54 方位騎士団・南の団長『英雄』アルトゥール・クラウゼヴィッツ
『英雄』アルトゥールは元来、攻撃的な近接の戦士だった。
若い時分、十代後半から二十代前半の頃は非常に好戦的な性格をしていて、今とはまったく違う戦闘スタイルだった。
闘いが起こればまず真っ先に突撃する。
凶悪な魔物が出れば、単独で討伐に向かう。
貴族の出なのにもかかわらず血生臭い激烈な戦闘を特に好み、最前線の最も危険な場所で闘うことを是としていた剛勇だった。
前代未聞の破天荒さを持つ、あのベルドレッド・グレアロスと双璧を誇るほど、相当にメチャクチャな問題行動を起こす男だったのだ。
アルトゥールが今のように後方で指揮を執るようなスタイルに変わったのは、『死神』ジズとの出会いに起因する。
グリモア詩編『予知』と『蘇生』をジズから受け取ったその瞬間から、彼は悟った。
個の強さでは、人類を滅ぼす【鬼】に決して敵わない。
悔しくて堪らなかった。
自身が是としていた力の誇示。
それが、まったく通用しない相手がいることに。
長い年月をかけて、幾千幾億と未来を視た。
未来を視るのは一瞬の出来事で、自分の頭の処理能力が許す限り、いくつもの未来を一気に視ることが出来た。
そのどれもが、【鬼】に滅ぼされる未来だった。
英雄単独ではまず勝ち目がない。
不死の能力を持つ、あのエルドアールヴですら敵わない。
幾億も視たどの未来も、彼はまず真っ先に【鬼】に挑み、倒されてしまうのだ。
誰よりも早く異変を察知し、魔境からやって来る【鬼】との決闘で、苦戦の末に撃破されてしまう。
彼は不死のため死ぬことはないはずだが、その後の行方が分からなくなるのが、人類の命運を決定付ける。
エルドアールヴが敗れる。
それはイコールで、絶望が世界に蔓延る形になる。
彼は人境レリティアの希望そのものだ。
それがいなくなるという事実は、人類にとってあまりにも手痛い損失だ。
人々は膝をつき、絶望に喘ぎ、死を受け入れてしまう。
戦士達は辛うじて奮起しようにも、【鬼】の力に薙ぎ払われて消えてゆく。
レリティア十三英雄も次々と【鬼】に打ち破られていく。
そうして、何も出来ないまま【鬼】に蹂躙されて滅ぶのが人類の未来だった。
いくつも未来を視た。
決して、あの【鬼】には敵わない。
エルドアールヴの喪失という絶望を経て、なお立ち上がった人間達ですら、完膚なきまでに討ち滅ぼされる。
原因は人類同士の諍いだ。
今のレリティアは目立った紛争や戦争こそ無いが、火種や禍根はずっと残っている。人類同士が手を取り合って、ひとつの敵を倒そうとするなんてあり得ないことだった。
グラデア王国、帝国ガレアロスタ、聖国アルア、その他諸々の小国。
それぞれがそれぞれで行動し、それぞれが何の抵抗も出来ずに【鬼】に蹂躙されていくのだ。
エルドアールヴの喪失と同時に、人類は一瞬でバラバラになった。
エルドアールヴという存在がどれほどレリティアの均衡を保っていたのか、実際にその未来を視てアルトゥールは痛感した。
予知をし続けて未来を知っていき、それでもどうにもならない未来。
絶望の連鎖。
幾億もの人類の破滅。
それをずっと視続けた。
アルトゥールは歳を経るごとに、自分の心が腐っていくことを実感した。
そのうち、人の命が軽く見えるようになった。
大切な人達も、家族も、何もかも、どうでもいい存在になっていった。
いつかの日、英雄となり、自身を誇っていた自分はもう、どこにもいなくなっていた。
ただ悔しさだけが募っていった。
アルトゥールは未来をどうしても変えたかった。
せめて、ひと太刀。
せめて【鬼】に一矢報いたい。
人類は絶滅してもいい。
それが変わらない未来ならば受け入れよう。
だが、簡単にはやらせない。
『蘇生の詩編』によって、死んでいった人類の魂を蘇らせ、その全てをぶつけてやろう。人類の意地を見せてやるのだ。
そして、ようやく納得出来る、ひとつの絶望の未来を視た。
――イヒヒ、やるじゃねェか人間共ッ!!
