52 不死葬送【獄炎奈落】
炎で身体を焼かれるのは初めてではなかった。
文字通り、とろけるような高熱が体中を侵蝕していく感覚はしかし、エルドアールヴの我慢の限界を遙か超えていた。
剣で心臓を貫かれても何とか平然とした顔が出来るようになった。
首を刎ね飛ばされても絶叫を堪えることが出来るようになった。
砂漠の熱砂に横たわり、動けないまま数年間干涸らびていた時も。
永久氷壁に閉じ込められ、意識があるまま身体を氷漬けにされた時も。
誰も立ち入らない樹海で力尽き、身体中を虫が這い回り、肉という肉をゆっくりこそぎ食われていった時も。
死を体感するという生理的嫌悪感は、何度も経験するごとに我慢出来るようになっていった。
それで言うなら、今回のこれも、いつかは慣れてしまうのだろう。
慣れていくごとに、自分がどんどん怪物に近づいていくような感覚がして、それがまた、この心を壊していく。
不死であるから死ねない地獄。
でも、不死だからといって、どんな目に遭っても平気だったなんてことは一度たりともなかった。
どれもこれも迫真に迫る死の体験だった。
どれもこれも、イヤでイヤで堪らなかった。
死を感じるのはイヤだった。
死にたくとも死ねないのもイヤだった。
痛いのも苦しいのも辛いのも、全部全部イヤだった。
だから、せめて、慣れるしかなかった。
今、自分は一体何をしているのだろう。
自分という意識があるのに、自分が酷く曖昧になっている。
自分が一体、誰だったのかも分からない。
もう思い出せない。
身体をうまく動かせない。
なのに、身体が勝手に反射で動いていく。
目も見えない。
耳も聞こえない。
でも、この身体は闘いを求めて動いていく。
倒さなければならない敵がいた。
それだけはハッキリと理解していた。
自分が闘っていたのも分かっている。
でも、誰と闘っているのかは分からない。
ただ、痛みだけがあった。
例えるなら、気を失っているのに、身体の感覚だけがある。
何かが身体を刺し貫く激痛。
その後に、何かが身体を焼き尽くしている感覚がきた。
熱くて、痛くて、苦しくて。
どうしようもないぐらいに死を感じている。
死ねないくせに、死を感じている。
叫ぶことも、泣くことすら出来ない。
無意識下の暗闇で、不死者は静かに、ただ堪え忍んでいた。
そんな中で――――誰かの声を聞いた。
◇ ◇ ◇
「…………ッ」
シャルラッハは、火口の淵で絶句した。
クロ・クロイツァーがマグマに落とされるまで、何も出来なかった。
アルトゥールの兵が、ガストラフェテスの矢をこちらにつがえている。
クロスボウは騎士殺しとして有名だ。
鎧を容易に貫通し、致命傷を与えることが出来てしまう。
しかし自分の『雷光』なら、簡単に避けることは出来る。
出来るが、周囲八方に構えられている矢から他の3人を助け出すことは不可能だ。
自分ひとりしか生き残れない。
アヴリル、エリクシア、エーデルは矢に貫かれて死んでしまう。
アルトゥールが言ったのはそういうことだ。
わざわざ言葉にして言った。
それはシャルラッハの動きを縛るアルトゥールの罠、言葉の枷だった。
いわば人質を取られたようなものだった。
騎士団の強さと連携で、騎士とは思えない外道な戦術を取る。
これがこれほどまでに難敵だとは思わなかった。
「く……ダメじゃ、火口に落とされては、もはやあやつを助け出す術が……」
エーデルが横でひざを屈した。
絶望の声で、くるおしいほどの悲鳴を噛み殺している。
「…………ぁ」
言われて、ようやく今の事態を正しく理解した。
クロ・クロイツァーは不死だ。
死なない。
だが、今回のこれはマズい。
火口に落とされ、マグマに沈んだ。
おそらく身体は焼き尽くされ、もはや治癒や再生では追いつかない。
おまけに今のクロ・クロイツァーは意思という意思がない。
普段なら、窮地に陥っても自分で何とか打破出来るかもしれないが、今の彼にはそれがない。
つまり。
マグマに沈み、そのままずっと焼かれながら、火山の底で苦しみ続けるのだ。
「…………ッッ!!!」
なんてことだ。
気づいてからでは遅かった。
自分達では火口に近づくことすら出来ない。
救出する術がまったく無い。
あの時、行くべきだったのだ。
火口に落ちるクロ・クロイツァーに、この手を差し伸べるべきだったのだ。
シャルラッハは自分自身の判断の失態に気づき、唇を噛みしめた。
