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18 奇跡の片鱗

「あーあ。すっかり燃えちゃってまあ。」

「……。」

腕に失神したエマを抱えたままで、クルスは隣で鼻歌でも歌いだしそうな気配のキリークを睨みつけた。

辺りにはすすり泣きの声や悲鳴が響いている。皆、目の前の教会から命からがら逃げだしてきた人たちだ。あの爆発の規模を考えれば奇跡的と言っていいだけの人が、顔面に爆発の恐怖を貼り付けたまま、寄り添うようにして地面に腰を下ろしている。白い砂利を敷き詰められた参道の左右、柔らかな芝を植えたこの場所は、本来ならば信徒たちが心穏やかに過ごすための場所。しかし今この場にいる人々は、ただただ茫然と燃え盛る炎を見上げ、途方に暮れている。

クルス達を案内してくれていた神官の姿が座り込んだ信徒たちの狭間に見え隠れしている。彼は他の避難してきた神官らとともに怪我人の治療に当たっているところだ。座り込んだ人たちに声をかけては癒しの手を翳す。神官にのみ許された治癒魔法だ。これで少しは皆安らげるだろうか。だが重傷者は城に収容することも考えなければならないだろう。魔法で傷を癒しても、体が受けたダメージそのものが皆無になるわけではない。

「痛いよ……。」

「大丈夫、すぐに治るよ。ほら。」

神官の手指が魔法を帯びて、光を発する。優れた癒やし手が多く集まるこの場所でこのような事態になったことを果たして幸運と呼ぶべきなのか否か。背後に流していた視線をクルスは正面へと向けた。

先ほどまでは静かに佇んでいたはずの教会。聖なる祈りの場が、燃えていた。風に煽られ、肌を焼くような熱気が離れたこの場所にまで吹き付ける。

炎は先ほどよりもずっと強くなっているようだ。外壁は石を積み上げて作られていることもあってか崩落を免れているが、内側から燃え広がった炎があちこちの窓から噴き出していた。天井の一部は既に焼け落ちたのだろうか、礼拝堂の屋根と思しき場所から流れ出した黒煙がはるか上空まで伸びて空の一部を染めている。澄んだ青空の一部だけが墨をぶちまけられたように塗りつぶされ、目に痛いほどのコントラストだ。

鼻につく焦げ臭さ、辺りに漂う血の匂いは、かつて戦場で幾度もクルスを苦しめた。今もまたかつて嗅いだものと同じ臭気が、クルスの心を戦場へと巻き戻していく。この場に居る人々の多くも、何らかの形で戦を直に見聞きしているはずだ。もしかしたらクルスと同じように、かつての地獄を思い出しているのかもしれない。


――国王と王妃の首を刎ね、挿げ替える首が見つからぬ今、命を取るまでは至らぬと判断したエルゼリアード王女を死なせるわけにはいかなかった。王族として唯一生き残ったエルゼリアード王女から委任されるという建前でこの国を乗っ取った格好だ、彼女の命が失われれば、現在しぶしぶクルスに従っている地方貴族らの反発を免れられない。

多数の目がある街中でエルゼリアードを餌に事件を起こして首謀者をあぶり出し、その人物を断罪する。結果、彼女に手を出せばどうなるのかを周囲にしかと知らしめることでエルゼリアードの今後の安全を買う。それこそが今回の外出における最大の目的だった。そのためだけにエルゼリアードを城の外へと連れ出す計画が立てられ、意図したうえで情報を『外』に流した。万が一の際の犠牲者の数を可能な限り減らせるように、また見届け人の一人として相応しいという理由で、クルス自身も計画に組み込まれ。

堅牢な城の奥からほとんど外に出ることのない王女を殺すためならば手段を選ばない、そういう一番極端な一派を一網打尽にするためにはこれだけの仕掛けが必要だった。果たして事件はもくろみ通り実行された。


何もかも、クルスの予定通りだ。だが一つだけ予想だにしない要素があった。頭がついていかない。目に映った姿を、クルスの心が頑なに否定している。

(魔弾だった。)

