29 巡り巡る命の螺旋、彼の死は軽く、ゆえにその生もまた軽く
始原魔法『神の涙』が、破裂した魔法陣の中から落ちてくる。
まだその全容は見えておらず、現れた一部でさえ恐るべき巨大さだ。
これが完全に姿を見せて地表に落ちた時こそ、破壊の化身としての力を発揮するだろう。
この荒野だけでなくナルトーガ地方、それどころか、グラデア王国全土が滅亡するレベルの大魔法。
「――――ッ!!」
それを押し止めているのがクロの戦技『断空』だ。
星を打ち砕かんとするその漆黒の一撃は、まるで黒い竜が星を噛み砕かんとしているかのようだった。
その激突の中心点から、激しい衝撃の波が広がっていく。
真下に位置する地面は大きく地割れを起こし、激突の凄まじさを物語っている。
あり得ないほどの力場は、周囲を巻き込んで破壊を撒き散らしていく。
「――『鍛造の音は鉄の詩、煌めく火花は絶え間なく』――」
振り下ろした大戦斧を再び持ち上げながら、クロが戦技の詠唱を口にする。
詠唱の内容こそ違うが、二度目の『断空』を撃つ気だ。
つまりは『断空』の連発。
見る見るうちに、漆黒のエーテルが体中から迸る。
途方もない莫大な量のエーテル。
それはもはや、先ほどの『断空』の初動とは段違いの巨大さだ。
「――『百錬の鋼は金剛の如く、匠の一念天に通ず』――」
ここで決める。
ジズは瀕死の状態で、しかも魔法の詠唱を中途半端のままで発動させた。
つまり今回のコレは未完成の『始原魔法』だ。
クロの『断空』なら未完成の『ティア』など恐るるに足らず。
その証拠に、『断空』と鬩ぎ合っている『ティア』は、その表面のみならず内部の奥までヒビ割れてきている。
『ティア』の破壊まで後少し。もう僅かの時間で打ち砕ける。
しかし、
「――――」
クロが見ているのは『ティア』ではなく、空に浮くジズだ。
落下してくる大質量の原始惑星よりも、あの男の方が危険極まりない。
『断空』を放った瞬間、ジズは一瞬で空を移動して直撃を避けた。
その様は鳥よりも速く、雲よりも自由だった。
『浮遊魔法』と『空渡り』を融合させたジズ特有の『飛空』。
安全地帯に避難しているジズは、こちらを見ながら笑っている。
文字通り空を自在に飛ぶジズを『断空』で捕まえるのは至難の業だ。
「戦技『薪割』――――」
だが――必ずジズを仕留める。
クロは真っ直ぐにジズを見据え。
その決意で以て、大戦斧の柄を強く、強く握りしめる。
「――――『鍛冶師の一撃』ッ!!」
大戦技『断空』と、固有戦技『薪割』の合わせ技。
そもそもが大威力の『断空』に、同じ動作を繰り返すごとに倍の威力を発揮する『薪割』を重ねることで生まれる超常の業。
これこそがエルドアールヴの本気。
数々の苦難苦境を覆してきた、『最古の英雄』最大の切り札である。
先の『断空』と比べて、倍以上もある巨大さと威力を兼ね備えた『断空』が、振り下ろされた大戦斧から放たれる。
極大の『断空』が目指すのは『ティア』。
しかし、狙いはジズである。
極大『断空』は凄まじい速度でティアに大激突する。
ジズはたまらず『飛空』で更に遠くへと逃げるがしかし。
クロ・クロイツァーの切り札である極大『断空』の威力は想像を絶する。
一撃で『ティア』を砕け散らせ、魔法陣も消し飛ばす。
やがて極大『断空』は行き場を求めて、遙か空の彼方で大爆発を起こした。
その余波の力はまさしく怒濤。
空を黒いエーテルで包み込み、まるで夜のように、天そのものを漆黒の色で塗りつぶす。
『飛空』で逃げるジズもまた、漆黒の怒濤に飲み込まれていった。
◇ ◇ ◇
「うおおおおおおおおおおおおおおおぉスゲェええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッ!!」
不吉の森、亡国の玉座でヴェイルが吠えた。
森で覆われていた城跡は破壊され、もはやその痕跡のひとつさえ残していない。
あちこちで炎が揺らめき、氷が地面に刺さり、大地は砕かれている。
ここで凄まじい闘いが繰り広げられていた証明と言えよう。
闘っていたのは『英雄』ベルドレッド・グレアロス。
そして、『悪辣』の思念体。
「あのバカデケェ隕石をブッ壊しやがったあああああッ!!!」
数々の魔法を駆使する『悪辣』は、その意思という意思を見せず、ただ目に見えた者を攻撃する仕掛け人形のようだった。
逆に言えば、ただの残留思念がこれほどの力を持つなど、かつての本人がどれほど強者だったのかがよく分かる。
「ハッ! ちゃんと目ェ開いて見てたかクソガキ!」
大剣を振り切った格好で、ベルドレッドもまた吠えた。
「これがオレの戦技『剛剣』だッ!
