人形
王が、イルザの話を大広間で話したのはいつだったろうか?2か月前か、もっと前だったか……。
いつものようなだらっとした雰囲気の会議の終わりに、さらりと、耳に慣れない単語を呟いて王は去った。
古代兵器を近いうちに見せる、と。なんの前触れもなく告げられ、僕たちを含めた兵士は騒然とした。
フィデリオさんやウーリさんは知っているかと盗み見たが、僕と同じように驚いていた。
今の王は、在位は短いものの、王位争いで荒れた国を瞬く間に建て直した。覇気は全くないものの、その知性や政策は評価できると思っていた。古代兵器はなんなのか、全くその時は理解できなかったが、今までの評価が高かったこともあり、少なくとも何か国のためになることだと考えていた。しかも王の、その発言を僕はイルザを目の前にするまですっかり忘れていた。
イルザを見たとき、正直僕は、大臣か誰かの策略もしくは、そそのかされたのかと思った。ここ数年、国が安定するにつれて王に妃をという声が大臣達から挙がっていた。けれども、王には女っ気が全くなかった。男が好きなのかと一時は騒がれたが、それもないようだった。
古代兵器などと言って、娘を王に売り込む大臣がいるのかどうかは、さておき、イルザと古代兵器という単語はちぐはぐで、戦うというよりは、ウーリさんのように参謀役として力を発揮するものだと思った。
イルザは人形のようだった。王も確かに人形のようなきれいな容姿だけれども、だらしない姿勢、会議中の大あくびなど人間らしさがあった。おそらく、王と聞けば連想する、厳格な雰囲気をこの王が持っていたとしたら、さらさらとした銀髪、やや吊り上がった赤い瞳で、美しすぎる王として名をはせていてもおかしくない。
まぁ、……でも男で美しいという単語で形容されても、うれしくはないと思うけれども。僕なら全くうれしくない。ウーリさんは喜ぶかもしれないけれども。
人形のような、古代兵器と呼ばれた少女。どこを見ているのかわからない、焦点の定まらない紫の瞳。そもそも紫色の瞳を僕は初めて見た。しかも目が大きい。
太陽の光を浴びてキラキラ光る赤い髪。白い肌、細く、長い手足。
胸は控えめだけれども、女性特有の丸みがあった。
頭はよさそうな、……感じはする。
動かず、椅子に座っていれば大きい人形だとしか思えない。きれいすぎて、自然にできたとは思えない。
この少女が僕たちと同じ男であれば、古代兵器と言われても、うなづけたかもしれない。
そんな、美しすぎる少女が、僕の目の前で、ずっと一緒に剣を鍛えたフィデリオさんと同等、もしくはそれ以上の剣の実力を見せた……。
幻かと思った。竜巻を出したような力で、人々に幻想を見せたのではないかと。
けれども、イルザと戦った後にフィデリオさんへ駆け寄ると、額に汗がにじんでいた。その汗が厳しい剣の応酬が本物だったと告げていた。
――存在自体が、嘘っぽい。
見た目通り、細い腕の筋力は男の本気の一撃を受けるほどには、ない。だから、基本の戦闘スタイルが力を受け流し、それを利用することなのだろう。
けれども、フィデリオさんの長身から繰り出される、本気の一撃を受け流すことなど可能なんだろうか?
長剣で、あの素早い動きのイルザをとらえるのは難しい。次の動きが読めない変則的な動きであったし、急所一点を狙った攻撃が続いていた。
――フィデリオさんなら、十分対応できるはず。でも、剣は手から払われた…
古代兵器という単語が頭に浮かぶ。
剣の後にイルザが見せた竜巻。けれどもこれは力の一部だといった。
そして、腹がへれば、人を殺し、食べるとも言った。
食べる量は、通常で大人約10人前。
得体のしれない少女、……いや、古代兵器。彼女を連れて、遠征に出ろと王は言った。
確かに、軍隊の増員は以前からフィデリオさんやウーリさんは望んでいた。
これはその代りの増員ということなのだろうか?
