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エリクシアオブライフ ~不死の災いと悪魔の写本~  作者: ゆきわ
第二章『巨悪鳴動』編

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32 シャルラッハの容態




「……キャッ!?」


 シャルラッハの極々小さな悲鳴が、夕方の平野に微かに広がった。

 今はナルトーガから王都への旅路の途中。

 草花が茂る平野の中を貫く馬車道から少し外れ、小川の傍で野営をしていた時のことだった。


「どうした!?」


 焚き火の準備をしていたクロが、シャルラッハの小さな悲鳴を聞きつける。

 彼女はジズとの闘いの際に瀕死の重傷を負った。

 そのケガはエーデルが治療したが、完治には至らなかった。

 そのため3日ほどナルトーガで療養していた。


 現在は、馬車での移動に耐えられるほどに回復していた。

 とは言うものの、ケガ人だ。

 何かあったのではないかと心配しながら、クロは彼女の元まですぐに走った。

 見ると、シャルラッハが野花の中で尻もちをついていた。


「――――――――」


 クロは一瞬、目を奪われた。

 水のせせらぎの音が小さく絶え間なく続く中、夕陽に彩られた黄金の髪が風に揺らいでいる。

 真白い肌を覆う漆黒の外套は花にまみれ、宴の席で着る華やかなドレスのようになっている。

 ふわりと舞う花びらが、彼女の周囲で煌めいていた。


「……ケガはない?」


 見惚れそうな光景だったが、まばたきをして意識を持ち直す。

 惚けている場合ではない。

 一見して理解した。

 シャルラッハは転げたのだ。

 しかも勢い良く。

 花が舞っているのがその証拠だ。


「え、ええ……平気、ですわ……」


 その小さな背を、手で支える。

 シャルラッハは自分が転げたことに驚いている様子だ。

 信じられない、といった表情をしている。


 走るのはまだ出来ないが、歩くことは出来るというのが今のシャルラッハの状態だった。

 体が鈍るのは戦士にとって致命的である。

 リハビリと称して、馬車の休憩中や野営時にはこうしてシャルラッハは周囲を歩いていた。

 彼女の回復力は尋常ではない。

 このまま王都までの旅をしている間に完治するという見込みだった。


「どうかしましたか!?」


 遠くに行っていたアヴリルが凄まじい速さで走ってきた。

 彼女の顔や体には、血がべったりとついている。

 魔物の血だ。

 ここで一泊するため、付近にいる魔物の退治をしていたのだ。

 油断や慢心は死に直結する。

 この辺りの魔物は弱いが、それでも何があるか分からないのが旅なのである。

 用意周到にしておくのは旅路の鉄則だ。


「…………」


 アヴリルが近くに来ても、シャルラッハは自らの体を確かめていた。

 手と指の動きを確かめ、地面に投げ出している足の動きを眺めている。

 どうやら足の動きに違和感を覚えているようだ。

 しばらくして、ハッと何かに気づく。


「エーデルヴァイン! ちょっと来なさい!」


 思い当たる節があったようだ。

 憤激極まるその怒鳴り声で、遠くの木に止まっていた鳥が逃げるように羽ばたいた。




 ◇ ◇ ◇




「ひぐ……えっぐ……ぐすぐす……」


 夜闇の中、焚き火の近くでエーデルは正座させられていた。


「だいたいの事情は分かりました」


 シャルラッハの今の状態を説明すると、足のエーテルの流れがおかしいとのことだった。

 想定以上のエーテルが流れてしまって調整できないらしい。

 そのため、先ほどのようにエーテルを足に流しながら歩くとバランスが取れなくなり、転げてしまう。

 これは、たとえば階段を降りていて、あと一段あると勘違いしてそのつもりで降りるとバランスを崩して驚く感覚に似ている。


「ひっぐ……よかれと思ってやったのに……ぐすっ」


 エーデルを手酷く追及すると、シャルラッハのその違和感の正体が判明した。


「本人に確認もせずに体を勝手にいじったのか……」


 呆れた。

 ジズとの闘いでシャルラッハを治療した際に、元々あったエーテルが流れている道の詰まりを取ったらしい。

 そのこと自体は悪いことではないが、やり方が最悪だった。


「……なるほど、3ヶ月前のあの時ですわね」


「王都正門の?」


 クロが聞く。

 グレアロス騎士団の入団試験の日のことだ。

 二千年間ずっと待ち続けていた、約束の刻。

