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14 白亜の教会

書架をさらい、エルゼリが二週間くらいの間に読めそうな分量の本を選ぶ。一冊二冊と見つけた本をシグレアに持ってもらいつつ、書架の狭間を漂う。だがすぐにそれも行き詰った。題名一つとっても、少しでも難しいものになると自力では読みこなせないエルゼリでは、そもそも自力で本を選ぶこと自体が難しい。

「……失礼ながら、やはり子供向けの本から始めたほうがいいんじゃありません?」

「エマ殿のおっしゃる通りです。一行読み進めるたびに辞書を引いて、というのは想像以上に骨が折れることですよ。最初は読みやすいものから始めた方が。」

エマやシグレアの常識的な意見に店主も頷き、別の書架へと揃って移動する。奥の方に子供向けの本をまとめた区画があるのだそうだ。

人一人が歩くのがやっとといった体の通路を、ぞろぞろと歩く。全員が一直線に歩いている図を想像すると、エルゼリの口許は意味もなく緩んだ。

(それにしても本当にすごい。)

薄暗い景色自体は見慣れたものだが、それにしてもこれだけの本が一か所に集まっている図というのは壮観だ。一生かかってもエルゼリでは読み切れない量の本がここにはある。

「こっちだ。」

棚には特に張り紙もないのに、何がどこにあるのかはあらかた把握しているらしい。店主は迷いのない足取りで、奥まった一角にエルゼリ達を案内した。

「この辺りが子供向けの本だ。あまり数は無いが、それでも先ほどの条件に当てはまるものもあるはずだ。私は地図を探してくる。エルバン、お前も来い。」

「手伝いですか? はいはい。」

「手伝いでしたら私が……。」

挙手したエマを店主が一瞥した。お前はお呼びではない、とでも言いたげな視線にさすがのエマもムッとし、一触即発の空気が漂う。

「なにー? ケンカ? エマさん、やめときなよー。この人の相手すんの、めんどくさいからさ。クルスに任せた方がいいって。」

「ぎゃああ!」

「!? どこから来た!?」

突如店主とエマの間に割り込む形で現れたキリークのせいで、両名からはあまりにもらしからぬ悲鳴が漏れた。結果、その場は騒然となり、不穏な空気はあっという間に霧散した。

「じゃあ行ってくるから。迷わないようにここで待っててください。」

言い置いてクルスが店主とともに去っていく。残されたエルゼリは本を探し当てることに集中することにした。


※ ※ ※


「ここらでいいだろう。」

エルゼリらがとどまっている書架からはいくつかの通路と書架を経た先。店主が足を止めたのは彼らの声がほとんど聞こえないくらいの位置にある、書架の一角だった。当然彼の後ろを歩いていたクルスも立ち止まる。

「……エルバン。噂を聞いた。」

店主が振り返る。けだるそうに腕を組んだ姿勢で、彼は探るようにクルスを見た。

「噂、ですか。」

「ソドムア王の血を引く王女が外に出る、と。国教会に赴くらしいという噂もあったな。それも今日。」

「へえ。」

「白々しい。お前の差し金か。噂の内容が妙に具体的過ぎる。」

「どうでしょうね。」

「……それほどまでに殺したい相手なら、お前が手ずからそうしてやればいいものを。」

嫌悪を隠しもしない店主に、しかしクルスの顔には笑みが浮かぶ。確かに噂を流すように指示を出したのはクルスだが、その意図は店主が言う者とは大きく異なる。だが確かにその話だけが外に出回れば、店主のように受け取る者の方が多いのだろうと想像はついた。……もっとも、この店主のように情報の仕込みがクルスの仕業であると気づくもの自体が殆どいないだろうが。

「随分彼女に肩入れしますね。」

「少なくともあの娘は今知識を欲している。お前なんぞよりよほどいい客じゃないか。」

「違いないですね。」

物語や神話に心を躍らせるようなところはなく、必要とするのは大軍を率い、どうやって効率的に戦うかという知識のみ。そんなクルスにとっては書物も実用品の一つでしかないが、書物を偏愛する店主にとってみればその点こそが気に入らないのだろう。

