ムーンスター
ぼくは、神さまとお友達でした。
「やあ、いらっしゃい。また来たの?」
『ぼく』がそこにやって来ると、神さまはいつもやさしく微笑んでくれます。
そのやさしさは、お祭りの日にお母さんに買ってもらった綿菓子に似ています。
けれど、昨日町中に降り積もった真っ白な雪にも似ています。
「ねぇねぇ、またつれていって! おねがい!」
あいさつもそこそこに、『ぼく』はお友達の神さまにおねだりをします。
神さまは、ちょっと困ったように笑います。
「しかたないなあ。いいよ、キミとはお友達だもんね。でも、あの『約束』は忘れちゃいけないよ」
その言葉に、『ぼく』はとびはねて喜びます。
そうです、『ぼく』は神さまとお友達なのです。
「さあ、目を閉じて」
神さまはそういって、『ぼく』の手を握ります。
『ぼく』は、わくわくしていました。
また、あの場所にいけるのです。
大好きな、あの場所にいけるのです。
あの場所が、『ぼく』は雪の降り積もった町よりも、前にお母さんに連れて行ってもらったお祭りなんかよりも、どんな場所よりも大好きだったのです。
――シャラリララ、まるで星の降るような音がしました。
そこは、夢の国でした。
そこは、神さまの国でした。
『ぼく』は、神さまとお友達です。
だから、『ぼく』は特別にそこへ行くことを許されたのです。
そこは、夢の世界でした。
そこは、月と星の世界でした。
そこはいつもきらきらと輝いていて、美しい場所でした。
ムーンスターと呼ばれるその街は、どこにでもある、どこにもない場所でした。
そこでは、『ぼく』は特別です。
だって、『ぼく』は神さまとお友達なのです。
『ぼく』は、そこでたくさんのお菓子を食べました。
『ぼく』は、いつかお母さんに買ってもらった綿菓子にそっくりの、雲のお菓子を食べました。
それは、綿菓子よりももっとふわふわで、ずっとずっと甘い味でした。
『ぼく』は、そこでたくさんのおもちゃをもらいました。
そこには、おもちゃ屋さんに売っているような、機械のおもちゃはありません。
星の光を閉じ込めた万華鏡をのぞき込んだり、ふしぎなお歌を歌ってくれる貝殻を耳にあてたりしました。
『ぼく』は、そこではなんでも手に入れることができました。
ほしいと思ったら、それはもう『ぼく』のものなのです。
お母さんにおねだりをして「また今度ね」といわれることもありません。
お父さんにお願いをして「かけっこで一番をとったらな」といわれることもありません。
おじいちゃんにもらったお年玉を貯めなくてもいいのです。
おばあちゃんにお母さんに秘密でこっそり買ってもらわなくてもいいのです。
ムーンスターに住む人たちは、とてもやさしいひとたちです。
みんな、『ぼく』のいうことを聞いてくれます。
どの大人も、『ぼく』を「悪い子だ」なんて顔をしかめたりはしません。
どの男の子も、『ぼく』にけんかをふっかけたりしません。
どの女の子も、『ぼく』をこわがったりしません。
誰も、『ぼく』を叱ったりしません。
誰も、『ぼく』を無視したりしません。
みんな、『ぼく』にやさしくしてくれます。
みんな、『ぼく』を見てくれます。
みんな、『ぼく』を愛してくれます。
――そこには、『ぼく』をいじめる『悪者』なんて、いないのです。
そこでは、『ぼく』は特別なのです。
そこでは、『ぼく』は特別なのです。
だって、『ぼく』は神さまとお友達なのですから。
◇◆◇
「ねぇ! もう帰りたいの! おねがい!」
ぼくは、泣いてお願いしました。
だけど、神さまは首をふるばかりでした。
ぼくは悲しくて泣いているのに、神さまはうれしくて笑っていました。
「どうしてなの? ぼく、もう帰りたい」
ぼくは、泣きました。
かなしくて、さみしくて、こわかったからでした。
ぼくは、気づいてしまったのです。
ムーンスターは、夢の国でした。
神さまの、特別な場所でした。
そこのお菓子は、とろけるほど甘くて、とてもおいしいのです。
そこのおもちゃは、何度遊んでもあきないくらい、とてもおもしろいのです。
そこのひとたちは、いつもいつも笑顔で、とてもやさしいのです。