滅多に見せねェんだが、テメェは運が良かったな!」
ベルドレッドはその武器の見た目も戦名も『剛剣』だ。
そして、英雄の切り札である戦技さえも『剛剣』と命名している。
単純明快で豪気な気性のベルドレッドらしい。
「ハハハッ! あんたバケモンかよ、クソジジイッ!!」
ヴェイルは随分と興奮している。
それもそのはず、ついさっきまで命の危機に瀕していたのだ。
頭上に現れた途轍もない質量の隕石。
『悪辣』が放った始原魔法『ティア』が、今にも落ちそうだったのである。
それをベルドレッドが戦技『剛剣』によって消し飛ばしたのだ。
英雄の英雄たる所以の戦技。
それを目の当たりにして興奮しない少年なんてレリティアにはいない。
「スゲェよ、あんたスゲェよ! ホントに英雄だったんだなッ!!」
「言い方が気に食わんな……ん? オイ気ィつけろ、落ちてくるぞ」
「へ?」
そのベルドレッドの言葉のすぐ後、とあるモノが、ヴェイルの近くにドンッと落ちてきた。
それがゴロゴロと転がり、ヴェイルの方へ向かってくる。
「ぎゃあああああああッ!? 首ィィィッ!?」
思念体の、『悪辣』の首である。
ベルドレッドの『剛剣』が直撃して、その威力で千切れ飛んだものが今落ちてきたのだろう。
「くくく、テメェ生首が怖ェのか? 本物じゃなくそりゃ思念体の首だぞ。実体化してはいるが、ただのエーテルの塊だぞ」
「うるせェな! 慣れてないんだよッ!」
言いながら、ヴェイルが『悪辣』の首を見る。
その首と、目が合った。
「――――え……」
ヴェイルの動きがピタリと止まる。
それほどの衝撃だった。
『悪辣』の思念体は、影のような靄で包まれていてその姿はシルエットぐらいにしか見えなかった。
しかし、空から落ちてきたその首は、消滅する寸前だからか、靄は晴れていて、その顔が見えた。
見えてしまった。
「……そ、そんな……バカな」
音も無く消えていく『悪辣』の首。
それをじっと見つめるヴェイル。
「なんだぁ? くくく、もしかして知り合いだったのか?」
冗談めかした声でベルドレッドが言った。
「…………ああ」
しかし、ヴェイルはそれを肯定した。
「は? ティアの恐怖で頭でもおかしくなったのか?
