聞き慣れない声だった。

 まだあどけない少女の声だった。

 まるで、天使が歌っているような、そんな声。



「人類への、十三番目の神罰。

 この世に絶対に出してはいけなかったもの――」



 ただ、本当に悲しそうな声だった。

 もしこの体が動くなら、すぐにでも抱きしめてあげたくなるような。



「――『希望』という名の、災いを――」



 世界中の寂しさをたったひとりに集めたら、もしかしたらこんな声色になるのかもしれない。

 発する言葉のひとつひとつが物悲しい。

 でも、どうしようもなく綺麗な声だった。



「――ごめんなさい」



 漆黒の後光を従えた――翼を持つ少女の姿。

 それが、最期に見た光景だった。


 そうしてゆっくりと。

 クロ・クロイツァーの心臓は動きを止めた。




 歴史にも記されず、人知れずひっそりとその命を終える。

 こうして、英雄に憧れた少年の生涯は終わりを告げる――




――そのはずだった。



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[良い点] ヤダッ、オークさんに惚れちゃう!
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