クルスと店主の付き合いは、クルスが王都への進行を考え始めた頃にまでさかのぼる。戦を進めるにあたり、王都周辺の詳細な地図を求めていたクルスに、彼の方から接触してきたのが始まりだ。――店主が保管している書籍は、見る者が見れば宝の山に等しいものだが、ソドムア王にはそうではなかったらしい。子供向けの物語から歴史書、果ては地理書や地図のたぐいまで片っ端から焚書の憂き目に遭いそうになったことで国に見切りをつけた店主は、自らクルスに保護を求めてきたのだった。ちなみに山とある在庫は、王都住まいの仲間や王都外に住む親類の手まで借り、命がけで運び出したらしい。相手の命にも頓着していない辺りが、店主の破たんぶりを物語る。

クルスが王都を比較的短期間で攻め落とすことが出来たことも、街にさほど大きな損害を残さずに済んだのも、結果としてみれば彼が所持していた地図の効果が大きかった。王都の裏に位置する山の方面と、城壁の正面、双方から挟み撃ちにする形で主要施設に集中的な打撃を加えたことで、ソドムア王は籠城する間もなくあっさりと敗れたのだ。

もちろん店主は己の命よりも大切な本を(いくらか損害が出たとはいえ)守ることができた。しかし二人の関係は付かず離れず、といったところで、仲間意識は正直薄い。

それなりに長い付き合いがあり、互いに互いに対する恩義がありはするものの、クルスと店主の考え方はまるきり違う。クルスにとっての本とは、あくまでも現在の人々が必要に応じ活かす道具の一つでしかないが、店主にとっては時に人の命以上に大切な知恵の結晶体そのもの。装丁家が愛情込めて仕上げた表紙から、活版師が寝る暇も惜しんで組み上げた文字一つ一つ、当然中身まで、店主に言わせれば本には愛が詰め込まれているそうな。数多の人の手を経由して出来上がった本を子供や恋人のように思うことは普通だと豪語する店主の思考は、さすがのクルスにも真実理解するのは難しい。本を愛する、という表現は聞こえこそ良いが、彼のように真実、何を差し置こうが本を愛するというのは少々行き過ぎている。

そんな店主だからこそ、他人を気に入るなんてことはとても珍しいことだった。そもそもこの店主、気に入らない相手であれば書架まで入れずに店からたたき出すくらいのことは平気でやる男なのだ。

「私はあの娘の素性になんぞ興味はない。良い金蔓が増えたと喜んでいるだけさ。――まあ金を出すのはあの娘ではなくお前だろうがな。」

「はいはい。」

今度こそクルスは堪え切れずに噴き出した。


※ ※ ※


全員揃って店を出た頃には日差しが南中を迎えていた。遠くから鐘の音が聞こえてくる。二時間近く店内をうろついていた計算になるだろうか。

揃って歩き出しながら、エルゼリアードは隣を歩くクルスに声をかけた。

「いろいろと借りていただいてありがとうございました。……それに、辞書と地図まで買っていただいて……。」

「いいんですよ。必要なものでしょうしね。」

ニコリと笑うクルスに、エルゼリは感謝と申し訳なさから頭を下げるしかない。けっきょくあの店では数冊の本を貸してもらうことになり、辞書と地図については店主とクルス双方からの勧めもあって購入することになったのだ。借り物では書き込みもできないだろうし、どちらも一つずつは持っておくべきというのが店主の説明だった。今のエルゼリにはピンとこないが、彼の話は専門家だけに説得力があるように思えた。ちなみに借り受けた本数冊と辞書、地図はすべて後から王城まで届けてもらう手はずになっている。

