のぞみ
13番目の王子。それが俺。
王になるなんて誰も思っていなかった。俺自身もそうだ。
――王とは、一体何をするものなんだろう?
王になってから約8年。
俺はここに自分がいる理由がわからない。
イルザを見つけたのは偶然だった。
王族関連の古い本を読み漁っていた時に、イルザのような兵器の存在について書かれている本を見つけた。そしてその本の中で、すでに廃れてしまった古代文字で暗号が書き付けてあった。廃れてしまった古代文字の解読にはかなりの時間を要した。また暗号自体も難解だった。結局、その本を見つけてから5年近く暗号解読までにかかった。しかも暗号を解読できたのも、全く偶然だった。暇つぶしに読んでいた古くから伝わる寓話がカギだった。
さまざまな偶然が重なって、大木の地下に眠るイルザを見つけた。大木の根がイルザの眠っていた部屋の天井を支えているようだった。真っ暗な狭い部屋で、とてもほこりっぽかった。中央にイルザが横たわり、部屋にイルザ以外なにもないようだった。透明な、何でできているのかわからない箱の中にイルザは横たわっていた。少女であることに驚きを隠せなかった。本を読んで想像していたものとはかなり異なっていた。もっといかつい大男だとか、得体のしれない化け物を想像していた。
透明な箱に近づくと、やわらかい光がイルザから発せられた。吸い寄せられるように近づくと、イルザが入っていた透明な箱がゆっくりと消えた。その光景にさらに驚いて、声が出なかった。そしてイルザを包んでいた光は急速に消えていった。
光は消えていったが、イルザが起きる気配は一向にない。死んでいるのか?脳裏にそんな考えが浮かんだ。
「おい、起きろ」
声をかけて、数瞬ののち、ゆっくりとイルザの目が開いた。松明の明りで顔を照らすとまぶしそうに目を細めた。赤い髪は明りで橙に輝いていた。切れ長の目は長く細い睫に覆われていた。紫の目が印象的だった。歳は15,6歳に見えたが、文献からすると300歳は超えている。一体どんな技術でこんなものができるのか、想像ができなかった。このソーンチカ大陸には古代文明が存在し、その文明が隆盛を極め、現在では考えられないような技術があったという。どうやらそれは本当だったらしい。今はおとぎ話として伝わっているし、そんな技術は全くこの世には存在していない。
まじまじと見ていると、イルザは起き上がり、彼女の薄く赤い唇が開いた。
「あなたが私の主ですか?」
「……ああ、そうだ」
俺がうなづくと、イルザは立ち上がり、俺の足元に膝を折ってかがんだ。そして首を垂れると、さらりと赤い髪が流れ、細い首が覗いた。
「お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「……アヒム・フォン・エンデ、……アヒムでいい。お前は?」
「イルザと申します」
イルザは顔を上げた。そして、どこに持っていたのか、かつては美しく輝いていたであろう古ぼけた金色の指輪を恭しく差し出した。
「これは?」
「あなたが私の主である証であり、これはあなたと私をつなぐものです。これを身に着けている方の命令に私は必ず従います。またある程度の距離であるなら、心の中で会話できます」
「心の中?……便利なものだな」
イルザの手から古ぼけた指輪を取った。松明の明りでよく観察しようと顔の前にかざした。
指輪は明りで多少輝いてはいたが、ところどころ黒ずんでいた。変わったところはなく、ただの細い金の指輪だった。何か文字でも彫ってあるかと思ったが、全くなにも刻まれていなかった。
「これを外したら主ではなくなるのか?」
「その指輪は、一度身に着けると自身が外したいと思わない限り外れません。ですから他人にはどうこうできません。ただ主が死ぬと他人でも外せます」
「そうか……」
――呪いのようなものなのだろうか?