知り合いのわきゃねェだろ。500年前の人間だぞ、そいつは」
「いいや、俺があの顔を見間違えるはずがねェ……だって同期なんだぜ……それに、あの顔は忘れたくても忘れられねェ……」
「同期……だと?」
「ああ……」
「間違いねェんだな?」
ベルドレッドの問いに、ヴェイルが頷く。
ここまで確信めいたものを持つヴェイルを、ベルドレッドは信じた。
「どういうこったよ……」
ヴェイルが唇を噛みしめる。
また、理解できないことが起こっている。
自分の知らない間に、何かとんでもないことが起こっている。
自分の無知と無力さ。
それに憤慨を覚えながら。
ヴェイルは拳を握りしめた。
◇ ◇ ◇
ジズが放った始原魔法『ティア』は、クロの極大『断空』によって砕け散った。
消し飛んだと言った方が正しいか。
漆黒は去り、空は晴れ渡り、太陽の光が燦々と降り注いでいる。
「ジズ」
クロは大戦斧と斧槍を手に、地面に横たわるジズに声をかけた。
「ゲハハ……さすがクロだね、やられちゃった……よ」
ジズはもうボロボロだ。
先の攻撃で既に瀕死だったところに、極大『断空』の余波で追い打ちをかけられたのだ。
むしろこれで生きて声を出せることが不思議なほどだ。
「……トドメだ」
クロはジズの心臓に向けて、斧槍の切っ先を動かす。
しかしその切っ先は心なしか、微かに震えている。
「ああ、ああ……大丈夫だよ、クロ」
血塗れのジズが、力無く笑う。
「苦しまないで、悲しまないで、泣かないで。
ぼくは君のトモダチだ。ぼくは君を置いていかない。ぼくだけは君を見捨てない。ぼくだけは、君とずっと一緒にいる」
その真っ赤な瞳は、真っ直ぐにクロを見つめている。
その真摯な言葉は、嘘偽りの無い、真実だけを述べている。
その邪悪な意思は、確かに親愛の感情を示している。
「また遊ぼうね、クロ」
「…………ッッ」
それに応えることは無く、クロはジズの心臓に、斧槍を突き刺した。
ヒュー……という小さな吐息の後。
ジズはその動きの全てを止めた。
「…………」
斧槍を引き抜いて、クロはジズの傍に屈んだ。
そうして、見開いたままのその目蓋を、そっと手の平で閉じさせる。
「…………ジズ」
クロは再び立ち上がり、言った。
「もう、うんざりだ……」
荒野に吹く乾いた風はどこか寒く。
クロ・クロイツァーの濡れた頬を撫でつけた。
◇ ◇ ◇
「…………」
シャルラッハは、無言で立つクロを見つめている。
彼女はアヴリルに肩を貸してもらってようやく立てるほど回復していた。
エーデルの治療が終わり、闘いを見守っていた。
遠目でジズにトドメを差しているところも見た。
しかし、いくら待ってもクロがその場を動こうとしなかったので、こうして彼を迎えに来たところだ。
テッタとアンナだけは、今回の闘いの激しさで、怖くなって逃げてしまった馬車の馬を追いかけていた。
ここにいるのはエリクシアとシャルラッハ、そしてアヴリルとエーデルだけだ。
「倒したの?」
シャルラッハが言った。
このまま黙っていては話が進まない。
先陣を切るのは自分の役目だと彼女は知っている。
「……いや、殺しただけだ」
背を向けたままのクロが答えた。
その答えはどこか歪なもので、シャルラッハだけではなく、他の者も首を傾げた。
「どういうことかしら」
再び聞く。
クロはみんなの方に向き直り、その意味を話す。
「ジズは殺せるけど、倒せない。二千年前からずっと、俺と闘ってきた。その度に、何度もジズを殺してきた。でもダメなんだ。ジズは何度でも『復活』する」
それはある意味で衝撃で。
しかし、納得の出来ることだ。
なぜなら、目の前でそれを話している本人こそが、まさしく不死だからだ。
「え、で……でも不死は」
エリクシアのその言葉に重ねるように、クロが言う。
