40 雷光覚醒、暗闇を照らす一条の栄光
「…………」
シャルラッハは足にグッと力を入れた。
雨に濡れて重くなったスカートが少し邪魔だった
細剣を持って、スカートの横をふともものあたりから切り裂いてスリットを入れた。
これで少しは動きやすくなった。
エーテルの流れを確かめる。
今までのエーテルの量と比べたらおそらく5倍ほど違う。
大分この量の流れに慣れてきた。
こちらの動きも、もう大丈夫だ。
「…………」
シャルラッハには明確な弱点があった。
それは彼女が天賦の才を持つ者だからこそ作られてしまったもの。
彼女は子供の頃から結果を先に出してしまい、経過を飛ばしてしまうことが度々あった。
それこそがシャルラッハ・アルグリロットの弱点だった。
今回の場合は、戦技『雷光』である。
エーテル暴走による綻びを、エーデルヴァイン王に直してもらったことで、体に漲るエーテルを巧く扱えなくなっていた。
そのせいで一時的に『雷光』が使えなくなった。
シャルラッハはナルトーガでそうなって以来、事あるごとに『雷光』を取り戻す訓練をしていた。
しかし、現状のとおり『雷光』を発動させることは出来なかった。
なぜなら彼女は『雷光』を知らなかった。
もっと正確に言うと、『雷光』の仕組みを、シャルラッハは知らなかったのだ。
アルグリロットの人間なら普通は初歩で教わるような基本的なこと。
だが、シャルラッハは3歳という幼児の頃に『雷光』を会得してしまった。
既に出来ていることを教わる者はいない。
例えば、まばたきをするという動作を誰かに教わることはない。なぜなら本能でその動きを知っているからだ。そういう風に生物の体は出来ている。シャルラッハにとって、『雷光』とはそういうものだった。当たり前のように出来るものだった。
そして、既に出来ていることを改めて教える者もいない。
例えば、テーブルマナーを完璧にこなす人がいたとして、誰がその人に教えようとするだろうか。
だからこそ、誰も彼女に『雷光』を教えることはなかった。
『雷光』を会得出来ていないアルグリロットの人間はおろか、『雷光』使いの父であるアレクサンダーですら教える機会がなかった。
では『雷光』とは何か、という話になってくる。
クロ・クロイツァーは、ナルトーガでのジズ戦でこう言った。
――その戦技は、シャルリオスが誰かを救うために編み出した想いの結晶。それを子や孫が必死になって守った彼らの誇りそのもの――
クロは『雷光』を想いの結晶と言ったのだ。
そして、ジズが『雷光』をもらうと言ったことに対して答えたのが、
――お前が使っているのは、ただ足にエーテルを溜めて爆発させて移動するだけのものだ――
この否定であり、
――それは『雷光』じゃない――
この断言だった。
クロ・クロイツァーは言った。
『雷光』とは騎士の誇りであると。
では騎士の誇りとは何か。
大騎士の家系であるアルグリロット家が掲げる騎士道とは、すなわち。
『弱者の庇護』
『主君への忠誠』
『戦場での名誉』
この三大規範である。
グラデア王国の国民、ひいてはレリティアの人々を守ること。
グラデア国王とそれに連なる王族の剣となる誓い。
魔物や悪人との戦闘で必ず勝利するという絶対的強さ。
始祖シャルリオス・アルグリロットは勇猛だった。
誰よりも前に出て、誰よりも先に敵と闘う勇ましさ。
それは、背後にいる誰かを傷つけないよう、自分が敵の全てを蹴散らしていくと決めた恐るべき決意。
敵へと誰よりも先に斬り込んでいく魁。
最強の先鋒だった。
彼のその誇りと決意と誓いから生まれたのが、戦技『雷光』だった。
恐れず前に突き進む勇猛さ。
暗闇を進み続ける輝かしき突進力。
自分のためではなく、誰かのために道を切り開く意思。
それこそが、『雷光』なのである。
「――『光あれ、暗闇を照らすは一条の栄光』――」
シャルラッハがエーテルを練り上げる。
分厚い雲が空を覆い、豪雨が地上へと降り注ぎ、黄金の髪が雫を垂らす。
暗い平原、その先に、デルトリア伯という大敵がいる。
シャルラッハはその碧眼で、真っ直ぐに敵を見据える。
自我なく咆えるデルトリア伯は、リビングデッドとなって無様を晒している。
その強さは魔物でいうと特級並。
人でいうなら英雄クラス。
しかし、シャルラッハは全くと言って良いほど、敗北する未来が見えなかった。
一体、自分は誰のために道を切り開くのか。