「指輪をはめる指はどこでもいいのか?」
「右手の薬指に」
特に変わったところもないので、指輪をはめてみるかと思った時、ふと気になったことを口に出した。
「主の命令は絶対なんだよな?」
「はい」
「なら、死ね、と言えばお前は死ぬのか?」
「……主のご意志のままに」
イルザは言い終わると首を垂れた。今まで機械的だった返答が、一段と機械的になった。
――悲しいのだろうか?兵器でも感情があるのだろうか?
面白い、そう思った。そして俺は古い、よく言えばアンティーク調の指輪を右の薬指にはめた。
「わが主よ、指輪があなたと私をつなぐ限り、あなたの命に従い、またあなたを全力でお守りいたします」
抑揚のない声が暗闇の中に溶けていった。
きしりと小さな音が背後からあがった。イルザは、扉から入室せず、なぜかいつも窓から入ってくる。以前、理由を聞いたが答えなかった。外の見張りの兵に会いたくないのだろうと勝手に解釈していた。
イルザに俺の執務室に来るようにと命じたことはなかった。だが、日が暮れると窓からやってきて朝までずっといた。俺は寝室に行くことなく、ほとんどこの部屋で寝起きしていた。そのため、必然的に同じ空間で過ごすことが多かった。俺は書類の整理や書物を読んで過ごし、イルザは指定席となった入り口近くの椅子に座り、寝ていた。余計なことは話さない。指輪でつながっていても、心の中で話すことはほとんどなかった。
「食事を」
不思議なもので、イルザはいつも俺の食事を持ってきた。イルザ自身は食事を済ませてくるらしい。俺が朝くらいしかまともに食事をとらないことを知ってからの行動だった。一応、俺を気遣っているらしい。
「ああ、置いてくれ」
書類から目を離さず言った。イルザは音もなく俺に近づくと、脇をすり抜けて執務机に盆を置いた。
「熱いうちに召し上がって下さい」
皿の上に布がかぶせてあるため、何かはわからないが、香ばしい香りが漂ってきた。以前から料理長には、もっと食べろと言われてきた。食事のために移動するのも面倒であったし、そもそも食べることに興味がないので、料理長の言葉を流してきた。今でもそれは変わらないのだが、イルザが食事を運んでくるので食べるようになった。
書類から目を離すと、まだイルザは机の脇に立っていた。無表情で俺を見ている。おそらく食べろということなのだろう。今まで朝食べるだけで生きてこれたのだから、別に夕に食べなくても死ぬわけがない。こいつ自身が、食べなければ暴走するので、食事に関して過敏なのかもしれないが少々面倒だと思ってしまう。
「……食べる」
書類を机に投げ出し、上にかぶせてあった布を取ると、イルザはようやく離れた。
香ばしい香りはソーセージからだった。一緒に盆に載っていたフォークを手にし、ザクッとソーセージに刺した。茶色い皮から肉汁がジワリとにじむ。皿には一緒にマスタードが添えてあったが、つけるのが面倒でそのまま口に運んだ。1人分のはずなのに6本も細長いソーセージが皿に載っていた。他にピクルス、クルミ、ライ麦パン。俺にはライ麦パンだけで十分だった。
ソーセージを咀嚼しながら、なんとなく外を見たくなって窓の方に体の向きを変えた。
外は真っ暗闇だった。イルザが来たのだから、夕方だとわかってはいたが、それでもこんなに暗くなっているとは思わなかった。会議が昼過ぎに終わって、それからずっとこの部屋にいた。書類や書物を読んでいると、時間が矢のように過ぎていく。
1本目のソーセージを飲み込み、2本目に取り掛かろうと思い、体の向きを戻した。
皿からなんとなく視線を上げると、イルザが部屋の入り口脇に置いてある椅子の上で丸くなっていた。いつもそうなのだが、両膝の間に顔を挟んでいるので、寝ているのかわかりにくかった。
――楽しいか?
心の中で、呟いた。普段はしないはずなのに、話しかけてみる気になった。
イルザはパッと顔を上げた。視線が合う。起きていたらしい。イルザは口を開けかけて閉じた。
――楽しい、とは?