しかも、それを使ったのはクルスがよく知る人物だった。

瞼の裏にはかすかに、しかし拭い難くある男の姿が焼き付いていた。クルスとともに永らく行軍を続けてきた反乱軍の一人、ジルバの姿を見間違えるはずがない。

彼が投げたのは一般には決して出回ることのない爆弾、魔弾だ。僅かにしか魔法を帯びていない一般人でも、起爆用の呪を唱えるだけで起動させることが出来、爆薬とは異なり貴重な火薬を多量に使用することもない。原理を細かく知っているわけではないが、炎の魔法が起動すると同時に中に詰めた油に引火、更にその内側に閉じ込めた冷気を帯びた鉱物、そして僅かな火薬が炎に反応して爆発する。

先の戦いで何度も世話になった道具の一つだ。起動のさせ方にコツがいるが、効率よく相手を倒すことが出来る武器として重宝した。だが誰もが簡単に扱えすぎるところが問題といえば問題でもあった。心無い人物の手に渡ってしまえばいかにでも悪用ができる代物だからだ。それゆえに反乱軍が所持する数多の武器の中でも特に厳しく管理されている。


それをまさか、ジルバが使うとは。それもこのような、確実に犠牲者が出るような場でためらいもなく。


「キリーク。」

「何。」

ほとんど確信を抱いて、クルスはキリークを睨んだ。あの道具を開発したのはこの男だ。その管理を任されていたのも。

先ほど書店で買い求めた本に突き刺さった木片を抜き取りながら振り向いたキリークに、クルスは苦い思いで問いかけた。

「……今回の件、お前が仕込んだのか。」

「さあ。どうかなあ。」

真面目に応えるつもりがないような、受けながす色を帯びた声に思わず眉を跳ね上げたクルスだが、キリークはもうクルスを見てはいなかった。

キリークは、ただじっと教会の入り口を見ている。既に炎を帯びて燃え落ちた、扉があったはずの場所を。赤々と燃える炎と黒煙を吐き出す虚に注がれる視線には、いつものふざけたような様子はない。完全にいつもの仮面を外した底からのぞく、恐ろしいまでの無表情。

歌うような調子でキリークが囁いた。

「外から崩れるか、中から崩れるか、あるいは両方か……。」

「何?」

「お前が恐れていた事態はこれで避けられる。そうだろ、クルス。良かったじゃないか。」

――確信犯か。咄嗟に胸の奥から溢れ、唇から怒声に変わって吐き出しそうになる衝動を辛うじてクルスは耐えた。抱えたエマの肩に指が食い込みそうになるのも、耐える。いけない。今ここでそんなことをすればすべては無駄になる。この場にはクルスとキリークだけではない。焼け出された数多の市民の目があるのだ。

ぎりと歯を鳴らしたクルスをちらりと見たキリークが、しかしはっとしたように視線を教会の方へと戻した。

感情の浮かんでいなかった目にかすかな警戒の色と、それ以上の驚きが広がっていくのをクルスは見た。


「音が……?」


キリークの呟きとほとんど同時に、クルスの耳にも何かが聞こえた。鈴のような微かな音色……声?


――そして。


「何だ!?」

「光ってるぞ!」


ざわめきが広がる。茫然と座り込んでいた人々のうち何人かがよろめきながらも立ち上がる。

クルスの目にも確かに光が見えた。礼拝堂の脇、通路の方からだろうか。炎の光とは違う何かが燃え盛る炎の狭間に生まれ――ぐん、と強さを増した。みるみる広がる白い光。

それは四方八方あらゆる方向に向かって拡散した。炎を押しのけ、黒煙さえも貫く光が一気に膨れ上がって、咄嗟に塞いだクルスの瞼さえ焼いた。そして一瞬遅れでどっと烈風が吹き付ける。息さえ詰まるほどの圧力で煙と灰、熱――そして、膨大な量の魔法力が。数多の塵に混じって吹き付けるそれは、辺り一面を光に染めた。触れたそばから皮膚に浮かんでいた小さな傷がみるみるしぼんで消えていく。細胞を活性化させて傷を癒す、神官らが操る癒しの術に近いが――規模が、桁違いだ。まったく無差別にまき散らされた欠片ですら、これだけの力を放つだなんて。

力の片鱗をまざまざと突きつけられ、クルスの背筋をぞっと悪寒が伝い落ちた。


(エルゼリアード王女か……!)


