22 裏切りと邂逅(1)
「この間の話ですね。」
「そうです。……エルゼリアード王女、お考えは変わらないですか。」
「変わるも変わらないも……私が選んでいいこと、なんでしょうか。」
「少なくともシグレアはそう望んでいるようでしたが。」
クルスが言っているのは、先日のシグレアとの面会の席で出た話の続きだ。あの時、シグレアからエルゼリに向けられた言葉の回答を求めている。
『私は今日を限りに、反乱軍から外れます。報酬は不要です。あなたの私兵として、側に置いていただけませんか。』
あのシグレアの言葉に。エルゼリが返したのは諾という返事ではなかった。きちんと体を休めて、その後で、きちんと話し合いましょうとだけ返して――とどのつまりは、逃げた。
黙り込んだエルゼリに、クルスが首を傾げる。
「何か理由がありますか。失礼ながら、あなたにはエマがいらっしゃる。シグレアの申し出も、彼女の申し出とそう変わるものではないでしょうに。」
形としては、そうだろう。エマは確かにクルスの要請によりエルゼリの傍付きとして扱われているが、エマの希望をエルゼリが受け入れ、結果としてそのような扱いになった経緯がある。……そして、エマ自身はクルスが率いる組織のどこにも所属することなく、エルゼリの傍付きになることを許された。
唇を噛み何も答えないエルゼリから視線を外して、クルスはエマの方を見た。だがエマもまた、静かに沈黙を保つのみである。主人に倣ってということか――成程、とクルスは頷く。
「それも、この間の魔法の件が絡んでいるんですね。」
「……。」
一層唇を噛み、言葉を発すまいとするエルゼリに、クルスは一つ息を吐いた。
「シグレアは真っすぐな男ですよ。立てた誓いを違えるような男ではありません。そもそも、そういうことが出来るならば、もっとうまく立ち回りもするでしょう。彼は元々、この国を変えたのちは、僕のところにはとどまれないと言っていましたから。」
とどまれない。とどまらない、ではなく「とどまれない」とはどういうことなのか。言葉の意味を取りかねて、エルゼリは顔を上げる。
「彼のことはいずれお伝えしておかなければいけないと思っていました。ちょうど彼もここには居ませんから、今のうちにお話しておきましょうか。今日を過ぎれば、僕が個人的にあなたと顔を合わせる機会を持つことが難しくなる。あなたを無事に送り出すためにも、お互いにあまり目立った行動は控えなければなりませんから。」
「何を……?」
「シグレアが僕の軍に入った経緯はご存知ですか。」
「いいえ?」
そのような話はシグレアからは聞いたことがなかった。エルゼリが知るゲームの記憶でも、理由にまで触れるようなテキストはなかったはずだ。ゲーム内での『シグレア』は、『勇者クルス』が交通の要所となる街を攻略する際、前後を挟まれピンチになったところで突如として現れる。味方である国王軍を裏切り、クルスに力を貸すことを誓って、ともに敵を殲滅するのだ。
(確か、国王軍を抜けて、たった何人かの部下と一緒にクルス様のところにやってくるんだわ。)
エルゼリの脳裡に、ある光景がよみがえってくる。落日の王国、血に染まる大地。悲しみと苦しみと怨嗟とが、国中の至る所から噴出していた頃の光景が。
エルゼリ自身が見たことではないはずの情報は、あの日――目の前で父と母が息絶えたあの時に流れ込んできた時のまま、鮮やかに脳裏を満たした。その上に、クルスの声が寄り添うようにかぶさる。
「シグレアが所属していた軍は、正規軍の中でも一番と言われていた騎馬隊の一人なんですよ。僕もそのあたりは、彼から聞いたことしか知らないんですけどね。」
テーブルの下で、知らず両手を握りしめる。クルスが今から語ろうとしていることは、『フェイタル・フォーマルハウト』で語られない、生身のシグレアについてのこと。本来は彼自身の口から聞くべきことなのだろうが……。
エルゼリが聞いていることを確認して、クルスが先を続ける。
「僕とシグレアがはじめて顔を合わせたのは半年ほど前ですね。カーンメールという町でした。」
「カーンメール……というと?」
「ここから20日ほど街道を南下したところにある町です。街道沿いですから商業が盛んで、昔は随分と栄えていたそうですよ。」
カーンメールは、ソドムアの東西と南北にそれぞれ伸びる街道の合流地点に当たる。古くからある町で、かつては王都ファルマーナに迫る発展ぶりだったそうだが、今となっては見る影もない。ただ、圧政下であっても細々といくつかのギルドが存続しており、国内での交易もやはり細々と行われていた。