――フィデリオたちとうまくやっているようだが。
――うまく、とは、菓子をくれたり、髪を結ってもらっているということか?
イルザの顔は困惑していた。俺の質問の意味を測りかねているようだった。それに加えて、俺が雑談のような会話をすることも、イルザを困惑させる原因の1つだと思う。
2本目のソーセージが食べ終わり、皿にフォークを置いた。
「食べるか?」
残りのソーセージが載った皿をイルザに差し出した。
俺はピクルスとクルミを口に放りこみ、こぶし1つ分くらいのライ麦パンをつかんだ。
イルザは目をぱちぱちと瞬かせた。驚いているらしい。
「もらう」
イルザは椅子から立ち上がった。
「お前の言うようなことが、うまくやっているということだ。……おそらくな。戦いが長引けば、周囲とうまくやらなければ色々と支障が出る。……そろそろ準備が終わる」
「……ああ」
俺の机まで近づくと、ゆっくりとした動作でイルザは皿を受け取った。
「敵はすべてを消せ。一人も残すな。それが俺からの命令だ。あとはフィデリオに従えばいい」
イルザは視線をそらし、受け取った皿を見つめた。そして再び、俺に向いた。
「わかった」
「フィデリオは何か言うだろう。……あとでこの命令のことを伝えておく」
イルザはうなづくと、フォークを手に取った。命令するたびに感じてきたが、こいつはしっかりと感情を表に出す。
イルザは皿を受け取り、自分の定位置である入り口そばの椅子に戻った。
俺は手にしていたライ麦パンをちぎって口に運んでいく。バターやジャムなどつけない方が好きだった。
最初に会った時よりもだいぶ伸びた髪に、なんとなく目がいった。
イルザはフィデリオの妹に背格好が似ていた。実年齢は別にして、外見だけみればイルザとフィデリオの妹は同じ年齢だった。命令のことでフィデリオを呼び出そうと思ったが、ウーリの方が命令を伝えるのは適任だった。
妹と同じくらいの少女に殺しをさせたくないと、フィデリオは思うだろう。フィデリオは家族思いの奴だった。誰よりも家族を愛し、一族を大切に思う奴だった。
だから、周りはあいつについていくのだろう。
「あいつらにとって、お前の参加は迷惑だろうな……ウーリあたりは嫌がらせだと思っていそうだ……」
フィデリオが今回の戦いを成功させ、地位を確立させようと画策しているのは知っていた。ほぼ万全な作戦が出来上がりつつあるところに急に、こいつを放り込んだ。これでもだいぶ急いで、こいつに足りない知識などを仕込んだ。イルザは剣技は申し分なかった。けれども、いまいち言葉が通じなかったり、常識がなかった。
フィデリオたちが勢力を拡大させるのは俺にとって歓迎すべきことだった。今の問題は将軍であるパンツァー・ハーンの勢力拡大だった。俺を嫌い、色々画策しているようで目が離せない。
「……独り言か?」
イルザが首を傾げた。
「……ああ」
イルザはソーセージを食べ始めた。俺は仕事を始められずにいた。疲れがピークなのだろうか?ぼんやりとイルザを目で追ってしまう。
手にしていたライ麦パンを食べ終え、脇に寄せてあった水の入ったグラスを手にし、水を飲む。炭酸はとうの昔に抜けていた。
――フィデリオも、いつか見るのだろうか?こいつの過去を。
イルザの過去の記憶のようなものを見始めたのは、イルザと出会ってから一か月ほど経った頃からだった。毎日見るわけではないし、その記憶も断片的で、一体いつなのかよくわからないものも多かった。
記憶の中で多かったのは、子供のころと、金髪の主と戦っている記憶が多かった。最初のころに見た記憶は子供のころのもの。最近になってからは金髪の主の記憶を見るようになった。
そして非常にありがたくないことに、その時のイルザの感情までも伝わってきた。イルザがガイスと呼んでいた男に頭を撫でられればうれしさが、厳しい修行で吐きそうになれば苦しさが伝わってきた。