「くくく……」
アルトゥールが笑う。
ホッとしたような、そんな声で。
「……エルドアールヴの縁者をリビングデッドとして復活させ、本人と争わせ、その強靱な心をまず攻める」
まるで罪の自白のようだと、シャルラッハは思った。
「……何十年も、苦労したぞ。思い通りにならんジズを動かし、世界中に散らばる『英雄』の遺品を集めさせ、グリモア詩編で蘇生した」
火山の淵に立ち、火の粉が舞う中で、英雄アルトゥールが語る。
「ファウスト博士との共同研究で、『蘇生の詩編』で復活させた者の意思を剥奪し、操る術を手に入れ、エルドアールヴと闘えるよう、それを英雄達に施した」
そこには断固たる決意があった。
たとえ外道に堕ちようとも、やるべきことをやる、絶対の意思。
「エルドアールヴ単独で私を狙わせるため、やつにだけ私の危険性を気づかせるよう仕向けた。『予知の詩編』で予想はついていたとはいえ、あのアレクサンダーを前に、王国へ宣戦布告をするのは中々の大博打だった」
下手をすると、一瞬で殺されていた可能性があった。
英雄アレクサンダー・アルグリロットはそれほど、人を殺すことに特化している。
「エルドアールヴをこの場に誘い込み、火口に落とす【不死殺し】。ふっ……ジズには伏せていた作戦だったが、何とか上手くいった……」
ハァァ、と深くため息をつき、アルトゥールが言った。
「すべてはエルドアールヴを倒すため。ようやく、私の長年の策が成った。これこそ、私が引き寄せたかった未来の先触れ。お前がいては邪魔だったのだ、エルドアールヴ。お前がいては、世界中の誰もがお前を頼ってしまうのだ。だから、闘わない。闘う意思の無いリビングデッドは弱い。しかし、お前を倒せば話は変わってくる……ッ!」
アルトゥールのその顔は、決して邪悪外道のそれではなく。
「これこそ――人類が結束して『鬼』に一矢報いる唯一の手段ッ!」
あくまで、『英雄』の顔をしていた。
英でて雄々しい、戦士の顔だ。
「…………ッ」
シャルラッハは、このアルトゥール・クラウゼヴィッツを過小評価してしまっていた。
グリモア詩編に魅入られ、実の子すら利用し、外道に堕ちた心弱き者、と。
しかし違った。
この男は間違いなく、英雄だった。
所思様々、英雄をそれとして認め決定付けるものは人それぞれ違う。
どれほど強大な敵に対しても、諦めることなく力の限りを尽くして闘い続ける。
それがシャルラッハ・アルグリロットの英雄像だ。
それで言うなら、アルトゥールは手段、経緯はどうであれ、間違いなく英雄だった。
英雄アルトゥールは間違いなく、英雄だったのだ。
「…………ッ!」
そして同時に、志を違える大敵でもあった。
クロ・クロイツァーを火山に落としたこの男は赦せない。
いかにアルトゥールが壮大な覚悟を以て、来たるべき闘いを見据えていようが。
自分の大事な仲間をこんな目に遭わせたのは、絶対に赦さない。
「ク……クロ……」
シャルラッハが怒りを溜め込んで、一気に爆発させかけた時。
隣にいたエリクシアが、覚束ない足取りで前へ出た。
「エリー! 下がっていなさい! 危険よ!」
エリクシアをたしなめる。
アルトゥールが命じてしまったら、周囲にいる八方の兵達が攻撃してくる。
一瞬の隙をついて、爆速の『雷光』でまず手前の四方を蹴散らす。
アヴリルならそれを察して後方四方をやってくれるはず。
アイコンタクトすら取らず、アヴリルとならそれが可能だと確信していた。
だが、エリクシアが前に出てしまったら、それが出来なくなる。
「…………クロ」
ズ…………ッ、と。
怖気の走る、凶悪極まりない気配がした。
「――――ッ!?」
戦慄する。
背筋が凍る。
怖い、と。
シャルラッハは思った。
「……クロ、クロ……クロ、クロッ」
エリクシアはただひとりの名だけを連呼する。
手を前に差し出して、決して届かない彼の手を引くために、ただ前へ。
こちらの声が聞こえていないようだ。
エリクシアは虚ろな目をして、火山の火口を見つめている。
「エリー……ッ」
シャルラッハは忘れていた。
あまりに彼女がおとなしいから。
あまりに、彼女が良いコだから。
あまりにも、彼女と、仲良くなり過ぎていたから。
エリクシア・ローゼンハートという少女は、『悪魔』なのだ。
彼女の背後に浮かぶ『悪魔の写本』。
不気味極まるその本から、凄まじい威圧が放たれる。
