43 エルドアールヴの激進
「ジズ・クロイツバスター……どこまでも、人をバカにして」
闘いが終わり、シャルラッハが怒りを噛み殺しながら言った。
シャルラッハとアヴリルのふたりは、ウルスの街に入っていた。
正確には、ウルスの街だった場所だ。
「全滅……」
アヴリルが言った。
ウルスの街は、すでに生きている住人はいなかった。
ジズは、この街にリビングデッドを放ったと言った。早くしないとみんな殺されてしまうよ、と。
シャルラッハ達が間に合わなかったわけではない。
「……雨で濡れて分かりにくいけど、この返り血の具合からして、昨日の時点で既に……」
死体の山だった。
家や道に、彼らの血が滲んでいた。
老若男女関係無く、文字通りの皆殺し。
つまり、ジズに騙されたのだ。
「……建物についた跡……これは武器でしょうか? さっきの人狼のリビングデッドの仕業だけではないようですね」
「大量の足跡が残っていますわ。これを秘密裏にやったとしたなら、なんて雑。盗賊ですらもっと上手く隠すでしょう」
「……一体、何のためにこんなことを……」
「決まってるでしょう?」
シャルラッハが唇を噛む。
ウルスの街の住民を皆殺しにした理由。
仮に、これがグラデア王国の兵に見つかっても構わない理由。
「――兵力の増強」
「…………ッ」
「アルトゥール大公の詩編は『蘇生の詩編』。死体があればあるほど、殺せば殺すほど蘇らせる者が増えていく。つまり、自分の軍力が上がっていく」
「兵士だけじゃなく……住民までも……ですか」
「……リビングデッドは、生前よりも明らかに力が増えていましたわ」
シャルラッハの言葉にアヴリルが頷く。
それを見て、シャルラッハが続ける。
「戦闘訓練を受けていない民でも、あのタフさと力があれば、十分に脅威ですわ。数がいればなおのこと。アルトゥール大公がグラデア王国に宣戦布告をしたっていうのも、ようやく得心がいきましたわ」
「もう既に、グラデア王国を落とせるほどの兵力を持っている……と」
「でしょうね」
周囲を見回す。
ウルスの街は、王都に近い街だ。
ここまでやってきているということは、まず間違いない。
「……アルトゥール大公が治めている南は、もうほとんどの街や村は……壊滅していると考えた方が良さそうね」
英雄として、グラデア王国の南側を任されているアルトゥール。
最低最悪の事態だ。
「…………どれぐらいの人が犠牲になったのでしょうか」
「詳しい数は分からないけれど、少なくとも、10万人に近いはず」
シャルラッハが遠く、南の方向を見ながら続ける。
「十数年前に、この南の地を平定したのがアルトゥール大公。盗賊や罪人、賞金首や故郷から逃げてきた人達が自然と集まるほど、グラデア王国の南側は混沌として荒れていた。それを総べたのが彼ですわ」
犯罪者の『軍』が出来るほど、それは酷いものだったらしい。
昔から南の地に住んでいた住人にとっては地獄だっただろう。
それを制覇したのが英雄アルトゥールである。
「……『殺戮の軍神』」
アルトゥールの戦名だ。
敵対する者全てを皆殺しにして打ち倒す、彼の暴力性を表した二つ名。
南の地を平定するために、一体どれほどの人間を殺し尽くしてきたのか。
「……もし、その時の死者までも蘇らせているのなら……おそらく、アルトゥール大公のリビングデッドは倍の20万はいるかもしれない」
南の地が平和になったわけではなかった。
アルトゥールが南の地を総べたのは、『蘇生の詩編』で兵力を増やすため。
そしてその兵力で、彼はグラデア王国を潰そうとしている。
「……生き残った人達がいるかもしれない。わたくし達はその人達を助けないといけない」
「……はいッ」
「詩編の能力なら、まずアルトゥール大公を叩かなくてはいけない。術には術士を倒すのがセオリーですから」
真剣な表情で、シャルラッハが言う。
「おそらく、あの王墓の時点でクロ・クロイツァーはそれに気づいた。この南の地で、まだ生き残っている人達のために、早くアルトゥール大公を倒さなくてはいけないことに」
アヴリルが頷く。
「20万のリビングデッドを抜けて、アルトゥール大公を倒す。これが我々の目的ということですね」
「ええ。簡単ではないけれど、やりましょう」
敵はアルトゥールだけじゃない。
ジズ・クロイツバスター。
アレは不確定要素だ。
ジズは予想を上回る異常さを持っている。
マトモな人間なら、アレの行動を予測することは絶対に不可能だ。
何が目的なのか、何を考えているのかまったく分からない。
利益や損失なんて考えていないタイプの異常者。
転生という不死に近い能力を持つからなのか、自己の破滅などまったく厭わない。
アレが動き回っている以上、不吉しか呼ばないだろう。
簡単ではない。
その言葉の重みは、シャルラッハ達の想像を遙かに超えて、クロ・クロイツァーを襲っていた。
◇ ◇ ◇
「――――ッ!!」