戦場での記憶も見た。たくさんの兵士を殺し、血だまりの中をイルザは走っていた。その横に金髪の主もいた。
その時、イルザが感じていた感情は恋……だったと思う。
あまりにも鮮明にその気持ちが伝わってきたせいで、自分がイルザになったような、変な感じだった。
嬉しい気持ち、楽しい気持ち、そして一緒にずっといたいという気持ち。
ただその時の、金髪の主との記憶は特にバラバラだった。
イルザは俺が記憶を見ていることについて知っていてもおかしくなかった。けれども何も言わなかった。主が何人、今までいたか知らないが、同じようにこいつの過去をみた主もいたはずだった。心の中で話すということは何らかのつながりができることなのだろう。おそらく俺の過去の記憶もイルザは見ているはずだった。
俺はイルザが俺の記憶を見ているか聞きたかった。金髪の男とのことも。だが、もう2か月近く聞けずにいる。
仮であっても主であればフィデリオが見てもおかしくはない、イルザの過去を。
……この雑談の延長線上で聞いてしまえばいい。すぐに言葉を発した。
「……俺はお前の過去を見ることがある。お前もか?」
「私は知らない。たまに、私の過去を見る主はいる」
イルザは気にした様子も見せず、淡々とソーセージを食べている。
その答えに拍子抜けだった。
「主であれば全員見るわけではないのか?」
「ああ」
嫌な顔でもされるかと思ったが、大したことではなかったらしい。しかも俺の過去は見ていないらしい。そのことにほっとした。大した過去ではないが、自分の弱みを握られるようで気持ちのいいことではなかった。
そしてもう1つ、気になっていたこと……。
「おまえの以前仕えていた主との記憶も何人か見た…」
イルザに変化はない。最後のソーセージに取り掛かっていた。
「きんぱ……お前の記憶に残っている主はいるのか?」
最後の1口をイルザは飲み込んだ。
「ああ。アヒムにとって何か大事な情報を見たのか?」
「……いや、少し気になっただけだ」
「そうか」
イルザは皿とフォークを盆にのせ、窓に向かった。
「戻してくる」
そう言ってイルザは闇に消えた。またすぐに戻ってくるだろう。
一番聞きたかった金髪のことは言えなかった。結局。なぜ言葉に詰まったのか……おそらく、もう聞き出すタイミングはないだろう。
窓から見える夜空の星はきれいだった。もっと楽しみたいと思い、机に置いてある燭台のろうそくを消した。そうすると一気に星の輝きが増したように感じる。
星を眺めることはたまにあった。けれども、楽しみたいと思ったのは初めてだった。
ただぼんやり空を眺めた。仕事はするべきものがまだまだあったが、今日の集中力は切れたらしい。仕事量としてはそんなに多くないが、遠征のため、会議が連日長引いているせいかもしれない。
夜空はきれいだったが、本を読んでいるくせに、星に関することはほとんど知らなかった。星座がわかれば楽しいかもしれない。今の俺にはきれいだけれども、点がたくさんあるようにしか見えなかった。
確か、イルザの記憶の中に、金髪の主と夜空を見上げる記憶もあった。
―――なぜ、こんなにも気になるのか……
イルザという兵器は、古代文明のなせる業なのか、魔という力で風を起こし、水や火も操る。その代償としてありえない量の食事をする。兵器という響きにそぐわない風貌。おまけに恋という感情も知っている。
奇想天外だった。予想を完全に超えていた。
けれども……だからこそ、気になるのかもしれない。この奇想天外の兵器を知るために。本に書かれていることが本当か、知りたいから。
そこまで考えると急に眠気が襲ってきた。欲求のまま、目を閉じた。こんな寝方では疲れは取れないが、動きたくなかった。
数瞬ののち、記憶がぷつりと途絶えた。
