走る意味
走る事はどちらかと言えば好きだった。
だけど、とりわけ速い訳でもなかった……。
ましてや走るだけの競技にのめり込むなんて、昔の俺なら考えなかっただろうな……。
今日の空は雲が太陽を邪魔する事がないほど、晴れ渡っている。
走るのには余り向かない日だ。
少し雲があるほうが、ランナーとしては嬉しい。
雲が無い事でトラックを太陽が照り付けて、タータンが熱くなって触れないほどになっている。
長距離だとスパイクのピンを通して熱が足裏に伝わってくる。
軽く火傷をしたみたいになるから、できれば曇っている方が有り難い。
個人的には雨の日の方が好きだ。ランナーだって色んな種類の人間がいる。
俺は、タータンで走るよりロードの方が記録が良いし、晴れの日より雨の日のほうが成績が良い。
まぁ、全て気持ちの問題だと監督に言われたっけ……。
それでも、スポーツをする人なら何らかしらのジンクスが有るはずだ。
それが俺はロードだったり雨ってだけなんだ。
「谷先輩! 今日の出場種目は何ですか?」
休憩用のテントを張り終え、各々で出場種目のためにアップに行く者、ストレッチをテント下で行う者いろいろである。
今日の出場種目が千五百メートルと五千メートルだけの俺に後輩のランナーが声を掛けてくる。
「今日は千五と五千だ。千五は前半だから、そろそろアップを始めるつもりだけどどうした米田?」
ストレッチを始めながら後輩の方を確認する。
「僕も千五です! 大会では初めての千五なので緊張して……」
なるほどね。
確かに俺も初めて走った日は覚えている。
周りに居る選手すべてが速そうに見えたり、強そうに見えたことを覚えている……。
「緊張してもいい事はねーよ。
それに、お前は速いから心配するな! 好きな音楽でも聴きながら体を温めておけよ」
アドバイスなどしたこと無いから上手い事言えなかったが、何となく伝わったらいいだろう。
ブルーシートに横になりながらストレッチを始める。
中学の時はバスケ部だった、万年補欠でいい思い出なんて無い。
バスケ部に入ったのも、当時アニメでバスケを題材にした作品が流行っていたから。
格好よくてアニメの主人公のようになりたいと憧れて入ったけど、身長は低い俺にはバスケは向いていなかったようだ。手のひらも小さいからボールを扱うのが苦手で何時しか熱が冷めていった……。
ただ、練習で走らされる事が多かったのが、俺にとっては逆に嬉しかった。
バスケのテクニックは無いけれど、走る事は得意だったから。
シュートが上手い同級生やドリブルが上手い同級生に唯一勝てる事が走る事だった。
でも、だからといって陸上部に入りたいなんて考えた事はない。
当時は陸上部の奴を馬鹿にさえしていた、ただ走っているだけ! ってね。
今思うと真剣に取り組んでいる人を馬鹿にする事はどんなに恥ずかしい事か理解してなかったな。
そんな俺が陸上を始める事になるのは、陸上推薦である高校から話が来たからだ。
勉強が苦手だし、推薦で高校に行けるならと二つ返事をしたのが今の俺を作った。
『谷、お前って推薦の割には遅いよな』
同じ推薦で入った同級生に言われたこの一言は今でも忘れない。
井の中の蛙って言葉を嫌って程思い知った。
中学のときは走るのが速いと周りから言われていたし、自分でも速いと思っていた。
それでも、真剣に走る事をしてきた人には歯が立つことなど無いと理解した。
中には自分より遅い奴は居るけれど、比べるのは自分より速い人じゃないと意味がない。
今までは自分より遅い奴としか競う事はしなかった。
そんな事をしてきたから、向上心とかが芽生えなかったんだろうな……。
『おいおいおい! 谷! たった十キロ走っただけでへばるなよ!』
先輩の一言は厳しいだけだと一年の時は思っていた。
真剣に取り組む事が大事だって気付くまでに結構時間がかかったな。
最初の頃は、練習でも大会でも他の選手についていくのがやっとだった。
いや、違うな……。付いていく事など出来てなかった。どうにか恥をかかない程度に離されないか? しか考えていなかった。
『おお! 谷、クロカンだと走るの速いんだな!』
初めて、褒められた言葉は今でも走る時の糧になってる。
誰かに褒められるのが、これほど嬉しいことだとは思わなかった。
認めてもらえた事が、自信にもなった。
『俺も先輩のように速くなりたい』
後輩が出来て、俺のような選手でも慕ってくれるのが歯痒かった。
そんな、大層な人間じゃない。
でも、期待には応えれるような先輩になりたいと思った。
赤茶色のゴムのトラック。
スタートまで後残り僅か……。
スタート前にダッシュをしたりして体が冷めないように気をつける他の選手達。
自分も前屈をしたりして、走り出すまで体を動かす。
『千五や八百は陸上の格闘技だ!』
先輩の言葉の意味を体験したときは、ただただ痛みに耐えるしかなかった。
中距離はスタートしてから二百メートル進むまでが一回目の勝負どころだ。
いいポジションを確保するために皆が競い合う、その時に肘がぶつかる事は当たり前。
審判に見えないように肘を当てるのは、選手にとっては一つのテクニックだ!
だから、格闘技だと言われている。
初めて千五を走ったときはいいように攻撃されて、前に出ることさえ出来なかった……。
「谷先輩、頑張りましょう!」
昔の事を思い出していたら、後ろに並んでいる米田が声を掛けて来る。
「俺は中距離は得意じゃないから、そこそこの成績が出せればいい。
メインは長距離だしな。
それより、米田こそ頑張れよ」
内心では中距離が得意じゃないけど負けたくないと思ってる。
そこそこの成績じゃ北信越大会は狙えない。
インターハイを目指すなら二位にはならないと駄目だ。
もう一レースの結果次第では二位でも無理かもしれない。
審判員がアップしている選手をゼッケン番号で整列させていく……。
もうすぐ、スタートだ!
ランナーは走り出す直前によく太もも等を叩く、少し強めにパンパンと叩く。
赤くなるくらいが個人的には気持ちも体も出来上がるように感じている。
さて、短いようで長い戦いが始まる!!
自分の体験談を織り交ぜています。リアリティが出せてたら幸いです。