三将軍の中に階級はないけれども、フィデリオさんは一番歳が若く、弱小貴族のグリム家は、特に後ろ盾する貴族もいないため、将軍の中でも肩身が狭いことが多かった。
厄介なものはフィデリオさんへ、という他の2人の将軍の画策だろうか?賢い王ならば、遠征にあの少女は不向きだとわかるはず。
――ああ、本当に、なんでこんなことに。ふざけるな。
ウーリさんが言ったように、フィデリオさんが王の不興を買ったのだろうか?けれども思い当たる節などない。そもそもあの王は、一人でいることが多いようだった。それに懇意にしている大臣もいなかったはず。
今回の遠征も前回の、ハーン将軍が成功を収めた遠征と同じくらい重要なものだった。交易路の確保が今回の遠征の目的。
国境付近の小競り合いに行くのとはわけが違う。この交易路が手に入れることでこの国の食糧事情もさらに改善する。
そして、この遠征が成功すれば、フィデリオさんの評価も変わってくる。ウーリさんや僕にとって、この遠征がいかに大事か……。
100人が一度に食事ができるほど大きな食堂に来ていた。きれいに掃除されてはいるので、高い天井には蜘蛛の巣が1つもない。けれども、大食堂は古いので、白い壁は黒ずんでいた。10人掛けのテーブルがびっしりと大食堂に並んでいた。テーブルの上にはろうそくが灯り、両方の壁の高い位置に窓が並び、窓から見える外では夕日が沈もうとしていた。
外に続く扉の隙間からは風が入り、春が近づいているとはいえ、肌寒い。食堂の入り口近くに、赤々と暖炉の火が燃えてはいるが視覚からの刺激しかない。
他にもちらほら兵士は来ていて、各々食事をしていた。この食堂はどの階級の人間も利用できるが、大将クラスの人間では、利用しているのはフィデリオさんくらいだった。
どの兵士たちも平静を装ってはいるが、意識がこちらに向いているのが肌でわかった。注目するのは無理もなかった。下級兵士は、大広間に入れはしないが、訓練くらいしかすることのない下級兵士の間では、城内のスキャンダルは風よりも早く伝播した。
今回もすぐに広まったらしい。そのうちにこの食堂は人でいっぱいになるはず。どんな噂が広まっているかは知らないが、尾ひれがたくさんついているのは間違いない。
「ここに座りましょう?」
ウーリさんは、いつものようにニコニコしながら厨房に一番近いテーブルを選んだ。
イルザが一番端に座るとすかさず、ウーリさんはその横に座った。僕はフィデリオさんがイルザの前の席に座るのを待って、フィデリオさんの横に座った。
「ヴィルはまじめですよね、そういうところ。」
「あたり前でしょ。フィデリオさんはお仕えする家の当主であり、上司です」
「えらーい、まじめー」
くだらない会話をウーリさんとしていると、コックのダミアンが厨房から出てきた。
普通の兵士であれば、食堂の入り口にある盆を持って、料理を厨房から直接受け取るが、フィデリオさんの場合は料理長のダミアンが最初に出てきて、注文を取った。そしてコックが代わる代わる給仕をした。
注文を取るといっても、特に何か選べるわけではなく、今日のパンにジャムはいるか、コーヒーは飲むかといったくらいだった。
「どうも。今日も昨日と同じ料理です。……これが、噂の……」
ダミアンは体に不釣合いな、小さく白いコックを示す帽子をとると、じっくりとイルザを見た。
フィデリオさんのような長身に、筋骨隆々のダミアンは、不愛想なうえに目つきが悪く、無言で見られると怖かった。
イルザはダミアンのほうに体を向け、ぺこりとお辞儀をした。
「へー、もう噂は回ってるんですね」
「ええ、まぁ……」
「ダミアン、食後のコーヒーに砂糖とミルクをつけてほしい」
「わかりました。あと、食事は13人前ということでよろしいですか?」
「知っているのか?」
大食いも噂になっているのかと、少し驚いた。同じように驚いたのか、フィデリオさんが目を瞠った。
「はい、数か月前から、王の部屋には11人前くらい運んでいたので」
「……10人前で、お願いします」
最後にイルザが再びダミアンにお辞儀をすると、ダミアンは一礼し、帽子をかぶり厨房に戻っていった。
そういえば、イルザは2か月前くらいに目が覚めたといっていた、と思いながらあたりを見回すと、予想通りに人が周囲に集まり始めていた。人に見られながらの食事は嫌だったけれども、本当に10人前も食べるのか見たかったのでしょうがない。それに腹もへっていた。
イルザは座ると、視線がフィデリオさんの鎖骨くらいの高さになるのか、ぼんやりとフィデリオさんの鎖骨あたりを見ていた。