同時に、漆黒よりももっと黒い、強烈なエーテルが迸る。
「……なんというエーテルの量だ。これは……凄まじいな」
アルトゥールですら、その威容に驚嘆している。
恐るべきは悪魔である。
凄まじきはグリモアである。
「もしや……これが、あるいは……鬼を倒す、手段なのか……?」
グリモア詩編など、この本の1ページにすぎない代物。
人智を越えた、異次元の力。
「クロォ―――――――――――――――――――ッッ!!!」
悪魔が絶叫する。
喉を引き裂くような声で、その少年の名を叫ぶ。
同時に、悪魔の写本が開かれる。
まるで、地獄の門が開くかのような、禍々しさで。
パラパラパラ、とページが勢い良くめくれていく。
その全てが、人類を滅ぼすに足る力を秘めている。
決して開いてはいけない災いの本。
その力が解放されようとした、その瞬間だった。
「…………ッ!? え? 何!?」
シャルラッハが思わず言った。
いくつもの雷が爆裂するかのような衝撃音と大衝撃が、ボルゼニカ大火山を襲った。
地面が揺れる。
立っていられない。
エリクシアが何かをしたのか、とも思ったが、違う。
彼女はその衝撃で地面に転げてしまっていた。
周囲にいたリビングデッドの兵は、足元が揺れて弓の狙いの定まらないようになっている。
アルトゥールもこの慮外の出来事に、一瞬だけ隙を見せた。
シャルラッハは今がチャンスだと、何とかバランスを取って体を立たせる。
「エリー、こっちへ」
すかさずエリクシアの傍に行き、引き戻す。
「まったく、無茶をして!」
「ご、ごめんなさい」
どうやら今の衝撃で、エリクシアも普段の様子に戻っているようだ。
先ほどのは、魔法使い特有のトランスのような状態だったと思われる。
「何が起こっておるのじゃ!?」
「おっとっと」
揺れる地面に困惑するエーデルを、キッチリと支えているアヴリル。
2人の元に戻ると、揺れが収まった。
「……ねぇ、アレ」
シャルラッハが皆の視線を誘導する。
その場所は、火口だ。
マグマが噴き上がっている。
岩場に打ちつける波のように、灼熱の飛沫を散らしている。
「ま、まさか……噴火ですか!?」
アヴリルが言った。
揺れが完全に収まり、震動の音も消えて、静かになったボルゼニカ大火山。
その場にいた、誰も言葉を発しない。
アルトゥールさえも、黙って火口を注視している。
「…………」
そこに、ひとつ。
音がした。
「…………」
カシャ、カシャ……と。
乾いた何かが硬い岩に当たるような、そんな音。
「…………ッ」
息を飲む。
火口の淵を見ていると、そこに、白い何かが見えた。
「ふ、ふふ……なんということだ」
それを見たアルトゥールが、静けさを破った。
「ここまでして、それでも足りないのか」
カシャ、カシャ、と音がする。
白い何か、それは手だった。
手。
たしかにそれは手だ。
だがしかし、普通の手ではない。
――骨だ。
「まったく……我ながら『予知の詩編』を使いこなせないことに憤りを覚えるよ。この未来は知らなかったぞ」
ゆっくり、しかし確実に、骨の手が動いている。
やがて火口の淵を登り切り、その姿を現した。
「……やはり英雄同士、真に闘いで決着をつけねばならんようだ」
「…………」
カタカタカタ、と動くその異様。
人間の形をした骨が動いて、登ってきた。
そんな異常なモノは、この世界にたったひとりしかいない。
「なぁ、エルドアールヴッ!!」
「…………ォ」
両の手には、マグマの熱でも溶けなかったのか、大戦斧と斧槍が。
着ている本人のエーテルで修復するそれは、エルフが作った特注の服だ。
その身体だけはマグマに焼き尽くされたのか、全身が骨と化している。
「ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」
肺も声帯も無いのに、その人骨が叫んだ。
おそらくはエーテルを震わせて発しているのだろう。
真っ黒なエーテルが骨の身体を包んでいて、それが彼の身体を動かしている。
あり得ないほど強力なエーテルを纏い、不死者が両の武器を構えた。
「そんなバカな……」
エーデルが言った。
絶対にあり得ないことが起こっている。
マグマに沈んだエルドアールヴ。
なのに、
「なぜ、『死力』が発動しているのじゃ」
スキル『死力』で強くなったエルドアールヴが、そこにいた。




