57 暗闇に光る、極々小さな希望
エルドアールヴの両斧とオリヴァーの『飛刃』奥義がぶつかり合い、鬩ぎ合う。
遙か高い空の上から、それを眼下に見つめながらアルトゥールはオリヴァーに自らの支援の戦技『鼓舞』を送っていた。
絶え間ないエーテルの支援が出来るのは、アルトゥールの実力が凄まじいことを物語っている。
「……勝てるか? あのエルドアールヴに、真っ向から挑んで」
アルトゥールが呟く。
リビングデッドは『蘇生の詩編』で発動したアルトゥールのエーテルで動いている。
リビングデッド自身が使う戦技などは彼ら自身のエーテルを使うが、リビングデッドが存在するためのエーテルは『蘇生者』であるアルトゥールのものでなければならないのだ。
死を覆し、この世に蘇ったリビングデッド。
彼らが動いているのは全て、このアルトゥールの力のおかげだ。
仮に『蘇生』を普通の人間がやったとしたなら、自由に動かし続けるのはおそらく2人から3人ぐらいが限界だ。
だが、アルトゥールは100万人以上ものリビングデッドを同時に動かすことが出来た。
支援、助勢に関しては、英雄アルトゥールは間違いなく人類最高の逸材だった。
それでいうなら、この『蘇生の詩編』は間違いなくアルトゥールが持つべきものだったのだろう。
グリモアが召喚されて二千年。
その全ての人間をひっくるめても、彼ほどに『蘇生』をうまく扱える者はいないと断言出来る。
「エルドアールヴのエーテルを吹き飛ばしさえすれば……いけるはずだ」
リビングデッドは『詩編』のエーテルで動いている。
つまり、借り物のエーテルで動いているからこそ、強い攻撃を加えられるとエーテルが剥がれてしまう。
今のエルドアールヴは【溶岩喰らい】によって自身のエーテルを回復させたが、喰らったのがさっきの今だからだろうか、リビングデッドと同じように完全に体に馴染んではいない。
その証拠に、『不死の詩編』の副次効果である体の『治癒』は完全ではなく骨のままだ。
だからこそ、オリヴァーの攻撃でエーテルを剥がすことが可能なのだ。
今の超強化されたオリヴァーと、弱体を受けている最中の今のエルドアールヴなら、間違いなくオリヴァーが勝つ。
長年の経験から、アルトゥールは勝利を確信していた。
――自分の異変に気づくまでは。
◇ ◇ ◇
「――――ッ!!」
鬩ぎ合っていた飛刃の剣が、折れた。
オリヴァーは砕け散る自身最強の奥義を眺めながら、自身の敗戦を理解した。
理由は明白だった。
その身に受けていたアルトゥールの戦技『鼓舞』が消えてしまっている。
支援が打ち切られた?
いや、違う。
これはもっと根幹のものだ。
――アルトゥールは闘う気を、闘う意義を失ってしまったのだ。
オリヴァーはアルトゥールの想いを理解している。
アルトゥールの異変にも、気づいていた。
これはもはや仕方がないと言える。
だからこそ、アルトゥールを責める想いはオリヴァーの中には一切ない。
「エルドアールヴ」
先ほどまで『最古の英雄』と渡り合っていた。
あのエルドアールヴと、渡り合っていたのだ。
子供の頃から彼に憧れていた。
彼の英雄譚を知り、自分もそうなりたいと夢見たこともあった。
そんなエルドアールヴと、闘い、渡り合えていた。
自分のような、一番になれない、見向きもされない者でも、あの伝説の英雄と渡り合えて、一時は勝利すら見えたのだ。
それが何よりも嬉しく感じる。
だから後悔はない。
死してなお生に縋り付き、リビングデッドとなって闘いを挑んだ。
自分の力の全てを振り絞った。
【鬼】の襲撃という絶望の未来には不安があるが、エルドアールヴの姿を見ていると、彼ならやってくれるという不思議な確信が持てた。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
エルドアールヴが迫り、オリヴァーの身を再び両断する。
不思議と痛みはなく、苦しさもなかった。
あるのはただひたすらの満足感。
こんな自分でも、英雄の伝説に一矢報いることが出来たという、戦士としての絶対的な喜びだ。
「すまなかった……ありがとう」
謝ったのは罪もない人々を殺めてしまったという自責から、あるいは、エルドアールヴを精神的に追いつめてしまったという謝罪の念からだ。
礼を言った理由は自分でもよく分からない。
凶行を止めてくれた礼なのか、自分と闘い、それでもなお、打ち勝ってくれたことへの賞賛なのか。
様々な想いが一気に溢れてしまって、もはやオリヴァー自身にも分からなかった。
「アルトゥールさま、お先に……」
エルドアールヴの一撃によって体が崩れ、消え去っていく。
ゆっくり、ゆっくり。
空の上で、オリヴァー・アーネットは静かに二度目の死を受け入れた。
◇ ◇ ◇
「迷惑をかけたな、オリヴァー。まさか私が足を引っ張るとは……」
消え去っていくオリヴァーを見つめながら、アルトゥールが呟く。
オリヴァーを倒したエルドアールヴが、今度はこちらに向かって来ているのを視認した。
