49 幾千億の絶望を越えて、たったひとつの絶望を掴み取る
ボルゼニカ大火山の火口まで近づくと、凄まじい熱気が渦を巻いていた。
硫黄の独特な匂いが漂っている。
それは毒性の火山ガスで、人体への悪影響が強い。
シャルラッハ達4人は、敵に気づかれない程度のエーテルを身に纏い、防御しながら登山した。
ボルゼニカ大火山の火口は、火山活動で出来た窪地になっている。このカルデラはとてつもなく広く、周辺は大小様々な岩だらけの地形になっている。
カルデラに立つと、無数の岩壁せいで見通しが極端に悪くなる。
これはシャルラッハ達にとっては幸運だった。
岩壁に張り付いて身を隠しながら、カルデラにいた英雄アルトゥールの動向を窺っていた。
「ヘッヘッ、ハッハッハッ……あ、暑い……」
アヴリルは火や熱に弱い獣人だ。
カルデラのあまりの暑さに、イヌがよくやるパンティングという、舌を出して速く浅い呼吸法をして体温調整をしている。
「だ、大丈夫ですか? アヴリルさん」
そのあまりの様子に、エリクシアが声をかける。
「な、何とか……ハッハッハッハッ……」
言うワリには、お風呂上がりにのぼせ上がったような顔をしている。
これは、ちょっと危ないかもしれない。
最悪の場合、氷の魔法で冷やしてあげるのもアリかな、とエリクシアは思った。
「……あやつはあそこで何をしているのじゃ?」
エーデルが誰に言うともなく聞いた。
英雄アルトゥールのことである。
敵である彼は、数人のリビングデッドを引き連れて、ボルゼニカ大火山の火口までやってきた。
そして、この広い岩場の中心。
そこには真の火口とも呼ぶべき巨大な穴が広がっており、中からは溶岩の熱気が吹き荒れている。
溶岩の煮えたぎるギリギリの火口の縁で、アルトゥールはただ佇んでいた。
何かを待っているような雰囲気だ。
「まぁ……大方予想はつくけど」
冷静な面持ちでシャルラッハが言う。
その額からは、火山の熱の影響で汗がゆっくりと流れている。
「なんじゃなんじゃ? そなたは分かっておるのか?」
エーデルがシャルラッハの言葉に食いつく。
声は小さく、動きも小さくしつつしていたそんな矢先だった。
「小娘共。そんなところに隠れていないで、姿を見せて出てきたらどうだ?」
「――――ッ!?」
突然、アルトゥールがこちらを向いて、そんなことを言ってきた。
「ちょうどヒマなのだ。少し話相手にでもなってくれないか?」
「…………ッ」
バレている。
もう、隠れているのはムダになった。
シャルラッハは言葉の意図を正確にくみ取って、自分達の今の状況を理解した。
一体いつからだ?
何をミスった?
皆が纏うエーテルが強すぎたか?
感覚的に、この距離なら気づかれることは無いはずだが。
少しナメていたようだ。
さすがは英雄といったところか。
「あら、アルトゥール大公。こんなところで奇遇ですわね」
ちょっとお庭で会ったかのような挨拶で岩壁から出ていくシャルラッハ。
いつでも『雷光』で襲い掛かる準備は出来ている。
「止めておけ、アレクサンダーの娘よ。アレクサンダーの『雷光』ならいざ知らず、お前の『雷光』では私は殺せまい。ヤツとお前では、そもそもの『雷光』の質が違う、使い方が違う。この場でお前の【速度重視】の『雷光』を使えば、火口に落ちてしまうぞ?」
「…………ッ!?」
見透かされた!?
自分の能力までバレている!?
シャルラッハは、そんな心の動揺を抑えることに必死だった。
「そうなれば、そこの人狼がお前を助けに無茶をしてしまうぞ? 自慢の毛並も、火山の熱で縮れてしまっては台無しだ。いくら医術の心得を持っているとしても、エルフの国王でも火傷を治すのは苦労だろう。この私と闘いながらだと、その悪魔の『氷の魔法』で冷やすのが精々ではないか」
「…………ッ」
まるで見てきたかのように言うアルトゥール。
おかしい。
なんだこの男。
自分だけじゃなく、アヴリルやエーデル、そしてエリクシアまで。
これまでの闘い全ての情報を取ってきていたとでも言うのだろうか?