あまりにも多くの未来の果て。
ようやく、【鬼】のその一言を絞り出す未来を見つけた。
その言葉が欲しい。
アルトゥールは心の底から希う。
どうせ滅んでしまう未来なら、お前のその餞の言葉で種の終わりを飾りたい。
『破天の悪鬼』セロ。
『最古の六体』の一柱。
その怪物こそが、人類を滅ぼす【鬼】だ。
あの【鬼】に人類の存在を認めさせてからでないと、死んでも死にきれない。
あらゆる全てを犠牲にして、その言葉を聞くために。
人類を絶滅させてでも、【鬼】にその言葉を吐かせたい。
ただそれだけが、アルトゥールの望みだった。
◇ ◇ ◇
「もはやそれ以外に、納得出来る未来がない」
アルトゥールは火山の淵で、黒い霧のエーテルを迸らせる。
戦技『鼓舞』によって、リビングデッド達が超絶に強化されていく。
元々が『鼓舞』のパッシブ効果によって副団長クラスの力まで引き上げられていたクラウゼヴィッツ騎士団の面々だが、先ほどの『詠唱』入りの戦技によって、すでに英雄クラスの力まで強化されていた。
つまり、今ここには英雄が300人以上いると同義である。
ただし、リビングデッド達は意思が限りなく希薄だった。
ゆえに、強力な意思によるエーテル操作が必要な戦技や魔法は使えない。
戦技や魔法は、一発逆転の必殺だ。
これが有ると無いのでは、戦力に大きく差が出ることは明白である。
しかしながら、今のエルドアールヴも同じことが言える。
心が壊れてしまい、自失状態であり、彼は今戦技が使えない。
使おうとする意思も無い。
有り体に言うと、手に持った武器を振り回す以外の戦闘方法がない。
つまり、ある意味でリビングデッドと同じような状態なのだ。
だがしかし、それでもエルドアールヴは強い。
極限にまで鍛えられた身体能力。
二千年という長きにわたる戦闘経験は、エルドアールヴの反応を神業の域にまで昇華しており、たとえ自我がなくとも複雑な戦闘能力を有していた。
敵の攻撃を避け、いなし、捌き、受け流し、絶妙のタイミングでカウンターを喰らわせる。
エルドアールヴが放つ攻撃もまた単純なものではなく、その身体に染み付いた幾千の技で以て相手を蹂躙していく。
攻防共に隙が無い。
凄まじきはエルドアールヴの戦闘能力である。
300人ものクラウゼヴィッツ騎士団が、文字通り薙ぎ払われていく。
「本来なら遺体を回収してから蘇生させたかったが、もはやそうもいかないようだ。まったく、つくづく予定通りにいかんものだ」
アルトゥールが苦笑しながら、『蘇生の詩編』を握りしめる。
もう片方の手には、副団長の団員証を握りしめていた。
「――蘇れ、オリヴァー」
グリモア詩編・第二災厄、無念の業『屍術』。
遺品となった団員証によって、死した戦士が復活する。
黒い霧のエーテルが周囲を包み、不気味なグリモア詩篇の力を発揮する。
これこそがアルトゥールの切り札。
『蘇生の詩篇』、そして戦技『鼓舞』の効力を極限にまで高められる至高の相手こそが、副団長オリヴァー・アーネットなのである。
つまり、
「ようやく、この刻が来ましたね。アルトゥール団長」
「些か、予定とは違ってしまったがな。ままならないものだ」
「ですが、それこそがあなたの望みではないですか。『予知』の未来を変える。どうしようもない未来に、せめて一矢報いる。それが我々の目的なればこそ」
「予定と同じでは意味がない……か」
意思ある最強のリビングデッド。
あのレオナルド・オルグレンと対をなす双璧として準備されていた、アルトゥールのとっておき。
それこそがオリヴァー・アーネットなのである。
「レオナルドは残念ながら蘇らせることはできなかった。どうやら無念の情はエルドアールヴとの闘いで消え去ってしまったらしい」
アルトゥールが蘇らせられる死者の条件は、『無念』の感情を持って死んだ者に限定される。
今この瞬間にレオナルド・オルグレンを復活させられないということは、それはつまり、彼が満足して死んでしまったからに他ならない。
「倒せると思うか? オリヴァー」
アルトゥールは言外に、エルドアールヴ打倒の布石を探っている。