誰もが夢見る夢の場所なのです。
だけど、そこには、存在しないものがありました。
それに、ぼくは気づいてしまったのです。
「おかあさんとおとうさんに会いたい、おじいちゃんとおばあちゃんにも会いたい」
そこには、「仕方ないわね、今日は特別よ」といって、綿菓子を買ってくれるお母さんはいないのです。
そこには、「よし、どっちが大きな雪だるまを作るか競争だ!」といって、はしゃぎながら一緒に雪だるまを作ってくれるお父さんはいないのです。
そこには、「今年もいい子に過ごしたからな」といって、一年間がんばったごほうびとしてお年玉をくれるおじいちゃんはいないのです。
そこには、「大丈夫だよ、悪くないよ」と言って、お母さんとけんかになってでも誰よりも一番に味方してくれるおばあちゃんはいないのです。
そこには。
「『約束』だから。覚えてる? 絶対に忘れちゃいけないよって『約束』したよね」
泣いているぼくをなぐさめるように、神さまはやさしく手を握ります。
「さあ、思い出して」
ぼくは、泣きました。
かなしくて、さみしくて、こわかったからでした。
ぼくは、いちばん大切なことに、気づいてしまったのです。
そこには、ぼくのほしいものは、何でもありました。
だから、ぼくは連れて行ってもらいたかったのです。
だけど、そこには、ぼくの本当にほしいものは、ありませんでした。
だから、ぼくは帰りたくなったのです。
「どうか、そのきもちを覚えていて。いつまでも忘れないでいてね。――キミが、いつか大人になっても」
――さあ、目を開けてごらん。
◇◆◇
目を開ければ、部屋の明かりがまぶしくて、ぼくは目を細めました。
起き上がり、目元をこすりました。
「あら、起きたの? おはよう。あ、だめよ。目をこすったら」
お母さんが、そう言いました。
「お、起きたか。昨日の雪だるまな、お前のほうが溶けずに残ってたぞ。お前の勝ちだな」
お父さんが、そう言いました。
「おお、おはよう。聞いたぞ、自分の名前を漢字で書けるようになったんだってなぁ。お前は賢い子だ」
おじいちゃんが、そう言いました。
「おはよう。昨日はおばあちゃんのお手伝いをしてくれてありがとうね。ごほうびは何がいい?」
おばあちゃんが、そう言いました。
お母さんが、そんなおばあちゃんに「また甘やかして!」なんて言っています。
おじいちゃんが、そんなお父さんに「お前はいつまでも子どもだ」なんて言っています。
「にーに」
まだちいさな弟が、そう言いました。
「おはよ。昨日は叩いちゃってごめんね」
お兄ちゃんのぼくが、そう言いました。
「んーんー! にーにー!」
ぎこちなく頭をなでると、弟がうれしそうに笑います。
「あらあら、昨日は弟にやきもちを妬いたかと思ったら。今日は仲良しさんね」
お母さんが、そう言いました。
「男なら、時には戦わねばと思うときもあるんだもんな。でも、弟を叩いちゃだめだぞ」
お父さんが、そう言いました。
「お前はやさしい子だから、いつも我慢してたんだろう? すまなかったな」
おじいちゃんが、そう言いました。
「そうね。強い男の子はかっこいいけど、でも弱い者いじめはかっこ悪いわ」
おばあちゃんが、そう言いました。
◆◇◆
ぼくは、神さまとお友達でした。
でも、もう大好きなあの場所にはいけません。
もしかしたら、弟はまだ行けるのかもしれません。
もしかしたら、弟はいつか行くかもしれません。
もしかしたら、弟ももう行けないのかもしれません。
弟が、神さまとお友達になれたのかはわからないからです。
もう、ムーンスターには行けません。
だけど、ぼくがあの『約束』を忘れることは、もうないでしょう。
あの星の万華鏡を覗き込むことは、二度とできません。
あのふしぎなお歌を歌う貝殻を耳にあてることは、二度とありません。
それでも、ぼくはもう、ムーンスターに行くことはできないのです。
ぼくが、神さまの、あのやさしい微笑みを見ることは、もうないのでしょう。
だけど、だけどね。
ときどき、本当にときどき、聞こえることがね、あるんだ。
――シャラリララ、まるで星の降るような、あの音が。
end.