一方のフィデリオさんは、イルザを見ていた。
フィデリオさんは自分から話すほうではないし、イルザも同じく、自分から話すタイプではないようなので、今の状況を少し遠くから見ていると見つめあっているように、……見えなくもない。
「人が集まってきたな」
珍しく、フィデリオさんから会話が始まった。
「やっぱりフィデリオから話し始めましたねー」
「人を観察するな」
「あなたが、必死になって話題を探す姿は面白かったので。」
俺にはフィデリオさんが必死だったとは見えなかった。長い付き合いといっても、ウーリさんとフィデリオさんの間には時折、俺には入れない空気があった。
イルザは無表情で同じところを飽きもせず見ている。
ふと、思ったことを口にした。
「先ほどの話を聞いて思ったんですが、味がたいしてわからないなら、砂糖もミルクもいらないんじゃないですか?」
「そんなことはないですよ。苦い、苦いって思いながらコーヒーを飲むなんてかわいそうです」
イルザはほとんど味の違いがわからないらしかった。極端な味、例えば苦味、辛み、酸味ならわかるらしい。居住まいを正して口火を切ったので何かと思えば、味がわからない、ということだったので拍子抜けした。どうやら本人にとっては大事なことだったらしい。まずくても気にせず、食べられるならそのほうがいい。この国の食糧事情はそんなに贅沢できるほどのものではなかった。
イルザは自分の話題になったので、こちらを向いた。
「あれくらいの苦味なら慣れる……と思う」
「慣れなくていいですよ、人にはそれぞれ好みがあります」
イルザはぼそりと呟いた。上目使いでこちらを見る姿が、無表情なのに、なんだか可愛く見えて恐ろしい。
「食事に関して他に何かあるのか?」
フィデリオさんが口を開くと、イルザは顔を上げた。
「多少傷んだ食べものでも食べられる。生でも構わない。……毒にも耐性がある」
「……それは、色々と便利ですね……」
ウーリさんの口元がわずかに歪んだ。僕たちにとって、生の食べ物を口にするのは家畜くらいしかいなかった。
「君って人間?王は古代兵器って言っていたけれど。そもそも古代兵器ってことは、かなり昔ってことだよね、実際何歳なの?……兵器に歳があるのかわからないけどさ」
徐々に口調が自分でもきつくなっていくのがわかる。けれども止まらない。感情が渦になって、体中を駆け巡っていた。
「人間だった、といったほうが正しいと思う。……私の記憶はあいまいで、一番古い記憶では、小さな教会で過ごしていた。訓練を受け、今のようになった。歳は、眠っていた期間を入れるのならば、300歳くらいにはなる」
「300歳、それはそれはすごいことだね。それだけですでに化け物だ。そういえば、300年以上前にこの大陸は1つの国が支配していたんだっけ?なぜか滅んで今は、バラバラ。それってさぁ、君のような古代兵器ってやつが、国の食糧を食べつくしたのが原因って考えられない?他にも君のような奴はいたんだろう?」
「ヴィル、やめろ」
「やめなさい、ヴィル」
2人が同時に言った。イルザは無表情で俺を見ていた。変わらない表情に、渦巻く感情の濁流がさらに強くなっていく。こんなことを彼女に言っても、無駄なのはわかっている。
「すみません」
軽く息を吐いた。落ち着け、落ち着けと心で唱える。熱くなりやすいところが悪いところだと、自分でもよく分かっていた。気まずい雰囲気に、僕はイルザから顔をそらした。
「お待たせいたしました」
ちょうどいい時に、ダミアンが料理を運んできた。今日も、ふかしたジャガイモ、チーズ、ソーセージにライ麦パン。それに僕の苦手なピクルス。
この食事でもだいぶ良くなった。数年前まではジャガイモとライ麦パンだけだった。湯気を立てる料理に、腹が鳴った。
ダミアンの後から他のコックも手伝い、イルザの前には次々と料理が並べられた。ライ麦パンの大きな塊が3つ、ふかしたジャガイモがバスケットいっぱいに入っている。チーズも1ホールと表現するのかわからないが、切られることなく丸いままで、どんっと音を立ててテーブルに置かれた。
10人前と聞いて、多いということはわかっていた。その大量の料理が、この細い少女の体に入るとは、信じられない。
「また追加で持ってきます」
ダミアンはそういって厨房に戻った。まだ料理が運ばれてくると聞いて、心の中でええ!?と叫んでしまった。
イルザ以外のメンバーもあまりの量に言葉を失っていた。視線を感じて周りを見ると、だいぶ集まった兵士たちも驚いた顔をしていた。