「うん。不死は俺ひとりだけ。ジズは違うグリモア詩編の能力だ」
「その気になれば何でも出来る……って言ってましたね。それがあの人の詩編の副次能力だって。始原の魔法も……もしかして、それの?」
エリクシアの言葉に、クロが頷く。
「一体……どんな」
誰もが気になるであろう、それ。
不死と同じような不死性で復活するというジズ。
そして副次効果で、凄まじい強さを持つ能力。
「命は巡る。不死以外の誰もが死んで、『命の海』に還り、そしてまた別の命として生まれ変わっていく」
命の循環。
土が草に食われ、草が草食動物に食われ、草食動物は肉食動物に食われ、そしてやがて土に還っていく。
この世界は循環によってカタチが保たれている。
それは肉体だけではなく、魂や精神も同じこと。
命の旅。
星の営み。
それが世界の仕組み。
「ジズの詩編は、記憶や能力を持ったままで生まれ変わることが出来る――」
その仕組みを根底から覆す能力。
生命の冒涜。
死んでも記憶を失わず、魂の形を変えず、前世のままで再び今世に降臨する。
それはすなわち『不死者』とは違う不死性。
不滅の魂を持ち、虚ろな死で命を冒涜する『虚死者』。
「――――『転生』の能力だ」
それはつまり、殺す術はあれど倒す術が無い。
下手をすれば不死よりもタチが悪い。
不死ならばエーテル切れで死よりも重い地獄があるが、転生にはそれが無い。
追いつめることも出来ず、倒すことも出来ない不滅。
不死と転生。
希望の災いと絶望の災い。
両極端の、裏表の詩編関係。
それが、クロ・クロイツァーとジズ・クロイツバスターである。
「……厄介ね」
「ああ」
シャルラッハの言葉に、クロが返す。
「でも、どうしてジズが魔法や戦技を?」
アヴリルが言った。
『転生』の副次効果だというそれは、一体どういう理屈の仕組みなのか。
世界の理を破るグリモア詩編といえど、それでも異形の理で動いているはずなのだ。
「たしかに、『転生』というだけで得られるものではないのじゃ。始原の魔法じゃぞ……全ての魔法使いが欲してなお、それに届かぬというのに」
エーデルが爪を噛む。
悔しくて堪らないのだろう。
魔法使いとして、ジズが始原魔法を使うというのが。
「それは『死力』と似た感じだ。
致命傷を与えられて、その魂が『命の海』に近づくことで繋がってしまう。『命の海』の力が押し寄せてきて、魂の形を無理やり広げられてエーテル最大保有量が増える。それが『死力』」
普通はそれで絶命するが、クロは不死の力でそれを利用して強くなってきた。
そしてジズもまた同じように。
「ジズは死ぬと『命の海』に還っていく。
莫大な星のエーテルの中を泳ぐイメージで考えると分かりやすいかもしれない。『死力』は一瞬のものだけど、ジズは違う。『転生』するまで『命の海』を泳ぎ続ける。それも、海の深層を」
濃いエーテルは『命の海』の底に沈んでいく。
『死力』は表層の、いわば水面のエーテルが流れ込んでくるだけのもの。
しかし、ジズの場合はそれよりもっと深層部分を泳ぎ、飲み込み、自分のものにしていく。
いつか誰かが習得した戦技の記憶。
自然現象を元に紡ぎ出した魔法の記録。
誰かが誰かを想い、その人生を謳歌した魂の想い。
命は重く、その意味も、意義もまた重い。
ゆえにそれらは全て深層に沈んでいく。
そうして星の記憶として、星の一部になって還っていく。
虚死者はそれらを飲み込み、取り込み、冒涜する。
「『転生』の特典。
ジズは死んで生まれ変わる度に、異常なまでに強くなる」
『死力』よりも遙かにタチの悪い、究極の搾取。
星の全てを簒奪する化物。
それがジズ・クロイツバスターだ。
「ジズは倒せない。仮にジズを倒そうとするなら、人類を絶滅させるしか方法は無い。ジズが『転生』するのは決まって人間だったから」
人類がいる限り、ジズは倒せない。