彼女は死んでいない。生きている。この魔法の渦の中心に彼女がいる。だとすれば恐らくはシグレアも。


息さえできない数秒、あるいは数十秒を経て――。

閃光は波が引くようにして収束した。まるで吸い込まれていくように消えた光とともに、風も止む。ふわりと名残が頬に吹き付ける頃、ほとんど確信をもって持ち上げた視線の向こう。教会全体を包んでいた炎は燻る程度にまで勢いを減じ、黒煙だけが先ほどまでと変わらず空の向こうへと流れていくのが見えた。



※ ※ ※



「……っ、」


ここは、と吐き出した己の声のあまりの酷さに、彼は思わず顔を顰めた。

喉が痛い。内側から引っかかれたかのような粘膜のざらつきと、かすかな血の味。酷い風邪を引いた時ですらこれほどの違和感を感じることはなかった。焼け付く酸を飲み下したような、あるいは炎を飲み下したような……。

炎、という単語が頭に浮かんだ直後、彼は弾かれたように起き上がろうとして――うぐ、と情けない悲鳴を上げた。胸から背中に向かって電撃が駆ける。それが言葉にならないほどの痛烈な痛みであると認識したところでようやく、シグレアは己の状況を認識した。

ふかふかと身体が沈み込むような清潔なベッド。枕に半分以上頭を埋めるような状態で、シグレアは天蓋を見上げていた。豪奢なベッドだ。王宮のもので間違いない。何たる無駄、何たる贅沢。だが問題はそこではない。どうして今、己がこのような無様を晒しているかということが問題だ。

(確か私は……。)

ファルマーナ教会……燃え盛る炎、崩れた通路、その先で確かにジルバの姿を見た。彼が起動させた魔弾の光も。

……連鎖的に己が彼に刺されたこと、その瞬間のエルゼリアードが浮かべた絶望的な表情、確かに己の体から流れ落ちた血の温度を思い出して今度こそシグレアは悲鳴を上げた。

「エルゼリアード様……っ!」

「シグレア様!?」

無理やり起こそうとした体は何者かによって上から押さえつけられた。侍女だった。シグレアの悲鳴に気が付いたのかすぐにさらに数名が駆けつけ、シグレアの両腕を押さえこんだ。

普段ならばそんなことで後れを取るシグレアではないが、怪我の程度が酷かったのだろう、たったそれだけで完全に身動きが取れなくなった。このいかにもふかふかとした寝具もよくない。鉛のように重い体を引き起こせない。泥の沼に囚われでもしたかのようだ。だが確認せねばならないことがある。苛立ちのあまりにシグレアは叫んだ。

「邪魔をするな、退け……ッ、」

「いけません!」

「駄目ですよ、まだあなたのお体は完治には遠いんですから!」

「エルゼリアード様は……!」

まさか彼女はあの炎に巻き込まれて――それは絶対にあってはならない想像だった。あの事件はほぼ間違いなくクルスによって計画されていた。それを止められなかったのはシグレアの力不足。彼女にはクルスの思惑も、ジルバの恨みも関わり合いなどなかった。

どれだけ暴れただろうか。


「落ち着きなさい、シグレア・アルフレド・バルディス。」


聞こえてきた静かな、まるで平時と変わりない声に、思わず喉の奥が震えた。その震えはシグレアの手指、果ては後頭部のあたりにまで伝わり、全身を痺れさせていく。

抵抗の止んだ彼の上からは侍女らが音もたてずに退いていき、代わって見知った気配が近づいてきた。

シグレアは首をゆっくりと巡らせ、そちらを見る。


「エルゼリアード王女は無事だよ。」


柔らかい声の底に確たる己を持つ男。シグレアを惹きつけてやまない年若い英雄は、まったく揺らぐことなくそこに立っている。

いつの間にこの部屋にやってきたのだろうか。クルス・エルバンだった。


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