暗闇を照らすのは、一体誰のためか。
それはもう、シャルラッハは分かっていた。
才気無く、努力しても届かなかった誰か。
汗水を垂らし、手の平から血を流してもなお、素振りをしていた彼を知っている。
周囲の人間達に嗤われて、ひとり影で悔し涙を流していたのも、知っている。
ただひたすらに、届かぬ天にその手を伸ばしていた愚か者。
どうしようもないぐらい、その姿が綺麗だと思った。
こんな人間がいたのかと、衝撃を受けたことを今でも覚えている。
最初は、自分の『雷光』を受け止めた実力者だと思って興味を持った。
しかしあの頃はそれがエルドアールヴとしての彼だとは知らなかったため、彼の弱さが不思議だった。
いつの間にか、姿を見れば目で追うようになっていた。
いつの間にか、自分でもどうしようもないぐらい、気になって仕方がなかった。
そして、彼は知らぬ間に、天に手を届かせていた。
エルドアールヴとなって、自分よりも強くなり、誰よりも強くなった。
驚きよりも先に、「よかった」と思った。
彼の思いが報われて、彼の努力が届いて、嬉しくて堪らなかった。
この三ヶ月間、ずっとずっと彼を見てきた。
でも。
その彼が、クロ・クロイツァーが、今。
まるで子供のように、泣いている。
誰かのための『雷光』なら、彼のためがいい。
他でもない、クロ・クロイツァーのために、自分は駆ける。
エリクシアと初めて出会った時、彼女に問いかけた。
あなたは誰の味方なの?
彼女が答えた。
わたしはクロの味方です、と。
なぜ、自分がそれを嬉しく思い、悪魔である彼女を信用したのか。
今になってようやく理解出来た。
同じだ。
同じなのだ。
自分と、考えと思いが同じだからこそ、信用出来たのだ。
だから、クロ・クロイツァーが己を見失って泣いているなら。
自分がその道を照らしてあげたい。
それはまさしく『雷光』のように。
「戦技『雷光』――」
一歩、前へ。
エーテルを足底から爆発させて、強烈な推進力を得る。
ナルトーガ以来、ここまでは出来ていた。
問題はこの先だった。
次の一歩を繋ぐこと。
ここで、エーテルの量が多すぎて転げていた。
ようやく分かった。
次の一歩。
それこそが『雷光』の神髄なのだ。
最初の一歩をエーテルの力で強く踏み込むなんて、特訓さえしたら誰だって出来る。
でも、次の一歩を繋ぐことは、おそらくアルグリロット家の人間でないと出来ない。
それは例えば、山の頂上から一気に山肌を走り下りるようなもの。
山を飛び降りていくのならクロやジズにだって出来るだろう。しかし、駆け下りるのは不可能だ。
高速で地面に足をつけて走り続けるなんて芸当は、普通はまず不可能なのだ。
速度がつけば体が浮いてしまう、あるいは跳び上がってしまう。なぜなら、人が走る時は、地面を上から踏みつけて進むからだ。
しかし、アルグリロットの人間は違う。
高速で走っても体はそのまま地面と水平に進んでいくことが出来る。
これを可能にしているのが、異常なまでの足首の柔らかさ。そして、足の筋肉のしなやかさだ。
根本的に、体の作りが違うのだ。
いわばこれをするためだけに、アルグリロット家の人間は進化してきたのだ。
始祖シャルリオスに近づくために、肉体ごと、少しずつ。
そして、
脈々と続いてきたアルグリロットの悲願はここに――――ついに始祖に届く。
シャルラッハは更に一歩、前へ繋ぐ。
これこそが『雷光』の『雷光』たる所以。
速度の継続こそが『雷光』の神髄である。
しかし、信じられないことが起こる。
仮に、この光景をアルグリロットの人間が見たら驚愕したことだろう。
シャルリオスの再来だと歓喜に震えただろう。
加速した。
シャルラッハの『雷光』が更に、爆発的に速くなる。
次に繋いだその一歩。
シャルラッハはそこに、『加速』という要素を加えた。
恐るべき才覚。
凄まじき覚悟。
『雷光』の速度を超えて、更に速く。
極限まで集中した状態で、雷の如き速度でも敵の姿から目を離さない。
尋常ならざる動体視力は降り落ちる雨粒さえも止まって見えた。
何よりも速く。
誰よりも速く。
もっと。
もっと速く。
光を照らしたい相手が、クロ・クロイツァーがあまりにも先に行っているから。
こんなものじゃ足りない。
こんな程度じゃ追いつけない。
更に、もう一歩。
三歩目の『雷光』は、誰も辿り着けない領域に足を踏み出した。
もはや影さえ見えず、その速さはまさしく雷の如く。
