表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/38

1 茶番劇のそのあとに。

説明が多いかも。勇者様の事情。

エルゼリアード・アルメア。

御年十二歳の姫君。

黒髪に青い瞳。背は小さくまるで実年齢よりも二、三歳は子供に見える。しかし浮かぶ表情は子供のものではありえない。この世の辛苦を味わいきって、気力を失った様は、老婆のようでさえあった。


「無理もないな。あんな状態で捨て置かれては。」


ぽそ、とこぼした勇者、クルス・エルバンは手にした資料を机に投げ出した。乾いた茶色の髪に、そばかすの散る頬。見た目にはどこにでもいそうなごくごく普通の青年だが、彼こそが聖剣を携え戦った、『聖剣の勇者』その人である。

目の前の資料は、戦が終わってすぐ、国王夫妻を捕えた後、仲間に頼んでまとめてもらったものだ。目を通すだけで胸の奥がむかむかする、酷い内容だった。


曰く、彼女の居城は冷たい城の地下である。

食事は日に二回、冷えた残り物が回される。

寝床は牢獄のような部屋に用意されたもので、これは辛うじて彼女が生まれた頃から使っている調度を移動させて使っていたようだが、どこもかしこも痛みきっていた。マットレスには黴が生えていたという。

全身のいたる個所に傷の跡。手首には奴隷に刻むものと変わりのない、茨を模した刺青が這っている。


侍女のごく一部は、彼女が国王に痛めつけられているのを見たことがあった。何度も何度も洗面器に顔を突っ込まれ、息も絶え絶えになった彼女の手を、半死半生の患者に押し付けていたと。上がる悲鳴に背筋が凍え、城から逃げ出したそうだ。僅かに取れた聴取のすべてがそんな具合で、どうみても王女は王女らしからぬ扱いを受けていたとしか思えなかった。


資料のどこを見ても、彼女について書かれた内容は陰惨を極めた。しかもこれらは本人が語った証言ではない。実際に彼女を保護した時に見たときの報告と、周囲の、彼女について知っていたごく少数の者からの聞き取りの結果をまとめただけ。本人が語らない以上真相の大半は闇の中だが、この資料以上のことが行われていたのは間違いないだろうとクルスには思えてならなかった。


悪逆非道の限りを尽くした王族をあらかた始末して王城に乗りこんだ先――牢獄に繋がれるようにして生きていたのが、第四王女エルゼリアード・アルメアだった。もちろん牢獄というのはもののたとえだ。しかし実際のところ、城の地下に設えられた部屋は剥き出しの石壁に覆われた冷たい部屋で、そこには最低限の調度しか用意されていなかった。ベッドと椅子、丸テーブル、燭台。あとはたった数枚の服と下着類、空になった皿だけ。


王女はベッドの上に腰を下ろし、組んだ手を見つめていた。


栄養状態が良くないことは一目で分かった。手首の骨は浮き、指はぽきりと折れそうに細く、身に着けたドレスにも隙間が目立った。

そのドレスもどこから下げ渡されたものなのか、一応汚れは落とされているようだったが、どこもかしこもぐったりとしていてとてもじゃないが王族の身に着けるものとは思えなかった。


こちらを見やったガラス玉のような目だけがぎょろりと大きい。エルゼリアード王女は、不調法にも侵入してきたクルス達に対しなにを言うでもなく、静かに目を伏せた。仲間が彼女を引きずり起こしても、一人で立ち上がるのさえやっとの始末。

逃げていてくれたらよかったのに、とすらクルスは思ったものだ。あるいは彼女を見つけたのがクルスただ一人であれば。そうすればわざわざ彼女を捕まえたりしなくて済んだのに。

彼女の能力についてはこちらに寝返った間者の情報で知っていたが、敵にならないのであればその生死などクルスにとってはどうでもいいことだったのだ。クルスにとっての敵は、あらゆる人々を傷つけ踏みにじってきた王と、その腕に抱かれて豪遊を続けてきた王妃、彼らに従う者たちだけ。どう見ても虐げられる側にいたのであろう王女をどうこうしようなどという気持ちは最初からなかったのだ。


……しかし、とにかく王と王妃の始末は付けなければならず、見つかってしまった以上彼女にも王族の最後の一人としてその場に居てもらうしかなく。

結果として彼女はあの状態のまま王城の中心にある広間へと引きずり出された。クルスは跪かせた彼女の目の前で王と王妃の首を刎ね――。


胸が痛んだ。あの瞬間の彼女の目には何も映っていなかった。青ざめた顔には何の表情も浮かんでいなかった。もう彼女にとって、王も王妃も家族ではなかったのだ。たった十二の女の子が、そこまで思いつめてしまうほどのむごい目にあっていたなんて。


