53 そもそもクロ・クロイツァーは、なぜ――
動く骨となったエルドアールヴ。
その体から立ち上るエーテルは、明らかに段違いに強くなっている。
ちょっと強くなったレベルではない。
以前のエールドアールヴとは格段に違うものになっていた。
「『死力』は殺意を持った格上の相手に致命傷を与えられなければ発動しないはず。クロ・クロイツァーが自分で言っていましたわね」
「そうじゃ。今『死力』が発動することは絶対にあり得ん。マグマに落とされただけで発動するはずがないのじゃ……」
シャルラッハの言葉に、エーデルが返した。
「アルトゥールに、マグマに落とされたからでは?」
アヴリルが言った。
しかし、シャルラッハは首を横に振った。
「それでも、落としたのは英雄アルトゥールとリビングデッド達。明らかにクロ・クロイツァーの方が強い。格上の相手じゃない」
自分よりもエーテルの総量が多い者が、強いという条件だとクロは語っていた。
『死力』はエーテルの特性であり、エーテルに反応する。
つまり、どう考えてもクロ・クロイツァーが『死力』を発動するのはあり得ないということになる。
「……しかも、どういうことじゃ。エーテルそのものも全快しておる……見た感じ、ついさっきまでは余力はもはや無かった。エーテル切れを起こしかけていたのじゃ」
王墓からここまで、エルドアールヴは闘いの連続だった。
フリッツ・バールとの闘いから、リビングデッドの軍団、そして100人の英雄。
レリティアの中で三番目にエーテル総量を持つエルドアールヴだったとしても、いくらなんでも無茶が過ぎていた。
逆に言えば、アルトゥールの策が完璧にハマっていたのだ。
極限までエルドアールヴの力を削りきっていた。
おまけに彼の心をズタボロにし、自我喪失状態にさせている。
そうして、このボルゼニカ大火山まで誘導し、火口に落とした。
見事に計算し尽くされた不死殺し。
恐るべきは軍神。
ジズや副団長のオリヴァーを使い、ここまでエルドアールヴを追いつめていたその手腕こそは凄まじい。
しかし、エルドアールヴはその想定を遙か上回っていた。
それに、対峙するアルトゥールは気づいた。
「……まさか、飲んだのか……マグマを」
アルトゥールが言った。
アルトゥール自身は『死力』の発動条件を知らない。
だからこそ、むしろエーテルが回復していることの異常の方が強く印象に残った。
「生物は水や食物を体に取り入れて、エーテルを補充する。エーテルはこの地上のもの全てに含まれている。当然、マグマも同じく。理論上は可能……」
むしろ水よりもマグマの方がエーテルが多く含まれている。
岩をも溶かすほどの高熱だ。
「……だが、普通そんなものを飲むか? 例え不死で死なないとしても、理性を失った状態だったとしても……飲めるものなのか?」
アルトゥールは戦慄している。
あり得ない。
マグマを飲むだなんて、絶対にどうかしている。
マグマの海に落ちて、口の中に入ってきたという問題じゃない。
エーテルが回復しているということは、自らが摂取しているのだ。
体の中に、溶けた岩を無意識に飲み込み、取り込んだのだ。
「私よりも、ファウスト博士よりも、あのジズよりも……エルドアールヴ、お前がこの世で一番、イカレているぞ」
体中からグリモア詩編の黒いエーテルを溢れさせながら、リビングデッドを次々と地面から這い出させる。
もはやその数は300体を超えている。
その全てが、アルトゥールが率いていたクラウゼヴィッツ騎士団の面々だ。
「やはりバケモノだな、エルドアールヴ……ッ!」
アルトゥールがそう吐き捨てる。
マグマを飲むようなバケモノ。
不死で、意識がないにも関わらず闘うことを止めない怪物性。
もはやこれは人に非ず。
「ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