 本来の時間に戻る3ヶ月前、クロは緊張の真っ只中にいた。

 あのデルトリア伯とウートベルガを打ち倒すため、用意周到に準備をしていたが、失敗は絶対に許されない重圧と闘っていた。

 もし失敗したら、二千年間の全てが無に帰すのだ。

 さすがにエルドアールヴといえど、いてもたってもいられない精神状態だったため、王都の外を気分転換に散歩していた。

 その時に、シャルラッハが凄まじい勢いの『雷光』で飛び込んで来たのを助けたのだ。


「ええ。まさかエーテルの暴走だったなんて……」


「危なかったです……それで済んでよかったですね」


 エリクシアが言った。

 エーテルの暴走は深刻である。

 基本的に、とにかく後遺症が酷いことが多い。

 シャルラッハの場合、足にエーテルを集めるため、暴走なんてすれば下手をすれば足が動かなくなっていた可能性すらある。


「ええ……本当に」


 シャルラッハが指を口に当てて深刻な表情で呟いた。


「いつも近くにいたのに、私は全然気づきませんでした……」


 アヴリルが言った。

 ショックを受けているようだ。

 シャルラッハの体を守るのが自分の使命なのに、彼女の不調に気づかなかったなんて、と。


「いえ、わたくしも分からなかったぐらいの些細な後遺症だから、仕方ありませんわ」


「ほ、ほら! それを見つけたわらわ、スゴくないかの!?」


 エーデルが正座から立ち上がりかけて言ったが、その頭に手を置いて立たせないようにしたのはシャルラッハだ。


「はい? 何か言いまして?」


「……うぅ……すみません」


 それとは別に、人の体を勝手にいじったことは許されない。

 しかも術後も何も言わないとは悪気があったと思われてもおかしくない。


「まぁ……わたくしのためにやったことは理解しましたわ。納得は出来ないけど、あなたに体を託したのはわたくし自身。今回だけは大目に見てさしあげますわ」


「そ、そうじゃろ!? わらわは悪くな――」


「――エーデル、反省してくれ」


 エーデルが調子に乗りそうなところだったが、クロがそれを強い口調で制した。


「ふぁい……」


 しょぼんとしたエーデル。

 普段はそこまでエーデルを怒ることはないが、今回はやり過ぎだ。


「それで、体の調子はどう?」


「ケガを考えなければ、エーテルの調子だけで言うならかなり良い……と思いますわ。ただ……うーん、なんて言えばいいのでしょう……」


 言いながら、眉根を寄せるシャルラッハ。

 今の感覚を口にするには少し情報が足りないようだ。


「突然エーテルの流れが激しくなったから、意識と体がついていっていないのかもしれない。一応、俺も診ておこうか」


「へ?」


 クロの言葉にきょとんとしたシャルラッハ。

 エリクシアやアヴリルも同じような表情をしていた。


「大丈夫、エーデルに医療知識を教えたのは俺だ。エーデルの方が腕はいいけど、戦士として診るのは俺が適任だ」


 二千年の間に、クロは様々な知識と経験を積み重ねてきた。

 特に誰かを救うには医療知識は必須だった。

 病気やケガ、人の命を奪うのは闘いだけじゃない。


 当然、時代と共に医療の進歩は発展していったため、クロの知識は古い部類に入る。

 今ではエーデルの方が医師としての腕は遙かに上だ。

 彼女のようにエーテル操作による体内施術など、そんな器用なマネはクロには出来ない。

 しかし、戦士としては別だ。


 クロは人体に関しては誰よりも造形が深い。

 自分の体で嫌というほど経験しているからだ。

 闘いによる負傷だけではなく、拷問をされた経験もある。


 どういう傷が体にどれほどの影響を及ぼすのか、闘いにおいてどんな影響があるかを熟知している。

 二千年分の死、万死の体験、不死の経験。

 それは図らずも他人の役に立ってきた。


「あ、あの……いえ、そういうことではなく……」


「エーデル、問題の箇所はどこだ?」


 シャルラッハが何か言っているようだったが、既に集中しているクロには届かない。


「へその下なのじゃ」


「分かった」


 短く返事をして、シャルラッハの傍に座る。

 焚き火の明かりがゆらゆらと揺れて、シャルラッハの不安を表しているようだ。

 とにかくまずはちゃんと診て、状態を把握しなければならない。


「あ、あの……」


「どうした?」


「い……いえ……なんでも」


「?」


 何か様子がおかしいシャルラッハ。

 少し顔が赤いようだ。

 熱でもあるのかもしれない。

 あれほどのケガを負い、3日間安静にしていたとはいえ、旅に出たことによって、もしかしたら無理をさせてしまっていたかもしれない。