斧槍と大戦斧を振り回す。
無言でリビングデッドを薙ぎ倒していく。
エルドアールヴはただただ目の前に群がる敵を倒していく。
王都からここまで公道を走ってきた。
この道はずっと南に行くと、アルトゥールの城に辿り着く。
アルトゥールの城は王都から真南に位置している。
しかし、王都とアルトゥールの城の間には山と深い渓谷、そして広大な樹海が広がっている。
そのため公道は、王都から西側へ大きく迂回してカーブを描きながらアルトゥールの城へ繋がっている。
例えエルドアールヴといえども、真南へ険しい道無き道を行くよりは、迂回してでも公道を通る方が圧倒的に速い。
しかし、その公道にはやはりというか、罠が仕掛けられていた。
リビングデッドの大群である。
その数は、尋常を超えていた。
シャルラッハが予測した20万の約5倍。
100万に匹敵する死人の軍勢だった。
アルトゥールはこれまで自分が殺してきた人々を蘇らせただけではない。
何百年、千年――あるいは二千年に近い歴史の中で命を散らしてきた死者達を、その墓から蘇らせてきた。
結果、目を疑うような光景が現実になった。
「ぐぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
生ける屍達が、掠れた声で咆吼する。
真っ直ぐに進撃してくる伝説の英雄に立ち向かう。
埋め尽くす人垣の山。
公道を溢れて草原にひしめく、蘇りの死者の山。
今、あり得ないほどの軍勢がここに在った。
「――――ふッ」
しかし――敵わない。
それでも、決して敵わない。
リビングデッド達が相対するこの英雄は、あまりにも強すぎる。
エルドアールヴ。
最古の英雄。
人類の誰よりも遙か昔から死闘をくぐり抜けてきた、凡夫の傑物。
その豪腕から繰り出される剛技は、群がる死者を消し飛ばしていく。
異常なタフさを誇るリビングデッドだが、エルドアールヴの一撃の元に灰となって消えていく。
豪雨が強く、強くなっていく。
凄まじい速度でリビングデッドの大群が数を減らしていく。
数の暴力では決して崩れない。
強大に過ぎる個人戦力。
それはもはや、人としての限界を遙かに超えていた。
◆ ◆ ◆
「なんて強さだ……」
公道の先。
小高い丘に建てられた要塞の上で、ひとりの騎士が双眼鏡を覗きながら呟いた。
兜と鎧を着込んでいる、騎士の模範のような姿の男だ。
アルトゥール・クラウゼヴィッツが所有する騎士団。
クラウゼヴィッツ騎士団の副団長オリヴァー・アーネットである。
彼は唯一、騎士団の中で生きている人間だった。
「これが……エルドアールヴか」
オリヴァーは、この100万のリビングデッドを統括している指揮官だった。
アルトゥールから公道を任されている猛者だ。
「強すぎる……アルトゥール団長が警戒するわけだ」
オリヴァーはエルドアールヴの強さをその目で見て、心の底から戦慄していた。
あの強さは尋常じゃない。
中級の魔物と遜色ないレベルのリビングデッド達。
中には上級クラスの力を持つ者さえいる。
なのに、まるで相手にならない。
おそらく、もう既に1万人ほどがやられている。
エルドアールヴが疲れている様子すら見えない。
「やぁやぁ! 頑張ってるかい?」
「…………キサマか」
オリヴァーが聞こえた方に顔を向ける。
空に浮かんでいる異様。
ジズ・クロイツバスターだ。
「遅いぞ、何をしていた。一軍を指揮出来るのはキサマだろう」
「ああ、ああ。ごめんね。ちょっと邪魔者をね、来られないようにしてたんだ。でもよく頑張ったね。やっぱり二軍じゃクロを止めるのは無理だった?」
「…………」
オリヴァーがジズを睨む。
ジズは「ゲハハ」と嗤う。
「怖いなぁ、怒らないでよ。あっ、それで一軍のコ達はどこに?」
「後方にいる。忘れたのか……? キサマが待機させたんだろう」
「ああ、ああ。ホントだ。よかった。さて、これで計画に移れるね」
ジズがその丸い魚眼で見ると、100人ほどのリビングデッド達が棒立ちになって待機していた。
「…………」
オリヴァーは気が気でなかった。
こんな怖ろしい者達を、こんな怖ろしい者が指揮するなんて、と。
後方、つまり要塞のすぐ下で待機している100名のリビングデッド。
彼らこそが、リビングデッド総軍の中でも最も強い、『一軍』である。
その一軍の命令権をアルトゥールから任されたのがジズだ。
それはジズがアルトゥールから完全に信頼されたからではない。
オリヴァーが彼らを統率出来なかったからだ。
なぜならこの一軍は、
「さぁ――『英雄』達。
待たせたね、出番だよ」
これまでに命を散らした、歴代の英雄達である。
この100人のひとりひとりが本物の英雄だ。
絶望の幕が上がる。
死の国から蘇った英雄達が動き出す。
「頑張って、クロを――エルドアールヴを倒すんだ」
ジズはからかうように、嘲るように。
死者の英雄達に命令を下した。