昼過ぎに会議が終わり、俺は図書室にいた。図書室と言っても、北の城の最上階すべてが図書室であり、100人くらいがゆったりと寝れるほど広く、蔵書も数え切れないほどだった。茶色の本棚が整然と並び、どの本棚にもびっしり本が詰まっていた。この部屋に置けない本は別の部屋に保管されていた。ソーンチカ大陸に、文字ができてから今までの本をほとんどすべて集めていた。蔵書のジャンルも様々で、偉人の伝記、冒険譚、著名な作家の小説もあった。こんなにも魅力的な部屋であったが、俺以外が来ることはめったになかった。フィデリオはちょくちょく来ていたが、将軍職に就いてからはほとんど見ていない。
最上階の隅にあるこの部屋は風通しがよかった。城下の様子も見ることができた。読書の合間に城下町を眺めるのが俺の習慣だった。古い部屋ながらもきちんと掃除され、手入れが行き届いていた。天井も蜘蛛の巣が1つもなかった。部屋の隅に簡易な机といすが並べれ、そこで本が読めるようになっていた。俺が居座るようになってから椅子はやわらかいクッションがついた椅子に変わった。司書の気遣いがうれしかった。また机に置いてある鈴をならすと、部屋の隅に控えている司書が茶を持ってくるようになっていた。おかげでさらに図書室で過ごす時間は増えた。
読んでいた本をぱたりと閉じた。昨日気になっていた星に関する本だった。まだ読み始めたばかりで、四季によって見える星が違うことがわかったくらいだった。顔を上げると、来客がいた。
「わざわざ悪いな」
「いえ」
本棚の陰からウーリが姿を現した。
遠征の準備でよほど疲れているのか、だいぶ顔色が悪かった。けれどもきれいな金髪はきちんと撫でつけられ、手入れが行き届いていた。ウーリはフィデリオと違って頭脳派で、体力は普通の兵士並みだった。肉体派のフィデリオやヴィルヘルムと同じようなスケジュールで仕事をしていては、体には相当な負担のはずだった。俯き加減でウーリは俺を見た。
「大丈夫か?顔色が悪いが」
「問題ないです」
「……友人として心配している」
「…………それは、どうも。で、何のようですか?」
ウーリはつっけんどんに言った。いつも思うのだが、どうして俺と話すときは笑顔がないのだろうか?やわらかい雰囲気で親しみやすいと一般兵の間では言われているらしいが、そのやわらかい雰囲気のかけらも今はない。昔からそうだったので、気にはしないが。
「イルザのことだ。あいつにはすでに伝えたが、基本的にあいつが戦う戦場では敵は殲滅だ。1人も逃がすな。……わざわざ来てもらって悪いが、それだけだ」
「……」
ウーリは無言でうなづいた。そして顔を上げて口を開いた。
「いえ、出発前に同じことを聞きに来たと思います。そうですね、わかりました。私もそう思っていたので。フィデリオには適当に言います。嫌がるでしょうから。……それと、1つお聞きしてもいいですか?」
「ああ」
ウーリの青い瞳がすっと細くなった。
「イルザは今回の遠征で使い物になるとの判断ですか?」
「ああ。そうだ」
「根拠は?」
「……実際に戦闘してみればわかるとしか言えないな、今は」
イルザの記憶を夢で見ることは言いたくなかった。なぜかはわからないけれども。それにそもそもそれを言ったことで、その夢は幻想かもしれなかった。根拠にはなりえない。
ウールは片眉を吊り上げた。
「……あなたが私たちをどう思っているか知りませんが、この遠征がフィデリオにとってどれほど重大かわかっていますか?あなたがイルザを遠征に連れていけということだから、無理して彼女を連れていくんです」
「ああ、それはわかっている。俺としても他の将軍たちが力をつけすぎるのは困る。俺を嫌っているからな。少なくとも今は俺はお前たちにとって、敵ではない」
ウーリは腕を組んで、大きく息を吐いた。眉間に深くしわが寄っている。言葉は丁寧なものの、態度は最悪だった。
「茶でも飲むか?」
「いただきます」
