第一章③ 少女と傭兵その1
おそらく、竜そのものが金色に光っているのだろう。大雨の中、ろくな光源もないというのに、羽ばたくたび、周りの雨粒ごとまるで虹の輪が出来たかのようにキラキラと金色の光を纏っている。それが、ルーミィにはとても綺麗に思えた。
しかし、
「……ねぇ、ライズ。あれって……」
ルーミィは何故か急にかたかたと震えだした自分の身体が信じられなかった。これはいったいなんなのか。雨のせいなのか。風邪でも引いてしまったのか。と。
「う……あ……?」
そして、金色の竜から目を離せず、さらに混乱は深まる。身体がいうことをきかない。
こちらに近づく事で少しずつ大きくなっていく竜に合わせて、震えと心臓の鼓動が早まっていく。
周りの音が、雨のざぁざぁという音が、自身の鼓動でかき消されていく。
呼吸が早まり、そのうち、視界までぼやけてきた。
「見るな、ルーミィ」
その時、ガバッと、ライズの身体がルーミィの視界を覆った。力強い腕に抱かれ、ルーミィはかすれた声で答えた。
「ライズ……あたし……あたし……!!」
「分かってる。大丈夫だ。大丈夫だから」
「お父さんとお母さんが……うぅ、うわぁぁぁぁん!!」
突然泣き出したルーミィの背中を、ポンポンと叩きながら、ライズは冷や汗をかいた。ほんの数秒の間に、『走馬灯を見るほど』消耗していたからだ。ライズが雇われることとなった原因であり、ルーミィにとってはトラウマで、こうして旅をすることとなった原因である。そんなものを見せられてしまったルーミィが泣いてしまうのも当然だった。
「…………」
無言でルーミィの背中を撫でてやりつつ、ライズはちらりと金色の竜に視線を向ける。そして、思わず心の中で舌打ちをした。すでに竜尺十五匹ほどまでの距離に近付いて来ているが、 金色の竜は明らかにライズ達を見ている。
どうやら最初に隠れた時にはとっくに気付かれていたようだ。すぐ近くに舞い降りるつもりらしく、ゆっくりと高度を下げて来ている。
「……ルーミィ。アレは『本物』。竜神の一柱だ」
「ひっく……りゅう……じん?」
「そうだ。竜神だ。何故こんな所にいるのかはわからんが……。竜神『金』は見つめ続けた者の精神を、あの光で壊して殺してしまう」
「それ……じゃあ、あたし……ひっく……死ぬの?」
ぎゅっとライズの服を掴み、ルーミィは弱々しく言葉を発する。
「いや、大丈夫だ。アレがお前を殺す気ならとっくに死んでいる。どうやら、俺達はアレの興味を引いてしまったらしい」
お前のトラウマを見られてしまうくらいには、とライズは険しい顔をする。
バサバサと羽ばたく音がやんで、地面がほんの少しだけ揺れた。
†
この世には、竜というものが存在する。人類が初めてその存在を認識したのは、数百年前。人類が国という形をようやく確立し、領土戦争をひたすら行っていた頃の事である。
つまり、争いが絶えず、動物が食べると凶暴になる『石』が、人間にも有効であり、食べると尋常ならざる力を発揮出来ると、世間に知られ始めた頃と同じであった。
当時の記録を残す書物には、
『我々が領土を拡大するため、石を集めていた所にヤツは現れた』
『戦争そのものよりも悲惨だった。双方の軍がたった数匹のヤツらによって壊滅させられた』
『それは巨大で、鳥のように飛び、しかし鋼のように硬い皮膚を持ち、また、美しかった』
『炎に包まれたヤツもいれば、水に包まれたヤツ、ただ光り輝くヤツもいた』
『どうやら、ヤツらには格の違いがあるらしい』
『その力が本物か否か。それが我々人類の敵か味方か、利用できるモノならば利用したい』
等々、様々な記述があり、竜には幾つもの種類、そして性格があるらしいと分かっている。
本物かどうかの違いはかなり大きい。本物……つまり竜神と呼ばれる一部の竜は、数百年の間にいつの間にか人々の信仰の対象となった。凄まじい力を持ち、人の言葉を理解し操り、信仰を捧げた者に加護を与えたり時に諭したりするのだ。まぁ、気に障れば簡単に牙を向かれ、悪くすれば国の一つは軽く消滅の憂き目に遭うのではあるが。
対して、偽物……というよりも信仰の対象にならない程度の竜である場合、人の言葉を理解もしなければ加護も与えず、ただただ人や動物を襲う怪物である。これは多くの場合、その竜が気に障った本物がなぶり殺すか、人による討伐隊が組まれ、排除されることとなる。
もっとも、本物、偽物共に縄張りから出る事は稀であり、竜そのものを見た事がない者も多い。数百年前は色々な所で目撃情報があったが、現在では縄張りが確定したか、数自体が減ったのか、人里で見る事はほとんど無いと言っていいだろう。
「…………生か死か。俺達の命運を握るのは『金』だけ……だな」
そんな竜が自分達の前に現れ、しかもすぐ近くに降り立った事に、ライズの肝は縮む。
長い人生の中で竜と相対するのはこれが三度目だが、生きた心地がしないのはまったく変わらなかった。人間相手ならば、石さえ使えば負ける事はない。
しかし竜、それも本物など、絶対に勝てる相手ではない。石を使ったとしても、人が虫を踏み潰すかのごとく、一瞬でライズの命は消し飛ぶだろう。そもそも、ライズには敵対する気も無かった。
ルーミィという守るべき主人がいる今、逃げる事も気に障る恐れがあるとすれば、竜からの問いかけを待ち、穏便に済ませるしか方法が無いからである。
