46 不死の怪物
「ハァ……ハァ……」
エルドアールヴの仮面の中で、荒く息をつく。
もうどれぐらいの時間を闘い続けてきただろう。
かつて死んでいった仲間の英雄達を倒し続けた。
そして、目の前に佇む彼が、最後のひとりだ。
「……グルルルル……ッ」
大群のリビングデッドも、彼以外にもういない。
英雄との闘いの中で、巻き込まれて灰となっていったのだ。
その灰も、雨風に溶かされ飛ばされて消えていった。
まるでそこには何もなかったかのように、虚しく消えた。
「グルォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
獣のように咆えて、最後の英雄が向かって来る。
背は低く、銀髪を短く切り揃えた少年だ。
だが、その幼い容姿とは違い、彼の享年は二十歳だった。
彼はエルフだ。
当然、自分もよく知っている。
ちょうど二千年前。
魔境アトラリアから、このレリティアに魔物が現れだした頃の話。
今のエルフィンロードの場所に拠点を構えて、魔物達の侵攻を凌いでいた頃の、いわばエルドアールヴ最初期の仲間だ。
当時はまだ『英雄』なんて言葉は無く、彼は後にそう呼ばれるようになった。
「……すまない。レックス」
一言。
彼の名を呼び、行動される前に、袈裟斬りにした。
大戦斧は淀みなく、レックスの体を両断する。
「――『螺旋』は使わせない」
『大英雄』レックス・フェルトの固有戦技『螺旋』。
万が一、レックスが生前並の戦技を発動したなら、今のエーテルを消耗し過ぎた自分では耐えきることは不可能だ。
ここで、エーテル切れで力尽きて倒れることだけは絶対に避けなければならない。
「…………」
体を両断されたレックスは、しかし。
足元から崩れることなく、立ち続ける。
「…………ッ」
両手の斧を構える。
こちらも油断はしない。
生前の彼なら、このまま戦闘を続行することもあり得る。
エルドアールヴが次の手を起こすその寸前、
「……『エルフの古き友』」
レックスが微笑み、喋った。
リビングデッドのはずの彼が言葉を発したことで、エルドアールヴはまるで金縛りに遭ったかのように硬直した。
「どうか君の物語の終焉が――幸せな結末でありますように」
それは代々のエルフ達が死に際に、必ず言う言葉だった。
初めてその言葉を使ったのは、『最初の王』ラグルナッシュ・エルフィンロードだった。
彼の想い、彼の願い。
エルドアールヴと共に歩んだことの誇り。
自らは死んでいくのに、不死のエルドアールヴを置いていくことへの惜別。
これから辛く苦しい人生を歩む友への激励。
複雑に過ぎるいくつもの感情。
それらが詰まった、エルドアールヴへのはなむけの言葉だった。
ラグルナッシュの死に際のその言葉を、他のエルフ達が真似て使うようになったのだ。
それを、リビングデッドになってしまったレックスが、言った。
「……ぁ」
エルドアールヴはいつの間にか、その両手の武器を落としてしまっていた。
ぐらぐらする頭の中で、よろよろとレックスに近づいて行く。
倒れそうになっているレックスを抱き止めようと、必死に手を伸ばす。
「…………あぁ……」
しかし、レックスはそれを待つことなく、灰となって崩れて消えていった。
灰はすぐに雨に溶けていく。
思い出も何もかも、掴むことも出来ず、エルドアールヴの手が宙を彷徨った。
「…………ぅ、あ……」
手に当たるのは大粒の雨。
冷たい雨粒の感覚だけが、エルドアールヴの手にあった。
ひとつ、ひとつ。
また、ひとつ。
この手から零れていく。
「ぅ……ぉお……ッ……ッッ」
ここで、百人の英雄と闘った。
ここで、何万人もの死者達と闘った。
その全てを倒し尽くした。
尽くを、薙ぎ倒した。
自分の周りにはもう、誰もいない。
「ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
不死。
その言葉が重く、重く、のし掛かる。
誰も傍にいることは出来ない。
いつか人は死んでいく。
誰も、ずっと傍にいてくれない。
みんな、いつかは死んで、置いていく。
自分だけが、ずっと残っていく。
この冷たくて苦しい世界の中で、たったひとり、自分だけ。
「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!」
絶叫する。
喉が張り裂けるぐらいに、大声で。
近くには誰もいないから、もういいだろう。
遠くに誰かがいたとしても、この大雨がかき消してくれるだろう。
もういやだ。
もう、いやだ。
誰かが死んでいくのは、もういやだ。
ずっとずっと、死者を送るばかりの人生だ。
残されていくのは、もういやだ。
自分は一体、何なんだろう。
エルドアールヴだ。
エルドアールヴ!
エルドアールヴ!!
いつか憧れた、その名前。
あまりにも幻想に過ぎた、その理想。
どんなに手を伸ばしても、届かない。
こんなに、こんなにも頑張っているのに、届かない。
「……ハァ……ハァハァ……」
肩で息をする。
不死の自分に、息をする意味はあるのだろうか。
そんな資格が自分に、あるのだろうか。
分からない。
もう、何も分からない。
「すぅ……ハァ……」
大きく、空気を吸う。
エルドアールヴの仮面の下は、唇を噛み千切った時の血の匂いが籠もっている。
唇が痛い。
胸が痛い。
心が痛い。
吐き気がした。
まだこの体は、痛みというものを訴えている。
これほどに傷ついて、もう傷という傷がないぐらいに傷があるのに、まだ痛みと苦しみを訴え続けている。
なんて情けない。
なんて生き汚い。
二千年も生きておいて、何を訴えているのか。
痛みや苦しみを訴えるのは、真っ当な生者の権利だ。
不死の自分には、そんな権利なんてひとつたりとも無いはずだ。
「……………」
落としていた武器を手に取って、足を前に向ける。
色々な、人として大事な何かを零しながら。
ただひたすらに突き進んでいく。
歩く度。
自分の中の何かが壊れていく音が聞こえた。
まるでガラスが割れていくような、あるいは悲鳴のような、そんな音。
「…………」
そんなものは関係なかった。
どうだってよかった。
自分はただ――エルドアールヴとして、役割を果たさなければならない。
だから、歩みを止めない。
決して、止めるわけにはいかない。
一体、何のために?
「…………」
ふと疑問に思ったそれは、もうエルドアールヴの中に答えは無かった。
もう、分からなくなっていた。
何もかも壊れてしまって、大事な何かを、落としてしまったのだ。
自分が一体、なんという名前の、どこで何をしていた『人間』だったのかも。
エルドアールヴはもう、分からなくなっていた。
それほどに、彼の心はズタズタに壊れていた。
 