人が人の営みを続ける限り、ジズという化物は必ず復活する。
恐るべき詩編である。
「あの……ひとつ、いいですか?」
エリクシアが言った。
「あの人から、詩編を取り返すというのは……?」
「不可能だ。ジズの詩編……第一災厄の『絶望』は、ジズの魂と融合してしまっているんだ」
「融……合ですか?」
「俺の状態と近いかもしれない。俺は不死の力を黒い霧として体に宿しているけど、ジズはその詩編ごと魂に宿している。多分、元々そういう詩編なんだと思う。でないと、死んで体から魂が離れた状態で、また次の体に生まれ変わるなんて芸当は出来ないはずだから」
「……たしかに」
グリモア詩編は所有していなければならないという前提がある。
『転生』は魂の移動だ。
移動する際に詩編が無いと、そもそも『転生』なんて出来ない。
悪魔の写本は物体ではない。
触ることは出来るが、これはエーテルに近い物質だ。
でなければ夜になったら現れて、昼になったら消えるなんて不可思議な現象は起こらない。
グリモアから千切られたページである、グリモア詩編もまた同じようなもの。
だからジズの魂と融合するなんてことが出来るのだろう。
「ジズの魂から詩編を取り出す技術は、俺が知る限り存在しない。つまり、ジズから詩編を奪い返すことは不可能なんだ」
「なんて厄介な……」
シャルラッハが言った。
それにクロは「ただ」と付け加える。
「グリモアなら出来るかもしれないけど、どう思う?」
クロがエリクシアに聞く。
「……わ、わかりません。グリモアを近づけてみないと……」
「だよね……。ただ、ジズは詩編をグリモアから千切った過去があるから、今回は準備不足で、不安要素しかなかったから試せなかった」
「……ちょっとお待ちなさい」
シャルラッハが気づく。
クロの矛盾に。
「……話は戻ってしまうけれど、なぜ殺してしまったの? 死んで生き返ったら、また強くなってしまうのでしょう?」
クロはジズを殺そうと躍起になっていた。
それはつまり、ジズをより強力にしてしまうことになる。
そんなシャルラッハの疑問に、クロが再び答える。
「ジズの『転生』には弱点があるんだ」
「……弱点?」
クロのエーテル切れと同じような弱点の存在。
『転生』の力でより強力になるジズは、
「『転生』とは生まれ変わること。つまりジズは、何も出来ない赤ん坊になるんだ。力も記憶も持ってはいるけど、赤ん坊のままでは体を動かすことすらままならない。エーテルを扱うための機能も育ちきっていないし、記憶を正しく認識するための機能も育っていないから、本当に何も出来ない状態になる。
この二千年で分かったことは、『転生』したジズが動き始められるのは、おそらく最短で5年」
今では『悪辣』と呼ばれている人間の時がそうだった。
5才の時に、『悪辣』のジズは動き出した。
小国の王だった父を狂わせ、母や兵士、末には国民の全てを発狂させ、少しずつ国を滅ぼしていった。
「幸い、赤ん坊でもジズの邪念は見て分かる。だから、今から遅くとも5年以内にジズを見つけ出す。その時にエリクシアのグリモアが、ジズから詩編を取り出せるのならそれでいい。もしそれが不可能だったなら、ジズを詩編としてアトラリアの『最奥』に連れて行く」
だから、ジズを殺したのだ。
何としても、このグリモアの災いを消し去り、悪魔の運命を変えるため。
これまでの二千年は、ジズを殺せてもグリモアが無かった。
だが今回は違う。
エリクシアがいる。
悪魔としてグリモアを所有する彼女がいる。
ジズを、完全に倒すことが出来るのだ。
「もしも……もしもの話ですけれど――」
シャルラッハが言った。
めずらしく不安そうな顔で、
「――その弱点が無くなっていたとしたら?」
そう言った。
シャルラッハがその考えに至った経緯は、すぐ目の前にある。