「……食べましょうか……」
「ああ」
「……そう、ですね」
「いただきます」
ウーリさんが声をかけると、イルザはフォークとナイフを手に取り、ソーセージを一口大の大きさに器用に切っていく。
僕もフォークとナイフを手に取ったが、食事には目を向けず、ななめ前のイルザを見た。フィデリオさんもウーリさんも僕と同じようにイルザを見た。
イルザは自分が見られていることを気にしていないのか、気づいていないのかわからないけれども、無表情のままソーセージを切り分け、次々と口に運んでいく。
その速さは尋常ではなかった。皿に10本ほど載っていた太いソーセージがイルザの小さな口の中に次々と消えていく。一瞬でも目をそらせば、まるで手品か何かでソーセージを消したように思うかもしれない。それくらい、速い。
イルザの隣に座るウーリさんの口はぽかんと開いていた。周りに集まる兵士たちも同様の反応だった。気づけば、兵士は先ほどの3倍ほどにも増えていた。
イルザの横に皿が積まれていく。あっという間の速さでソーセージを平らげ、ふかした芋に移っていく。同じように切り分け、すさまじい速さで口に運んでいく。
イルザの食べ方は、とてつもなく速いにもかかわらず、とても優雅な動作だった。気品にあふれているというか、食べ方がとてもきれいだった。ナイフとフォークの使い方もきれいだった。しっかりと教育を受けたことがわかるテーブルマナーだった。
「追加を持ってきました」
イルザはいったん手を止め、ダミアンに一礼した。ダミアンはイルザの横に積み上げられた皿を手に取り、厨房に戻った。
「あ、……女性の食事姿を凝視するものではありませんね、ごめんなさい」
イルザは口に含んでいたものを飲み込むと口を開いた。
「問題ない」
「なら、よかったです」
ウーリさんは笑うと、手を動かし始めた。フィデリオさんも僕も食事を開始する。
それからは少しの間、無言だった。僕とフィデリオさん、ウーリさんの3人だけの食事の時も、最低限のこと以外は話すことはなかった。何か話し合うとすれば、食事後のコーヒーを飲んでいるときが多かった。
かちゃかちゃという食器がこすれあう音、周りのざわめき、イルザが食器を重ねる音。食事に集中していると、先ほどまで、静かにイルザを見ていた周囲が、ざわざわとやかましくなっているのに気付いた。
食事の手を止めると、部下の声が聞こえた。
「わんこ君ですね」
「そう、みたいですね」
ロルフ・ケスナー。僕の部隊に所属している、声の大きな男。平民出身ながらも、剣術に優れ、出世している。ウーリさんはわんこ君と呼び、周りからも犬っぽいといわれている。後ろだけ髪を長くし、1つに縛っているせいで、それが尻尾のように見えなくもないと思っているが、犬っぽいと言われるのは本人の性格によるところが大きい。人懐っこく、快活。仲良くなった相手には、遠くからでも駆け寄り挨拶をする。いいやつだと思うのだが、遠くから眺めるくらいが僕にとってはちょうどよかった。
「何か、あったのか?」
「いえ、何も報告は受けていません」
フィデリオさんも食事の手を止め、声のするほうを見た。イルザは特に興味も示さず、どんどん皿を積み上げていく。
ちょっとどいて、道をあけてと大きな声が、静かな食堂に響く。声がどんどん近づいて、とうとう人ごみの中から男が飛び出た。
「やっとでられたー!」
ロルフは叫んだ後、いきなり懐から手鏡を出し、しゃがんだ。そしてなぜか髪を整え、もみくちゃになった軍服を正し始めた。硬そうなロルフの茶色の髪は手で撫でつけても、あちらこちらに、はねていた。軍服を整え終えると立ち上がり、フィデリオさんに向かってお辞儀をした。
「食事中、失礼いたします!」
無駄に大きな声は食堂中に響いた。イルザはようやく食事の手を止めた。すでに8割ほど料理は片付いていた。
ロルフはイルザの方を見ると、誰もがわかるくらい真っ赤になった。
「フィデリオ大将、そちらの女性に話しかけても、よろしいでしょうか?」
「……ああ、許可する」
イルザはフィデリオさんの言葉を聞くと、フォークとナイフを置いた。ウーリさんは珍しく、眉間にしわが寄っている。
「自分は!ロルフ・ケスナーと申します!ヴィルヘルム少将の部隊に所属しております。そして、いきなりで大変恐縮でありますが、貴女の髪を結ってもよろしいでしょうかっ?」
最後の一文はことさら声が大きく、大食堂に反響した。
それと同時に、ウーリさんのはぁ!?という素っ頓狂な声も響いた。
イルザは無表情で、ロルフを見ていた。