「仲間が増えるにしたがって、どうしても食料や武器が必要になりますからね。王都に向かう前に、その町に立ち寄ることにしたんです。……今思えば、油断していたんだと思います。カーンメールには既に、騎士団が入り込んでいましたが、僕らは気が付かなかった。」
悔やむような声音でクルスは言った。
「町長から、数日の仮住まいとして人が住んでいない家をいくつか借り受けました。久しぶりの宿ですからね。皆喜びましたよ。でも、その日の夜――僕らは撤退を余儀なくされました。シグレアもそこにいた。」
※ ※ ※
「やられた!」
久方ぶりに屋根と布団のある宿にありつき、ようやく皆寝静まった夜半過ぎ。飛び込んできたマルクの声でクルスはたたき起こされた。
思わず開いた視界の先は闇に包まれている。深夜だ。窓からは僅かな月明かりが差し込んでいるが、今しがたまで深い眠りの底にあったクルスには心もとない光だった。
仲間達は眠っているようだ。丸くなった布団の下からは静かな寝息がいくつも聞こえてくる。誰も住まなくなって久しい屋敷の中、はっきりと目覚めているのは今クルスの肩を揺さぶっているマルクだけのようだった。
眠気を振り落とすようにして起き上がる。闇に慣れぬ目を瞬かせているクルスに、マルクが低い声で言い募った。
「何ぼさっとしてる! まずいぞ、クルス。罠だ。ここに居る奴ら全員たたき起こして、すぐにでもここから逃げないと。」
「……どういうこと?」
「この街はもう国王の手のうちだ。嵌められたんだよ。」
眠気は遠く去った。マルクが足早に窓へと近づき手招きする。足元で寝転がる仲間を踏まないように慎重に歩み、クルスも窓に近付いた。顔は出すなよ、とマルクが囁くのに頷いて、カーテンの隙間から静かに窓の外を窺ってみる。屋敷の二階にいたことが幸いした。相手の動きがよく見える。。――成程、街のあちらこちらに住民のものとは思えぬ人影が見え隠れしている。服装こそ騎士服ではないようだが、身のこなし、腰に下げた得物。足音を極力立てない身のこなし。どれをとっても一般人のものではありえない。
昼間のうちには敵の気配はなかったように思うが、今思えばうまいことこの街の中に分散して隠れていたのかもしれない。カーンメールの町長はクルス達をを快く受け入れてくれたように見えたが、それが演技だったのだとすればあり得ないことでもなかった。
「この辺りはちゃんとした格好してるやつがいないから、どこの軍の騎士だかまでは分からねえ。でも練度は高そうだ。今まで当たった奴らよりも統率がとれてる。あるいは頭がそこそこできる奴なのか……。」
「……マルク。君、よくここまで見つからずにこれたね。」
哨戒のために一人外を回っていたはずの友人は、クルスの感嘆に「当たり前だ」と鼻を鳴らした。
「日頃の訓練のたまものだ。――オイ、コラ。キリーク。起きろよ。寝てる場合じゃねえよ。」
クルスの隣に陣取り眠っていた金色の髪の主は、地を這うようなマルクの声に飄々と答えた。
「大丈夫、起きてる。」
「狸寝入りかよ。よっぽどたちが悪いや。死にたくなかったら静かに全員サクっと起こせ。――と、クルス。俺は他の奴らも起こしに行かなくちゃならねえからそっちに行く。町を出てしばらくは分散していたほうがいいかもしれない。どこで集まるかだけ決めてくれ。」
「街道沿いは避けた方がよさそうだ。ジャーリまで戻って立て直そう。……期限は六日後。君は何とかここを抜けて、援軍を頼んできてほしい。」
「分かった。なんとか見つからないように逃げてくれよ。」
「そっちも。」
言うが早いかマルクは振り返ることもなく駆け出し、部屋を出て行った。おそらくどこかの木でも伝ってこの屋敷に入ってきたのだろう。あっという間に気配も消えた。元々狩りを生業にしていたマルクは、運動能力に優れている。敵の気配を読むのも巧みだ。危険な役目だが、彼一人ならばこの町を抜けることもできるだろう。
全員を叩き起こし、手早く身支度を整える。
先に支度を終え、窓から外を見ていたキリークがゾッとするようなことを呟くのが聞こえた。
「一刻ほどすると月が落ちる。それまでにここから逃げておかないと、闇に乗じてこちらが根こそぎ狩りつくされるぞ。ああ、あるいはそれよりも前にこちらが町ごと焼き払われるかな。」
懸念はほどなく現実となった。