「まあしょうがないんじゃないの。あの王女さんの能力、すっさまじいみたいだから。手で触れて相手の声聞いただけで、相手の記憶を読んじまうんだろ。おっそろしい。」


正面のソファにだらしなく腰掛けていたマルクの声。マルク・ヘインズ――素晴らしい弓の腕前を持つ狩人で、かなり早いうちからクルスの仲間に加わった古参の一人だった。

確かに彼の言うことも一理あるのだろう。人は己が持ちえぬ力を持つ相手を本能的に恐れる。クルスが時に聖剣の勇者として恐れられるように。


「凄まじいからといって、幼い娘に対してこの行いが許されるかどうかはまた別だ。」

「そんなこと言ったらお前があのお姫さんを飼い殺しにするのだって許されないってことになっちまうぜ。あんな場所に引きずり出して民衆へのさらし者にしたあげく、雪山に閉じ込めて幽閉だろ? 下手すりゃあの王女さんは死ぬんだぞ? 誰を殺したわけでもねえのに。」

「……っ、」


返す言葉に詰まる。

その通りだ。彼女は国王の暴走に(結果として)加担させられた形になってはいたが、それは虐待の結果強要されていたものであり、どう見ても彼女自身の意志で行われたことではなかった――つまり、彼女自身には罪がない。


そのまま目の前の資料に目線を落としてしまったクルスの頭上から、マルクのものとは異なる冷ややかな声が降ってきた。


「しかしながら彼女もまた王族です。」


かつ、と音を立てて執務机の前に立ったのはシグレア・アルフレド・バルディス。クルスがまとめあげた反乱軍の中でも数少ない、ソドムア王国の騎士、つまりはこの国の貴族の血を引く男である。クルスはあまりそちらの情報に明るくないが、シグレアの実家、バルディスと言えば大将軍を拝命するような人物を幾人も出した名門で有名らしい。シグレアの場合、その冷たい風貌と鬼神のごとき強さもまた有名だった。


きちりとまとめた銀の髪、凍えるような薄氷の瞳。白銀に輝く魔法銀の軽装鎧を隙なく着込んだ姿には一糸の乱れもない。性格の方もすこぶる固い。冷たい氷を思わせるシグレアに口を挟まれてマルクが舌打ちをしたが、シグレアの方は意に介した様子もなく続けた。


「この国の貴族にも『血に連なる責任を果たす』という考え方があります。彼女は確かに王族として遇されていたようには見えませんが、義務を放棄することも許されていない。少なくとも事情を知らぬ国民は彼女を許しはしないでしょう。」


それで言いたいことは終わったのか、シグレアが黙り込む。つまるところ彼女の処遇については、どれだけ彼女個人に罪がなかろうと、ああせざるを得なかったということを言っているのだということはクルスにも分かる。彼なりの慰めなのかもしれない(言葉が足りな過ぎてまったく意味をなしていないが)。


しかし、気分のいい話ではなかった。死んだ妹と同じくらいの少女だ。それなのに、戦が終わった段階で生き残ってしまっていることが判明した以上、今さら殺すわけにもいかず、状況を考えれば放置もできないので飼い殺しにするしかない。それも、できる限り厳しい状況下で。そうでなければこの国の国民は納得すまい。そういう体面の話なのだ、これは。


「……結局僕は彼女をどうにもしてあげられない、ということなんだろうね。」

「まああの嬢ちゃんもそのあたりは分かってるんじゃねえかと思うぜ。あのいかれた国王陛下や王妃殿下よりよっぽどまともそうな面してたしな。……しっかしよォ。何聞いてもひとっことも喋らねえんだけどどうすんのあれ。愛想なんて欠片もない。」


発見時から広間、その後彼女をこの部屋のすぐ側――ある程度安心して匿っておける部屋に閉じ込めるまでの間、確かに彼女は一言もしゃべらなかった。声が出ないわけではないのだろうが……あの状態だ。まずは多少体力を回復してもらわないことには難しいだろうとクルスは思う。


「まあ、まずは彼女の状態を改善しないことには、何ともね。あれだけ消耗した様子では口を開くのも難しいのかもしれないよ。」

「とはいえどこまで彼女の面倒を見るのかは、決めておかれた方がいいのでは。手厚くしたところで、彼女にとって幸いとはなりますまい。あの場所に彼女を出した以上、国民も彼女を王族と認識している。黙っていてはくれないでしょう。」