向かいの開いている椅子を指すとドカッと座った。俺は小さなテーブルの上に置いてあった鈴を鳴らした。広い部屋に軽やかな鈴の音が響いた。同時に少し開けた窓の隙間からさわやかな風が吹き込んだ。気持ちの良い風が顔に当たり、ウーリの表情が少し和らいだ。
「使えないと判断したらさっさと城に戻します」
「好きにしろ」
俺は椅子のひじ置きに腕をのせ、頬杖をついた。ウーリの視線は城下町に向けられていた。ここからでは人は見えないが、家々が並び、煙突から煙が出ていることで、人が住んでいることがわかる。
「もう1つ聞いてもいいですか?」
「ああ」
ウーリは城下町に視線を向けたまま、俺に聞いた。俺はウーリの横顔をぼんやりと見ていた。
「あなたは何がしたいんですか?」
「何、とは?」
「なぜ遠征をする目的とか、王として何がしたいのか、……いろいろです」
「……」
ウーリの視線はいまだに城下町のままだった。こいつの考えていることはわかるようでわからなかった。最初は俺と同じようなタイプだと思った。けれども、今は違うと思う。
なんて答えるか考えていると、ちょうど司書が2人分のコーヒーを持ってきた。いつもは砂糖は皿にないが、ウーリに配慮してか、砂糖がカップの脇に添えてあった。香ばしい香りが辺りに広がった。司書は机にコーヒーを置くと、一礼してそそくさと立ち去った。
ウーリの視線はいまだに城下町だった。
俺はコーヒーを手に取り、1口飲んだ。苦味と酸味が口に広がり、そのあとに香ばしい香りが鼻を抜けた。年老いた司書はコーヒーの淹れ方がうまかった。
「特に目的なんて何もない。ただ知りたいだけだ」
「何を知りたいんですか?」
ようやくウーリは視線をこちらに戻した。俺はカップを皿に戻すと、再び頬杖をついた。
「……例えば、イルザのような奴のことは、本に書いてあった。すさまじい力を持つ兵器だと。なら使ってみて本当か確かめたくなるだろう?」
ウーリは俺の話を、うなづくこともせず、ただじっと聞いている。
「他に、そうだな……本に経済のことが書いてある。その本に従って経済を動かしていくと本当にそうなるのか気になるだろう?他にも、本に戦い方が書いてある。なら本に従えば勝利できるか気になるだろう?本に書いてあることが本当なのか俺は知りたい。それだけだ」
「それがあなたの目的ですか?」
「目的……そうかもしれないな」
「よくわからないですが……」
ウーリも俺と同じように椅子のひじ置きにひじをつき、頬杖ついた。俺の答えを吟味しているようだった。
ウーリはコーヒーのカップを手に取り、ゆっくりとした動作で口に運んだ。つられて俺もコーヒーに手を伸ばした。
俺には知りたいという欲求しかなかった。目的と言われると、そうかもしれないが、いまいちピンとこない。ウーリは俺に何を期待しているのだろうか。
「よくもまぁ、そんな理由で頑張って仕事ができますね」
「頑張る?違うな、知りたいからやっているだけだ。王になって便利なのは、政治に関して自分の裁量でできることだ。やりたいことをある程度はできるからな」
ウーリの手が止まり、再び片眉が吊り上がった。
穏やかな陽気で気持ちいいはずの空間が、凍った。
「あなたは、国民のことを考えているんですか?」
「国民?俺は国民に絶大な支持を得ていた偉人たちの政治手腕を実行している。だから……結果的には国民のことを考えているということになると思うが」
ウーリを見て、心底めんどくさいと思った。
今のウーリは、俺が王に就任するときの、今は故人の宰相と同じ顔つきだった。
あの時の宰相は、俺に国民のことを第一に考えろと何度もうるさく言ってきた。
王位の争いに対してなんの有効な策も打てずにいたくせに、よく言うと思ったが、この宰相のおかげで、ぎりぎり国はやっていけた。
その点は尊敬した。けれども、だからと言って宰相の言うことは聞く気になれなかった。
そもそも、ある程度、いや、かなりうまく国が動いているなら、別に国民のことを考える必要があるのだろうか?