『不死者』クロ・クロイツァーだ。
クロとジズの詩編の能力はあまりにも遠くて近い。
クロは自分のエーテル切れという弱点を、食べ物を摂取するということで回避している。
そして、それでもダメな時は仲間がいた。
これまではエーデル達、エルフがその役目を担っていた。
なら、ジズもまた同じようなことが出来るのではないか。
赤ん坊になったとしても、あるいは突然変異のようなもので、もしかしたらその記憶や力を発揮できるかもしれない。
または、赤ん坊にならない方法があったとしたら。
シャルラッハはそう考えたのだ。
「……もし」
クロが言った。
言葉を詰まらせ、少しだけ考えて、
「もし、ジズがその弱点を克服したというのなら――――」
沈黙の5年がジズから無くなったとしたら。
彼が常に万全で、本当の意味で自由に『転生』出来たとしたら。
「――――もう、どうにもならない」
◆ ◆ ◆
グラデア王国の王都。
王都には当然、王城がある。
広い王都の真ん中に佇む巨大な王城、その一角。
豪華な装飾などは無いが、堅固な塔がそこにある。
天井は高く、遙か見上げる位置に窓が設えてあった。
外からも内からも出入りことは難しく、まるで塔の牢といった風情だった。
塔の中にはベッドと机と椅子がひとつずつ。
その椅子に腰掛けている人物がいた。
「…………」
凜々しく気位の高い男性だ。
歳は40ほどの壮年で、威厳に満ちている。
机の上に置いているカップを手に取り、紅茶を優雅に飲む。
コト、と音を立てて再びカップを机に置いた。
「ふむ……中々、美味いな」
この人物こそ、アルトゥール・クラウゼヴィッツ。
グラデア王国方位騎士団・南の団長であり、『英雄』。
そして、デルトリア伯ことフリードリヒ・クラウゼヴィッツの父である。
「お前もいつまでもそこにいないで、そろそろ降りてきたらどうだ」
その彼が、天井に向けて言った。
そして、
「ゲハハ、バレてたの?」
特徴のある嗤い声。
高い場所にある窓にいた、その人物は、窓からぴょんと飛んで、30mはある高さから床に着地した。
「ただいま、アル」
「ひさしぶりだな、ジズ」
互いに慣れ親しんだような挨拶をした。
ジズは机にあったアルトゥールの飲みさしの紅茶をおもむろに手に取って、
口を大きく開き、紅茶の中身を胃の中に落とした。
「いつ見ても酷い飲み方だ。優雅さの欠片もない」
アルトゥールが呆れながら言った。
「グレアロス砦でやりたいことがあると言っていたが、三ヶ月も待ったぞ。それで、首尾はどうだ?」
「いやぁ、さっきクロに殺されちゃってさ」
「ほぅ、エルドアールヴと闘ったのか」
「やっぱりクロは強いね。手も足も出なかったよ。もう人間の中じゃ最強なんじゃないかな」
「手ぶらで行くからだ。一応、お前の荷物はそこに置いてあるぞ」
アルトゥールはそう言って、ベッドの近くに置いていたひとつの武器を指差した。
「ああ、ああ、忘れてた」
ジズはその武器――大鎌を手にとって、嗤った。
「やっぱりこれがなきゃね」
「その様子では、どうやら『転生』は上手くいったようだな。
実験は成功したか」
「もちろん」
ジズの姿はケガのひとつもしていない。
瀕死だった体も、千切れた右腕も頬も、まるで夢だったかのように治っている。
新しい命に生まれ変わったのだ。
不思議なことに、『転生』したというのにジズの姿は本当に前のままだ。
グレアロス砦にいた時のジズとまったく同じ、やせ細った枯れ木のような姿形、顔の造形をしている。
赤ん坊ではなく、そのままのジズとして『転生』しているのだ。
「これでお前は、自由に動き回れるというワケか。
エルドアールヴにとっては地獄だな」
「ゲハハハハ」
弱点を克服したジズは、悪意ある笑みを浮かべた。
恐るべき災いはここに、本当の意味で、最悪のものとなっていた。