「…………」
腕の中で声を殺して泣き続けるルーミィを撫でつつ、竜の問いかけを待つ。
じっと観察しているのか、『金』は動かず、圧倒的な存在感と吐く息、いまだ止む気配の無い雨を身体がはじく音だけが辺りを支配している。
そのまま数分が経ち、ようやく『金』が口を開いた。
「人間。何故喋らん」
その声は竜という巨体から発せられたモノとは思えないほど、少年っぽいモノだった。言葉自体は威圧的なモノだが、泣いていたルーミィが思わず「え?」と声を上げるほどに。
「聞いているのか、人間。何故喋らん。それとも二人して喋れないとでも言うつもりか?」
ライズ自身も呆気に取られ、ルーミィと目を合わせる。どう考えても、少年としか思えない様な声に、そのまま、ぼそぼそと二人で相談をする事となった。
「ねぇ、ライズ」
「あぁ、ルーミィ。あまりの衝撃で俺ともあろう者が気が抜けてしまった」
とはいえ、本当に気を抜いてしまうのは危険な事をライズは分かっている。あくまでも、せっかく鉄拳が来る心構えをしていたのに、ぺちん、と軽く頬を叩かれただけだった、くらいの気の抜けようとなっただけである。
「どうするの?」
「どうするもなにもな……」
こんな調子で語り掛けられれば、普通に返すしかないではないか。そうライズは困惑顔でルーミィを見る。
「おい、人間」
「……何か、用でしょうか」
安全を考え、ライズは自分が出来る精一杯の丁寧な言葉で答えた。
「なんだ。ちゃんと喋れるではないか。何故ずっと黙っていた」
『金』の声音に喜色が混じった。どうやら、実に人間が好きな竜らしい。の、割にはその身に宿す能力が相当に危険な代物であるが。
「まさか『金』様にこのような所でお会いする事になるとは思わず」
「そうか。それなら仕方がないな」
気には障らなかったようだ、とライズは安心する。
「申し訳ありま──」
「おい」
「ッ!?」
瞬間、ライズとルーミィは一気に周囲の温度が下がったように感じた。いきなり『金』の威圧感が増したのである。
「な、なんでございま──」
「何故そんな言葉を使う」
「え?」
「虫唾が走るわ。今すぐ辞めろ。普通に話せ」
「は? え、えぇと」
「辞めろと言っている。貴様が普段使っている言葉は、その様な気持ちの悪い言葉ではないだろう? 儂が竜だからと気を使うな。それに話す時は儂を見て話せ。消すぞ」
ライズが困惑していると、ツンツンとルーミィが袖を引っ張った。
「ねぇライズ。普通に喋っていいんだとおもう」
「いや、しかしだな」
「でも、そうしないとあたし達を消すって言ってる」
「…………」
「大丈夫だよ。たぶん。わるい人|(?)じゃないみたいだもん」
ルーミィはさっきまで泣いていたのが嘘の様に、何故か少し楽しそうにライズを見上げた。
「……死んだらすまん」
「大丈夫だよ。きっと」
にこり、と笑って、ルーミィはライズを促した。ライズはしぶしぶ、といった感じで、『金』の方を向く。しっかりと見詰めたにも関わらず、体調にも精神にも変化が起きない事に少し驚きながら。
「……すまん。これで良いか。『金』」
「あぁ、それで良い。まったく。こちらを見向きもせず、気持ちの悪い言葉など、無礼にも程があるわ」
ふ、と威圧感が無くなり、二人は安堵のため息をつく。
「すまんな。竜神と話すのは初めてだったんだ。こんなに気さくだとは思わなくてな」
口調はともかく。とライズは苦笑を表情に混じらせた。
「ふん。他の奴等はどうか知らんが、儂はその言葉の方が性に合っているだけだ。普段と違う言葉で相手と会話する。それは、自らの本質を相手に見せる事を拒否しているのと同じだ。同胞ならまだしも、種族の違う者同士が分かり合うのにそれでは争いしか産まん」
「……そうだな」
頷きつつも「そうか?」とは言えないライズであった。
と、ルーミィが口を開く。
「えっと……『金』?」
「む? なんだ小娘」
「むー。あたし小娘じゃないもん。ルーミィって名前あるもん!」
「そうか。謝ろう。ルーミィ」
「うん! ところで『金』って、なんであたし達の所に来たの?」
首を傾げて、ルーミィは『金』へと尋ねる。素直に疑問だったのだろう。『金』の声と性格のせい(おかげ)で、竜神を前にしているというのにルーミィは一切の怖さを感じていなかった。
「む。むぅ……それを訊くか。ルーミィよ」
やや困ったように『金』の言葉が詰まる。
「だって、あたし達別に何もしてないし、町に向けて走ってただけだもん」
正確には息切れして駄々をこねて、ライズを困らせていたのであるが、それはもう忘れているルーミィである。
「だから、なんであたし達の所に降りて来たのかなーって。だって『金』って竜神なんだよね? 忙しいんじゃないの?」
子供特有の、ズケズケと物を言うルーミィを、ライズは呆れ半分、竜神の怒りを買わないかの怖さ半分で見守る。対して、『金』はどう言おうか迷っていた。表情にも出していたが、ライズ達には、竜神の表情を読むことは出来なかった。
「うぅむ……それがだな。ルーミィよ」
「うん?」
「……あまりにも暇、でな」
「…………へ?」
その時、
竜神なのに? というルーミィの表情と、『金』やライズの気まずそうな場の沈黙が辺りを覆ったのは、仕方無かったのかも知れない。