31 宣戦布告
なんだこのおぞましいエーテルは。
アレクサンダー・アルグリロットは、目の前で立ち上がろうとしているジズを見てそう思った。
あまりにも禍々しい。
あまりにも邪悪に過ぎる。
「…………」
初撃でわざと急所を外したのは失敗だったかもしれない。
この男は真っ先に殺しておくのが正解だった。
愛娘のシャルラッハと少なからず因縁がありそうなことを言っていた。
嫌な予感がする。
これは関わってはいけない類いの人間だ。
いや、これはそもそも人間か?
これほど禍々しいエーテルを持つ者は、魔物でも中々いないだろう。
纏っているエーテルの量も凄まじいが、それ自体は魔物と闘っていればよくあることで、何も問題は無い。
問題はそのエーテルの質だ。
尋常じゃなく悪寒がする。
あまりにも強力な邪念。
心弱い者がこの男の前に立てば、それだけで精神が錯乱するだろう。
「キサマ……シャルと闘ったな?」
間違いなくこれは敵だと本能が訴える。
これと仲良く出来る者がいるなんてあり得ない。
そんな者がいたとしたら、そいつはきっと心が壊れている。
「ええ!? なんで分かったの!?」
とぼけた声でジズと名乗った男が言った。
どういうつもりか分からないが、これで確定した。
「……それは自白と取っていいんだな?」
シャルラッハと闘った。
父親としては、それだけで万死に値する。
シャルラッハはグレアロス騎士団の一員だ。
一人前になろうとして、グレアロス砦で頑張っていた。
今回のデルトリア伯の謀反は、そのグレアロス砦でエルドアールヴが止めたことは既に情報として入ってきている。
そこでシャルラッハと闘ったということは、このジズという男はデルトリア伯側の人間だと言えるだろう。
そして、共にいるアルトゥールもまた、そういうことになる。
エルドアールヴがいる以上、シャルラッハの無事は間違いない。
それほどに、アレクサンダーはエルドアールヴを信用している。
「……ジズ」
様子を見ていたアルトゥールが指を額に当てていた。
「お前を味方とは思ってはいないが、敵でないのならせめて邪魔はしてくれるな」
「え? どういうこと?」
「潔白を証明するために、私はこれまで王国議会の尋問をおとなしく受けていたが、お前の今の一言で全て台無しになったということだ」
「そ、そうなの? ごめんよ、アル」
「まったく……困ったやつだ」
アルトゥールからしたら努力に水を差された形なのだろう。
しかしどういうわけか、アルトゥールはむしろそれが嬉しそうだ。
まるで、思い通りにいかないのが楽しいと感じているかのように。
「見ろ、ジズ。アレクサンダー卿が完全に戦闘態勢に入ったぞ。これでは簡単に我が城に帰ることが出来なくなってしまったではないか」
アルトゥールは余裕だった。
言葉面とは裏腹に、その心持ちは冷静極まりない。
アルトゥールは「ふぅ」と一息ついて、
「私は今ここで争いを望んでいないのだ。どうだろう、ここはひとつ見逃してくれないか、アレクサンダー卿よ」
「笑えない冗談だな、アルトゥール卿。私が逃がすと思うか?」
「いや、『雷光使い』の卿相手に逃げられるとも思っていない。だからこうして頼んでいるのだよ」
どうやら英雄アレクサンダーの実力を侮っているわけではなさそうだ。
それでも余裕があるのは何か奥の手があるのだろう。
「ねぇねぇアル、この人そんなに強いの?」
ナメているのはこのジズという男だ。
先ほど刺し貫いた胸の傷から血がだらだらと流れているが、それを気にした風も無く、不気味極まりない。
「相手を殺すということにかけては、『レリティア十三英雄』の中で最強だ。ジズ、先ほどお前も死にかけただろう」
「たしかに。攻撃を避ける間もなかったよ。刺されるまで気づかなかったぐらいだし、この人から逃げるなんて無理だねぇ」
納得したようにポンと手を打つジズ。
「言ったとおり私はここで闘う気は無い。ではどうやって逃げるかだが……ジズ、何か打つ手はあるか?」
「うーん……」
そこで、信じられない出来事が起こった。
凄まじい絶叫のような咆吼が、王都中に響き渡った。
あまりの大音声の衝撃に、足を踏ん張らなければならないほどだった。
「魔物!?」
空を見上げると、そこには巨大極まる怪鳥がいた。
大きすぎる。
ここまで巨大な生き物は、レリティア山脈の『巨人』ナルムクツェを見た以来だろうか。
「これは驚いた。ジズ、お前の仕業か?」
「というより、ぼくを追って来たのかも」
「……どういうことだ」
「ちょっと前にアトラリア山脈に行った時にさ、空の上の方で怪鳥の夫婦が飛んでたから、メスの方を食べちゃったんだよ。ぼく、お腹が空いてたからさ」
「…………」
「ほら、死にかけだったヴォゼさんに出会う前だよ。ぼく、空を飛べるじゃない?」
「それで、オスの方が追ってきたと?」
「だね! いやぁ、ビックリだね」