「それにしても……キリーク。君もあとから運んでもらえばよかったのに。邪魔じゃないのかい?」

楽しげに先頭を行くキリークの背中に、クルスがため息をつく。

「それだとすぐに読めないじゃない。分かってないなあ。」

振り返ってへらり、と笑ったキリークの手には分厚い革表紙の本が抱えられる。どうやら彼個人が購入したものらしい。腕から見える裏表紙には何も書かれておらず、内容がどのようなものであるのかは窺い知れない。キリークはくるくるとよく動く黄金色の瞳をエルゼリに向け、にっこりと笑って見せた。

「まあ持っていれば読む以外にも役に立つこともあるし。」

「?」

「それよりもほら、見えてきたよ。」

道の傾斜が少し強くなった先。キリークが指差す方向に白亜の尖塔が見えてきた。家々の隙間にチラリと見えるそれは、馬車から見たときよりもずっと大きい。

「教会です。」

言葉少なにシグレアが言う。右斜め後ろからの声に、エルゼリは耳を傾けた。

「今朝申し上げた件、くれぐれも。」

それ以上はおそらくエルゼリの左斜め前を歩くクルスを、あるいはその前を楽しげに練り歩くキリークを警戒してのことだろう。舞い上がりかけていた気持ちが、またぴりりと引き締まる。

濁しつつも告げられた警戒の言葉に、エルゼリは振り返りもせず、そうと分かる程度だけ頷いた。


石畳の坂道をゆっくりと上がっていく。

どれくらい歩いただろう。かすかに額に汗が滲み始めた頃。ようやく視界が開けた。思わずエルゼリの口からは感嘆がこぼれる。

「うわ……!」

最初に目にした中央広場よりもちろん規模は小さいが、かなり広い。ぐるりと丸く切り開かれた地面には一本の白い道が伸び、その先は白い石を積み上げて建造されたらしい教会に続いていた。先ほど見えていた尖塔は、どうやら教会の中央、一番高いところに位置するものらしい。三角屋根の下には黄金色に輝くベルが鎮座して、こちらを静かに見下ろしていた。

飾り気の少ない、しかしいかにも神聖なものを抱いているようにも見える教会の入り口には、驚いたことに道すがら見てきた商店街や広場よりも人が集まっていた。白いゆったりとした装束に身を包んだ修行者だけでなく、この近辺に住んでいると思しき一般の住民の姿も多い。年齢は様々。子供から老人まで、一人あるいは数名で次々と扉をくぐり、中へと消えていく。

「ここがファルマーナ教会ですよ。」

「随分人が多いんですね……。」

はあ、と息を吐きながらぐるりとエルゼリは周囲を見渡す。人はひっきりなしにエルゼリ達が歩いてきた方向から流れ込んできているようだ。

一人王城の地下で生活していたエルゼリにとってはなにもかもが物珍しい。気付かれないように見ているつもりだが、なかにはこちらの視線に気がついて困ったような表情を浮かべる人もいる。配慮が足りないのだろう、申し訳のない限りである。

「この辺りに住んでいる人だけではなく、他の地域からの修行者も集まる場所なんですよ。いちおう見学許可をとってありますから、ゆっくり見て回りましょう。」

クルスに促されて、一行も人波に混じり正面玄関の方へと向かっていく。――と。背後でキリークが立ち止まったのに気がついて、エルゼリは振り返る。キリークは薄い唇に笑みを浮かべ、どこか遠くを見つめている。その先をエルゼリも見た。何がある――というものでもない。見えるのは教会を訪れる人々の波と、緩やかな斜面を描いて続く街並み、そしてここからでも間違えようもないくらいはっきりと見える、城壁に囲まれた王城――。

「どうかしましたか、エルゼリ様。」

エマに声をかけられ、エルゼリは首を振った。

「ううん、なんでもないわ。行きましょ。ほら、シグレア様も。」

「はい……。」

釣られるように立ち止まっていたシグレアにも声をかける。既に何歩か距離の開いてしまった先で、クルスが手招きをしているのが見えた。


ゴーン……。


尖塔の上から鐘の音が降り注ぐ。再度流した視線は、キリークの黄金色の瞳にまっすぐにぶつかった。


気を付けて。


音もなく彼の唇が動いたのを、エルゼリは見た。

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