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7 血濡れた王宮に咲く花

扉を開いたシグレアの背に庇われるようにして、エルゼリは初めて部屋の外に足を踏み出した。


「……広い。」


思わず目が丸くなる。目の前の廊下はエルゼリが想像していたよりも余程広かった。


白い柱だけと言わず天井まで施された優美な蔦模様の彫刻。高い位置にある天井の上で交差した彫刻の合間には絵の具で描かれたものだろう、金色の蔦模様が踊っていた。ところどころには明り取り用の小さな窓もあるようだ。その周囲にも彫刻があしらわれている。


壁には一面、金糸や銀糸を惜しげもなく使った織物のクロスが張られ、煌びやかだ。左右の壁には一定の感覚で部屋が存在しているらしく、幾つも幾つも扉が続いていた。その反対側には窓もある。空間の広さと窓の多さのおかげか、圧迫感は感じられない。


きょろきょろと見回したエルゼリの左右、ちょうど扉を守るようにして兵士が立っていた。シグレアが着ているものと揃いの、騎士の服を身に着けているから、彼らもかつて王に仕えていたものたちなのだろう。きょとりと見上げたエルゼリと目が合った瞬間、兵士の一人は丸く目を見開いて、しばし呆然とした後、はっとしたように姿勢を正して目礼した。


「お仕事お疲れ様です。」

「は……え、」


まさかエルゼリに声をかけられるなど思いもよらなかったのだろう。かちんと固まった兵士を横目に、シグレアが「エルゼリアード様」と呼ぶ。

こちらを振り返ったシグレアは、かすかに眉間にしわを寄せていた。


「あまり不用意に人を驚かさないように。わざわざ目立たぬようにローブを羽織っていただいているのに、意味がなくなります。」


この城に居るものは、そのほとんどがエルゼリの姿を知っている。王と王妃が処刑された現場にエルゼリが立ち会わされたためだ。

城を出入りするものが、エルゼリに敵意を持たない者ばかりであればいい。しかしそうでない輩も確実にいる中で、わざわざ「自分が王女です」と名乗るような真似をされるのは困る。お忍びにはお忍びの理由があるのだ。

もちろん万が一が起こらないよう、事前に幾人か信用できる者を配置したり、それ以外の人員と極力顔をあわせないような道を選ぶなどの手は打っているが、万全とは言い切れない。


「最悪の場合あなたに危険が迫ることもあり得ます。もちろんそうならないように努力はしますが。」

「それは分かってるけど……お世話になっている相手にお礼を申し上げるのもいけないの? こんな風に立ちっぱなしで大変そうなのに。」


どう扱われていたかはともかく、エルゼリも王族の一人。反乱軍の彼らからすれば憎い王の娘だ。いくらクルスに命じられてとはいえ、エルゼリなどを守らなければならないのだから気の毒ではないか――というのがエルゼリの考えなのだが。


「……。ともかく行きますよ。お手をこちらに。」


エルゼリの言葉をどうとったのか。シグレアは一つため息を吐き出すと、それ以上語るのをやめた。

有無を言わせず伸びてきたシグレアの左手に右手を取られ、引っ張られる。手を繋ぐようにして歩き始めたシグレアとエルゼリの後ろを、美しい顔に笑みを浮かべたエマが颯爽とついていく。衛兵を務める兵士らはぽかんと三人の背を見送った。

しばらくして三人の影が角を曲がっていく。その段になって、ようやく兵士の口から声が感嘆が漏れ出した。


「……あのシグレア様が。」

「超堅物のシグレア様が?」

「お小さいとはいえ自ら女の子の手を取ってエスコート……?」


うそだろ。


衛兵二人の呆然とした声は三人の耳には届かず、静かに散った。




ぐるぐると回廊を進む。

ローブを着せられたエルゼリは、傍目にはただの小さな子供としか映らないようだった。何度か人とすれ違ったようだが、半ばシグレアのマントに隠されるように歩くエルゼリには相手の顔は見えなかったし、相手の方もこちらの顔が見えないからかエルゼリを気に留める様子はない。

エルゼリは必死に歩いた。初めて歩く王城の様子も気になるが、立ち止まって楽しむような余裕がない。とにかくシグレアの速度についていくのがやっとなのだ。エルゼリの歩く速度に合わせてくれている様子だというのに、筋力の落ちきったエルゼリの足ではそこについていくのさえ難しい。


「大丈夫ですか。」


何度かそう問いかけられ、そのたびに「大丈夫」と言い返したエルゼリの意地も、ここ数年碌に歩いていなかった階段を一階分降りきった辺りで限界を迎えた。どうしてこんなに廊下が長いの。何回角を曲がったっけ? 外に出るだけでどれだけ時間がかかるの、と思わず悪態を吐き出しそうになる。

掴まれた手をそのままにへたり込みそうになったエルゼリに、シグレアが問いかけてきた。


「足は……大丈夫ではなさそうですね。では、失礼。」

「は……!?」


ちょっと、という声は声にならなかった。悲鳴を上げなかったことを褒めてほしいくらいだ。

気付けばエルゼリはシグレアのマントを巻き付けられるようにして抱き上げられていた。思わずひしと縋りついた先はどうやらシグレアの首のあたり。この男、恐ろしいことにエルゼリを左手一本で抱き上げたのだ。


「え、エマ……!」

「シグレア様が良いとおっしゃっているのですから、気にせず甘えていいと思いますよ。」


シグレアの肩越しに見えたエマに手を伸ばそうとするが、シグレアが歩くたびに体がゆさゆさと揺れるので怖くて手が離せない。品よくクスクスと笑ったエマは、「流石に騎士様ですわねえ」とまったく関係ないところに感心しているようだった。