シャルラッハは神速の域に辿り着く。
「――――『閃光疾駆』!!」
振るう細剣の軌道は、そのあまりの速さからの摩擦で光を放つ。
宙空を切り裂く光の軌跡。
それはまさしく雷光の如く暗闇を照らす。
一瞬よりも更に速い、極限の速さの中で、デルトリア伯とすれ違う。
もはや斬った感覚など無かった。
彼女が斬るのは空間だ。
相手にただ真っ直ぐ突撃し、そのまま力任せ、速さ任せに切り払うのみ。
彼女が通ったその軌跡、光り輝いた剣の軌道はやがて、焔と化して対象を焼き尽くす。
それはまさしく雷火の如く。
雷が神の怒りならば、この焔は断罪の一閃。
戦技『斬空』とはまた違った、『斬鉄』ともまた違う。
『雷光』派生の――神業。
一連のこれらこそは、シャルラッハ・アルグリロットの『固有戦技』。
それは父であるアレクサンダーとはまったく違う系譜の固有戦技。
当然、英雄アレクサンダーもまた、『雷光』派生の固有戦技を持っている。
しかし、同じ『雷光』であるが、質が違う。
方向性がまったく違う。
一歩踏み込めば踏み込むほど速くなる。
これは明らかに、クロ・クロイツァーを意識している『固有戦技』。
同じ攻撃すればするほど強くなる、それが固有戦技『薪割』だ。
これは間違いなく、彼に影響を受けたうえでのものである。
シャルラッハ自身はそれにまったく気づいていない。
無意識の発露だ。
表面に出てこない、心の奥底からの願望。
クロ・クロイツァーと共に。
彼の暗闇を照らす光になって、ずっとずっと彼と共にいたい。
シャルラッハの無意識下の想いは強く、結果、戦技にまで昇華した。
畏るべきは乙女の心。
花も恥じらう純な想いは、彼女をどこまでも果てしなく高みへ押し上げていく。
「…………」
燃え上がる焔の軌跡。
その中で焼き尽くされるデルトリア伯を、シャルラッハは見ていた。
可哀想な人だと思った。
誰にも愛されず、実の父にすら利用されて、ただただ自分の傲慢さに焼かれた愚かで憐れな人間だった。
彼のしてきた悪行からしたら、憐れむというのは違うのかもしれない。
実際、エリクシアの義母、そしてガラハドの妻をその手で殺している。
同じくドワーフの里にいたドワーフ達も、それ以外にも、もっと多くの人間を殺した大悪人。
「もう、天運も尽きましたわね」
そうシャルラッハが呟いた時だった。
炎の中でゆらりと立ち上がる影が見えたのは。
「…………強く、なったねシャルラッハ嬢」
立ち上がり、
デルトリア伯がゆっくりと、炎の中から出て来た。
「……そう、自我を取り戻したの」
「ああ……ふふ、まいったね。こんな状態になって意識が戻るなんて……熱くて、痛くて、苦しくて……辛いよ……」
「そう」
「……ボクは、死ぬのかい?」
体に火がついている。
さっきまで、神経がむき出しで痛みに咆えていた時の様子が嘘のように、静かな口調だった。
「あなたはもう、死んでいますわ」
「…………」
「グリモア詩編のせいで、蘇ったにすぎない」
「……ボクを助けてよ、シャルラッハ嬢……」
縋るように言って来るデルトリア伯。
しかしシャルラッハは、
「受け入れなさい。甘えないで」
冷たく言い放つ。
「今まで、助けを求めて来た相手を殺してきたのでしょう? 何の罪もない人達を、殺しながら嗤っていたのでしょう?」
「…………」
「それはあなたに与えた、わたくしからの罰ですわ。死出の旅への餞別ですわ、取っておきなさい」
「……そうか、ボクは……本当に、死んだんだね」
悲しげに、デルトリア伯が言った。
ずしゃ、と音を立てて、ヒザをついた。
「まいったなぁ……後悔しかない」
「…………」
「ボクは……何のために、生まれてきたんだろう」
それを聞いて、シャルラッハは無性にイラついた。
何て勝手な言い分だろう。
多くの人を殺しておいて、自分が死んでしまうと分かった時に、後悔なんてしてももう遅い。
「……もう喋らないで」
「…………」
雨音が激しい。
デルトリア伯を燃やしている炎も、そのうち消えていくだろう。
彼の体はもう、灰になって崩れようとしていた。
リビングデッド特有の死に方だ。
もう死んでいるのに、死ぬというのは少し違うかもしれないが。
「ひとつだけ……」
「……?」
「ひとつだけ、礼を言っておきますわ」
「礼……?」
「……わたくしよりも才能のあるあなたがいたからこそ、わたくしは傲慢を捨てられた」
昔の話だ。
子供の頃、このデルトリア伯を見たからこそ、自分の醜さを知った。