「さて……こうしてリビングデッドとして蘇り、不死に近い耐久力を手に入れました。自我もこの通り健在です。戦技を撃つに申し分ないエーテルもあります。そして、アルトゥール団長の戦技によって引き上げられた戦闘力。今の私はおそらく、生前の私では決して到達出来なかった域にまで強くなっています」
オリヴァーの自己分析がそれだ。
彼は決して過小評価も過大評価もしない。
事実のみを端的に言い、そしてそれは限りなく正確だった。
「ですが、それでもエルドアールヴには敵わない。私はそう思います。奴はあまりにも強過ぎます」
「やはり意見は同じか。私が耄碌し、見誤っているのだとしたら……と少し期待はしていたのだが……」
「ご冗談を。まだそういう歳ではないでしょう。あなたの戦術眼はきっと、歳を経た果ての、それこそ死の間際でも衰えませんよ」
軽口を言い合うアルトゥールとオリヴァー。
団長と副団長という立場以上に、彼らの仲はいい。
「あらゆる策は破られた。エルドアールヴを孤立無援にするための罠、旧知と闘わせる精神責め、長時間の戦闘によるエーテル潰し、火口に落とす不死殺し」
エルドアールヴを単独で闘わせるため、『蘇生の詩編』の脅威を感じ取らせた、王墓でのフリッツ・バールの罠。
リビングデッドの大軍と、彼の戦友であった英雄100人をけしかけた精神を削る猛攻。それによるエーテル消費。
限りなく弱体化させたエルドアールヴを、このボルゼニカ大火山にまで誘い出し、火口の中に落とす、その最後の一手まで。
長い年月、ジズと共に作り上げた打倒エルドアールヴの策は、もう既に失敗してしまった。
エルドアールヴは強過ぎる。
おまけに『不死』だ。
なればこそ、その精神性を突くのが最善だったのだが、恐るべきことに、その精神性の強さこそがエルドアールヴの本領だった。
この不死殺しを達成するため、ジズが二千年もの長き時間をかけてエルドアールヴを追いつめていったのだ。
それぐらいしないと、エルドアールヴの心を崩せなかった。
怪物だ、アレは。
二千年分の親しき者達の死を看取り、歴史の絶望を幾度も見届けて、悠久と言ってもいい時間の流れを耐えきって、さらに今回の精神の責め苦。
心が強いなんて表現では足りないレベルの強靱さだ。
あり得ない。
バカげたメンタルをしている。
「だが、まだ終わってはいない。溶岩を飲むという異常な行動でエーテルを回復されただけだ。奴のエーテル切れまで闘い、倒せばいい。幸い、奴の心は壊れたままだ。最も気をつけなければならなかった戦技『断空』は使えまい」
アルトゥールは言う。
真っ直ぐに、骸骨の姿になっているエルドアールヴを見て。
『最古の英雄』への打倒を誓う。
「戦術的には最低の部類だ。軍神と、そう呼ばれていたが、このザマだ。まったくもって恥ずかしい限りだが……もはや我々は引き返せないところまで来ている。勝ちの分は悪くとも、やらない選択は微塵も無い」
多くの人間を殺した。
リビングデッドにするために、無辜の民を殺戮した。
全ては、あのセロという【鬼】に一矢報いるために。
「行くぞ、オリヴァー。グリモア詩編の力と、我が戦技で強くなったお前の力を見せてやれ。お前はもう、誰かの二番手ではない。お前こそが、私の切り札だ」
戦技『鼓舞』以上の、アルトゥールのその言葉。
それを受けて、感銘の感情を溢れさせるオリヴァー。
「身に余る光栄です」
短く、たった一言で意思を示す。
それを受けて、アルトゥールは不敵な笑みを崩さない。
追いつめられているのに、それでも、彼は『英雄』だった。
「さぁ――伝説を倒そうか」
英雄とはつまり。
絶対に勝てないどうしようもない相手にでも、微かな勝機を見出して、最後の最後に必ず勝つ者こそがそう呼ばれる。
英雄アルトゥール・クラウゼヴィッツ。
英雄エルドアールヴ。
ふたつの『星』が、しのぎを削り、衝突し合う。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」
まるで怪物のように、髑髏の口元から咆吼を放つエルドアールヴは。
果たして英雄と呼べるのか。
答えは神か――悪魔のみぞ知る。