 もしエーテルの流れに異常があったら、戦士として生きられなくなってしまう。

 それはシャルラッハにとって、死よりも辛いものになるだろう。


 病気やケガ、体の異常は早期発見、早期治療が基本中の基本だ。

 やはり今の内に詳しく診ておいた方がいい。

 クロはそう思いながら、シャルラッハの上着の中へ手を入れた。


「ん……っ」


「…………」


 集中は極限に。

 おへその下に直接手を当てる。

 自分のエーテルを、シャルラッハの体に流す。


「…………エーテルの流れは大丈夫そうだな」


 引っかかる部分は無い。

 エーデルはうまく修正していたようだ。


「あ、あの……もう」


「次は足だな」


「……え!?」


「ん?」


「い、いえ……なんでも」


 妙な反応だったが、今の集中力を維持したいため、すぐに診療に移った。

 スカートの下から手を入れて、ふとももを直接触って確かめる。


「んんッ……」


「…………」


 目を閉じて、感覚を研ぎ澄ます。

 こちらもエーテルの流れはスムーズだ。

 ふとももの内側へ手を滑らせて、丹念に調べていく。


「……ッ、…………ッッ」


 ふと気になってシャルラッハの表情を見ると、両手で口を押さえていた。

 息がかなり乱れている。

 顔も先ほどよりも更に真っ赤になっている。

 辛そうだ。


「ごめん、痛かった?」


 慎重に診ているためミスはしていないはずだが、そもそも他人のエーテルを体内に入れるというのは中々に不快な思いをするものだ。


「んっ……いえ、平気……ですわ」


「もう少しだけ我慢して」


「は……い……ッ」


 出来るだけ急がなければ。

 そう思いながら、クロは更にスカートの奥に手を伸ばす。


「……ふぁッ!? く……ッ、ん……っ」


 ふとももを合わせて身をよじるシャルラッハ。

 しかし、クロはそのまま足の付け根まで手を滑らせていく。


「ふ……ぁ……」


 シャルラッハの辛そうな声。

 高い声が跳ねるように上がる。

 甘える猫のなで声みたいに聞こえるが、おそらくこれは相当辛いのだろう。

 早く終わらせてあげなくては。

 そう思いながら、クロは更に集中を高めていく。

 それから数分経って。


「どうやら大丈夫そうだ。さっき転げたのは、やっぱりエーテルの流れが激しくなったから意識と体がついていってなかったみたいだね。エーテルの強さに体と意識が慣れたら、むしろ今までよりも上手く馴染むと思うよ」


 丹念に調べて把握した。

 シャルラッハという戦士は、これまで足に枷をしていたようなものだ。

 恐るべきことに、これまでの『雷光』は強制的に手加減されていたのだ。

 その枷がエーデルによって外された。


「ハァハァ……はぁ…………ええと、つまり?」


 まるで長距離を走ったように息を荒げているシャルラッハ。

 目が少しトロンとしているのは、過呼吸による軽い症状か。

 やはり相当辛かったようだ。


「今の状態に慣れたら、間違いなく君はもっと強くなる」


 おそらく急激に。

 覚醒と言っていいほどに。

 もしかしたら、英雄に届くかもしれないほどに。

 本来のシャルラッハの強さが発揮されることになる。


「そ、そう……ですの……」


 喜ぶと思ったが、シャルラッハはぐったりしている。

 焚き火の近くの岩にしなだれかかり、まだハァハァと息をついている。

 汗で黄金の髪が額にくっついている。


「くふふふふふふふ」


 ふと周りを見てみると、エーデルがニタニタしている。

 どうやら全然反省していないらしい。


「……ふ~、ふ~…………ふぅぅぅ……」


 アヴリルは鼻血を出していた。

 こちらもなぜか息を荒げている。

 金色の眼が異様にギラギラと輝いていて、ちょっと怖い。

 魔物と闘ったから興奮しているのだろうか。


「あ、あわわわ……」


 エリクシアは、こちらも顔を真っ赤にして両手を口で押さえていた。

 なぜか目を合わせてくれない。

 こちらが目を離すと見つめてくるが、目を見ると顔ごと逸らす。


「…………?」


 妙な雰囲気だった。

 どこか、やってはいけないようなことをした後の居心地の悪さがあった。


「……みんな、どうした?」


 首を傾げるクロ・クロイツァー。

 何も分かっていないのは、彼ただひとりだけだった。




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