50 グリモア詩編・第十二災厄『恐怖』、予言者『プロフェット』
「……あり得ぬッ!」
エーデルが血相を変えていた。
「我らエルフィンロードは『予言の民』じゃ。時間を研究し、その概念を解明しようとした『時の民』だからこそ、知っておるッ!」
エーデルが珍しく憤慨した様子で、次の言葉を紡ごうとした。
すると、
「――未来は確定していない。確定していない未来は、当然この世のどこにも存在しない。そういうことだろう? エルフの王よ」
アルトゥールがその先を読んで、言った。
「…………ッ!?」
デルトリア伯の『変革の詩編』では、未来に行くことは出来なかった。
無い場所には行くことは出来ない。
未来というものが確定していない。つまり、無い。存在していない場所に行くことは不可能だ。
唯一無二の例外は、現在を知っていたクロ・クロイツァーが過去に飛ばされて、その過去で未来を知っているという矛盾を起こしたことぐらいだ。
「未来はどのようにも変わっていく。つまり、無数の可能性を秘めている。この『予知の詩編』は、その全ての可能性を知ることが出来るのだよ」
「な……」
無数の可能性を知る。
未来の可能性は、幾億か幾千億か、あるいは兆を超えて、それこそ無限の可能性が存在している。
その全てを知るだなんて、どう考えても人の手に余る。
「それを一気に見せられるのだ、狂うだろう?」
「……キサマ、は……」
先にエーデルが言い放った言葉に、アルトゥールが答えた。
自分はもう、狂っているのだと。
「どうやらグリモア詩編というものは、人によって相性があるらしい。私の場合は『蘇生の詩編』と相性が良かったが、『予知の詩編』は私では使いこなせないようだ」
アルトゥールは、手に持っている『予知の詩編』をひらひらと揺らめかせて、話を続けた。
「何千億……何千兆もの未来を一気に見せられても、その全てを一瞬で処理出来る頭脳を持つ者。おそらくそういう人間こそが、『予知の詩編』を完全に扱えるのだろう。例えるなら、ファウスト博士のような、者だな」
ヨハンナ・ファウスト。
あまりにも天才すぎて、人道だとか道徳のようなものをどこかに置き忘れてしまった、レリティアの狂気である。
レリティアの各国で悪罪を働いた大犯罪者であり、グラデア王国・聖国アルア・帝国ガレアロスタのレリティア三大国家の連名で、彼女の首に凄まじい額の賞金が掛けられている。
彼女を討伐しただけで、富豪になって三代は豪遊出来る。それほどの賞金首だ。
当然、ファウスト博士を狙う者は後を絶たず、しかし、どんな暗殺者や冒険者、あるいは傭兵も、その全てが返り討ちになっているという。
「これを彼女にくれてやろうかと思ったが、未来が分かるなんてつまらないと言われて断られたがな」
「……キサマッ、会ったのか!? ファウストは今どこにいるッ!?」
エーデルがアルトウールの言葉に反応した。
「つい数時間前までは我が城にいたが、今はジズがどこかに避難させているだろうさ」
「…………くッ、あのファウストが、『死神』と一緒にいる、じゃと……ッ」
ギリッとエーデルが歯噛みする。
「……最悪の組み合わせね」
シャルラッハが呟いた。
隣に居たエリクシアが思わず聞いた。
「……ファウスト博士、何者なんですか?」
「200年以上前から生きている、学者……いいえ、彼女と同列にされたら学者達が可哀想ですわね」
「200年もですか!?」
「ええ。わたくしはよく分からないけど、テロメアをどうかして寿命を延ばしたとか。不老を実現してしまった狂科学者ね」
「……不老」
不老不死。
グリモア詩編の不死者だ。
その言葉はクロ・クロイツァーをどうしても思い浮かべてしまう。
それを察してか、シャルラッハは明確に否定する。
「不死じゃないらしいけど。まぁ、その実験で数千を超える人間が犠牲になったって言われていますわ」
「人類の中でもトップクラスにイカれた女って聞いてます」
アヴリルまでそういう認識だ。
それらの会話を聞いたアルトゥールは「くくく」と笑った。
「凄まじい言われようだな。まぁ、否定はしないが」
ひとしきり笑って、ふぅ、と一息つく。
「話を戻そうか。この詩編の、未来視の話だ」
「…………」
ファウスト博士と何らかの因縁があるような素振りをしていたエーデルは、今はそんな場合じゃないと、感情をこらえるように押し黙った。
「未来は無数にあった。個々人がどんな行動選択を取るか、それだけで未来は変わる。小さなことでも、巡り巡って大きな変化が起こってしまう。しかも、当然それは人の行動だけとは限らない。この世のありとあらゆるモノが、未来を変化させる可能性がある」
バタフライエフェクトと言われる現象だ。
小さな蝶が羽ばたいただけで、その空気の移動が巡って、遠くの場所に影響を与えてしまうかもしれないという理論表現だ。