それから、どこをどう歩いたのだろう。

何度か階段を下った先――外に繋がる扉が開かれる音を背中で聞いた。

ふわ、と濡れた草の匂いが鼻先を掠める。気づけば目の前には今出てきたばかりの王城の石壁が見え、それはシグレアの歩みによってどんどんと遠ざかっていくところだった。


「もう外なの?」

「庭まではもう少しありますが。……ああ、これでは先が見えませんよね。」

「!」


言うが早いか横抱きに抱き直されたエルゼリの目の前に、色とりどりの鮮やかな光景が映った。

――そこまで抱えていた不安は、あっという間に吹き飛んだ。


「わ……!」


春先の風が渡る。エルゼリは知る由もなかったが、シグレアが歩いているのは芝を敷き詰められた王城の一角だった。王城の東側、どちらかと言えば裏手に近い位置にある小規模な内庭である。

昔はおそらく茶会の際などに使用されていたのだろう。王城に近い辺りには一面芝が植えこまれ、テーブルセットが置かれ、すぐにでもティーパーティーを楽しめるようなつくりになっているが、テーブルセットは長らく放置されていたのだろう。椅子にも机にも蔦が絡みつき始めている。


その先に様々な草木が植え込まれた庭園が見えていた。


シグレアが一歩また一歩と歩くたび、つるバラの巻き付いたアーチが近づいてくる。無数の白いバラが咲き乱れる美しいアーチだ。その向こうには様々な品種の花々が咲き乱れ、モザイクのように見えた。


「下ろしますよ。」

「……ありがとう。」


ふっと草木の香りではないものが鼻先でくゆった。コロンだろうか。すん、と鼻をならせばいつの間にかエルゼリの衣服にも同じ香りが移ってしまっているようだ。

なんとなく面映ゆく感じ、エルゼリはシグレアから遠ざかるように数歩歩いた。さくさくと軽い音がして、靴の下で芝がつぶれる。地面は水分を含んで緩くなっていて、思いのほかふわふわとしていた。面白くなってその場で軽く跳ねてみる。シグレアからはすぐに注意が飛んだ。


「興奮なさるのは勝手ですが、飛んだり跳ねたりはやめておいた方がいい。転びますよ。」

「む。そんなの分かってるわよ。」


正直、まだまだ萎えた筋肉は戻っていない。こうやって軽く飛ぶ分にはともかく、感情に任せて走り出せば地面に顔がめり込む羽目になるだろう(なにせ今でさえ膝が若干笑い気味だ。)。確かにエルゼリは子供だが、その程度の判断力はあるつもりなのに。

シグレアの方を振り返り、ぷっ、と頬を膨らませたエルゼリはエマを呼んだ。


「エマ、一緒に歩きましょう。」

「はい。エルゼリ様。」


手を伸ばしてエマの片手を掴み、彼女を先導するようにして心の向くまま歩き出す。シグレアはそんな二人の後ろを歩く。視線で、全身で周囲の気配を探りながら、慎重に。

風に吹かれて揺れる花々はどれも美しく、エルゼリはちまちまと歩きながら飽きることなくそれらを眺めた。あまり手入れをされている様子はないが、それぞれたくましく生きている。主が果てても。彼らは逞しい。

特にエルゼリの気持ちを惹きつけたのは、咲いたばかりと思しき白いマーガレットの花。特別に美しいわけではないが、伸びた茎の先で風に揺れる花は、とても気持ちがよさそうだ。


「お部屋に持ち帰りますか? 鋏はお持ちしています。」

「やめておきましょう。こうして揺れている方がいいもの。」


切れば枯れる。首を落とせば人は死ぬ。

彼らは忘れられたまま、運よく摘まれることもなくこうして生きている。主であった王や王妃は首と胴を切り離されて死んでしまったが、彼らまで巻き添えにする必要はない。


「愛でるだけならばこうして見ているだけで十分よ。」

「……そうですね、エルゼリ様がそうおっしゃるなら。」


そんな会話で、昔のことを思い出した。かつてのエルゼリは囚われの身同然だったが、ごくごく僅かな隙をついて外に出ることもあった。まだ今よりも小さなエマや、他の侍女たちに連れられて、使用人口から外に出て。


「そう言えば、エマと何回か、真夜中にこっそり外に出たことがあったわね。星が凄くきれいだった覚えがあるわ。」

「ええ。よく見つからずに済んだものだと今でも思いますわね。……昼間のお庭は、はじめてですか。」

「はじめて。夜の庭も素敵だと思ってたけど、昼間もとても素敵なのね。」


ピーヨロロロ……鳥の声が聞こえてくる。風の上を渡る白い鳥を指先で追いかける。今は太陽の時間。星や月は空には見えないが、代わりに抜けるような青空と、風と戯れる白い雲が目に眩しい。

空には太陽。輝く光に照らされて、ローブ越しのエルゼリの肌もぽかぽかと温もっている。体温が低く、いつだって冷えがちなエルゼリの体が、今はエマの手の温度と変わらない。それだって部屋に戻ればすぐに冷えてしまうのだろうけれど。


「全然景色が違う。きれいね……。」

「ええ。本当に。――シグレア様。あとどのくらいこちらに居ても?」

「半刻ほどであれば。それ以上は外に慣れていないエルゼリアード様の負担になるかもしれませんから。」




それから、たびたび三人で外に出る機会が設けられるようになった。少しずつエルゼリアードが歩く距離が増え、日差しに当たる時間が増える。自分で動くことが増えたせいか、食事の内容も変わった。流動食に近い粥やスープから、固形のものへ。蝋のように白かった肌にも少しずつ血色が戻ってくる。

日常が穏やかに過ぎていく。――だが間違いなく兆しは近づいていた。エルゼリが気がつかなかっただけで、確実に。


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