ところどころ分からないことがあったが、このジズという男がメスの怪鳥を殺したため、それに激怒したオスの怪鳥がここまで来たということだけはアレクサンダーは理解した。
「ゲスめ……」
アレクサンダーは思わず言葉を吐き捨てた。
最低の殺し方だ。
その怪鳥に同情すらする。
魔物すら弄ぶ化物が、目の前にいる。
「匂いではないな。ジズ、お前ワザと追わせてきたな?」
「ゲハハハ」
ジズが身に纏う凄まじい邪念。
それを空に放つことで、怪鳥に位置を特定されたと推測される。
天空を舞う怪鳥は、アトラリア山脈から一気に飛んできたというわけだ。
「困ったやつだ。次から次へといらぬことをする。
どうするアレクサンダー卿。あの怪鳥はお前でなければ無理だろう。もうひとりの『英雄』では、アレを撃ち落とすことしか出来まい。あの巨体が王都に落ちては、多くの民が巻き込まれるぞ」
「…………」
「我々を捕らえるか、それとも怪鳥を相手にするか。
栄誉を取るか、人命を取るか、決断の時だな?」
アルトゥールが言った。
もはや答えが出てしまっている。
「……卿の目的は、なんだ」
「決まっている、このグラデア王国の革命だ。王は伏せり、時期国王になる王女は若い。王国議会は腐り、英雄に頼るばかりの兵力。貴族は己が保身しか考えず、民草もまた日々生きることだけを考える愚かしさ」
「…………」
「私がグラデア王国を変えてやろう。帝国ガレアロスタも、聖国アルアも取り込み、他の小国全てを手中にし、人境『レリティア』をグラデア王国のものとする。そして――いずれ魔境『アトラリア』すらも我が手にする。私の革命は、その最初の一手だ」
「革命だと? それは反逆と言うんだ」
「失敗すればな。だが、準備は出来ている。
10日後だ、アレクサンダー卿」
アルトゥールが言う。
断固たる決意を以て。
「我が城より出陣し、10日後に、この王都を落とす」
王国に対して、宣戦布告をした。
「やらせはしない。その前に、卿を殺す」
「くくく……」
アルトゥールは笑い、足を一歩踏み出して、道を進む。
「ジズ、行くぞ」
「えっと、見逃してくれるってこと?」
「後で殺されるらしい。追手に気をつけながら、帰還するぞ」
そう言って、アルトゥールとジズは廊下から去って行く。
残されたアレクサンダーは、
「…………」
後ろ髪を引かれる思いで、無言で、怪鳥へと向かって行った。
◇ ◇ ◇
ジズとの闘いから3日が経った。
クロ・クロイツァー一行は、ナルトーガから旅立とうとしていた。
「テッタ、アンナ……お元気で」
エリクシアがテッタに抱きつきながら、そう言った。
「もー、今生の別れじゃないんだから、泣かないでよ」
テッタはエリクシアの頭をよしよしと撫でながら、自分も目に涙を浮かべていた。
「本当は私たちも一緒に行きたいところだけどね……」
アンナもまた、目に涙を浮かべていた。
彼女らはナルトーガの自警団だ。
まだまだここでやることがある。
辺境伯がいなくなった混乱は凄まじく、このナルトーガも例外ではない。
この辺りの治安を守らなければならない。
デルトリア伯と繋がっていた盗賊達の他にも、もしかしたら同じような者がいるかもしれないのだ。
「あんた達が旅で何をするのか分からないけど、それが終わったらガラハドさんがいるグレアロス砦に戻るんだよね? その頃にはあたしらもナルトーガから砦に戻ってるはずだから、そこでまた会おうね」
「……はい!」
そうして、自警団に借りた馬車に入るエリクシア。
馬車の中では、シャルラッハが安静にして座っていた。
「本当に大丈夫なのですか? シャルラッハさま」
傍にいるアヴリルが心配していた。
「ええ。走らなければ痛みはないから、このまま出発しましょう」
「無理はしないでくださいね、シャルちゃん」
エリクシアはそう言って、シャルラッハの近くに座る。
「わたくしのケガのせいで3日も無駄にしましたからね」
「でも、その代わりにテッタとアンナとも仲良くなれましたよね。わたしもいっぱいお話できましたし」
微笑みながら、エリクシアが言った。
「昨夜の女子会は盛り上がったわね。ああいうのは初めてだったから、いい経験でしたわ」
「夜遅かったので、エーデルヴァイン殿はまだ寝ておられますね」
アヴリルが馬車の隅ですやすや眠っているエーデルを見て笑った。
「子供なのよ、基本的に」
「ふふふ」
全員が揃ったのを確認して、御者席にいるクロが声をかける。
「それじゃ、出発するよ」
「はい、お願いします!」
エリクシアが元気よく返事をして、シャルラッハとアヴリルも頷いた。
そして、その背後からテッタとアンナが言った。
「エルドアールヴ!」
「エリクシアを、よろしくお願いします!」
その声に振り向いて、クロは頷いた。
「さぁ、行こう」
手綱を跳ねさせて、馬に出発の合図を送る。
馬の独特な足音が鳴り始める。
少しずつ滑車が動き、馬車が進み出す。
5人の旅が、再び始まった。
次の目的地は――グラデア王国の王都。
 