過去に戻ってしまったクロ・クロイツァーが気をつけていたのがこれだ。
時間の研究をしていたエルフの民は、このほんの僅かな変化が巡り巡って、クロが本来いた未来に戻れないことを懸念していた。
だからその変化を見逃さないよう、慎重に慎重を重ねてクロをエルドアールヴとして行動させたのだ。
「しかし」
と、アルトゥールは言う。
「あらゆる確率は大きな流れに収束するものだ。無数に枝分かれしている未来は、あるたったひとつの強烈な事象に向かって行く」
「強烈な、事象じゃと……?」
エーデルの問いに、アルトゥールが頷いて、言った。
何千億も未来を見たアルトゥールだからこそ分かる、大きな流れの終着点。
「――それが、人類の絶滅だ」
確実に至る、その未来。
強烈なまでに引き寄せる、絶対不可避の結末。
大きすぎるその流れは、あらゆる未来をそこへ収束させる。
「何千億もの未来を見た。その全ての未来が、この人類絶滅という未来に結実する」
「…………」
アルトゥールの言葉は真に迫り過ぎていて、エーテルやシャルラッハ達は、言葉を遮ることすら出来なかった。
「絶滅への鍵が生まれ、終末の絶叫が響き渡り、やがて冬が世界を覆う。
そして魔境より鬼が来て、このレリティアの全てを破壊し、人類は絶滅する。『予知の詩編』の未来視は、そのたったひとつの可能性に収束してしまうのだ」
それがアルトゥールが見た、未来。
いくつもの枝分かれする未来が、必ず辿り着いてしまう、人類絶滅の未来。
「人類絶滅への鍵の名は――『デミウルゴス』」
アルトゥールは話さない。
それが、現マザーが生み出した唯一の魔物であることを。
それが、どれほどの怖ろしい能力を秘めているのかを。
それを彼女達に話す意味は無いからだ。
「次の終末の絶叫は、今より1ヶ月後。もはや猶予は無い」
「まさか……あなたは、その未来を変えようと?」
エリクシアが聞く。
人類絶滅の未来を見たなら、きっと彼もそう思うのだと、希望を持って。
けれど、目の前の男は、尋常の者じゃない。
「いや、それこそまさか、だ。悪魔よ。私はね、悔しいのだ」
「……悔しい?」
「そう。我々がどう頑張ろうが、『鬼』には勝てない。例えエルドアールヴだろうが、レリティア十三英雄だろうが、あのバケモノには敵わない。それが悔しいのだ」
何を言っているのか分からない。
エリクシアはただただ戸惑った。
「人類絶滅の未来は変わらない。だからこそ、私は一矢報いたいのだ。我々英雄だけではどうにもならない。例えレリティアの全戦士が立ち上がっても敵わない。足りないのだ、戦力がッ!」
アルトゥールは言う。
自分の真の目的を。
「あの鬼と闘うには、人類全ての力が必要だ。だから私は全人類を殺し、リビングデッドの兵として、全人類の力を結集し、あの鬼に闘いを挑むのだッ!」
「な……」
この男の戦名は、殺戮の軍神。
兵を率いて闘う軍神だ。
男も女も、子供も老人も。
今生きている者達も、既に死んでしまった者達も。
全人類。
ありとあらゆる人間を兵として、人類最大規模の大戦争を。
「それでも、あの鬼には敵わない。だが、確実に、一矢報いられるッ!」
アルトゥールは、持っているその『予知の詩編』をぐしゃりと握り潰す。
怒りのままに。
「全人類の力を合わせて、闘おうではないか。それが、人間として生まれた我々の義務だ。たとえ絶滅したとしても、人間としての威厳を見せるのだッ!」
エリクシア。
シャルラッハ。
エーデル。
アヴリル。
絶句しているそれぞれを眺め、アルトゥールは言い放つ。
「私の邪魔をするものは、許さない。私を邪魔するその未来の可能性を、私は見た」
言いながら、アルトゥールは別の方向を見た。
まるでその未来を知っているかのように。
そこには、
火山のカルデラの先には、猛烈な速さで迫って来る、英雄がいた。
「だが今ここで、お前を倒せば我が望みは叶う。その未来も、私は見たッ!」
ズズズズズッと黒い霧のエーテルを滾らせて、アルトゥールが戦闘体勢に入った。
同じように、この場にやって来た英雄も、黒い霧のようなエーテルを迸らせている。
「決着をつけようッ!! 鬼に蹂躙されて絶滅する未来か、人類の意地を見せて鬼に一矢報いて絶滅する未来かッ、ふたつにひとつッ!!」
アルトゥールの周囲に、黒い霧が放たれる。
そこから、次々とリビングデッドが現れる。
「今ここでお前を倒すことこそ、私が願う未来を切り開く最後の一手だッ!
行くぞ、エルドアールヴッ!!」
黒い外套に、仮面をつけたその戦士。
斧槍と大戦斧を携えて、不死の力を持つ――大英雄。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
しかし、絶大な殺意の咆吼を放つだけの彼に、もはや言葉は通じない。
そこにいるのは――不死の怪物だった。