決して豊かではない土地だけれども、国民が飢餓で苦しむこともなくなった。川も整備し、水害も減った。
―――結果が国民にとっていいなら別に構わないだろう?
良き為政者になるために、という本にも心構えは大事だとか書いてあった。しかし、心構えで何が変わる?結果がすべてだろうが。
「結果が国民にとっていいなら、別に構わない、とでも思っているんでしょうね」
「ああ」
ウーリは手にしていたコーヒーカップを皿に置き、険しい表情を変えず、口を開いた。
「……遠征を利用してのし上がろうとしている人間が言うのもどうかとは思いますが、戦い自体国民にとって大きな負担です」
「……そうだろうな」
ため息をつきたいが、それをしようものなら、この凍てついた空間がさらにひどくなるのはわかっていたので抑えた。
なぜ、こんなめんどくさい問答が始まったのだろう。俺はただ、命令を伝えるだけのつもりでこいつを呼んだのだが。読みかけの本が読みたい。
おそらくそんな心境が俺の表情から駄々漏れなのだろう、ウーリの眉間のしわがさらに濃くなった。
「あなたのことだから、国民にとって良いことだからするのでしょう。なら、あなた自身の遠征をする目的はなんですか?」
「目的?だからさっき言っただろう、知りたいだけだ。本に書いてある世界のことが本当かどうかを。それ以外に何もない。とりあえず、遠征自体はある程度国民の負担にはなっているが、そこまでじゃない。さすがに戦いの引き際くらいわかっている」
コーヒーの最後の1口を飲み込み、皿にカップを置いた。あまり香りや酸味を楽しめなかった。
「……そんな考えでも王になれるんですね」
「偶然だけどな」
ウーリは吐き捨てるように呟いた。
優等生のウーリにとって、俺の答えは0点なのだろう。学生の時から、どんな時でもウーリは完璧だった。
「そう思うなら、お前が王になればいい。そのためにのし上がろうとしているんだろう?」
「王は私でなく、フィデリオがなります」
ウーリは立ち上がり、俺を上から見下ろした。
表情は硬いまま。顔色は悪い癖に、青い目だけはギラギラしている。
「まぁ、頑張れ。それにしても、お前、変わったな」
「へぇ、昔を知っているといっても、私とあなたの交流はあまりありませんでしたが」
ここにきて、ようやくウーリは口元に笑みを浮かべた。けれども、俺はそれを見て、いらっとした。
「フィデリオと俺が図書館で話をしているとき、こそこそと覗いてただろ?言いたいことがあるようだったのに、今のように面と向かって俺には言ってこなかった。そこがお前の変わったところだよ」
ウーリを見上げると、ウーリはにこりと笑った。
「私もあれから色々ありました。あなたぐらいの人間とは何度となく渡り合ってきたんです。あなた以上の人間ともね。コーヒー、ごちそうさまでした」
ウーリは言い終わるとすぐに、背を向け歩き始めた。
おそらく、意趣返しは効いたのだろう、何か取り繕うときに笑みが出るのがあいつの癖だ。
ウーリの言うように、お互いに十分理解できるほどの交流などなかった。けれども、遠くからではあるが、癖や表情などはずっと観察していた。
仲良くなりたいわけではなかった。ただ色々話ができれば楽しそうだとは思った。
そんな風に考えているうちに図書室の扉の、ぱたんと閉じる音がした。