またしてもシグレアが一言口を差し挟んだ瞬間――我慢の利かないマルクが「お前はいちいちうるせえなあ!」と絶叫した。


「ああ言えばこう言う! じゃあてめえどうしろっていうんだよ! 代案もねえのに批判だけか!?」

「マルク。」

「じゃあ言わせてもらうけどな、だったらあいつを見つけた時に即座に首でも刎ねちまえば良かっただろ! お前も殺すのには反対したよな。なんだよ、昔のご主人様の娘だから助けてやったんじゃなかったのかよ。そのくせ同じ口で『どこまで面倒見るか決めとけ』!? はン、バッカじゃねえの!? てめえが余計なこと言わなきゃ、クルスだってあんな女バサッと切って殺してたんだ! てめえだって所詮、事なかれ主義のお貴族様のくせに――、」

「やめろマルク!」


ドン、とクルスが机をぶっ叩いた音で我に返ったのか、マルクが固まる。戦の間、何度も繰り返された悪態だ。だがこうしてすべてが終わった今、過去を蒸し返すような話をいつまでもしていては、過去の憎しみばかりが引きずり残されてしまう。


クルスの剣幕に何かしかを察したのだろう、マルクが顔を歪めて目を伏せた。彼もクルスと似たような境遇でこの反乱軍に加わった経緯の持ち主だ。村を焼かれ、家族を殺されたマルクの貴族階級や王族に対する恨みは人一倍強い。それこそ、その場に居た騎士の一人でもあるシグレアへの憎しみは一層。


シグレアの方は――いつも通り表情の薄い整った顔に、しかし僅かな落胆を滲ませていた。お貴族様。マルクが吐き出したこの言葉が、シグレアとマルク、クルスとの境を明確にしている。

クルスはひやりとする思いを味わった。これまではなんとかうまくやってきたつもりだった。だが瓦解の足音はひたひたと迫っている。こうして宿敵を倒した今、ひび割れはいつ決壊してしまうか分からない――。


沈黙を破ったのはシグレアだった。


「……頭を冷やしてきます。それと、」


シグレアが言う。


「……マレイグに王女を幽閉するにせよ、王女には監視が必要でしょう。私が行きます。」

「なっ。」


シグレアの突然の申し出に、クルスは目を剥いた。なにを言いだすのか。まだ国の混乱は収まっていない。諸悪の根源は確かに断ったが、逆に言えば今我々が結束し、国をまとめていかなければ、この国はさらなる混乱に巻き込まれてしまうのに。

それ以上言葉もなく目を見開いたままのクルスに、シグレアは静かに告げた。


「マルク殿がおっしゃる通り、私は貴族です。彼女が王族であるように、それは今さら変えられないこと。……であれば私は私に課された役割を果たしましょう。どちらにしても誰かが引き受けなければならないはず。

王女を害さないと誓えるのであれば、他の貴族連中のことも私が引き受けます。」


その方がいいのではないですか。シグレアの瞳に問いかけられて、クルスは答えられない。


「早目のご決断を、クルス。」


そう言ってシグレアは静かに去っていく。氷の色をしたマントが翻った。咄嗟に立ち上がったクリスを断ち切るように扉は締められ、そう広くもない執務室の中には嫌な空気だけが残った。


「……悪かったよ。」


しばらくして、気まずそうにマルクが吐き出した。


「僕に謝られても。……もう言っても詮無いことだけど。」

「いや、でもさあ、あれしきでまさかあいつ、怒ったりなんて……。」

「ずっと溝を感じてたんじゃないかとは思うんだよ。」


でも僕らにもそれをどうにかできなかった。クルスがこぼした言葉に、マルクが唇を噛む。


「あいつ、いつもああじゃねえか。澄ました顔して、自分が全部正しいみたいに……。」

「実際彼が言っていることは正論だと思うよ。ただそれが相手の感情を逆なでする結果になることもある。」

「……。」


立ち上がりかけた姿勢をただし、再度革張りの椅子に腰を下ろしたクルスは、机の上に広げたままの資料に再度視線を落とした。冷たく凍えた青い瞳の少女が、じっとこちらを見ている。


(たしかに……。)


確かに、強大な魔力を持つ王族の姫君とはいえ、彼女はたったの十二歳。幽閉すると言ってもたった一人で雪深い山に閉じ込めるわけにもいかないだろう。それこそ緩やかに殺すためならば有効な手かもしれないが、クルスはそんなことは考えてはいなかった。現状この国で、彼女が生きやすい状況を作ることはかなり難しい。しかしあの、天然の要塞たるあの場所ならば、いかに王族に恨みをもっていようとも彼女を殺しに行くような輩は出ない。そういう判断があってこその選択だったのだ。


そして、仲間たちの今後の処遇。これも考えなければならないことだった。

シグレアの言う通りだ。

一つの大きな目標に向かっていた時には問題にならなかったことが、既に大きな問題として膨れ上がっている。いつ破裂するかわからない時限爆弾は早急に処理しなければならない。それがここまで人を殺しながら生きてきた、クルスの責任。


幾多の戦闘の時と同じく、今またクルスは判断を迫られていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