「戦技『空渡』……自我を失ってもなお、素でその『戦技』を使うか……やるな」
足元にエーテルを固め、空を歩く離れ業。
その難易度と希少性から、もはや戦技に数えられるエーテルの技だ。
凄まじい、とアルトゥールは思った。
同時に、怖ろしいとも。
自我を失い、それでも使えるというのは、それを当たり前に使ってきたということである。
戦技を、だ。
つまり、エルドアールヴは闘いが日常になっていて、もっと言えば、呼吸するぐらいに普通のレベルで闘ってきたということに他ならない。
同情する、心から。
その不死の運命でおよそ二千年、闘い続けてきた伝説の英雄。
その勇姿、その異形は、まさに闘神と呼ぶに値する。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
「ふ……」
まさにすぐそこまでエルドアールヴが迫ってきた中で、アルトゥールは服の内に入れていた一片の紙を取り出した。
「くれてやる、これが欲しかったのだろう」
パッと手を離し、エルドアールヴの方へその紙を投げた。
それこそは『グリモア詩編』――『蘇生の詩編』。
風に流された詩編に反応して、エルドアールヴがそちらの方へ空を駆けていった。
「……そうか、よほど欲しかったのか。そうだろうな、お前なら」
エルドアールヴがこんな状態になってから、ずっと。
彼はずっと、これだけを求めていたのだ。
真っ直ぐにアルトゥールに向かって来ていた理由。
それが――『蘇生の詩編』だったのだ。
意識を無くした無我の状態で、それでもなお、手に入れたいと願った詩編。
今のエルドアールヴの原動力。
「……疲れたな」
詩編を追いかけ遠ざかっていくエルドアールヴを見て、アルトゥールは嘆息した。
あらゆるものを失ってしまった。
地位や名誉、大切な人、家族、部下、友人、領民達。
そして――人の心、何もかも。
納得出来る絶望の未来のために、全てを投げ打って、全てを失った。
何もかもを失ってでも成し遂げたかった。
しかし、気づいてしまった。
知ってしまった。
未来を変える可能性を。
シャルラッハ・アルグリロットという類い希なる神の御子の存在を。
絶望の未来を変え得る存在を。
思ってしまった。
託してみたいと。
信じてしまった。
若者の可能性を。
芽生えてしまった。
暗闇に光る、極々小さな希望が。
無くしてしまった。
闘う気力を。
オリヴァーへの支援を、無意識に止めてしまうほどに。
消えてしまった。
生きる気力が。
「……これで、未来がどうなるか……」
高高度の空の上から、猛速度で落下していく中で、ふと気になった。
今、未来を視たら、何が見えるのか。
「…………」
もうひとつ、服の中にある『グリモア詩編』を取り出して、力を込める。
それは未来を識る、『予知の詩編』だ。
これのせいで、今回の行動を起こしてしまったのだ。
だが、これのおかげで、エルドアールヴの力を知った。シャルラッハという存在を知った。
だから最期に、もう一度。
未来を視たいと思った。
「…………ああ」
そして、アルトゥールは思わず小さく声を漏らした。
「こんな……未来が、あったのか……」
アルトゥールは宙空の、何もない空間を見つめている。
彼だけが見えている。
詩編を使った彼だけが見ている、未来。
「頼む……勝ってくれ――――エルドアールヴ」
虚空を見つめながら、アルトゥールが感情を抑えながら、言った。
噛みしめるように、強く、強く願う。
その未来が、無限にある可能性のたったひとつの未来だとしても。
必ずしもやってくる未来ではないにしても。
それでも――願う。
「その【鬼】を倒してくれ――――」
言いながら、その見つめている宙空に手を伸ばした。
詩編を持ったまま、伸ばしたその手にエーテルを集中する。
「――『猛り立ち上がれ、誇り高き戦士よ』――」
自分自身の全ての生命力を、エーテルに変えて。
命そのものを使って、どこでもない場所に向けて、アルトゥールが詠唱する。
「――『命知らずの戦士よ、己が秘められし力を解き放て』――」
もはやアルトゥールに正気というものはなかった。
これはまさしく狂気の沙汰。
執念だ。
その未来を視た興奮と期待で、己の命を消費して、生涯最高の『戦技』を使う。
「戦技『鼓舞』――『戦気高揚』ッ」
しかし、その対象はこの世に存在しない場所にいる者だ。
『予知の詩編』の未来で視た、ここではないどこかの誰かだ。
当然、戦技は発動しない。
握りしめた『予知の詩編』の中に消えるように、アルトゥールの命を懸けた戦技は溶けて霞んでいった。
「頼ん……だ、ぞ…………」
そうして、『英雄』アルトゥール・クラウゼヴィッツもまた、
空の上でその命を散らし――息絶えた。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォッ!!」
自我を失くしたエルドアールヴの吼え声だけが、
空高い場所で、轟いていた。
 