そして傲慢を捨てたその代わりに、強欲になった。
もっと強く、強くなりたい。
英雄と呼ばれ、父と肩を並べられるようになりたい。
やがては――父を超えたい。
そう思うようになった。
「…………」
「そこだけは、礼を言っておきますわ」
「……反面教師ってやつかい?」
「自惚れないで、そこまでじゃないわ」
そう言ったら、デルトリア伯が寂しそうに微笑んだ。
もう顔の表情すら見えないぐらい酷い有様だったけれど、何となく分かった。
「……最後に、いいかい?」
「……何?」
「ボクと結婚してくれないか。君しかいない。ボクのことを分かってくれるのは、君しか、いないんだ」
演技がかった芝居口調で、そんなことを言ってきた。
「前にも言ったとおり、お断りします」
シャルラッハは即答した。
考えるまでもない。
「そっか……」
「…………」
こうやって振るのは何度目だろうか。
色々な人に結婚を申し込まれた。
貴族、大商人、果てには王族まで。
どうでもいいから全部断ってきた。
13歳の小娘に、彼らは一体何を求めているというのか。
「残念だけど、しょうがない」
「……」
「行きなよ。あっちが気になるんだろう? 体も崩れてきた。ボクはもう、ここまでだ」
言われたとおり、アヴリルが気になる。
彼女にしてはちょっと遅すぎる。
それに、デルトリア伯はもう何も出来ないだろう。
足が崩れて、ヒザだけで体を支えている状態だ。
腕も崩れてしまっていて、顔も半分ぐらいになっている。
ならばもう、この場に留まる必要はない。
「……さようなら、フリードリヒ・クラウゼヴィッツ。
どうかあなたの眠りが、安らかなものでありますように」
スカートの端をつまんで、カーテシ―と呼ばれる貴族式の礼をした。
この男は嫌いだ、心の底から。
でも、彼は死者だ。
死者の尊厳は生きている者が守ってあげなくてはならない。
死者には安らかな眠りを。
どうか二度と、迷わないように。
「……ありがとう、君は優しいね……」
「…………」
シャルラッハは顔を上げて、くるりと身を翻し、
「さようなら」
もう一度、最期の言葉を呟いて、
アヴリルが向かった方向へ走り去った。
ほんの少しだけ。
後ろ髪を引かれるような想いだったが、次の一歩を進めた時にはもう、
彼女は前だけを見つめていた。
◇ ◇ ◇
ひとり、置き去りにされた格好になったデルトリア伯は、大きな岩に体を預けて座り込んだ。
「酷い雨だ……」
ザァザァと降り続ける。
冷たい雨が、熱い体を冷やしてくれていた。
しかし同時に、灰となっていく体の浸食が激しくなっていた。
「……蘇って、あいつらへの憎悪じゃなく……君を求めていたのは、そういうことか」
自分を直接殺したクロ・クロイツァー。
そして自分の死因を作った元凶だった宮廷道化ジズ。
彼らへの憎悪よりももっと、強い感情が自分にはあったらしい。
リビングデッドにされて、自我をなくされて、それでもなお残っていた感情。
「気づかなかった……まさか死んでから、そして蘇ってようやく、自分の本当の気持ちに気づくなんてね……」
シャルラッハ・アルグリロットへの、感情。
彼女だけを求めていた。
彼女の姿だけを、見ていたかった。
彼女の声だけを、聞いていたかった。
「ボク、君のことが……本当に好きだったみたいだ…………」
6年前のあの時から。
彼女と初めて会ったその時から、多分ずっと心奪われたままだったらしい。
自分と同じものを感じた。
自分だけが彼女を分かってあげられる。
彼女だけが自分を分かってくれる。
そう思っていた。
でも違った。
次に会った時、彼女は変わっていた。
前よりも魅力的になっていた。
でも、彼女を好きだと素直に思えなかった。
自分が置いていかれたような気がしたから。
悔しかった。
彼女が走り去ったその先を見ても、もうその姿を見ることは出来ない。
もう追いつけない。
彼女は速すぎて、そして神々しすぎた。
近づいたら身を焼かれてしまう。
でも、それでも構わないと思えるほどに、『暁の金翼』は魅力的だった。
「ボクの人生は、後悔ばっかりだったな……」
気がつけば、もう顔の半分しか無かった。
その半分の眼から、一筋、涙が流れた。
「……シャルラッハ嬢。
どうか君の行く末が、輝かしいものでありますように」
その言葉を最期にして。
デルトリア伯という存在は、灰となって雨に溶けていった。




