―― (1)
気が付けば彼はそこにいた。
己の肉体の感覚はなく、すべてが溶け合うように曖昧な、真実の暗闇だけの世界。左右どころか天地も分からないほどの深遠。己の肉体というものが存在しえない精神世界。
光さえ吸い込むほどの暗闇の中では、人は己の存在を保てない。おそらく常人がこの場に足を踏み入れることがあれば、数分ののちには自我を失い、戻ってこられなくなるだろう。
認識をしてくれる他者は存在しない。肉体が存在しえない場所だから、形を確認することもできない。自問によってのみ己の存在を確認できる――といっても、それを延々と続けられるだけの、強い自我を持つ人間は果たしてどれだけいるだろうか。
彼にとってこの光景は日常の一幕であった。どうしてこの場所に己がいるのかも分かっている。だから当然、己を見失うようなこともない。もう自分は異常なのだろうなと頭の片隅で考えつつ、彼はまったく違うことを口にした。
<なんのご用だい。どうせ大した用事でもないんだろ?>
口にしたわけでもない思考は、しかしそのまま虚空の先へと飲み込まれ、即座に音のない波に変わって戻された。音もない意志が彼の中へとそのまま投げ込まれる。
頭の中から何もかもを掻きまわされるような、原始的な恐怖と苦痛。本来異なるはずの言語さえ妨げになることはなく、相手の意志は彼に伝えられる。不服……それから苛立ち。なるほどなあと飲み込んで、彼はまた思考を返す。
<なんだよ、文句でもあるの? 都合よかっただろう? 近場の不穏分子は排除できたわけだし。エルゼリアード王女の力を開放しておいたことだってそうだ。>
エルゼリアードを死なせることは出来なかった。彼女を生き残らせる。それも契約のうちに含まれていたからだ。
すべては予め定められた筋書きの通りに――もしもそれが叶わなければ、その先に待つのは『リセット』しかありえない。
彼の答えに不快を表す波が襲い掛かる。ぐちゃぐちゃに頭の中身を掻き混ぜられて気持ちが悪い。だが吐き出そうにも吐くための体はなく、叫ぼうにも叫ぶための口もない。彼はただ、相手の思考を待った。
考え込んでいるのだろうか? こういうところは、人間臭いと感じないでもない。
だが相手は自分よりもはるかに格上だ。油断はできない。相手の思考を後押しするように、ごく自然な風を装って、彼は己の言葉にこっそりと毒を滑り込ませる。手駒としてそこそこには働いたはずだ。そこに、相手の油断がある。
<……結果的にあれをやってなかったら、二人は死んでた。違う? そうなったら困っただろう? こっちにはこっちのやり方がある。方法手段なんていくらでもあるんだからさ。そういうこまごましたことは俺に任せて、あんたらはゆっくり待ってなよ。>
やがて、然り、と至極簡単な思考が戻された。予想通りだ。ここまで予定通りに消化したシナリオを、相手も今さらひっくり返そうなどとは言い出すまいという確信があった。彼はもしも己に肉体があれば会心の笑みを浮かべてやったのにと思いつつ、上機嫌で答える。
<あと少しだ。協力しようぜ、カミサマ。>