「ふっ、仮に闘うのなら、お前等の相手はコイツ等で十分だ」
アルトゥールが笑って、指で合図した。
すると、彼の傍にいた10人ほどのリビングデッドがシャルラッハ達の方へ歩み寄っていく。
「……ッ」
シャルラッハとアヴリルは、後衛ふたりを守るような立ち位置を取った。
既に臨戦態勢は整っている。
相手は英雄だが、そんなものは関係ない。
もはやアレは敵だと認識している。
「シャルラッハさま、アレは……」
「ええ。クラウゼヴィッツ騎士団の団員ね」
アヴリルとシャルラッハは、ひと言ふた言で確認し合う。
王都で見たコトがある。
兜を被っている者もいて、顔などはさすがに分からないが、あの装備は間違いなくグラデア王国・南の騎士団の戦闘服だ。
「自分の団員まで、リビングデッドにするなんて……信じられないッ」
わなわなと憤る。
これが蘇生者だ。
英雄である団長が、仲間であるはずの団員を蘇生して死者の兵にする。
死んでも闘わせる非道の詩編。
それを当たり前のように使っているアルトゥールという人間に対して、シャルラッハは憤激する。
「……あなたの目的は何? リビングデッドを増やして何がしたいの? グラデア王国に宣戦布告までして、あなたは一体何がしたいの!?」
この男が理解出来ない。
なぜ英雄とまで謳われたアルトゥール・クラウゼヴィッツが、王国に敵対行為を取るのか。
「兵を増やさなければならないのだよ」
ヒマ潰しに話がしたい、と言ったことは嘘ではないようで、アルトゥールはシャルラッハの疑問に答えていった。
「このグラデア王国の人間全てを殺すには、兵がもっと必要だからな」
「……な、何のために!?」
「兵を増やさなければならないからな」
「…………ッ」
埒が明かない。
グラデア王国の人間を全滅させる、そのために兵がいる。それをする理由が、兵を増やすためだという。
意味不明な言葉だが、ネクロマンサーという特異な存在だからこそ、それが意味を為す。
人を殺せば殺すほど、自分の兵力が増えていくからだ。
では、なぜそこまで兵の増強にこだわるのか。
「このレリティアの人間全てを――人類全ての人間を殺すには、兵が必要なのだよ。今のままではまったく足りない」
「……狂ったか? アルトゥール大公よ」
さすがのエーデルもこれには呆れた顔をしている。
エーデルはこれでも人を導く国の主だ。
だからこそ、アルトゥールの目的としているところが分からない。
「狂う、か。そうだな。そうかもしれない」
アルトゥールが自嘲するように笑った。
「幾千億の絶望を越えて、納得出来るたったひとつの絶望を掴み取る――たしかに、正気も触れるだろうさ」
アルトゥールは胸元に手を入れて、そしてその中にしまい込んでいたものを取り出した。
「そ、それは……ッ」
今度はエリクシアが声を出した。
その、存在するだけで不吉な色を滲ませる1枚の紙。
不気味極まりない雰囲気を放っている、それ。
「『グリモア詩編』……ッ!」
『悪魔の写本』から、ジズによって引き千切られた12枚の詩編。
1枚は既に返却されている。
デルトリア伯が持っていた詩編だ。
残るグリモア詩編は11枚。
そのひとつが、そこにあった。
「それが、『蘇生の詩編』ですのね?」
シャルラッハが言ったその言葉に、アルトゥールが首を振った。
「いや、違う」
「……ッ!?」
何を言っている?
と、シャルラッハが言いかけた次の瞬間、彼は言った。
「これは私が持つ、もうひとつの『グリモア詩編』――」
ひらひら、と詩編の紙を見せつける。
「――未来視を可能とする、『予知の詩編』だ」
 




