39 『神童』シャルラッハ・アルグリロット
生まれたその瞬間から、うっすらと眼は見えて、微かに耳も聞こえていた。
自意識というものも確かにあった。
自分を抱きしめてくれるその所作が、話しかけてくれるその声が、とても優しくて安心したのを今も覚えている。
自分の一挙手一投足を喜んでくれて、何をしても嬉しそうにする両親。
子供ながらに、この人達をもっと喜ばせてあげたいと思った。
何をするにしても簡単だった。
立つこと、歩くこと、座ること。
ほんの僅かなお喋りも。
生まれて初めて話した言葉も覚えている。
「マンマ」
今思い出すと、笑えてくるほど拙い言葉だった。
でも、母はとても嬉しそうに喜んだ。
「聞いた? この子ったら、もう喋ったわ!」
「わ、私は!? ほら、パパって言ってごらん」
一番に呼ばれなくて、父は少し悔しそうだった。
でもすぐに自分が「パッパ」と呼ぶと、花が咲いたように喜んだ。
やがて名付けられたのが――シャルラッハという名前。
生まれてすぐのエーテル量が、騎士団員の平均以上だった。
そのことから、同じような逸話を持つ『始祖』シャルリオス・アルグリロットの名から取られた。
あの大英雄エルドアールヴと共に闘った、伝説の大騎士シャルリオス。
子供の頃――というより、幼児の頃は昔のスゴい人ぐらいにしか思っていなかったが、彼の伝説を学べば学ぶほど、名を分けてもらえたということが光栄だと思い始めた。
父や母、あるいはアルグリロット家やそれに連なる人々からの期待を一身に背負い、そして、その期待以上の成長を見せた。
一番驚かれたのが、3歳の時に戦技『雷光』を使った時だった。
父アレクサンダーの『雷光』を見て、その技がとても綺麗だと思って、自分も試してみたら上手くいった。
気がつけば、『天才』あるいは『神童』と呼ばれるようになっていた。
◇ ◇ ◇
思ったとおり、デルトリア伯のリビングデッドはこちらに意識を集中している。
今の彼に、意識というものがあるのかどうかは不明だが。
おかげでアヴリルをウルスの街に向かわせることが出来た。
先ずもって人命優先だ。
騎士の家系として生まれた以上、王国の民を守るのが至上命題。
「ハァァァァァ……ハァ……」
デルトリア伯は大きく、苦しそうに息をしている。
その虚ろな目は、しかし確かに何らかの執着を自分に見せている。
「…………」
その姿はもはや生前の面影が無い。
怪物と言って差し支えない風貌。
目を背けたくほどの姿だ。
しかし、かつてのそのエーテルは健在だ。
邪悪なそれは、今もデルトリア伯の体から溢れ出している。
蘇生のグリモア詩編。
その力とデルトリア伯のエーテルが混ざり合い、真っ黒なエーテルとなって、皮の無い肉だけの体の表面を覆っている。
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
突如、弾けるようにデルトリア伯が動いた。
腕を大振りにして、こちらを叩き潰そうと攻撃してきた。
「……ッ」
速い。
エーテルの技術を利用した移動術ではなく、ただの踏み込みによる突撃だ。
かつてのデルトリア伯では想像も出来ない乱暴な移動。
「く……ッ」
すんでの所で攻撃を避ける。
デルトリア伯は構わず地面にその腕を叩きつけた。
地面に接した瞬間、その威力を目の当たりにする。
「……ただの叩きつけが、なんて威力……ッ」
地面が陥没する。
大地が音を立ててヒビ割れる。
雨水と破砕した土が、爆裂して飛散した。
これではまるで爆発だ。
「グォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
獣のように、デルトリア伯が咆えた。
筋力がおかしいことになっている。
一発でも直撃すれば重傷は確実だ。
見ると、攻撃したデルトリア伯の方がダメージを負っている。
腕からは血飛沫が弾け、その筋組織からは引き千切れるような不快な音が鳴っている。
自傷を伴う捨て身の攻撃。
自滅を厭わないそれは、まさしく死者の行進だ。
「……可哀想な人」
細剣を構えて、次の攻撃に備える。
今の自分は『雷光』が使えない。
自分の戦闘スタイルはすべて『雷光』が起点となっている。
戦技はおろか、戦闘の立ち回りすべてが『雷光』依存なのだ。
つまり、今は決定的な攻撃手段が無い。
今のデルトリア伯の強さは魔物で言うところの『特級』だ。