全身が骨だけになったエルドアールヴが大咆吼を放つ。
不死のグリモア詩編の力――漆黒よりも黒いエーテルが、体から大きく溢れた。
まるで黒い炎に燃えている骸骨のように見える。
もはや人だった頃の面影なんてものはない。
それが今のエルドアールヴだ。
「――『鬨の声を上げよ。戦士達よ、今こそ立ち上がれ』――」
エルドアールヴに向かって、リビングデッド達が群れを成して襲い掛かっている。
その尽くを薙ぎ払いながら、アルトゥールに向かって歩を進めるエルドアールヴ。
「――『我が元に集う戦士達よ、己が秘められし力を解き放て』――」
アルトゥールは構わず自らのエーテルを練り上げる。
彼が最終的に頼るのは自らの英雄としての力。
アルトゥール・クラウゼヴィッツ唯一無二の固有戦技。
これこそは世にも珍しき軍神の力。
「戦技『鼓舞』――『士気高揚』」
『殺戮の軍神』アルトゥール・クラウゼヴィッツ。
この戦技こそ、彼が英雄として大成した起因。
自らの兵の力を底上げする、支援の戦技。
個ではなく軍。
一ではなく全。
アルトゥールの元に集う戦士達は、最強の軍団として覚醒する。
史上まれに見る、他者への強化戦技。
これこそが彼の固有戦技。
まさしく英雄の御技。
数多の戦士の上に立つ、『騎士団長』としての最優の能力である。
◇ ◇ ◇
「…………」
エルドアールヴとアルトゥールの直接対決が始まって、
しかし、シャルラッハはその場に留まっていた。
本来なら、クロ・クロイツァーを手助けしようと思っていた。
だが、動けなかった。
ある考えが、彼女の頭を巡っていたからだ。
「…………」
ここにきて、あり得ないことが起こっている。
シャルラッハが気になっているのはクロ・クロイツァーのことだ。
――なぜ『死力』が発動したのか
それが異様に気になって仕方ない。
シャルラッハはその天性の勘と凄まじい理解力、そして真理を見通す真贋で、彼に起こった異常を推察で看破していく。
まず、『死力』の条件。
自分より格上のエーテル総量を持つ敵が、殺意を以て致命傷を与えてきた場合にのみ発動する特性だ。
発動すれば確実に死ぬ。
しかし、とてつもない力が手に入る。
これによって、『不死者』のクロ・クロイツァーはエルドアールヴと呼ばれるまでに成長してきた。
実際に起こったこと。
クロ・クロイツァーがマグマに落とされて、そして自力で脱出して、その際に『死力』を発動していた。
エーテルが回復していたのはアルトゥールが言っていたとおり、マグマを飲んだのだろう。
普通に考えたらどうみても異常だが、異常こそがクロ・クロイツァーの特権だとも言える。
それはいい。
では問題は、何がクロ・クロイツァーに致命傷を与えたのか。
これは間違いなく、マグマだ。
マグマに落ちる以前に、幾つもの矢で貫かれていたが、おそらくこれは関係ない。
そもそもがクロ・クロイツァーより強い者がこの場には存在しない。
「…………ッ」
シャルラッハが熟考していると、天啓のように閃きが降りてきた。
マグマに落ちて、『死力』が発動した。
つまり、
マグマが殺意を持っている?
意味の分からない考えだが、シャルラッハは直感によって、これが真実なのだと理解した。
マグマなら、クロ・クロイツァーよりもエーテルがあるだろう。
このボルゼニカ大火山の地下にあるマグマ溜りがどれほど巨大なのかは分からないが、間違いなくクロ・クロイツァーの最大保有エーテル量よりは多いはずだ。
そう考えた瞬間、次々と答えがまとまっていく。
マグマ、つまり、大地がクロに殺意を持っている。
大地は星。
星は、つまり――世界そのもの。
滝の水が真下に落ちるように、自然と答えが腑に落ちる場所に浸透していく。
クロ・クロイツァーが世界そのものに敵意を持たれている可能性。
突飛な考えだが、『死力』が発動した以上、そうとしか考えられない。
ではそれはなぜか?