ジズが言ったとおり、生前よりも遙かに強化されている。
最悪なことに、彼の強みでもあった『才能』も健在だ。
一撃を入れたその腕のエーテルが増大しているのがその証拠。
死んで蘇った今もなお、怖ろしい速度で『成長』しているのだ。
時間をかければかけるほど、デルトリア伯は凄まじい速度で強くなる。
勝つ見込みは無い。
倒す手段が無い。
たとえ万全であっても、今のデルトリア伯には敵わない。
「……本当に、可哀想な人」
だが、逃げる選択肢などシャルラッハには無い。
目の前の憐れで悲しい愚か者から、目を離すなんて出来やしない。
なぜなら今の彼の姿は、もしかしたら自分が歩んでいたはずの未来なのかもしれないのだから。
◇ ◇ ◇
『神童』シャルラッハ・アルグリロットは傲慢だった。
溢れるほどの才を持ち、絶対的な自信があった。
アルグリロット一族は皆、躍起になっていた。
我こそが『雷光』を使い、アレクサンダーの次に続くのだ、と。
次期当主になるため、必死に努力を続けていた。
それを後ろから、まさしく雷光の如く抜き去っていったのがシャルラッハだった。
あまりあるほどの天賦の才。
たった3歳にして『雷光』を会得してしまった神童。
その他すべての者の努力を一瞬にして無にした天才。
それを目の当たりにしたアルグリロットの一族は、一体どれほど悔しかっただろう。
シャルラッハは彼らのことを、何とも思っていなかった。
興味が無かった。
母からそれとなく忠告を受けてはいたが、聞き流していた。
嫉妬の目を向けられようが、どうでもよかった。
眼中になかったのだ。
努力してそれでも報われない人々の、絶望に。
強い父の背中にしか興味が無かった。
いつかあの高みに昇るのだろうと、漠然とした自負があった。
努力すらしなかった。
努力なんてしなくても、この才能だけでやっていけると思っていた。
父アレクサンダーは何も言わなかった。
幼いシャルラッハに、今は何も言う必要は無いと考えていたのか。
それとも、いつか必ず来る挫折を待っていたのかは分からない。
生まれて初めての挫折はすぐに来た。
シャルラッハが7歳になった頃だった。
貴族の社交場に顔を出した時にいた、フリードリヒ・クラウゼヴィッツとの出会いだ。
まだ16の少年だった彼を見て、悟った。
ひと目見て、打ちのめされた。
圧倒的な才能の差。
才能というものは測れるようなものではないが、なまじ神童と呼ばれるほど才に恵まれたシャルラッハには分かってしまった。
『神に愛され過ぎた』男の才能の底知れ無さを。
そして、その内に秘めた心の醜さを。
まるで鏡を見ているかのようだった。
これまでの自分の行いの汚らしさ。
努力をどうでもよいと断じた自分の浅はかさ。
母の苦言を聞き流していた自分の愚かさ。
悔しさに涙しつつ自分を見ていたアルグリロット分家の人々を思い出して、自分の行いと心の有り様を恥じた。
それから、シャルラッハは変わっていった。
すぐ後に、アヴリルという曰くつきの少女と出会ったのも原因のひとつだった。
心寄り添える年上の妹と過ごしていく内に、幾分か心が柔らかくなった。
努力することの大切さを知り、他者を労る心を得た。
自分よりも才ある者の存在を知り、自分の傲慢を理解した。
そうして、人としても戦士としても、大きく成長することになった。
シャルラッハは天才でありながら、止まらない努力を続ける秀才に成長していった。
――そして現在。
己の過去を見つめ直し、もしかしたら歩むかもしれなかった自分の未来と対峙して。
「デルトリア伯、あなたはどうしようもない悪人でした。くだらない目的のために罪も無い人々を殺し、悦楽のために才能殺しをして嗤っていた。誰もがあなたを糾弾するでしょう。誰もがあなたの死を喜んだでしょう」
『雷光』という自身の集大成を使えなくなって、
それでもなお強大な敵に向き合う心の強さは、
「でも、わたくしは、あえてあなたに同情しましょう。あなたは本当に可哀想な人。きっと、育った環境が悪かったのでしょう。わたくしには尊い出会いがあった、あなたには無かった。ほんの些細な違い。されど大きな違い。わたくしとあなたの違いは、ただそれだけ」
内に秘めたる力を呼び起こし、
その本当の実力を、解き放たんとしていた。
「かつて同じ傲慢を持った者として、あなたを断罪します」
暗闇を照らし、道を示す雷の光。
本物の『雷光』が――――覚醒する刻がきた。