不死だとか、グリモア詩編の力で過去に戻ったからだとか、そういうことのせいではないとシャルラッハは直感する。
それなら、その力の源泉である『悪魔の写本』を持つエリクシアの方に殺意を抱くのが普通だ。
突破の糸口を掴むのが、クロ・クロイツァーの特別性だ。
思えば、彼はおかしなことだらけだ。
たとえば、クロはなぜ天運を一切持たないのか。
たとえば、そもそも――なぜクロは生まれながらに才能を一切持たないのか。
これはどう考えてもおかしい。
だって、天運を持たない人間なんて存在しない。
魔物でさえ持ち合わせている、運という存在。
幸運の女神、運命の女神だとか言われているが、クロ・クロイツァーは明らかにそれに嫌われている。
グリモアを持つエリクシアでも、天運を持っているのだ。しかも彼女の場合は、シャルラッハから見ても明らかに強めのものが備わっている。
なのに、クロ・クロイツァーにはそれがまったくと言っていいほど存在しない。
そして、神の恩恵とも呼ばれる才能だ。
天才と称されるシャルラッハだからこそ、分かる。
クロ・クロイツァーには一切の才能がない。
例えば戦闘の才能、例えば料理の才能、もしかしたら絵画の才能だとか、人は必ずひとつはそういうものを持っている。
自分の才能に死ぬまで気づかない人間もいる。
だが、それでも才能を持っていることには変わりない。
シャルラッハには分かるのだ。
珠玉の才能を持つシャルラッハには、その類い希なる慧眼で、相手の才能の有無が分かってしまう。
事細かくどんな才でどれほどのものが備わっているかは分からないが、それでも有るか無いかは確実に分かってしまう。
その慧眼で見たら、クロ・クロイツァーにはまったく無い。
エルドアールヴになって帰ってきた後も、欠片ほどの才能が無かったのだ。
こんな人間、これまで見たことがなかった。
神の恩恵と呼ばれる才能は、いわゆる『命の海』という死んだ生物の魂が集う場所から与えられるという。
クロ・クロイツァーの話では、たしかに『命の海』の存在があるらしい。
つまり、たしかに在るのだ。
才能を与えられる場所が。
そしてその『命の海』は、星そのものの核だと言ってもいい。
天運も才能も持ち合わせない、逆理の特別性。
それがクロ・クロイツァーなのだ。
世界そのものがクロ・クロイツァーに敵意を持っているから、それらが与えられていない。
そう考えれば辻褄が合ってしまう。
なぜそんなことになっているのかは、まだシャルラッハには分からない。
「…………」
これ以上考えても答えが出ないことが分かって、
シャルラッハはそこで考えを止めた。
――――無意識に。
◆ ◆ ◆
――――なぜなら。
クロ・クロイツァーの存在そのものが、否定されるから。
神に嫌われる。
星に嫌われる。
世界に嫌われる。
それはつまり、クロ・クロイツァーが【この世に存在してはならない存在】なのだという決定的な答えになってしまうから。
グリモア詩編とは関係無く。
クロ・クロイツァーという人間の存在自体が、否定されてしまうのだ。
クロ・クロイツァーが最も気にしている、それ。
彼が最も否定している、それ。
エリクシアにも言っていた、それ。
デオレッサにも言っていた、それ。
ジズに対してすら言っていた、その希望。
存在しちゃいけない存在なんて、存在しない。
それは皮肉にも、自分自身がその言葉を否定してしまうのだということを。
クロ・クロイツァー自身は、まだ知らない。
真実を知っているのは――
「ゲハハハ」
――この世で、たったひとり。
『命の海』を自由に泳ぎ、行き来する『転生者』のみ。
「可哀想なクロ。でも大丈夫だよ。
ぼくが――ぼくだけは、ずっと、ずっと一緒にいてあげるからね」
絶望は希望に縋り、
希望は絶望に堕ちていく。
 




